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レイライン通信 ~ 光の循環~  / 中川れい子のパーソナル・ブログ

コロナ徒然① 生きる意味/暗黙知 /<病い>を捉えなおす

3月はご時世にあわせて、ほとんどの講座とボランティア活動は休止。
おかげで家でゆっくり過ごせているので、ちょっと徒然に、脈略を気にせずに気づいたことを書き留めていこうと思います。


一昨日土曜日(3月14日)、NHKEテレ、欲望の時代の哲学2020『マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント 第三夜 闘争の資本主義を越えて』の再放送を観れました。前回は、東京を歩くだったのですが、今回はニューヨーク。『新実在論』を唱えるドイツ人の若き哲学者、マルクス・ガブリエル。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/91878/1878376/index.html 「世界は何故存在しないのか」や共著ですが「未来への大分岐ー資本主義の終わりか、人間の終焉かー」等の和訳された著書もあります。

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この取材の時にNYを歩いたガブリエルは、2月の新型ウイルスが世界を震撼させることと3月のNY株式の大暴落はさすがに予測はしてなかったでしょうに。でも、番組の中でNYのマンションに投資しようとしている女性に対して、絶対に投資しちゃだめだと釘をさしていました。

そして、昨日はドイツが全国境での人々の往来を封鎖と発表しました。ドイツ銀行の問題も同時進行しています。メルケル首相はドイツ銀行の救済には公費は使わないが、コロナウイルス対策には赤字財政覚悟で対策費を捻出するとコメントしていました。絶滅寸前の銀行を守るよりも国民の命を守ることを優先する姿勢は、さすがメルケルと思いました。彼女は全ドイツ国民の6~7割が感染するだろうと予想しています。今後、欧州各国がどのような対策を行うのか?そして、アメリカは? 世界経済は? 資本主義の終焉? 目が離せません。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-03-12/Q7316ET1UM0W01?fbclid=IwAR0KgDTlDclGKATksE-Pq1nNjbbzFfMoI3G_GI86upbbkMZbNFaygGtUByY


マルクス・ガブリエルの語る世界に、ウォール街の終焉後の世界の在り方が見え隠れしていましたが、今回、じわじわっと響いたのは「意味(meaning)」「体験(experience)」という言葉です。

ガブリエルによると、社会には「生存形式(survival form)」と「生命形式(life form)」がある。
生存形式は、とにかく生きるために必要なものを獲得するという生命としての機能。これについては、今後、ベーシック・インカムを導入する必要があるだろうとのこと。一方、生命形式とは、精神活動、すなわち「意味の場(field of meaning)」の存在形式であるとのこと。

私達一人一人が、存在意味をもち、そして、これまで生きてきた体験のひとつひとつに意味があるという考え方。現在の社会モデルは、大人の視点から作られていて、そこには「勝つか負けるか」とい生存モデルが主流。しかし、子どものころからの体験に意味があるものもあり、それぞれにとってのストーリーがある。この資本主義の世界はデータと統計主義でもあり、個人は集合の一部としてとらえて、個人の個々の体験を数値化しない。しかし、その体験にこそ意味が眠るのではないか?(おわかりのように、この場合の「意味」は外から評価される存在意味的なニュアンスではなく、一人一人がみずからの体験の中で実感する「意味」です。当然ながら、一人一人によってその意味は異なり、言語化し、評価や比較することはほとんど無理でしょう)

社会の複雑性を軽減することは不可能だけど、すべての存在に意味があるという”窓”があり、地球上すべての人々が”意味ある人生”を歩むことが大切である・・・というのが、ざっくりとした第三話の結論でした。


話がとびますが、新型コロナウイルス騒動で自宅でゆっくり過ごしている間に、夫のお父さんの中川米造氏の遺稿を読み返しておりました。『パラドックスとしての身体ー免疫・病い・健康ー』(河出書房新社)という1997年発刊の対談集の中のインタビュー記事「<病い>を捉えなおす」のところを読んでいると「意味」についての記述がよく出てまいりました。97年というのは義父さんが亡くなられた年なので終末期の病床でのインタビューだと想像します(他にも遺る、終末期のインタビューでも「意味」についてよく語っておられましたので、まさに「遺言」に近いお言葉ではないかと思うのですが)最後のところには、こう書かれています。

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人間は意味を失ったら生きていけません。
人間にとって意味というものは非常に重要な与件です。
明示的な知というものは、ある意味で意味を一般化させることで、かえって希薄化させます。意味などなくても、共通の法則性があれば流通してしまうわけですから。
しかし暗黙知まで掘り下げれば、それはどうしても意味にぶつかります。
医療に今最も求められているものは、おそらくこの意味の問題であると思いますし、それは暗黙知に関わる問題だと私は考えます。

(暗黙知というのは、明示的な知の対になる概念で、明示的な知というものは、原因を外に求め、因果関係がはっきりわかり、エビデンスもしっかりあるということです。一方、暗黙知というのは、明示的な知の背後にある「身体的・個人的な、いわば、非言語的な知」のこと。同じく、同インタビュー集には、こうあります。

普通我々が言う治療とは、要するに明示的な知を共有することによって病気を発見し、治すという一連の流れ全体を指すことであり、それで解決ができればいいわけです。

しかし、ある症状が出て、それを明示的にはっきりとした病気として捉えられないこともあります。先ほど言った器質的な疾患は、明示的にとらえることも可能です。しかし、機能的な疾患は、そもそも明示的な言語でとらえることは不可能なものです。それは、患者さん自身が自分で意味付けしていかなかえればならないものだからです。いわゆる暗黙知に属するこのであり、明示的な知として明確に言語化される以前の非言語的な知です。患者さんが自分で意味づけると言っても、そもそも非言語的な知ですから、非常に難しい。

もう少し、引用したいのですが、このあたりで。

ちなみに、明示的な知と対で語られている「暗黙知」を唱えたのは、マイケル・ポラニーという哲学者(1891-1976 )で、ハンガリー出身の哲学者です。

代表作の「暗黙知の時点ー言語から非言語へー」は、夫の実家のトイレの中に、義父さんが亡くなられてから10年以上たっていた頃、私が初めて夫の実家を訪れたときに、まだ生前のままにお手洗いの中に置いてあったご本です。トイレの中での読書は、夫も好きなので、よく似ているなぁと思うのですが(読んでる本はかなり違いますが^^)想像するに、末期がんの終末期を自宅療養で送っておられたお義父さんが、最後に読まれた本がこの「暗黙知の次元」
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今も手元に置かせていただいていますが、これがなかなか読みづらく難しい哲学書で読めずにおりました。が、先日1月に尼崎に来て2日間の講演をしてくださった安冨歩先生の「合理的神秘主義」に、このマイケル・ポラニーのことがかなり詳しくとりあげておられたので、ようやく理解が深まったところです。
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さて、この暗黙知の次元と医療について、昨今の、新型コロナウイルスにあてはめてみると、ウイルス感染の有無や感染経路の確定等、今はまだ「明示的な知」というエビデンスや統計、科学的な判断にそのよりどころをもつ段階ではありますが、やがて、多くの人が感染し、しかし、その多くの人が症状をもたず、あるいは、病状のあらわれ方が多様性をもつようになったら、また、感染することでその人の社会活動や家庭生活への影響も、様々な可能性が考えられるようになってくる段階に入ったら、この「暗黙知」の部分に、医療も目を向けなければならなくなるのではないか?と、そのようなことを考えたりも。

検査結果で陽性であるからといって「病気」であるとは言えない微妙な状態になるのではないでしょうか? 私は感染を抑えることに重きを置く現段階では、検査実施を推進したほうが良いと思いますが、このウイルスの微妙なところは、検査結果で陽性であっても、必ずしもそれが「病気」の状態とは言えないのでは?ということです。

たとえば、義父さんのインタビュー「<病い>を捉えなおす」には、こうあります。

60歳を過ぎたら、小動脈瘤は百%あります。
それをわれわれは老化と呼んできたわけで、それを病気だということ自体がおかしなことなのです。

検査は検査で有効だけど、検査結果だけがすべてではない。
今、世界で起こっているパラドックスは、検査をすることで隔離が必要な病人の数を増やしてしまい、それに対して医療が追い付かなくて、医療崩壊がおこり、本当に重篤な患者の対応ができなくなる。しかし、検査をしないと適切な隔離はできないし、誰が感染しているかわからないのでじっと自宅待機を全体で余儀なくされる、、すると経済そのものが停滞し、致命的な打撃を受ける人も多い。。。

感染拡大をふさぐための隔離対策は必要だけども、陽性であることの意味を、個々人のライフストーリーの中でとらえていかないといけないのではないか? もちろん「隔離」という言葉の意味にも、もっと多様性を持たせる必要があるかと思います。少なくとも、陽性の人を悪者扱いにする社会的態度は絶対に変えていくべきでしょう。

また、治療法も、抗生物質やワクチンという形ではなく、全体的な免疫力・抵抗力を高める、あるいは、ストレスを軽減するためのメンタルケア等が中心となっていくのではないでしょうか?

