12月7日、芦屋市民センター、ルナホールでの“Pale Blue Dot 君が微笑めば、”上映会とトーク会“Water PrayerFes 水の祈りのフェスティバル”を開催します。8月に京都の大重祭で出会ったこの映画、あ、上映会しなきゃと思って立ち上げました。場所は、13年前にタッチケア支援センターの立ち上げイベントをおこなった”芦屋ルナホール”で。
様々なご縁と直観と、多くの皆様のサポートとつながりで、開催することとなりました。皆様、ぜひ、お集まりください。
詳細・お申し込みは、こちらからぜひどうぞ。
https://palebluedot241207.peatix.com/
この映画上映を決めた理由は、様々とありますが、ひとつには、この映画に天川弁財天さんの柿坂神酒之介大宮司さんが登場されていることも理由のひとつです。
多くの方が、この天川弁財天社にはご縁と導きをもたれていると思い、それぞれの方が天川の宮司さんからあたたかなつながりを大切にされておられると思います。そんな中で、つらつらと書くのは憚るものも感じますが、今回、この映画を上映を主宰するのも、何かのご縁かと思い、20年ほど前のことですが、ふとしたことからご恩をいただいたことを振り返りながら、それをどのようにして受け取ったものを循環するのかを考えてみようと思います。天川というところは、そういうご恩と感謝との循環によって多くの方に慕われる聖域なのでしょう。少し長くなりますが、天川弁財天について、私自身の体験を綴ってみようと思います。
① 吉野、そして、天川の歴史
熊野とともに、吉野という地は、私は惹かれる土地でした。
あるがままの大自然が残る熊野と比較すると、吉野は奈良の都からも近いからか文化の香りも残ります。でも、土地としては山のまた奥。修験道がおきた神仏習合の一大宗教フィールド。また、私にとってはまるで地面にクリスタルが埋められているかのような、キラキラと身体が軽くなるようなそういう土地です。
吉野が日本史に登場するのは、天武天皇のころ。兄の天智天皇が崩御する前に、謀反の疑いをかけられないため出家して吉野に籠りました。吉野というのは隠れ里であるとともに、吉野に入ることで英気を養い、さらに山の民とのネットワークが広大に広がっていきます。結果、天武天皇(大海人皇子)は、壬申の乱で大津皇子に勝利し、都を明日香に戻し(飛鳥清御原宮)天皇親政の強大な政権を樹立します。次の持統天皇も、吉野によく巡幸し、宮滝という聖地に宮もたてたといいます。
天武天皇と同時期か、少しあとの時代、葛城山系で生まれた役行者が、修験道の開祖となりますが、役行者が弁財天(サラスバティ、水・川の女神)を感得したのが、天川弁財天の奥宮である“弥山(みせん)”。そこは、紀伊半島を流れる大いなる川の源流でもあります。
新宮に流れこむ“熊野川”、奈良県にさかのぼると“十津川”。さらにその源流が天の川、天川です。これは、神武天皇が難波を回避し、新宮周辺から紀伊半島に上陸。そこから北上し、大和の国に入った神武東征の道。八咫烏に導かれての行軍です。
天川弁財天の社殿によると、神武天皇が途中、天川に立ち寄り、ここで“日の本”という国の名前を受け取ったとか・・・さて、どうでしょう。そこから、天武天皇、役行者、さらに平安時代は、空海も長く修行したといいます。さらに、時代は、後醍醐天皇の南北朝時代へ。吉野は、南朝の拠点。
天川弁財天社にも、かつて南朝の宮もあったといいます。まぁ、南朝はほとんどが吉野ですから、南北朝100年近く、南朝の宮は吉野にあったわけですね。そして、能の謡曲にも天川は登場するように、世阿弥との縁が深く、天川弁財天に関する資料のほとんどは中世から登場するそうです。だいたい平安時代以降、神仏習合の水の女神として弁財天信仰が盛んとなります。
古代の人々は、川を神としてあがめ、その源流となる地には、特別に神聖な存在を見出していきました。源流と清流の聖地、天川が弁財天、サラスバティを祀る聖地として、おそらくは仏教が伝来し、神道が形作られる以前から、多くの人々が神聖視し、畏怖してきたことは間違いないと思います。
