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127日、芦屋市民センター、ルナホールでの“Pale Blue Dot 君が微笑めば、”上映会とトーク会“Water PrayerFes 水の祈りのフェスティバル”を開催します。8月に京都の大重祭で出会ったこの映画、あ、上映会しなきゃと思って立ち上げました。場所は、13年前にタッチケア支援センターの立ち上げイベントをおこなった”芦屋ルナホール”で。

様々なご縁と直観と、多くの皆様のサポートとつながりで、開催することとなりました。皆様、ぜひ、お集まりください。

詳細・お申し込みは、こちらからぜひどうぞ。

https://palebluedot241207.peatix.com/



この映画上映を決めた理由は、様々とありますが、ひとつには、この映画に天川弁財天さんの柿坂神酒之介大宮司さんが登場されていることも理由のひとつです。


多くの方が、この天川弁財天社にはご縁と導きをもたれていると思い、それぞれの方が天川の宮司さんからあたたかなつながりを大切にされておられると思います。そんな中で、つらつらと書くのは憚るものも感じますが、今回、この映画を上映を主宰するのも、何かのご縁かと思い、20年ほど前のことですが、ふとしたことからご恩をいただいたことを振り返りながら、それをどのようにして受け取ったものを循環するのかを考えてみようと思います。天川というところは、そういうご恩と感謝との循環によって多くの方に慕われる聖域なのでしょう。少し長くなりますが、天川弁財天について、私自身の体験を綴ってみようと思います。


① 吉野、そして、天川の歴史


熊野とともに、吉野という地は、私は惹かれる土地でした。

あるがままの大自然が残る熊野と比較すると、吉野は奈良の都からも近いからか文化の香りも残ります。でも、土地としては山のまた奥。修験道がおきた神仏習合の一大宗教フィールド。また、私にとってはまるで地面にクリスタルが埋められているかのような、キラキラと身体が軽くなるようなそういう土地です。

吉野が日本史に登場するのは、天武天皇のころ。兄の天智天皇が崩御する前に、謀反の疑いをかけられないため出家して吉野に籠りました。吉野というのは隠れ里であるとともに、吉野に入ることで英気を養い、さらに山の民とのネットワークが広大に広がっていきます。結果、天武天皇(大海人皇子)は、壬申の乱で大津皇子に勝利し、都を明日香に戻し(飛鳥清御原宮)天皇親政の強大な政権を樹立します。次の持統天皇も、吉野によく巡幸し、宮滝という聖地に宮もたてたといいます。

天武天皇と同時期か、少しあとの時代、葛城山系で生まれた役行者が、修験道の開祖となりますが、役行者が弁財天(サラスバティ、水・川の女神)を感得したのが、天川弁財天の奥宮である“弥山(みせん)”。そこは、紀伊半島を流れる大いなる川の源流でもあります。

新宮に流れこむ“熊野川”、奈良県にさかのぼると“十津川”。さらにその源流が天の川、天川です。これは、神武天皇が難波を回避し、新宮周辺から紀伊半島に上陸。そこから北上し、大和の国に入った神武東征の道。八咫烏に導かれての行軍です。

天川弁財天の社殿によると、神武天皇が途中、天川に立ち寄り、ここで“日の本”という国の名前を受け取ったとか・・・さて、どうでしょう。そこから、天武天皇、役行者、さらに平安時代は、空海も長く修行したといいます。さらに、時代は、後醍醐天皇の南北朝時代へ。吉野は、南朝の拠点。

天川弁財天社にも、かつて南朝の宮もあったといいます。まぁ、南朝はほとんどが吉野ですから、南北朝100年近く、南朝の宮は吉野にあったわけですね。そして、能の謡曲にも天川は登場するように、世阿弥との縁が深く、天川弁財天に関する資料のほとんどは中世から登場するそうです。だいたい平安時代以降、神仏習合の水の女神として弁財天信仰が盛んとなります。

古代の人々は、川を神としてあがめ、その源流となる地には、特別に神聖な存在を見出していきました。源流と清流の聖地、天川が弁財天、サラスバティを祀る聖地として、おそらくは仏教が伝来し、神道が形作られる以前から、多くの人々が神聖視し、畏怖してきたことは間違いないと思います。