まさに、目に見えないウイルスがもたらす、暗黙知のパンドラの箱が開いたかのごとく。

もちろん、経済活動も、株の価格など、数値化されたものによって右往左往するよりも、それぞれ、個人個人の内側にとって、経済活動がどのような意味をもつのか、、、ということに依拠するようになっていくのでは?とも想像します。

目に見えない新型コロナウイルスが、世界中をあっというまにかけめぐり、医療と経済のシステムが連動しながら世界が変容し、そして、おそらくは、世界中の人々の幸福感・死生観にも影響をあたえていくでしょう。

風や空気や呼吸にかかわる、まさに「水瓶座」の時代の到来をあらわす2020年初頭大事件。
もうしばらく、グランディングして観ていきたいと思います。






# by reiko-koyago | 2020-03-16 12:24

心のケアから”品格ある社会”へ(25年目の阪神淡路大震災)

阪神淡路大震災の時に被災者の心のケアに関わりその後の被災地での心のケアに道筋を遺した精神科医師の安克昌さんのことが、昨日のEテレ「心の時代」で特集されていました。https://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2020-03-01/31/10506/2008361/

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ドラマを観終わった直後なので、ご本人の写真やご家族・ご友人の言葉とともに振り返る番組内容はとても引き込まれ、私自身の阪神淡路大震災の被災後の経験も何度も浮上していきました。

ディレクターさんが選んだテーマだと思いますが、冒頭で登場した安先生ご自身のこの言葉は、震災後25年目にしてほんと重要だと思います。発掘してくださったNHKに感謝。

 心のケアを最大限に拡張すれば
 それは住民が尊重される社会を
 作ることになるのではないか。
 それは社会の「品格」に
 かかわる問題だと私は思った。

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25年前を振り返ります。実際にこの当時には「心のケア」や「心の傷を癒す」という言葉はほとんど活用されていませんでした。心がずたずたに傷ついているのは当たり前で、まず生活をなんとかしなければいけなかった。。。しかし、命からがら生き延びて、避難所に行き、そして、仮設住宅、公営住宅へと住宅が復興していく中で、傷ついた心をなおざりにしていたことから、多くの被災者が心と身体を病み、がんや心臓病、高血圧、うつ病、アルコール依存症、そして孤独死へと追いやられていったという問題が残りました。

震災復興には、被災者一人一人に、とてつもない我慢と忍耐と抑圧が強いられます。その間に、心を病む人はとても多い。そのことが、せっかく地震そのものからは助かった命なの、擦り切れるように追いつめられてしまう。そのことを示したのが阪神淡路大震災だったと思うのですが、その後の東日本大震災を含む大災害に、この時の教訓がどれほど活かされていったのかなぁ?と疑問に思うことがあります。

が、こうして、安克昌先生の足跡と言葉が遺されたことで、これから、もっと改善されていくだろうと思いますし、実際に、東日本大震災の際でも、圧倒的に臨床心理士さんや心療内科医師、災害看護、そして、私達がかかわってきた、タッチケアや、アロマ等の身体的な心のケア、トラウマワークも増えていったのを見ると、一定の成長は見つけられるのかなぁとも思います。

ここで、とても大切なことは、「心のケア」とは何かというと、心を大切にするということなのですが、すなわち、それは住民一人一人を大切にしていこうという、社会のこれからの在り方の方向性を示しているということです。復興というものは、一人一人の心等にはかまっていられないほど、残酷で暴力的なものでもありますが、
だからこそ、その一人一人の心を尊重するということは、社会の在り方としてあきらめてはいけない獲得課題。

で、、、。今回のテーマは、一歩進んで、
「社会の品格」

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安先生の弟さんが、少しコメントをされてましたが、この「品格」という言葉には、そうではない社会への一種の怒りがこめられているのではないか・・・とおっしゃってたのですが、それは、私も、激しく共感するものがあります。

怒りというのか、皮肉というのか、逆説的な意味での「品格」なのだろうと。それは、いわゆる震災弱者といわれる、高齢者・障害者・外国人・・・の存在を排斥する形での復興を想像したからです。この町は、そういう排除を、ひそかに品性としてあがめるような質がある。それは、私自身の疑心暗鬼でもあるのですが。

見えないようにして、手を差し伸べない。
見た目だけを綺麗にする、近代的な都市。
そういうふうに復興した阪神間の街を
「品格ある街」とするようなベクトルもあったのです。

そうではない方向を一人一人の心を大切にするという視点で示し、心のケアを拡張した向こう側を「社会の品格」として道筋を示したのが、今回、安克昌先生が遺された言葉や活動から発掘されたことなのかなぁと思える特集でした(こういう「品格」という言葉の使い方は司馬遼太郎さんもよく使っておられましたね)

安克昌先生。
世代的にはほぼ同じなのですが、コミックやジャズピアノが趣味でらしたのが、思わず共感してしまいました^^。医師ではなく、作家になりたかったのですね。

在日韓国人でらしたという生い立ちも番組では取り上げられていましたが、震災復興では、私は本当に多くのご自身も被災し、震災復興のために奔走した在日として生まれ育った方達とご一緒に活動し、その方達のことを思い出しました。地震による破壊で、文字通り壁が壊れて、垣根が取り払われ、立場も国も民族も超えていった瞬間に、そこに「コミュニティ(地域)」の本来の姿が浮上した瞬間でした。

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安先生ご自身も、阪神淡路大震災以前は、コミュニティということを深く考えたことはなかったと、生前の古いインタビュー映像で語っておられましたが、実は、私自身もそうでした。「地域・コミュニティ」とは、同じ大地の上に共に暮らす人々で、そこには、一人一人のいのちの尊厳が、横並びでつながっているフィールドであることに、地震によって気づかされたのです。

阪神淡路大震災を通じて、大きな破壊と犠牲の上に、「地域・コミュニティ」という新大陸が浮上していった。それは、25年前、阪神淡路大震災の直後に観た、私の祈りのようなビジョン・夢でもありましたが、この夢を、実は多くの方達が共有していたことを今は、確信しています。

あの時、何かに突き挙げられるかのように、震災復興のために疾走した方達の多くが、命を燃えつくしたかのように、亡くなっていかれた方がどれほどに大勢おられるのか(安先生のように)も振り返りました。

同じ思いを、共に手を取り協力しあえば、素晴らしい町となったのでしょうが、その当時は、本当に、みんな必死で、それどころではありませんでした。

時間によって熟成されていくのが必要なのでしょう。
故人の方達が観た”夢”が、引き継がれていきますように。
あの時、この町の破壊と死と再生を、生で見て、体験したことを、私の場合は、触れる手を通じて、伝えていきたいと願いました。

震災で出会った人達のことを。
少し語り始めてみようと思います。

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# by reiko-koyago | 2020-03-14 13:43

2009年/神戸/アンマ/新型インフルエンザ

2020年があけて、もうすぐ3か月。新型コロナウイルスが猛威を振るい、日本社会に押し寄せています。

日々、様々な情報と共に、感染の拡大の報道が。11年前の5月に、神戸の街を襲った新型インフルエンザの騒ぎをついつい思い出してしまいます。あの時も、神戸の大きなイベントは随時中止となりました。もちろん、感染力は今回のほうが大きいので、より丁寧に警戒し、対策することは大切ですが、感染パニックの空気感があの頃のことを思い出されますので少し振り返ってみようかと思います。


私は、ちょうどその時、インドの、来場者一人一人を大切に「抱きしめる聖者」アンマ(マーター・アムリタ・ナンダマイ)の神戸プログラムのボランティアとして参加していました。神戸では、多くのイベントが中止となった中、アンマのプログラムは中止にはなりませんでした(ただ、来場者数は少なく、ボランティアの方も参加できない方もおられましたが)。もちろん、その判断が正しかったかどうかは私には判断できませんが(実際に、その数日後に新型インフルエンザの騒動は収束し、まるで何事もなかったかのようになったのですが・・)、それに、今年の状況ならば中止となるかもしれません。が、あの時の新型インフルエンザの騒動は、まるで今年の新型コロナウイルスで起きていることの予告編のように振り返られ、いろいろなことを考えさせられます。


2009年、新型インフルエンザのため町全体がパニック状態だった神戸での、アンマの来日プログラムで、偶然、私は関西のボランティア代表として、アンマと来場者の皆様の前で、スピーチをさせていただく大役にあずかりました。古いgoogleの添付ファイルを探してみると、その時のスピーチ原稿が見つかったので、今、読み返すと、いろいろなことが蘇り、自分なりに考えさせられたので、ここに記載し、少し振り返りたいと思います(ボランティア代表として大勢の方の前でお話しているので、少々、堅苦しい表現となってますがご容赦を^^。このスピーチはアンマの日本の季刊誌「マートルヴァ―二」にも掲載していただきました)アンマについては、こちらのサイトをご覧ください。

http://amma-rainichi.org/amma/index.html


現在、私は、タッチケア(人のからだに触れるケア)を普及する立場にありますので、もちろん、感染のリスクを退け、正しく警戒することの重要性を痛感しています。同時に、人に触れる・触れられることの重要性も痛感しています。こうしたことを、今後、わかりやすく文章にしていこうと思うのですが、まずは、11年前の、アンマに捧げたスピーチ原稿からスタートしてみますね。


それにしても、神戸という町は、1995年の阪神淡路大震災から、2011年の東日本大震災へ。2009年の鳥インフルエンザ問題から、2020年の新型コロナウイルスへ。。。不思議な町ですね。


中川れい子


****


親愛なる来場者の皆様

そして、今年もまた神戸に訪れ、慈悲深く忍耐強く、私たちを導いてくださる、アンマ・・・。

こんばんは。

私は、アンマ来日、神戸プログラムに、三年前からボランティア参加させていただいてます、中川玲子と申します。今回、大変僭越ながら、大勢のボランティアの皆様の中から、スピーチの大任をいただいて、ただいま、大変緊張しております。

私が初めてアンマにお会いしたのは、2005年の5月の東京プログラムでのことです。大勢の方がそうであるように、私もまた、何かに導かれるかのようにそこにたどりつきました。それから数ヶ月たち、同じプログラムで、やはり、初めてアンマに導かれた西宮のTさんご夫妻とも出会い、Tさんのご尽力で、20075月、アンマを、私たちにとって大切な町、神戸にお招きする運びとなりました。今から振り返ると、ほんとうに、何もかもが必然で、アンマが神戸にいらっしゃることは、天の計らいであるように、感じられてなりません。

 

私は、三年前から、ボランティアとして参加し、とくに、アンマのダルシャンを待つ方たちの並ぶ、ラインの整備のお手伝いをさせていただいています。

皆様もよく御存知でしょうが、アンマのダルシャンは、ほんとうに聖なるものだと、私は痛感いたします。アンマの抱擁は、あたたかい生身の身体が触れ合うことで、すべての人々の中に、血の通う生命の尊厳が宿ることを教えてくださいます。そして、絶え間なく、すべての方たちを抱きしめることで、すべての人が等しく天から愛されていることも、教えてくれます。

その一瞬も休まずに、抱きしめつづけるお姿を、真近で見ていると、まさに、湧きいずる泉から、こんこんと水があふれ、そして、川となって流れいくかのように見えます。

アンマという、おおいなる愛の源泉からあふれる水・・。その水の流れが、スムーズに、隅々にまで、流れていくのをお手伝いするのが、私たちの仕事です。


とどこおらず、よどみなく、たんたんと、あふれ、流れて、広がっていく愛の川。。。その流れを妨げないためには、どうすればいいのか? 私はふと、その川の流れをとどめようとする、「石ころ」のようなものを感じました。それは、私たちの心の中に、ごつごつところがる、「エゴの石」です。欲望・執着・嫉妬・闘争・・・。アンマのボランティアをしていると、そういう石ころが、自分の心の中で、ごつごつと音をたてて、流れる水をせきとめようとしているのが、時折、感じられます。それに気がついたとき、私は、自分の未熟さが悲しくなりました。あれほどに美しく、絶え間なく流れる、アンマの愛の川が、あるがままに、そのままに、広く隅々にまで、届けられるには、どうすればいいのだろうかと、いろいろと、思い悩みました。