しかし、同じく紀伊半島を流れる大河、紀の川と吉野川の源流である、丹生川上神社上社が、昭和の時代になってすでにダム湖の下に沈められたように、こうした古代からの水の源流を守る信仰が、近現代に入ってからもずっと大切に守られてきたわけではなかったようです。
山の奥のまた奥の、小さなお盆のような里にある、天川弁財天社もまた、時代を通してずっと大切に守られてきたわけではなく他の神社と同じように、うずもれつつあったのが、1980年代になってから、にわかに一つの天川ブームのようになって押し寄せてきたというのは、どうしてだったのでしょうか。
② 戦後の、天川再興の時代
そのあたりのことは、宗教学者の鎌田東二先生と、柿坂神酒之祐大宮司さんとの対談集「天川大辨財天の宇宙―神道の未来へー」の後編第一章「新・神仏習合文化の実験場―天河大辨財天」の章に詳しく書かれているのですが、戦後の昭和の時代、日本の霊能者の方達が、導かれるかのように天川弁財天へと集うようになったそうです(先日の空海のお母様をまつる慈尊院さんもそうですが、戦後になって霊能者の人達が、荒れた神社やお寺を復興するために、各地でかなり協力したようなのです。そういう方がおられなかったら、多くの神社仏閣は滅んでいたんじゃないかなぁ・・・と想像)
そんな中、天川弁財天の神職を継ぐ家には生まれておられたけど、神主になることを避けてこられた柿坂神酒之祐宮司さんが、様々な不可思議な体験を経て、ねむれなくなった日々の1969年のある日、神社の掃除をしはじめたら、こんなに気持ちがいいものはないと、決定的な気持ちの変化がおこり、以来、来る日も来る日も、ひたすらにお掃除をするようになられたことで、神様とのつながりが深まっていったそうです。そして、1973年、ついに正式に天川弁財天の神主となられたとのこと。
鎌田東二先生によると、戦後の天川ブームの第一期は、霊能者たちによる天川詣で。第二期は、アーティストによる天河感応時代。宮下富美夫さんや細野晴臣さんが頻繁に通うようになられたころでしょう。そして第三期は、若者たちの天川詣で・・・と、今は次のステージに入ろうとしているらしいのです。
③ 私と天川、その1 なぜかOSHO?
次に、なぜ、私にとって、天川弁財天は、特別な神社なのか?について(まぁ、我が家ぐるみで、一番重要な神社は、大神神社さんなんですが)
なんとなく、90年代は天河のことはあれやこれやと耳には入っていました。90年代半ばでしょうか、ある、スピリチュアルに詳しい方に天川のことをお尋ねすると、もう人が一杯出入りして手垢にまみれてしまったので、あなたはもう行かない方がいいわよ・・・なんて言われたので、気持ちがすっと離れてしまってました。その方は、「それより、あなた、今は玉置神社にいったらいいわよ」 で、その直後ぐらいに、玉置神社は、何故か、すっと簡単に行けたのです。天河以上に行きづらい場所にあるのですが、ダイビングをしていたころは紀伊半島によく訪れたので、1998年か1999年頃だったでしょうか。それから、玉置神社は縁があり、よくお詣りしています(車を運転しないのに、よく行けたなぁと今になって思うけど)
天川は、結局、初めて訪れたのは2002年か3年頃。ちょっと、霊感のある人から、「あなたを天川に連れて行かないといけない!」って言われたのがきっかけ(そういうことって、あの頃はよくありました。おかげ様で、いろいろな神社に連れていってもらったものです^^。)
天川にいくなら、一泊したほうがいいからとバスに乗って、まずは一緒に連れていってもらって、私は民宿でお泊り。その方は、お役がすんだからと、すっと帰ってしまいました。その民宿では、私ともう一人のお客様だけだったのですが、その方が、テイクサニヤスしておられないのに、和尚(ラジニーシ)の本は全部読んだ、和尚のことならなんでも知っている!という大の和尚ファンで、食事のあと、ずっと和尚のことを語ってくださったのです。