しかし、同じく紀伊半島を流れる大河、紀の川と吉野川の源流である、丹生川上神社上社が、昭和の時代になってすでにダム湖の下に沈められたように、こうした古代からの水の源流を守る信仰が、近現代に入ってからもずっと大切に守られてきたわけではなかったようです。

山の奥のまた奥の、小さなお盆のような里にある、天川弁財天社もまた、時代を通してずっと大切に守られてきたわけではなく他の神社と同じように、うずもれつつあったのが、1980年代になってから、にわかに一つの天川ブームのようになって押し寄せてきたというのは、どうしてだったのでしょうか。


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② 戦後の、天川再興の時代


そのあたりのことは、宗教学者の鎌田東二先生と、柿坂神酒之祐大宮司さんとの対談集「天川大辨財天の宇宙―神道の未来へー」の後編第一章「新・神仏習合文化の実験場―天河大辨財天」の章に詳しく書かれているのですが、戦後の昭和の時代、日本の霊能者の方達が、導かれるかのように天川弁財天へと集うようになったそうです(先日の空海のお母様をまつる慈尊院さんもそうですが、戦後になって霊能者の人達が、荒れた神社やお寺を復興するために、各地でかなり協力したようなのです。そういう方がおられなかったら、多くの神社仏閣は滅んでいたんじゃないかなぁ・・・と想像)

そんな中、天川弁財天の神職を継ぐ家には生まれておられたけど、神主になることを避けてこられた柿坂神酒之祐宮司さんが、様々な不可思議な体験を経て、ねむれなくなった日々の1969年のある日、神社の掃除をしはじめたら、こんなに気持ちがいいものはないと、決定的な気持ちの変化がおこり、以来、来る日も来る日も、ひたすらにお掃除をするようになられたことで、神様とのつながりが深まっていったそうです。そして、1973年、ついに正式に天川弁財天の神主となられたとのこと。

鎌田東二先生によると、戦後の天川ブームの第一期は、霊能者たちによる天川詣で。第二期は、アーティストによる天河感応時代。宮下富美夫さんや細野晴臣さんが頻繁に通うようになられたころでしょう。そして第三期は、若者たちの天川詣で・・・と、今は次のステージに入ろうとしているらしいのです。



③ 私と天川、その1 なぜかOSHO?


次に、なぜ、私にとって、天川弁財天は、特別な神社なのか?について(まぁ、我が家ぐるみで、一番重要な神社は、大神神社さんなんですが)


なんとなく、90年代は天河のことはあれやこれやと耳には入っていました。90年代半ばでしょうか、ある、スピリチュアルに詳しい方に天川のことをお尋ねすると、もう人が一杯出入りして手垢にまみれてしまったので、あなたはもう行かない方がいいわよ・・・なんて言われたので、気持ちがすっと離れてしまってました。その方は、「それより、あなた、今は玉置神社にいったらいいわよ」 で、その直後ぐらいに、玉置神社は、何故か、すっと簡単に行けたのです。天河以上に行きづらい場所にあるのですが、ダイビングをしていたころは紀伊半島によく訪れたので、1998年か1999年頃だったでしょうか。それから、玉置神社は縁があり、よくお詣りしています(車を運転しないのに、よく行けたなぁと今になって思うけど)


天川は、結局、初めて訪れたのは2002年か3年頃。ちょっと、霊感のある人から、「あなたを天川に連れて行かないといけない!」って言われたのがきっかけ(そういうことって、あの頃はよくありました。おかげ様で、いろいろな神社に連れていってもらったものです^^。)


天川にいくなら、一泊したほうがいいからとバスに乗って、まずは一緒に連れていってもらって、私は民宿でお泊り。その方は、お役がすんだからと、すっと帰ってしまいました。その民宿では、私ともう一人のお客様だけだったのですが、その方が、テイクサニヤスしておられないのに、和尚(ラジニーシ)の本は全部読んだ、和尚のことならなんでも知っている!という大の和尚ファンで、食事のあと、ずっと和尚のことを語ってくださったのです。