3年のボランティア生活の中で、じょじょにその「コツ」がわかりかけてきました。それは、「手放して、ゆだね、受け入れ、愛する」ことなんだと・・・。そういう体験を繰り返す中、少しずつ、心の中の石ころが、小さく砕かれていくのが感じられました。あぁ、アンマは、こうやって、ボランティア活動を通して、一人一人を導いてくださっているのだなぁと、気づいたとき、不出来な弟子に対する、アンマの慈悲深さ、忍耐深さに、ただ、ただ、感謝でいっぱいになり、胸が熱くなりました。


と、同時に、アンマご自身が、欲望・執着・嫉妬といったエゴの石でせきとめられていない、さらさらと流れる清流そのものなのだということに、気づかされます。アンマが、一日に数百人、数千人と抱きしめ続ける中、ただの一度も、嫌な顔をしておられるのを、私は、見たことがありません。ずっと止まらない、よどみのない動きで、富める人も、貧しい人も、すべての人を、平等の愛と無執着の心もって抱擁されているのが、よくわかります。アンマを見ていると、愛は、無限に湧きいでて、すべての人に注がれるものであり、石油のように、奪いあう必要のないものだということが、とてもよく理解できるのです。


 さて、アンマがこの神戸を訪問地として選んでくださった理由の一つに、あの14年前の阪神・淡路大震災があると私は感じています。私はあの日、西宮の自宅で被災しました。1995117日、午前546分。おそらく、あの大地の激しい揺れを、私は一生忘れないことでしょう。ほんの数秒、地球が揺れただけで、私の部屋も、我が家も、そして、近所の周囲すべてが、様変わりしていました。全壊してぺしゃんこになった家、おしつぶされて亡くなったご近所の人たち、倒壊したビルディング、周囲に立ち上がる火事の不穏な煙・・・。日常とは程とおい、悲惨な風景がそこにあり、恐怖と悲しみで、心が押しつぶされそうになりました。


地球にすれば、ちょっと、くしゃみをしたぐらいの揺れだったのかもしれません。たった、それだけで、昨日の現実は、もう、目の前には、ありません。ちょっと地球が揺れただけで、あっというまに、木っ端微塵に壊れてしまいます。私たちは、日常では忘れてしまっていた、大自然の脅威、地球の力をあらためて思いしらされました。


このスピーチ原稿を作成しているとき、アンマのお弟子さんのシャンタジさんから、「人と自然」という本の中にあるアンマのお言葉を教えていただきました。これは、アンマのインドのアシュラムも大被害を受けた、インドネシア沖津波の10年前に語られたお言葉です。

「私たちの生活の質は、大幅に低下してしまいました。多くの人が信仰を失い、愛も思いやりも持たず、全体の利益を考えて手に手をとって協力して働くチーム精神も消えてしまいました。これでは、大自然に悪影響となります。大自然は、祝福をすべて引き揚げて、人間に反するようになります。人間がこんな調子でいれば、大自然がどんな反応をするか、想像を絶するものがあるでしょう。」 

私たちは、あの大震災の体験を通じて、そのことを身をもって感じたといえるでしょう。

私たちの意識や行いは、常に、密接に地球や大自然とつながりあっている・・・。このことを受け止め、そして、後生にまで伝えることが出来るなら、あのとき、大勢の犠牲になった人たちの御魂にも、少しは報いることができるかもしれないと、私はおもいます。アンマが、世界中からの招待を受けながら、あえて、神戸を訪問地として選んでくださるのも、ここに暮らす私たちに、それを伝え、導くためではないかと、思えてなりません。


今回、世界中で鳥インフルエンザが蔓延したことで、この神戸にも広がり、大きな不安と動揺が走りました。感染を最小限にくいとめるための努力は、とても大切だとは思います。と、同時に、今回のことで私が感じたことは、なによりも、あぁ、世界中、みんな、同じ空気を吸って生きているんだなぁ・・・という、当たり前の事実の再発見でした。地球の観点からすれば、水も空気も大地も、すべて、つながりあっています。人間の力で、それをせき止めようとすることの難しさを、今回、しみじみと感じました。今こそ、私たちは、謙虚に、全体の一部であり、つながりあっていることに、目をつぶらずに受け止めることが、必要なのではないかと、ここ数日、思いをめぐらしておりました。インフルエンザも恐ろしいですが、つながりを忘れてしまった社会もまた、恐ろしいと思います。そのことを見据えて、今回の問題にむきあっていきたいと、プログラム開催にあたり、思いめぐらしました。


そして、おそらく、そのことへの理解を深めることこそが、今日、私たちが求めるべき霊性の向上ではないでしょうか。ここでまた、シャンタジさんが、アンマの美しい言葉を紹介してくださいましたので、引用したいと思います。

『真我(アートマン)を悟って、身体を超越した魂には、一切の「相違」は存在しない。そんな魂には、すべては一つの「普遍意識」の一部であって、あらゆるものが、「ひとつながり」であると、はっきり見え、一つも別個の存在はなく、すべては全体者の部分を形作っているのだとわかる。その境地の中では、あなたは、どこででも、あらゆるものの内に自分自身を体験する。・・・こちらにも、あちらにも、、上にも、下にも、どこを向いても、醜いものも、美しいものの内にも・・・。そういう魂は、どこを向いても、見えるのはそこに既にあった自分自身の真我だけ。その人は、いつも存在していて、不在ではありえない・・・』

なんとも、崇高な境地のお言葉であり、ただ、ひれふするばかりでありますが、こうした境地に、ほんの少しでも近づくために、私達のボランティア活動があるのだと、最近、思えてまいりました。

 毎年、アンマがいらっしゃる直前は、やらなければいけない仕事が、集中豪雨のように、天から降り注いできます。あんまり忙しいので、何も考えずに、ただ無心に、それをこなしていきます。考える暇がないのです! そうやっているうちに、はっと気づきました。

もう、私の中で、それが、自分のためなのか、アンマのためなのか、みんなのためなのか、社会のためなのか、区別がつかなくなってしまっているのです。もう、そんなことを、考えることすら、億劫なのです。そうなったとき、私の心はふっと、軽くなりました。なんだぁ、みんな、つながっているのだから、結局は、どれも、同じなんだ、循環してるんだ。分けて考えることで、いかに、私は、心のエネルギーを消耗させていたのかが、よくわかりました。


そんな気づきを得たときに、ふっと、私は、アンマのことを思いました。

あぁ、アンマは、一人ひとりを、絶え間なく、抱きしめ続けることで、自分自身のおこなっている努力が、常に、世界全体のためになっているのだと、わかってやっておられるのだなぁ・・・。アンマは、すべての存在、すべての人達の中に、アンマご自身をご覧になってるのだなぁ・・・と・・・。


そして、私は、こんな夢を思い描きました。

いつの日か、心の中の石ころが小さく磨かれて、さらさらとした砂となり、水の中にまざりあい、そして、みんなが、すべての人の内側にあるアンマを見つめて、愛と理解をもって、平和に暮らす日が訪れることを・・・。

普段は、遠く離れておられますが、アンマ、いつもいつも、ほんとうに、私たちを導いてくださって、ありがとうございます。そして、今年もまた、神戸の街にも、やってきてくださって、本当にありがとうございます。神戸が、アンマの愛の川の流れる、一つの大きな分水嶺として成長していきますように、どうか、お導きください。心からの愛と祈りをこめて・・・。長い時間、ご清聴ありがとうございました。

            


2009年 アンマ神戸プログラム会場にて


ボランティア代表 中川玲子


アンマの美しいダルシャン(抱擁)の様子は、こちらをご覧ください。

Love of Grace

https://www.youtube.com/watch?v=VPS1YDu-aeU&t=73s

Science of Compassion

https://www.youtube.com/watch?v=YsxZI0PBl_A


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# by reiko-koyago | 2020-02-22 09:41

『子どもを守ろう ! 』 ~安冨歩先生が尼崎にやってきた~

安冨歩先生@尼崎 レポート。
『子どもを守ろう~生きづらさをゆるめて~』
2020 1.18&19  その3です。
最後のお話は「日本史を学ぶ」
その1&その2は、フェイスブックで。

日本史とは、まさに私の古巣。
あまりのド直球で感動に震えます。
なので、少々、教科書レベルの日本史を
すこし補足説明しておりますが、ご容赦を!
(先生が直接語られたところを緑の太字にしております!)

ところで

安冨先生のご著書で、
よく登場するキーワードは
1つには『日本”立場”主義』
もう1つは『魂の脱植民地化』
だと思うのですが、
著書では拝読したものの
やはり、ご本人から拝聴するのは
格別の感動があります。

私が、安冨先生のご著書で
最初に拝読させていただいたのは

本の帯には、こうあります。
「現代日本には、未だ『満州』が残っている」
「なぜだれも止められなかったのか?」

そして、
「個人より『立場』を守って
 すべてを失った大日本帝國の運命を
 今こそ知ってほしいと思います」(著者)


日本史をちょっとでもかじった方なら
誰でも、疑問に思うことだと想像するのですが、
何故、戦前の戦争を、
みんな、おかしい・おかしい
無理だ無理だと思っていながら
誰も止めることができなかったのか?

世の中には、よく勉強した
賢い人はいっぱいいるはず。
なのに、どうして子どもが考えても
おかしいと思えるような道を
そして、途方もない悲劇であることが
わかっているのにもかかわらず
突き進んだのか?
あるいは、後戻りできなかったのか?