なぜか、私は、和尚コミューンには訪れたことはありまして、インドの瞑想リトリートのためですが、友人達が和尚のサニヤシンだったので、その前後で長く、和尚コミューンに滞在したのです。もちろん、私自身はサニヤシンじゃありません。あれは、2002年の2月のこと。和尚は、私もそのご本には大きな影響を受けましたが、和尚コミューンを訪れて、かつて和尚の家だったという現在のお廟の中が、とても瞑想がしやすくて毎日、そこに通っていました。
もう一つ、気になることに気づきました。
散歩をしていると和尚のお母様のお墓と出会いました。
その墓標には、サラスバティと書かれていました。
それが、和尚のお母様のお名前だったのです。
(もしかしたら間違っているかもしれませんが。とにかく、私はOSHO コミューンで、サラスヴァティと書かれた墓標と出会いました。
サラスバティ、日本では弁財天。水の神、川の神様。
80年代、和尚と天川弁財天の柿坂宮司さんとは交流があったそうです。
エサレン研究所のディック・プライスも、和尚とは交流があったので、ほぼ同じ時期ですね。
いずれも、離れていかれたそうですが、
なにわともあれ、その方からたっぷりと、和尚の思想を拝聴したのが、私の初めての天川弁財天で泊まった夜だったのです。
④ 私と天川 その2 六角岩
翌日は、一人で坪ノ内を散策。
天川弁財天にいくと、コンパクトな里山の風景が、まるですっぽりと自分を包み込むかのような気持ちになり、穏やかになります。日本の里山の原風景。人々の暮らしの中に、小さな、でも、近代的な天川弁財天社がたっていますが、お社はその中心にあるということで、実際には、この小さな坪ノ内そのものが、聖域なのでしょう。とても、やさしく穏やかな場所です。
私に「あなたを天川に連れて行かないといけない」といったその方が、六角岩というのがあるから、そこに行ったらいいですよ・・・と言われていたので、指し示してくださった方向にのんびりと歩いていきました。すると、川岸というのか、小さな中洲にたどり着きました。川の向こうに、確かに「六角」をした岩があります。なるほど、だから、六角岩なんだなぁ・・・不思議だなぁ。六芒星のような形の岩。
河原の石があたたかくて心地よく、誰もいないので、気が付いたらあまりの心地よさに、そこに寝そべってしまっていました。というのか、起きてられない感じで、地面に吸い付かれてしまったかのようなのです。周囲にだれもいないのを良いことにして、うつ伏せにして眠ってしまいました。その気持ちの良かったこと。
すると、、、さらさらさらと、小雨が降り出して、私のほほを軽く撫でていきました。
その、やさしい感触。
ああ、サラスバティだぁ・・。
一瞬、そう思いました。
勝手にそう思いこんでいるにすぎないのですが、私はあの時、ふっと、サラスバティを感じたのです。
以来、天川弁財天社にお参りするときは、必ず、六角岩の見える、河原にいき、軽く体をひたすこともあったりしました。私のみそぎスポットとなったのです。それからも、この河原ではいろいろな奇跡がありましたが、それはのちほど。とはいえ、数年前に久しぶりに訪れたときは、護岸工事がおこなわれて、残念ながらサラスバティの気配はすでに消えていました。
⑤ 私と天川 その3 柿坂神酒之祐宮司さんに助けられた初じめてのリトリート
さて、2004年になってからですが、すでにエサレンスタイルの全身のオイルトリートメントのクラスを開催していた私は、あろうことか、初めての合宿型リトリートは、天川で行おうと思ったのです。場所は、畳引きで、広々とした空間のある民宿さんで。そこを会場にしてのボディワーク・リトリート。今から思うと、泊りがけのリトリートの自分自身での企画は、あれが初めてだったのですが、なんとまぁ、今から思うと、それを天川村でやりたいなど、おこがましいことでした。でも、最初のスタートなんだから、やりたいところでやればいいじゃないかと思ったのですが、なぜ、それが天川だったのか、自分でも謎です。
2004年、私は、あちらこちらに旅をしていて、5月にエサレン研究所、6月にマウイ島(これは、自分が主催のツアーでした)、そして、10月に天川、11月にエサレン研究所にふたたび。そんな年でした。なんか、動き回りすぎておかしかったのでしょうね^^。