(それが、まるで、今の時代の政治ようで。
 たとえば原発問題、辺野古の埋め立て問題
 さらに、公文書管理の実態・・・
 等、、誰が観てもおかしいと
 思えることが、みんな声をあげずに
 つきすすんでいく。。。
 そこに、かつての大日本帝国の幻影を
 重ねてしまう人は、
 とても多いのではないかと思います)

このことを考察するには
満州国のことを理解する必要があるのですが、
満州の歴史は本当に難しくてわかりにくい。
(+当時すでに確立していた日本のエリート主義と)

その”満州”の謎と、真実を
とても、わかりやすく
まさに”隠された構造”を暴いてくださったのが
この、ご著書なのです。

これを読むと、私達はいまだに
満州という”亡霊”と共に日本を
生きているのかがわかります。


おっと、レポートから
脇道にそれてしまいましたが
下記からが、ご報告です。


『立場』とは、英語にはない言葉。

position とか、role とか、stance とかに
ニュアンスが近いかもしれない。

江戸時代や明治の初期では
あまり「立場」という言葉は
使われていなかった。

が、夏目漱石の小説
『明暗』には、17回も
立場という言葉がでてくる。
(1916年、大正5年に連載)
『立場』という考えが広がったのは
日本の軍国主義が拡張しつつある時代。

立場があるから戦争に行き
立場があるから、人も殺す

この「立場主義」とは
日本の中世から近代にかけての
「家」制度の残存形態である。


ここで、ちょっとだけ
ベーシックな高校日本史のお勉強を。
(すみませんが、私の高校日本史教科書レベルの
 日本史の知識も混ぜてお伝えします)

大和王権が成立した時
日本の社会制度は
「氏姓制度(しせいせいど)」でした。
家以前に「氏」が重要な要素。

大和王権とは
天皇家とその周辺の
畿内の有力豪族の連合政権。

有力な氏とは
古くは葛城氏・平郡氏・・・等。
その後、物部氏・蘇我氏
さらに後の藤原氏となる中臣氏。
「氏」という大きな血族集団が
社会の構成要素でした。

が、その後、平安時代の半ばから
中世にかけて、
氏の中の「家」が中心になります。
すなわち、武士の台頭です。


たとえ自分が戦で死んでも
「家」が残ればそれでいい。
お家安泰。

また、誰が家の家督を継ぐかで
大きな戦乱も起こりました。
その代表的なものが
応仁の乱。

そこから、戦国時代のはじまりです。

そして、江戸時代。
完全に「家」制度が出来上がりました。

同時に「村」が出来たのも江戸時代です。
農民が土地に束縛され年貢を払う。
村方三役という「役」も登場します。

江戸時代、太平の時代が200年以上続き
家制度はピークに達しますが・・・

ところが、幕末
徳川幕府は崩壊し
これまでの封建制度は解体。
天皇をあおいだ明治新政府が誕生。
そして「中央集権制」となります。

国民皆兵

すべての国民は
国に徴兵されて
国家のために働く。

家制度はここで没落し
かわりに個人単位に役を与えることに。

(しかし、この時代
 まだ日本には西洋的な意味での
「個人」という概念は確立していなかったのでしょう)

そこで、かわりに
登場したのが「立場」。

お国のために果たす役割。
その立場を失うことは
お家断絶に近い恐怖であると
国民にしみこませた。

「立場」のために戦争で死んだとしても
「靖国神社」で英霊として祀られるから
 だいじょうぶ。


(今では信じられないかもしれませんが
 私達の暮らす、日本という国の
 そう、遠くない時代の祖先は、
 そのとんでもない考えを
 受け入れていたのです。。。)




(日本は明治以降
 近代化を走り続け
 西洋文明を取り入れていきました。

 しかし、それほど簡単には
 西洋的な「近代自我」
 「個人」と「自由」という概念を
 受け入れることはできなかったようです)

かわりに浮上したのが「立場」主義。

その「立場」のせいで、
大勢の人々がみずからの「死」を受け入れ
あるいは、人を殺すことを受け入れていった。

ふぅ。。。

私達、日本人が、これから先
「個人」の幸せや自由意志を
互いに尊重しあえるような社会を作るには
これまでの「立場主義」の正体を見破り
超えていかないと、いつまでたっても
果たされないのでしょうね。


この戦前の「立場主義」は
戦後も継続し、
高度経済成長期
会社や組織の中の機能し続けてきたのですが、

しかし!

この産業の成長の過程で
ロボットやコンピューターが導入
90年代には、日本の経済の成長は
終わりを告げた。

それにより、これまでの
「立場主義」は崩壊。

これまで、国家主義によりかかり
国家主権に近いところにいた
立場主義の人々は、
断末魔の悲鳴をあげはじめた。


そこで、安冨先生のお言葉はこう、続きます。


「立場主義」は終わっていきます。
次は、どうなっていくのか
誰にもわからない。
それは、子どもたちが決めていくでしょう。

ただ、これだけは言えます。
もうこれ以上
子どもたちに
「立場」を叩き込むのはやめよう。

なぜならば、次の時代にはもう
「立場主義」は機能しないから。

「立場主義イデオロギー」は
人と人とを分断し、
助け合うことを妨害します。

「立場主義」に依存しないように
子どもを育てよう。

実は、私達は、知らない間に
子どもが、生きようとしている力を
妨害しています。

そうならないためには
親が、自分自身の個人史と向き合うこと。
自分自身の親と、学校との関係はどうだったのか?
そうした関係を見つめながら、
世界の「歴史」を学ぶ。

自分自身の心の中に
ひっかかったもの(源泉)を
学んでいると
世界史と、自分の関係が
つながっていくのですよ。


今回も、素晴らしいオチ。
見事な「歴史の学び方」です!

まずは、自分自身の内側の歴史を見つめなおし
そして、世界の歴史とつながっていく。。。

一人一人の内側の、
自分の歴史、
見つめなおしてみると
きっと、世界とのつながりの
結び目が見えてくるのでは
ないでしょうか?



最後に、先生から推薦図書が。
中世歴史学者の
勝俣静男先生と網野善彦先生。

網野善彦先生の著書は
私が、日本史予備校講師時代
もっとものめりこんだご本だったのです。
心のささえだったといっても良いかも?
ちょっと、嬉しい^^。


そして、安冨歩先生
あらゆる知性と洞察力を駆使し
わたしたちに、真実のエッセンスを
伝えてくださり、ただただ感謝です。

女性装の東大教授として
有名な安冨歩先生ですが、
女性の恰好をされてるせいか
なぜか、私はそのぶん
親しみを感じました。
やはり、女同士!
って感覚なのでしょうか?

会も、女性の方がとても多かったです。
やはり、女性の時代ですね!



この貴重な2日間の講演を
企画してくださいました
NPO法人はちの代表の田中さん。

一緒に創り上げてくださった皆様
そして、ご参加くださった皆様。
世の中には、ほんとに素敵な方達が
おられるんだなぁと思えた2日間でした。


ほんとうのことを見つめ

自分自身を感じて

自分自身のペースを大切に

歩んでいくこと。

そうすると、ごく自然と

あるように、なるように進んでいく。


未来は、子どもたちが選んでいく。

子どもたちに、スペースを!



子どもを、守ろう!


*写真は、2日目の打ち上げ会場で。撮影は原田明さんです。


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# by reiko-koyago | 2020-01-20 22:25

2020年 " 世界平和の祈り " by フーマン ふたたび

2020年、1月。米軍によるイラン司令官爆殺により、緊張が走る中東情勢の幕開けとなりました。そして、今日1月7日、イランは報復としてイラクの米軍基地を攻撃しました。この後、米軍がイランを再度攻撃した場合、第三次世界大戦へと発展する可能性が高いほど、現在、緊迫した情勢です。同時に、アメリカ国内をはじめ全世界では戦争反対の声が広がっています。


今、ふたたび、かつての私の瞑想の師の一人であった、フーマン・E・エマミの世界平和の祈りを振り返り、ご紹介したいと思います。この数日、フーマンのことが思い出されてならないからです。


フーマン・E・エマ二は、かつて2003年のイラク戦争勃発の直前に『世界平和の祈り』を自らおこない、長期の断食瞑想をハワイ島で実践していました。また、彼の瞑想のエッセンスを凝縮した『「世界平和の祈り」の方法』を弟子たちに伝えました。その後、残念ながらイラク戦争は起こってしまい、そして2005年、フーマンはハワイ沖に身を投じてボディを離れていきました。フーマンは、国籍を超えた存在ではありましたが、イラン出身の人だったのです。


あれから、15年。

前回以上の激しい緊張が中東で起こっています。

この15年の間に、人類の意識が成長していることを信じ、再びフーマンの「世界平和の祈り」をお伝えしたいと思います。

マインドを空っぽにして、ハートを感じ(ハートに手をあててみたり)、内側に平安と祝福を感じてください。呼吸とともに、行きとし生きるすべての存在に愛と祝福を届けてください。内側の平和、そして、ハートの穏やかなバイブレーションで世界をつなげていきましょう。


下記は、フーマンが私達に伝えた世界平和の祈りの方法です。


(*共感してくださった方と、ご一緒にお祈りをすることとなりました。AM6時 正午 PM6時 12時・・・と1日四回、可能なときにご一緒ください。約5分です。まずは、1月12日迄続けようと思います)




< 世界平和の祈り >

ー 祈りの方法 ―


最初にマインドを空っぽにします。


次にハートに呼吸を入れたり出したりすることで

ハートとコンタクトします。


だんだんと、

すべての意識をハートにもたらし

そこで消え去ります。


ハートを深く感じたら

ハートを感じることができるという

祝福を感じましょう。


その祝福を感じたら

日本という国全体を

あなたのハートにもたらしてください。

(ハートで感じる祝福の中に視覚化すること)


そうすることで、その祝福が

全員に、そしてすべてのものに広がっていきます。


次に、だんだんと

地球全体をハートに入れるように。


ゆっくり吸ったり、吐いたりして

地球を我々の母とし

そして、その上に生きとし生きるものすべてを

ひとつの家族として感じ

すべてを我々のハートの中にもたらすことで

それらすべてに、愛を与えていきます。


こうすることで、ハートが広がり

愛をすべてに及ぼすことができます。


この祈りの瞑想は

愛と平和を与えたいと望む

誰に対しても行うことができます。


そして、それは

深いレベルで働きます。



フーマン・E・エマミ 2003

Houman・ E ・Emami


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フーマンは、この祈りの瞑想の伝達のさいに、このように、伝えています。


我々は全員が
この地球に対して責任を持っている

真の光明への道は
地球への愛と慈悲を
無視するものであってはならない

我々の道の大部分は
一生をかけて内的な我々自身の
目覚めへと焦点を合わせるべきだ

しかし
緊急を要する時期というものがあり
その時は外側へ向かって
愛と慈悲を与える事が要求される

その愛と慈悲は
その意図が明確である事により
その見返りとして
光明への肯定的なカルマをもたらすだろう

* フーマン *


引用 Star of Light

https://www.starofheart.com/


フーマンのオーガナイザー

リーラスペースのキヨタカさんのブログに

この当時のことが記されています。

http://www.leela.jp/grace/part2/title3-2.html


キヨタカさんの記した

フーマンとの対話の記録

「恩寵の扉が開くとき -フーマンとの出会いー 」



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最後に、アンマの世界平和の祈りを。

ロッカーハ
サマスターハ
スキノー
ハバンドゥ

生きとし生きるすべての人が
平安でありますように。




Reiko Nakagawa





# by reiko-koyago | 2020-01-08 09:56

富士山静養園へ -地域・コミュニティ・循環、そして源流へ ー

東京に滞在している間、
夫と二人で、かねてから訪れたかった
静岡県の”富士山静養園”さんに
1泊2日で訪れました。

あまりの富士山の美しさに圧倒されました。
いまだに、余韻を感じています。

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ここに訪れたのは
去年・今年と、伊豆の
上野圭一さんのもとを
訪問したときに、二度とも

「絶対に、富士山静養園に
 行ったほうがいい。
 そして、山本竜隆医師に
 会ったほうがいい」

と、熱く、勧めていただいたからです。

実際に、訪れて、お会いしてみると
そのお言葉の意味がよくわかりました。

上野圭一さんが訳された
アンドリュー・ワイル博士の
「癒す心・治る力」をお読みになられて
アンドリューワイル博士が教える
アリゾナ州立大学で、統合医療を学ばれた
山本竜隆医師は、
日本人初めての弟子というお立場に
留まることなく、帰国後も
ずっと、統合医療の実践と探求を持続してこられ
最初は、都市部での統合医療のセンターを。
しかし、そこで限界を感じられて
統合医療から、行き着かれたのが
”地域医療”というフィールドであったという。。

そこに至る壮大な道のりと
具現化された広大な敷地の静養園を
体感させていただき、
しみじみと受け取らせていただきました。
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広大な敷地の中の森林を案内してくださる、山本竜隆氏
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お料理は、元宝塚歌劇団におられた奥様の手料理。
とても優しいお味で、からだにしみこんできました。
なんと、あの「ベルばら」のロザリー役をされていたという!
私は、ベルばら世代なので、感動しています^^。
とても、素敵な奥様でした。
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日月倶楽部では、溶岩プレートでのバーベキューもできるとのこと。


まず、西側から見上げる富士山の壮大な美しさ。
関西に暮らしていると、富士山はあまり
身近なお山ではありません。
今回、私にとって、最大接近ではなかったでしょうか。。。

観ているだけで、お側にいるだけで
どっしりとすそ野が広がり、
自然とグランディングし、
地球の一部であることを
からだに伝えてくれるお山です。
そして、果てしなく神々しい。
(この世のものではないかのように)

これが、富士山か。。。と。
いったい、私は何年、
日本に暮らしてきたのだろう?
と、ちょっと、苦笑い^^。



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日月倶楽部には、グランピング用のドーム型のお部屋もありました。


そして、山本竜隆先生ご自身が
おおいなる富士山のように
とてもグランディングされていて
地球と自然と、地域社会と
まるごとしっかりと
つながっておられることも。。。

山本先生が、この地と出会い、
富士山静養園・日月倶楽部・
そして、朝霧高原診療所という
3つの統合医療と地域医療、
そしてウェルネスにかかわる施設を
この地に具現化するまでには
想像が及ばないほどの
大きな大きな意志の力と実行力、
そして、大いなる自然への畏敬の思い
地域社会への敬意と謙虚さ
つながりへの信頼がおありだったのだろうと
胸が熱くなりました。
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富士山静養園の母屋。
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日月倶楽部の母屋の中には、富士山の裾野のジオラマが。
窓からは、本物の富士山を臨めます。


そこには、いわゆる
滞在型のリトリートセンター
という(日本ではまだ定着はしていませんが)
枠組みをさらに超えて

自然・環境・社会・五感・・・
様々なつながりのなかで
人間まるごとをホリスティックに看る
”統合医療”という領域を

人間のウェル・ビーイング(幸福)
さらにコミュニティ(地域社会)という
フィールドにまで豊かに広げた
ビジョンがおありで

それを、富士山という
まるでこの国の象徴でもある
大自然の源に
具現化されたという。。。

そして、その敷地内には、
富士山の雪解け水が
富士川へと流れていく
源流があり
そこにも、ご案内していただきました。

(一連の「水を巡る旅」のひとつとしても
 今回の旅は意味が深かったです。
 まさに、”源流”。
 そして、そのお水の美味しかったこと!

 それは、100年前の雪が解けたお水だそうです。
 この敷地内に、その源流から続く
 小川は流れています。
 かつてはその清流の中で
 ワサビ田が広がっていたそうです。)

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静養園の母屋の前の日本庭園の池。

今回のワークショップのテーマは

”地域包括ケアシステムと社会的処方箋”
ホリスティック医学の可能性を含めて

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最初、私はこのタイトルを読んで
ちょっと、くらくらっと
内側を揺さぶられるものを感じました。

というのは、地域包括ケアシステムとは
都市部の地域社会で進むものだと思っていたからです。
実際に、私の暮らす兵庫県尼崎市にも
日々、医療・福祉関係の皆様が奔走されています。

人里離れた、滞在型リトリートとは
少し、空気感に微妙な距離を感じてしまう。

タッチケア支援センターの”タッチケア”は、
米国カリフォルニア州に1963年に開設された
ヒューマンポテンシャリティと自己変容の
意識の成長センターとして有名なエサレン研究所
育まれたエサレン®ボディワークを母胎としています。

サンフランシスコから車で5時間ほど。
秘境、ビッグサーの温泉の湧き出る
滞在型リトリートセンターで
生まれたボディワークを基盤にもつ
私達の”タッチケア”を、地域社会に
活かしていくために、
この都市部のケアの在り方と、
人里離れたリトリートセンター
との距離感について、
何度か感じてきた違和感と葛藤です。

ところが、今回のお話を拝聴していると
そういう違和感や葛藤は、
もう古めかしいものなのだと
いうことが、わかってきました。

人間の健康と幸福には
自然とのつながりが不可欠であり、
いのちの循環と地球との共生
さらには宇宙とのつながりを
体感できるような
都会から離れた
ゆったりとした時間を設けた
滞在型リトリートという発想が
”医療”や”養生”そして”回復”にとって
すでに、私達の社会には、
必要不可欠なものであるということ。

というのか、、、。
私自身が、そうした
長期滞在型のリトリートを
何度も繰り返して
あるいは、主催して
自分自身の中の変容や
参加者の方の変容と癒しを
目の当たりにしてきたのに
それを”ちょっとした変わり者の世界”だと
封印してしまうのは、
自分自身の自己肯定感の低さに
またまた、苦笑してしまいます^^。
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”地域”という言葉は
私は、阪神淡路大震災の時に
出会いました。

1つのエリアに
同じように襲い掛かる
震災、、、家屋の倒壊。
同じ地域に暮らすものが
手をとりあって、
助け合い、支えあう。

災害にあって、はじめて
気が付いたものです。

自然とのつながりだけではなく
人と人とのつながりも途絶えつつある
都会での生活。。。

統合医療は
地域の中で
そして、自然の中で

というコンセプトは

こうやってお話を伺っていると
当然といえば、当然。

病気になる前に、
病気にならないように
予防医学を地域で支えること。
これもまた
医療の仕事。

統合医療先進国である
キューバでは

人々の健康には

*家庭
*コミュニティ
*健康教育が

大切だというお話もありました。

また、富士宮市の
地域包括ケアシステムでは
医療者や福祉関係者
家族のほかには
地域の人々も
話し合いに参加するということも。

専門家だけではなく
地域の一般の人々も
健康と回復のために
かかわっていく。

このことは、
実際に、何度もエサレン関連の
滞在型のグループワークショップの
オーガナイズをしてきて
体験してきたことです。

ワークショップの中での癒しは、
講師や教えや技術や手法ではなく
参加者同士の
つながりと、
その”場”の力の中で
ごく自然と
起こっていくのですから。


また、現在の日本の地方都市でも
高齢者の方が認知症になって
徘徊をしても
地域の人が見守って
もしも迷子になったら
連れて帰ってくれるようなことも
よく、聴きますよね。
もともと、日本の地域社会がもっていた
機能だったのかもしれません。

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参加者のみんなで拾って寄せてみた、落ち葉たち。


統合医療もまた

狭義では 医療機関の中でおこなうことですが、
広義では コミュニティそのものをあらわすこと。

そこで

社会的処方箋”という言葉がでてきます。

それは、一人の患者さんの治療のために
お薬だけではもちろんなく
医療者だけでもなく
福祉関係者だけでもなく
そこに
代替医療家
家族
環境
そして、
地域の人々が深くかかわっていく。
(子どもも含めて)

今の薬だけの処方箋を
はるかに超えたビジョンです。

社会ぐるみで、一人の人を
診ていくという処方箋。

こうしたアイデアを
山本先生は

ヨーロッパの限界集落に近い
地方の農村で、発見したということでした。

地方の農村部では、
医療の中に、すでに

森林の中を歩く 瞑想する
ぶどうの収穫を作業療法としておこなう
ことなどが、すでに含まれているという。。。

ミュゼ―セラピーという
言葉を今回初めて知りました。

ミュゼ―とは「中庸」「環境」という
フランス語だそうです。

*時間の経過
*自然との循環
*五感を開く
*瞑想
*人との交流

こうしたものを
大切にしていくセラピー。

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一瞬、エサレン研究所の試みを
思い出します。

が、アメリカ社会よりも、
ヨーロッパのほうが、すすんでいるとのことです。

(山本先生ご自身が、アメリカ統合医療のアンドリュー・ワイル博士から
 ヨーロッパを視察するようにアドバイスを受けられたとのこと)

ヨーロッパの人々の
暮らしの在り方

それは、仕事と日常を
切り離さない
オンとオフとでわけない
生産性で自分の人生を
切り売りしないような
生き方、、、なのかもしれません。


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と、、、なると。。。
今回、いろいろと考えさせられました。

現実問題として
私達は、都会で働き
週末を自然の中で過ごす・・・
あるいは、休暇を過ごすというのが
日常の自然との付き合い方です。

とはいえ、今回思ったのですが、
土日に、訪れた富士山静養園

まぁ、その行き帰りの混雑したこと。。。
高速バスを使ったのが悪かったのか
行楽シーズンの土日ということで
往復、バス、11時間かかってしまいました。
(東京から脱出してまた戻ることそのものが大変!
 おそるべきは”中央道”の車の多さ。
 関西人には未知でした^^)