そこで、グラウンディングができていなかったことが発覚。当時は、電話での連絡しかなったのですが、うっかり、天川の民宿に連絡ミスをしてしまったのです。そこで、民宿さんは、他のお客様もとめておられたので、宿泊はできてもワークショップができなくなってしまったという・・・。生徒さんたちも、愕然としています。マッサージテーブルは届いていましたが、さてどうすればいい? 今は、ダブルチェックの鬼となっていますが、何度も再確認しないといけないという大きな教訓をこの時にいただきました。
でも、天川の民宿のおばさんは、おやさしかった。
私が困っているのをみて、天川弁財天さんに相談してくださったのです。
すると、柿坂神酒之祐宮司さんが、直接、民宿に来てくださって、私が本当に困っているのをみて、天川弁財天の参集殿を使ったらいいですよと・・・。ちょうど、屋根の工事中で何も使う予定がないし、それに今は、雨が降っているので、屋根の工事もないので、静かに使えますよと。
ああ、これが、天川弁財天の柿坂神酒之祐宮司さんなんだと、その時にわかりました。
天川が有名なのは、伊達ではない、ほんとうにこの方は
困っているときに、手を差し伸べれる広い広いハートの持ち主でいらっしゃるんだと。
私は、もう、恐縮してしまい、ありがたいやら、申し訳ないやらで・・・。
もちろん、祝詞を挙げていただき正式参拝し、参加者全員、身を清めて参集殿の中にマッサージテーブルをいれてを使わせていただきました。
⑥ 私と天川 その5 神社は宇宙ステーション
粛々と初めての、エサレン形式の全身のオイルトリートメントのワークショップを開催。今年は、ようやく正式にエサレン入門ワークショップと名付けることができるようになりましたが、思い返せば、あの時が最初のリトリート形式でのワークショップでした。そして、天川参集殿の3日間は、奇跡のような時間だったのです。
何が奇跡のように感じたかといいますと、参集殿の中に奥宮の弥山の大きなお写真があるのですが、その写真が、まるで異次元への扉のように感じられたのです。そして、天川村の静寂。空気のやさしさ。ハートが開き、ヒーリングが自然とおきていくのです。聖地とヒーリングの関係を、あの時、はじめて実感しました。
最後に、私自身が、マッサージテーブルに横たわり、参加者の皆さんのタッチを受けたときに、はっとすることに気づきました。
意識は、はっきりとあるのですが、自分が遠いところにいるのです。
そこで、私は身を任せて、ゆったりと横たわっている。
まるで、UFOの中に入ったかのようで、宇宙人たたちが、未知のエナジーヒーリングを私に届けてくれているのです。
その時、まるで、私にはこう聞こえてきたのです(心の声ですが)
「あなたはとても疲れているので、このUFOの中で特別なヒーリングを受けなさい」と。
何もせずに、横たわっているだけで、身体が癒えていく・・・。
もちろん、生徒さんたちが、私に慈しみ深く触れてくれているのもあったからでしょう。
不思議なんですが、以来、このようなことが、天川でなくても、様々な場所でのワークショップでも起こるようになっていきました。
静寂の中、まるで、湖の水底の沈むかのように。
あるいは、宇宙船の中に連れていかれたかのように。
「天河大辨財天社の宇宙」を読んでいると、柿坂宮司さんが「神社は、宇宙ステーションなり」とおっしゃっていたことがあるのを知り、はっとしました。まさに、そういう感じだったからです。
⑦私と天川 ー巨大なたまゆらに包まれてー
3日目、ワークショップが終わり、昼食をいただいていると、雨があがっていきました。
じゃあ、最後に、六角岩のところにいこうと、残っている方達数名でいきました。
良く晴れて、光が美しく、いつものように、キラキラとしたヒーリングエナジーが広がります。
心のそこから、天川のサラスバティ様にお礼をいいました。
さて、そこで奇妙なことがおこっていました。
まぁ、こういうことって天川ではよくあることなのかもしれませんが^^。
なるほど、だから天川なんだ、、、って思った事件です。