1泊や2泊ではなく
自分自身をしっかり癒すなら
やはり、5日から10日は滞在したいものですね。

そうなると、今の日本社会の働き方では
問題が出てくるでしょう。

やはり、社会まるごとが
目覚めていくことが大切かなぁ。。。

まずは、ほんとうに
日々忙しくて、奔走されている
医療者の方に、
富士山静養園に訪れて
ゆっくりしていただき

そして、各地域の中に
それぞれで暮らす方達が
安価でゆっくり回復することができる
リトリートセンターを作っていくような
未来社会ができればなぁと

夢想してみたりもしました。

タッチケア支援センターも
地域のNPO法人として
これから、何が出来ていくのかを
さらに、深めていきたいなぁと思います。


この山本竜隆先生の
地域包括ケアシステムと社会的処方箋のお話とともに

アロマセラピストの
安珠さんによる
パーマカルチャーと
トランジションタウンの実践の
ご報告。

アロマセラピストという
個人にかかわるお仕事から
社会全体、地球全体の癒しへと
広がっていく、
そして、持続可能なコミュニティを創造する。

ほんとうに壮大な
実践のご報告で、
素晴らしかったです。

また、久保木み規さんによる
アーユルヴェーダを取り入れた
セルフケアのお話も、朝のクラスに。

セラピストとして
医療や福祉のフィールドでも
ご活躍で、お話には
とても、深みがありました。

インドや中国では
日々の健康にすでに
多くの癒しの叡智が活かされてきた
歴史があります。

日本でも、かつて
そうだったのでしょう。

統合医療と
地域包括ケアシステムは

私達の中で
冬眠してきた何かを
目覚めさせるような
道筋なのかもしれませんね。


晩秋の色が美しく
太陽と星々と月と
清流、そして、富士山と
地域のケアに思いをもつ
素晴らしい方々とご一緒できた
2日間でした。

感謝と光とともに
蒔いていただいた種子を
これから、じっくり温めて
いきたいと思います。



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# by reiko-koyago | 2019-11-19 12:49

熊野三山、聖地を歩く 

2020年2月26日(水)~28日(金)
<熊野三山をめぐる旅>

母なる地球を感じながら
熊野の聖地を歩きます。




世界遺産となった
祈りの聖地『熊野』
今、世界の旅人の注目する地となりました。

2月の終わりの熊野は
まだ寒さが残るオフシーズン。
それだけに人も少なく
熊野の土地や歴史の本来の深みと
つながりやすい季節。

今回の旅では、那智から新宮方面
本州最南端の温かな気候の聖地を巡りながら
最後には、熊野本宮、川湯温泉の仙人風呂
そして、世界遺産、熊野古道を歩きます。

那智・新宮・本宮大社の熊野三山。
熊野古道・神倉神社・
花の窟・産田神社・・・。
朝日、そして、温泉!

ここ数年、女性セラピストの仲間と共に
熊野と”女性性”をめぐるワークショップを
企画してまいりました。
今回の旅は、ワークショップでは辿れない
熊野の神々と信仰とつながる聖地の旅を
辿ります。

古の叡智と熊野の自然。
未来を拓く可能性と共に
ご一緒に巡りましょう。



中川れい子
NPO法人タッチケア支援センター代表
心と体のセラピールーム amana space主宰
エサレン®ボディワーカー

****


<スケジュール>



2月26日(水)~28日(金)


2月26日(水)

午後2時
   JR紀伊勝浦 集合
     *新大阪9時32分発 特急くろしお5号ー13時32分 紀伊勝浦着
    
午後2時~4時 穂堕落寺・熊野那智大社
       那智の滝・青岸渡寺など。
       
       午後5時すぎ ホテルへ。

       ホテルは、熊野灘に面する
       国民休暇村 紀伊勝浦を予定
       (朝日が綺麗なホテルです)
       

2月27日(木)

朝9時30分 出発

午前  神倉神社
    熊野新宮大社参拝
    
午後  花の窟神社
    産田神社を参拝
    
夕刻  熊野本宮近くの、川湯温泉へ
    
    お宿は 川湯温泉『みどりや』
    *マイクロバスでの移動は、この日までとなります。
    *仙人風呂(川を掘ってはいる大自然の中のお風呂)
     (毎年、2月末日までですが、ぎりぎなタイミングです。
      みどりやさんの露店風呂も大自然の中での温泉ですのでお楽しみに!)


2月28日 熊野古道を歩き(発心門から熊野本宮へ約2時間半)、
     熊野本宮大社へ
     (みどりやさんのバスで、古道の入り口まで移動します)

     午後、大斎原(おおゆのはら :明治22年までの社殿のあった熊野川の中洲の地)参拝
        熊野川の河原散策。
     午後5時頃、白浜駅へ戻ります。
     (市営バスで、移動します)

(2月29日&30日の、日本トランスパーソナル学会にご参加の方は、
 そのまま、川湯温泉で宿泊。中川は、そのまま熊野におります)

参加費 3万5千円前後
*参加人数によって変動あり。2泊4食、熊野内での移動費等を含みます。白浜までの移動費は含みません。
*お部屋は1室、4~5名の相部屋となります。それ以外をご希望の場合は別途料金が派生します。
*天候によっては、仙人風呂、熊野古道歩きが出来ない可能性がありますが、ご了承ください。
*神倉神社、熊野古道のウォーキングでは、トレッキングシューズ等、すべりにくく、歩きやすい靴をお勧めします。
*マイクロバスでの移動は、27日までとなります。帰りは、市営バスで白浜駅への移動となります。


お申込みフォーム
touchandhealing121★gmail.com
(★を@にかえて送信してください)
09019663819 中川れい子まで



<熊野と女神・女性性の伝説>


熊野が古来からの信仰を集めた
聖地となった理由には、
様々な由来がありますが、

特に中世以来、熊野信仰を
全国に広げた熊野比丘尼(くまのびくに)
の活動等でも知られるように
「女性」とのつながりの深い聖地
でもあり、女人禁制や身分制度の
枠組みを超えた、聖地で有名です。

古事記・日本書紀の神話に登場する
大母神「イザナミ」。

日本の神道の枠組みを超えて
縄文時代からつながる
水の女神「瀬織津姫(セオリツヒメ)

そして、
神武天皇が熊野上陸する以前
熊野地域を支配していた
女性酋長「ニシキトべ


こうした、様々な
女性の力・女神の力が
熊野を、生命の泉
よみがえりの聖地として
長きにわたる信仰の礎を
培ってきました。

今回、”熊野”の聖地を
めぐりゆくことで、
本来の、自分のリソースへと
辿りゆく力を、一人一人の中で
耕していく。。。
そういう旅をご一緒したいと思います。

まだ、寒さの残る2月の末の熊野の地。
平日ですので、比較的人も少なく
ゆっくりと周れると思います。


熊野三山、聖地を歩く _a0020162_17391112.jpg



















# by reiko-koyago | 2019-11-01 16:46

水の女神をめぐる②ー天川大弁財天ー

9月の熊野から刺激を受けたのか、
なぜか、この秋は聖地づいています。

10数年以上ぶりに、天川大弁財天へ。

2011年の大水害で大きな被害を受けられた以来、初めてのお詣りです。
実際に訪れてみて、当時の被害が相当に大きかったことが今なお伝わり、そこから復興されてきた皆様方のご苦労がしのばされます。実のところ、かつて、天川さんからはとても良い導きをいただいているのですが(このことについては、あらためて振り返り書いてみようと思います)、あれほどお世話になりながら、何も復興のお手伝いをしてこなかったことが申し訳なくなったと同時に、東日本大震災と福島第一原発事故と同年に起きた天川の大水害(熊野もですが)の意味の深みを改めて噛みしめます(ちょうど、タッチケア支援センターを立ち上げた年でもあります)そして、この秋に連続する大水害の被害も。。。

何故、突然、天川へと訪れたのか?それは、天川に一度も訪れたことのない東京のお友達(通訳の由美子さん)をご案内したからなのですが、もうひとつ。。。熊野ー六甲ーと続く「水の神様」の流れでもあるかもしれません。5人の女子での日帰り旅行。関西でのエサレン認定コースのメンバーとご一緒に、電車とバスを乗り継いで、きゃぴきゃぴと楽しい1日でした^^。

近鉄電車「阿部野橋(天王寺)」駅から、「下市口」へ。そこから、天川川合というバス停まで約1時間。弁財天さんいきの直通もあるのですが、この時間帯は川合まで。そこから歩こうと思っていましたが、ちょうどタイミングよく、天川弁財天行きの循環バスがやってきて、それに乗りました。あっというまです^^。(車ならば、天川川合の数駅前の「丹生川上神社下社」にも立ち寄るのですが^^。


天川弁財天さんの前に到着したのですが、お詣りの前に腹ごなし。弁財天さんの鳥居のすぐ前にも素敵なカフェがあったのですが、お食事はないということなので、そこから歩いて3分ぐらいのログハウスの素敵なカフェ「オートリ」さんに行きました。こちらにお邪魔するのは、10年以上ぶり? さらに素敵な空間になっていました。(写真は、一緒に訪れた幸田志友さんからお借りしました)

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お腹が一杯になったあとは、いよいよ参拝へ。

天川大弁財天さんの鳥居です。

5人囃子のような女子5人組♪

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久しぶりの天川弁財天。
本殿は、2011年の水害のあとに、建て直されたのでしょうか?
少しだけ、変わっていました。
でも、変わらない何かも。。。

五十鈴を鳴らす本殿は、とても静かです。
昔、夜や早朝に瞑想したのを思い出します。

本殿の他にも、数々の神様が祀られています。
そして、隕石のような、
3つの石が、祀られていて
ひとつひとつを、お詣りしました。
こちらは、五社前の。
手をかざすと、あったかいです^^。
(10月というのに、蝸牛さんが!)