写真を撮ってくださった方が、それは、すでにデジタルカメラだったのですが、わ!と驚いた声を出しました。
六角岩の河原にいる、わたしたちの周辺に、大きな大きな、それまで見たこともないような、巨大たまゆらがあらわれていたのです。その写真のうち何枚かの一つには、薄紫色の巨大たまゆらの中に、私がまるごと、すっぽりと入っていたのです。わお!と思いました(その写真、どこかにいってしまったのですが・・・。)
今から思うと、あのとき、参集殿で感じた、すっぽりと包まれてヒーリングを受けているかのような感覚ともつながります。紫いろのたまゆらのお方は、サラスバティなのでしょうか?あるいは何かのエネルギー?そもそも、名前なんてないのでしょうけど。
さて、まだまだ天川の不思議は続きます。
⑧ 私と天川ー再び、柿坂神酒之祐大宮司さん登場
20年前、まだ未熟な身でありながらも、あつかましくも天川の民宿さんで、リトリートを主宰した私でしたが、身から出たさびでまさかのダブルブッキングの衝撃。でも、そこで掬いの手を差し伸べてくださったのが、あの柿坂神酒之祐宮司様で、あろうことか、生まれて初めてのリトリートは、天川弁財天社の参集殿を使わせていただくことになった私ですが・・・。もう、怖れおおくて、申し訳なくて。
それから、一か月もたたないうちに、友人と天川弁財天さんにお礼詣りにいこうと1泊2日で向かいました。まずは、正式参拝。神社さんにしっかりとお供えもさせていただき、これで少しは使用料のようなものを払えたかなぁと思ったのですが、まぁ、それ以上のものを受け取っていますので、お布施の金額ではないですね。その時の、正式参拝の御祈祷は、現宮司の息子さんがなさってくださいました。
すがすがしい気持ちで、れいの六角岩の見える河原へ。
友人と二人で、静かに瞑想をしていました。
すると、後ろから、声が聴こえてくるのです。
「おーい、君たち~」
ふっと、ふりかえると、河原の向こうに柿坂神酒之祐宮司さんではありませんか。
なんと、お会いできてうれしいことか。
近づいて、あらためて、前回のことのお礼を丁重にお伝えしました。いやもう、私、恐縮です、恐縮のいたり。
すると、宮司さんが、ちょっと一緒におしゃべりしましょうと、六角岩のみえる、たしか、そこは神職の方がみそぎをするときの控室として建てられた建物のようなんですが、そこでたっぷり1時間、柿坂神酒之祐宮司さんと、おしゃべりをさせてくださったのです。なんとも、きさくで、きどらず、オープンな、そして楽しいお方であることか。
いろんなお話を伺いました。
若いときは、神職をつぎたくなくて、街に出ていろいろなことをやっていたお話。
そうそう、西宮にもお住まいのことがあったそうです。
ゴンタだったんですよ、と。
この前のことを、お礼にいったのに、またまた、受け取ってばかりの私です。。。
もうしわけなくて、もうしわけなくて。でも、あんまり恐縮しすぎるのも・・・ですね。
受け取ることに、YES といわないと。
その時は、まだタッチケア支援センターという、NPO法人は設立していなくて、エサレンボディワークのことしかお伝えできなかったのだけど、なぜか、柿坂宮司さんは、私に、天川には統合医療やホリスティック医療の方がよく来られるのですよと、私に語ってくださいました。ボディワークと医療をつなげては考えていなかった時期なので、新鮮な思いで宮司さんのお話を聞いていたのですが、今、振り返るとつながってくるのでびっくりです。医療環境下でのタッチケアということで、私は海外から先生を招いたり、様々な実践の場で活用しています。宮司さんのあの時の言葉が入っていたのかもしれません。
⑨ わたしと天川 ー”やさしい”の語源は、ここだったのか?ー
柿坂宮司さんの笑顔はとても素敵で、そして、声が深いところから響かれます。
こうだから、ああだからと、肩書やカテゴライズで制限することもなく、ただ、広く、直観のもとで、人間を受容してくれている、そんな懐の深さをただ、しみじみと受け取っていました。
うんうんと、うなづきながら宮司さんのお話を聞いていたら、突然、宮司さんが私の顔をのぞきこんで。
「あなたは、〇〇〇〇人ですねぇ」と。
この〇〇〇〇に入る言葉は、なぜか、私はとてもこっぱずかしくて、いや、そんなこと、全然ないんです、ごめんなさいと、言いたくなってしまうのです。
それは「やさしい」という言葉だったのですが、、、ああ、まったく。。。
でもね、、、今から思うと、タッチケア支援センターのタッチケアは「こころにやさしいタッチケア」です。いつのまにか、宮司さんに投げかけられた「やさしい」という言葉を使っている(やさしいというのは、野口三千三先生の言葉からいただいていたつもりなんですが)
そういえば、私がアンマからいただいたSoumyaという名前は「月のように涼しくて、やさしい様」「月の女神」を表します。これも、最初、いただいたときは、なんだぁ・・・と、ちょっとがっかりしたものですが。あんまり「あなたはやさしい」と言われても、うれしくないものです。自分がそれほどやさしいわけではないのも知ってるし。でも、やさしい人だから、この名前をいただいたのではなく、”やさしさって何だろう?”と、探求することが、私の人生のテーマのひとつ、、、なのかもしれません。そういう意味で、柿坂宮司さんに、投げかけられた言霊は、今になってじわ~っと響いてきます。
でも、せっかく、「こころにやさしいタッチケア」と名付けたのだから、これからは、天川の柿坂神酒之祐宮司さんのことを思い出しながら、“やさしい”の意味を深めていこうと思います。
それは、月の質であるとともに、水の質でもあるのでしょう。
河原で感じた、慈雨のやさしさ。
サラスバティ。
そして、その水のやさしさを体現されたのが、柿坂神酒之祐宮司さんなのでしょう。
いや、もちろん、やさしさだけではなく、水の諸相の様々な面を体現されておられるのでしょうが。
あるいは、水そのものを、探求されてこらた・・・。
その後、かえりのバス亭の前で、バスをまっていると、すっと、柿坂神酒之祐宮司さんの車が止まりました。さっと、手を出してくださったので、握手させていただきました。そして、すっと、去っていかれました。まるで、風のよう。あの方、天狗さんなんじゃないだろうか?と思ったぐらい。実は、それから、私は、一度も、柿坂神酒之祐宮司さんに、お会いしていません。だから、Pale Blue Dot の映画の中では、あのご恩のある、宮司さんと再会しているような気持ちになれるのです。
⑩ Pale Blue Dot 君が微笑めば、での天川大弁財天の水のご神事
ガイアシンフォニーの龍村仁監督は、何度も天川弁財天を映像におさめ、柿坂神酒之祐宮司さんも、映画に登場されています。今回の、龍村仁監督のお弟子さんの、西嶋航司監督作品の「Pale Blue Dot 君が微笑めば、」には、現宮司ので、息子さんの柿坂匡孝さんと、お父様、柿坂神酒之祐大宮司さんの、お二人が出演されています。
四季を通じての、天川大弁財天社が、弥山の水の源流を大切に守りながら、ご神事をおこなってこられた儀礼の数々が、映画の縦軸として四季折々に映し出されています。1滴の水を大切に、汚さないように、丁寧に。その純粋さをどのように、継承していくのか?
お掃除が、太占(ふとまに)であるとおっしゃる柿坂神酒之祐大宮司さん。
まだまだ、私は、日々の忙しさにおわれて、お掃除ができずにいます。
ほんとうに未熟者だと思いますが、天川の宮司さんが伝えてくださった大切な心の在り様を、微力ながら受取り、咀嚼し、タッチケアや、エサレンマッサージのワークを通じて、次世代に伝えていけたらなぁと思うのですが。さてどうでしょう?
タッチという、やさしさの贈り物。
そのひとつが、Pale Blue Dot 君が微笑めば、の上映会でもあります。
”水”から学ぶやさしさ。
“水”のこころを、ともにわかちあう時間として。
12月7日
芦屋市民センター、ルナホール
Pale Blue Dot 君が微笑めば、
上映会&トーク会
西嶋航司監督と、ゆの里社長
重岡昌吾社長さんの講演会とトーク会も。
最後に、みんなでセルフタッチングを体験し内なる水に祈りを届けましょう。
https://palebluedot241207.peatix.com/