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裏手の、役行者さんの小さな祠も必ずお詣りするところです。

そのすぐ前に、神社さんのもつ「参集殿」があります。

この「参集殿」には、私は深い思い出があります。

それは、また次の機会に。。。

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かつて私が、天川弁財天に行くたびに、いつも訪れていたのは「六角岩」という、天の川の中洲にある川の対岸の石の見える河原。みんなをご案内。

途中の川が、キラキラとしてとても綺麗でした。川に導かれながら、六角岩へ。

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はじめて、天川に来た時に、連れてきてくれた友人が「六角岩にいったらいいよ。。。」と言われて、その人は日帰りでかえってしまったのですが、私は1泊して、翌日に探して訪れてみたたのですが、着いたとたんに、くらくらと心地の良い睡魔に襲われて、河原でどたんと眠ってしまったのです。そのあと、慈雨のようなさらさらとした優しい雨が一瞬ふりました。空には太陽が昇っていて、キラキラと湖面を光が反射していました。その時、サラスバティ(弁財天)と、思わず私の口はつぶやいてしまったのです。それ以来、私は、天川に訪れたら、必ず、六角岩に来るようにしています。その後、六角岩ではさらに不思議なことが何度か起こりました。。。


でも、2011年の洪水で・・・


六角岩のある崖の前には、天の川の流れる河原が広がり、さらに、その手前には「禊殿」があります。

が、その河原も、禊殿も、10数年前の光景から、大きく変化していました。土砂ぐずれの後はいまなお生な生しく残ります。河原のすぐ近くにまで近づけたのが、今はそれも難しくなっています。こちら、洪水・土砂崩れの今なお残るあと。

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でも、六角岩は変わらずそこにあり、そして、川の流れも、あの頃と変わりません。一昨日の大雨にもかかわらず、透き通るように透明な水の流れ。そして、どこか時間が止まるような気持ちになる場所です。先日、六甲比命神社からつながる、瀬織津姫を連想したり。水の神、弁財天と瀬織津姫。サラスバティ。

ある時、幸運なことに柿坂宮司さんに直接、六角岩のことを伺うことがあったのですが(実は、六角岩にいたら、偶然、宮司さんに声かけられて、1時間ほどお話をしたのです。)、天川さんには、何も記録は残されていないということでした。たぶん、天然の形で、偶然六角なのでしょう。この河原の川の流れ、そのものが、ご神体なのではないかと想像しています


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「禊殿」も土砂ぐずれで流されたらしく、以前のお社ではありませんでした。そして、以前よりも立派になっていました。
あとで調べてみたら、洪水で禊殿の中から古文書が出てきたということを知りました。そこには、その禊殿が拝する高倉山には国常立神が祀られていると記されていたとのこと。国常立神、、すなわち「ガイア神」。。。(天川神社復興についてはガイアシンフォニー8番に描かれています。もう一度観たくなりました)

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天川を訪れたら「天の川温泉」につかるようにしています。天の川と同じ、透明でさらさらとした泉質。からだで水を感じてみる。温泉で、天川で調合されたアロマの精油にも出会いました。我らが女子の感性がさく裂!

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途中で、みんなが草花や小さな生き物を上手に見つけていくのに感心しました。神様は、そこかしこに。道中も語り合いながら、それぞれの魂の旅路が交差して、川面にキラキラと光りが反射しあうような1日でした。

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もう一度、天川大弁財天に戻り、近鉄下市口行きのバスの時間を待ちます。

待っている間に、おみくじを引き、社務所で柿坂宮司さんと鎌田東二さんのご本を買いました。オタクな私は、ちょっと、わくわくしながら読んでいます^^(あっというまに読み終えました、、、この本、とても良いです。鎌田東二さんの、天川弁財天の歴史的解説と、柿坂宮司さんの人生があふれ出ていて。。。まさに「宇宙」。新宮に流れ出る「熊野川」、さらに上流にいくと「十津川」。その十津川の上流、源流が、この天川の水域であること・・・。源流により近いところなので、大雨の次の日でありながら、水が透き通るように清いのでしょう。)


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長い間、訪れれませんでしたが、1日日帰りでいけるのですから、再び、頻繁に訪れようと思います。

復活した、天川大弁財天へ。


天川弁財天。これから、紅葉の季節です。





# by reiko-koyago | 2019-10-29 22:03

水の女神をめぐるー瀬織津姫様と六甲比命大善神社ー

少し前のこと(2019年10月16日)で恐縮です。

フェイスブックに書いた投稿を、あらためてレイライン通信に書き留めました。いつも以上に、オタク度満載です(FBだと流れてしまって読めなくなるというご指摘をいただきまして^^。。。これからは、なるべくレイライン通信にも書き留めるようにしますね^^)


10月16日、六甲山の山頂付近の「六甲比命大善神社」の例大祭に参加させていただくことができました。護摩焚きにも参加。いやぁ、、、やっとというのか、このタイミングで、、、というのか。2012年から16年まで毎年、六甲山で10日に近いエサレン関連のリトリートを主催していたので、六甲山の聖地にはアンテナを立てていたのですが、噂には聞くものの、なかなか行けずにおりました。灯台元暮らし状態です^^。それも、熊野女性性会議で出会った井上香奈子さんのお導きで。(そういえば、初めて堡塁岩に導いてくださったのも「熊野」の流れでした)


水の女神、瀬織津姫(せおりつひめ)様に捧げる護摩焚き法要。般若心経が刻まれているという「心経岩」の前での法要で、巫女舞の奉納もありました。火と水。カミの源流。宮司さんとご一緒に般若心経を大勢の方が唱え、護摩焚きの炎が燃え盛る中、光がどんどん放たれていきました。


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心経岩(般若心経が刻まれています。もとは、六甲山を開いた仙道上人が刻んだといわれていますが、現在のは大正時代のものだそうです。とても大きな巨石です)
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護摩焚きは、多聞寺の宮司さんの読経によって・・・。どんどん火が大きくなり、煙の天高く昇っていきました。
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護摩焚きのあと、巫女舞が奉納。(光が増していきます。写真はご一緒したSUMIEさんから)
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 護摩焚きのあと、赤く珠のような光が。



そこから、さらに山道を登っていきますと、瀬織津姫の古墳だともいわれる六甲比命大善神社があらわれました。


写真ではあまりわかりにくいのですが、磐坐の規模は、想像をはるかに超えていました。どう見ても、人工的に組まれた磐坐に見えます(六甲山にはそういう磐坐が多いのですが)カタカムナの古文書とも関係する六甲山ですが、こういう磐坐をみると、やはり超古代はフリーエネルギーがあったに違いない、、、なんて想像してしまう。(崩れずに残っているところを見ると、阪神淡路大震災の時も、ここは揺れなかったのでしょうね。地盤が相当に固いのか)



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(写真は、SUMIEさんより)

六甲山は晴天で、空が澄み渡っていました。阪神間の街も、綺麗に見渡せます。例祭日和。大勢の方が集まっておられました。そのほとんどが、女性・・・。すでに、六甲比命大善神社は、女性をサポートする神社として有名なようでした。


ここは、神戸市北区の多聞寺さんの奥宮だそうですが、明治以前の神仏習合の時代、多聞寺さんと、西宮の廣田神社さんは神仏習合の関係でらしたらしく、明治以後の神仏分離令後は、ここは多聞寺さんの管轄になったそうです。なので、言い換えれば、六甲比命大善神社は、天照大神の「荒御魂」を祭る西宮の廣田神社さんの奥宮でもあるとのこと。


すなわち、あの「廣田大明神」と呼ばれた女神は、瀬織津姫だったのです。「荒魂(あらみたま)」と呼ばれてきた、名もなき古代の女神。廣田大明神の名は向津媛(むかつひめ)六甲とは「ろっこう」ではなくて、そもそもは「むこ」武庫川の「むこ」ですね。向津媛=瀬織津姫=廣田大明神=天照大神の荒魂(なるほど、すっきりします。さらに神仏習合では、弁財天や吉祥天として祀られてきたそうです)


この数年、瀬織津姫の封印が解かれるとか、謎の女神、瀬織津姫が浮上するとか、、、よく耳にする言葉ではありましたが、これは、おそらく、天照大神を皇祖神としてまつり上げた国家神道の名残に対してのアンチテーゼとして、浮上してきたものなのでしょう。日本の女神信仰は、ヒンズーの女神と同様に、様々な性質と名前をもっていたと思います。瀬織津姫を、古代の縄文の古き女神の象徴とすることも多いですが、私は、やはり、瀬織津姫は「水」の女神。川や清流の女神だと思っています。伊勢神宮ならば五十鈴川。そして、熊野信仰の中心も「川」に宿る神。室生竜穴神社、丹生川上中社、飛鳥浄御原神社、そして、天川弁財天・・・)(こちら、2010年に伊勢神宮をお詣りした時のブログです。私の中で瀬織津姫様、急浮上の記録 https://rayline.exblog.jp/9837932/ )


時代は進んでいつの間にか、六甲山の女神が瀬織津姫様になっていました。とはいえ、最初は、六甲山が水の女神「瀬織津姫」??って、不思議だったのです。今となっては、清流といえる川は目立ちません。うねるような自然霊の象徴である瀬織津姫と、都会化された六甲山。しかし、その都会の中に潜む、荒々しい自然の力が六甲山には隠れています。(神戸で生まれそだった母が小学生だった戦前までは、この周辺の川も何度も氾濫していたそうです)


そして、水・・・。六甲比命神社のすぐ近くに、六甲山の源流ともいえる「清流」の流れる場所を教えてもらいました。飲んでみると、まろやかで、とてもおいしいのです。そりゃそうですね、この水が、灘の名酒を産み出していくのですから。さらさらとした美しい水です。

私達が4度エサレン関係のリトリートを開催したシュライン・ロードの周辺の森にも、小川がいっぱい流れています。キラキラとした清流の流れる音が、どれほど心地よかったか。


北側にいくと、最古の温泉ともいわれる有馬温泉があります。山からは、瀬戸内海の海が広がるのが見下ろせます。
まさに、水の聖地。ここに、古代の「水の女神」を祭る神殿があったとしても、不思議ではない。(もう、私の頭の中では、六甲比命神社は、六甲山の古代の「水の女神」を祭る神殿になっています^^)


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(六甲比命大善神社のすぐそばの、六甲の水の源流)



また、瀬織津姫の名は、仏教伝来後は、弁財天・吉祥天とも呼ばれていたとか。そして、如意輪観音もまた瀬織津姫。
甲山の神呪寺の開祖、眞名井御前(如意尼)が、なぜ、甲山を目指したのか?元亨釈書には、広田大明神に導かれ・・・とありますが、それも、また瀬織津姫の導きなのでしょう。

(このあたり、偶然、昼食の時にお隣に座らせていただいた、神話伝承研究家の大江幸久さんから、いろいろと伺うことができました。大江さんが監修された「六甲比命大善神社と瀬織津媛」というDVDも昨晩観ました。超古代の神話の物語のパズルがぴしっとはまっていきます。そして、なにやら、再び丹後を巡らなければいけないような。。。その後の眞名井御前説が浮上^^)

甲山は、六甲山の東の入り口。それは、六甲山修験道の入り口でもあります。

廣田神社ー甲山・神呪寺(鷹寺)-六甲神社(石の宝殿)-六甲比命神社ー摩耶山天上寺・・・と、辿りたくなります。
(六甲山は、修験道に関する遺構が数多くあるのに、現在はあまりにも早くに都市化されたせいか、ほとんど見かけません。六甲山の修験道の拠点は、多聞寺さんと、摩耶山天上寺が中心だったそうです。そもそも、山岳宗教とは、山を女神とみなし、女神と一体化するための修行だったのでしょう)

六甲山の水の女神、瀬織津姫。あの、1995年の阪神淡路大震災の時に轟いた巨大な女神の気配はあなただったのか?と、、、。隠れていたものが、昨日1日でとてもすっきりと霧が晴れていきました。(あの震災から2~3年目のこと。六甲山の色が変わったのがわかりました。何かが変化したのです)

しかし、このタイミングとは。。。
私は、今、途方に暮れています。

1995年、六甲山の裾野で起きたあの悲劇。あれは「神の戸」を開く序章にすぎなかったということを。巨大災害は津波と原発事故を伴って2011年東日本で再び。そして、地震だけではなく、毎年繰り返し巨大化する台風。暴風雨に、水害、河川の氾濫、ライフラインの断絶。

地球温暖化による海面温度の上昇により、今回のようなモンスター台風は、何度でも私達を襲うでしょう。海水・台風・雨・・・そして、河川の氾濫。この「水」の途方もない脅威。

人間はどのように生きていけばいいのか?根本から問い直される2019年の秋。台風21号の直後に、六甲山の古代の水の女神の神殿に辿り着くとは。。。。

でも、希望はあります。昨日、六甲比米大善神社で出会った大勢の女性の皆様。(まるで、熊野女性会議の続きのようでした)

「女性性」の力。「水」の力。

水の本質とは「流れるもの」私は、ほんとうにこの「流れる」というエッセンスを愛しているのですが、それは内側から自発的にあふれ出る「流れ」です。

その、内側から溢れ、流れだすものにより、女性は「天」と繋がっていくことができるのでしょう。それは、内なる女神と繋がることとほぼ同じ。それは、人と人、人と自然と「つながる」ちから。


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今回、六甲比命大善神社にお連れくださった、井上香奈子さん(中央)と私(右)。熊野”女性性”会議の流れで出会った香奈子さん。子育てをしながら、コーチングも教えておられます。私がずっと行きたかった六甲比命神社へと車で連れていってくださった、まさに、ゴールに向けての導き役(コーチ)を果たしてくださいました。感謝です!この日は一番下の娘さんと。


そうそう、余談ですが、六甲比命神社の磐坐に「熊野権現」の石碑が。花山天皇・熊野権現・仏眼上人。
花山上皇とは、熊野詣を本格化した方です。そして、西国三十三観音も。もう少し歴史を遊んでみたい^^。


そして、心は天川と、そして、丹後、さらに再び熊野へと。

次は天川の1日旅の記録をお届けしますね。

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(今回、お写真は、私のスマホの電池が切れてしまったので、井上香奈子さんと、FBですでにつながっていて今回、六甲比命神社で初めてお会いしたSUMIEさんからお借りしています。とても美しい光の写真を届けてくださいました)





# by reiko-koyago | 2019-10-29 19:11

2020年1月 東京 個人セッションのお知らせ

2020年 1月
個人セッションのお知らせ

東京での、セッションルーム会場が
2020年1月から変更となりました。
代々木八幡宮のすぐ北側。
最寄り駅は、参宮橋となります。
少し駅から遠くなりますが、
より静かな空間で
じっくりと、おくつろぎください。

by 中川れい子


からだ目覚める
こころとつながる
あるがままに包まれる

東西の叡智と大自然が育んだ
全身のオイルトリートメント

呼吸は<風>
からだの中の水は<海>
わたしたちのからだが
この美しい地球と共にあることを
エサレン®ボディワークは伝えます。
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タロットカード
アルファ・スティム
エサレン®ボディワーク


20年間の施術生活の中で辿り着いた
この、スタイル。
ほんとに深い、深い、
リラクセーションと、
潜在意識の解放を
もたらすワークです。

もちろん、当日、お話を伺いながら
お一人お一人にあったスタイルを、
さらに、深めてまいります。

からだとの対話、
ボディ&マインド&スピリットの
統合。

水のように流れるストロークとタッチを通じて
肉体・感情体・メンタル体と丁寧に対話しながら
筋骨格系・循環器系・そして、神経系を調えます。

癒しと変容にコミットする
トータルなヒーリングワークとして
新しい自分に産まれ変わるのを体感してください。

<東京日程>

1月6日(月)(予約済)
1月8日(水)
1月9日(木)
1月10日(金)

1日お一人様限定
11時以降、17時終了までの3時間半。
(この日程以外でご希望の場合、ご相談ください)

<関西日程>
1月20日(月)
1月22日(水)
1月23日(木)
1月28日(火)

(1日、2名様まで。時間は応相談)



≪セッションの流れ≫
カウンセリング (ご希望の方は、タロットカードも)
 約30分
CES 療法(アルファ・スティム)による、リラクセーション
頭蓋電気刺激療法、米国製のαースティムを使用し人体に害のない超微電流を流すことで、リラクセーションを促す機器です。脳波をアルファ派へと促し、セロトニンを誘発することが研究で明らかになり、無害で副作用もありません。また、足湯を行うことで、循環を高めると同時に、グランディングを促します。
詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
 http://resilience-j.org/ces.html
 約20分
エサレン®ボディワーク
米国カリフォルニア州、エサレン研究所で開発された、全身のオイルトリートメント。
波のリズム、ゆっくりとした気づきある動き、呼吸への注目、立体的なマッサージテクニック、エナジーワーク等、様々なメソッドが融合された、ボディ&マインド&スピリットの統合へとむかう、リラクセーション効果の高いボディワークです。
 約100分
 (トータルで3時間~3時間半ほどのお時間をご予定ください。お顔へのトリートメントをご希望の方は、お化粧直しの道具をご持参ください)

*着衣のままでの、心理的アプローチを中心とする施術も行います。
お時間と料金は、そのさい、設定いたします。

場所
Somya room
東京都渋谷区 最寄り駅 小田急線の参宮橋(徒歩7分)
ご予約のときに、ご案内いたします。

料金
20000円 
(2回目以降は15000円)


<オンコロジーボディセラピー>

*がんの治療中の方、治療後の方への施術を承ります。
*カウンセリング+施術(60分)
 (トータルで2時間~2時間30分)
料金 1万円
(抗がん治療中の方も、受けていただけます。
 予約時に、お知らせください)


お申込みフォーム
https://ws.formzu.net/fgen/S27134092/ (PC スマホ)
https://ws.formzu.net/mfgen/S27134092/(携帯)
*フォームが機能しない場合は、こちらにご連絡ください。
メール touchandhealing121*gmail.com (*を@に代えてください)
電話  09019663819





<このようなお悩みの方に>
*自律神経系を調え、深いリラクセーションを求める方。
*肩こりや首・背中のこり等、からだの緊張が気になる方。
*筋・筋膜、骨格系をととのえ、全身のバランスと循環を高めたい方。
*こころとからだのつながり、統合感を取り戻したい方。
*エサレン®ボディワークって何?と、興味のある方。
*イライラや不眠症、ストレス等でお悩みの方。
*更年期特有のお悩みをお持ちの方。
*自分自身の潜在的な意識や力の可能性を広げたい方。
*本来の自分を取り戻したい方。あるいは、人生の転換期。
*自分のからだへの気づきを深めたい方。
*心身のバランスを高め、パフォーマンスを向上したい方。
*うつ・PTSD・喪失の回復期、摂食障害、不安神経症の方もお気軽にご相談ください。
*がんの既往歴のある方は、施術時にご相談ください。
*4か月から8か月の間の妊産婦の方、ご相談ください。
(心身の状態によって、施術時間を短めにすることがあります。着衣のままでの施術も可能です。
その際は、料金も調整いたしますのでお気軽にメッセージ欄を通じてご相談ください)

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中川れい子 profile

兵庫県生まれ。関西学院大学文学部(美学科)卒業後、結婚&離婚。その後、11年、塾・予備校等で高校日本史を担当。

1995、阪神淡路大震災で被災し、予備校講師のかたわら、避難所・仮設住宅でボランティア活動を行う。震災体験から身体を通じての心のケアと癒しに関心をもち、突然「人のからだに触れることを学ぼう!」と決意。翌19981よりボディワークやボディサイコセラピー、ソマティクス、各種ヒーリングを学び始める。


1999年、エサレン®ボディワークの日本の第一回認定コースに参加エサレン®ボディワーク認定プラクティショナーとなり、自宅開業

個人セッションを積み重ねる中、触れることの諸相とその心身への影響を探求。

(同時に自己探求の旅へ。瞑想の指導者と出会い国内やハワイ、インドの長期瞑想リトリートに何度も参加。“今・ここ”の深みを身をもって体験。


2003年よりタッチやボディワークに関する講座「タッチ&ヒーリング」を開講。

(このころ、エサレン研究所に足しげく通う。2004年の、イラク戦争下でのブッシュの再選に失望。アメリカからバリのエサレンのWSへ。そこでインドの抱きしめる聖者、アンマとつながる(帰国後、アンマの関西プログラムのボランティアに専心)


2007年 エサレン®ボディワークや、タッチについて、バイオフィードバック機器での生理的効果を研究。

2008年 結婚し、姓が中川となる。

2010年 自宅サロンから、アマナスペースにセッションルームを移転。

2011年 NPO法人タッチケア支援センターを設立。同時に、東日本大震災が起こる。

小冊子「こころにやさしいタッチケア」を作成し配布。被災地でのタッチケアボランティアも行う。その後、活動を地元高齢者施設等で。講座も開講し、タッチケアの普及・教育・ボランティア活動をおこなう。


2012年から16年、関西を中心に、シャーピアス先生を招き、エサレン®ボディワーク認定コースを主催。

その他、エサレン関係・ローゼンメソッド・米国ホスピタルベイスドマッサージの講師を招いてオーガナイズをおこなう。


現在、エサレン®ボディワークを中心とするボディワーク個人セッションのほか、高齢者施設、がん患者会、緩和ケア病棟、うつ病の方の就労支援センター、発達障害の方のデイサービス等で、施術活動やセルフタッチング指導を行う。

アマナスペース主催、NPO法人タッチケア支援センター代表理事  身の医療研究所理事 NPO法人はち理事 

エサレン®ボディワーク認定プラクティショナー(施術歴20年) オンコロジータッチ認定セラピスト(4年目)



2020年1月 東京 個人セッションのお知らせ_a0020162_22500037.jpg






# by reiko-koyago | 2019-10-21 22:45

エサレン®ボディワーカー、amana space &NPO法人タッチケア支援センター代表の中川れい子(旧:こやごれーこ)メッセージブログです。お問い合わせは mail@amanaspace.com 。 HP http://www.amanaspace.com/ http://touchcaresupport.com/
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