なぜか、私は、和尚コミューンには訪れたことはありまして、インドの瞑想リトリートのためですが、友人達が和尚のサニヤシンだったので、その前後で長く、和尚コミューンに滞在したのです。もちろん、私自身はサニヤシンじゃありません。あれは、2002年の2月のこと。和尚は、私もそのご本には大きな影響を受けましたが、和尚コミューンを訪れて、かつて和尚の家だったという現在のお廟の中が、とても瞑想がしやすくて毎日、そこに通っていました。


もう一つ、気になることに気づきました。

散歩をしていると和尚のお母様のお墓と出会いました。

その墓標には、サラスバティと書かれていました。

それが、和尚のお母様のお名前だったのです。

(もしかしたら間違っているかもしれませんが。とにかく、私はOSHO コミューンで、サラスヴァティと書かれた墓標と出会いました。

サラスバティ、日本では弁財天。水の神、川の神様。

80年代、和尚と天川弁財天の柿坂宮司さんとは交流があったそうです。

エサレン研究所のディック・プライスも、和尚とは交流があったので、ほぼ同じ時期ですね。

いずれも、離れていかれたそうですが、

なにわともあれ、その方からたっぷりと、和尚の思想を拝聴したのが、私の初めての天川弁財天で泊まった夜だったのです。






④ 私と天川 その2 六角岩


翌日は、一人で坪ノ内を散策。

天川弁財天にいくと、コンパクトな里山の風景が、まるですっぽりと自分を包み込むかのような気持ちになり、穏やかになります。日本の里山の原風景。人々の暮らしの中に、小さな、でも、近代的な天川弁財天社がたっていますが、お社はその中心にあるということで、実際には、この小さな坪ノ内そのものが、聖域なのでしょう。とても、やさしく穏やかな場所です。


私に「あなたを天川に連れて行かないといけない」といったその方が、六角岩というのがあるから、そこに行ったらいいですよ・・・と言われていたので、指し示してくださった方向にのんびりと歩いていきました。すると、川岸というのか、小さな中洲にたどり着きました。川の向こうに、確かに「六角」をした岩があります。なるほど、だから、六角岩なんだなぁ・・・不思議だなぁ。六芒星のような形の岩。


河原の石があたたかくて心地よく、誰もいないので、気が付いたらあまりの心地よさに、そこに寝そべってしまっていました。というのか、起きてられない感じで、地面に吸い付かれてしまったかのようなのです。周囲にだれもいないのを良いことにして、うつ伏せにして眠ってしまいました。その気持ちの良かったこと。


すると、、、さらさらさらと、小雨が降り出して、私のほほを軽く撫でていきました。

その、やさしい感触。

ああ、サラスバティだぁ・・。

一瞬、そう思いました。

勝手にそう思いこんでいるにすぎないのですが、私はあの時、ふっと、サラスバティを感じたのです。

以来、天川弁財天社にお参りするときは、必ず、六角岩の見える、河原にいき、軽く体をひたすこともあったりしました。私のみそぎスポットとなったのです。それからも、この河原ではいろいろな奇跡がありましたが、それはのちほど。とはいえ、数年前に久しぶりに訪れたときは、護岸工事がおこなわれて、残念ながらサラスバティの気配はすでに消えていました。


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⑤ 私と天川 その3 柿坂神酒之祐宮司さんに助けられた初じめてのリトリート


さて、2004年になってからですが、すでにエサレンスタイルの全身のオイルトリートメントのクラスを開催していた私は、あろうことか、初めての合宿型リトリートは、天川で行おうと思ったのです。場所は、畳引きで、広々とした空間のある民宿さんで。そこを会場にしてのボディワーク・リトリート。今から思うと、泊りがけのリトリートの自分自身での企画は、あれが初めてだったのですが、なんとまぁ、今から思うと、それを天川村でやりたいなど、おこがましいことでした。でも、最初のスタートなんだから、やりたいところでやればいいじゃないかと思ったのですが、なぜ、それが天川だったのか、自分でも謎です。

2004年、私は、あちらこちらに旅をしていて、5月にエサレン研究所、6月にマウイ島(これは、自分が主催のツアーでした)、そして、10月に天川、11月にエサレン研究所にふたたび。そんな年でした。なんか、動き回りすぎておかしかったのでしょうね^^。


そこで、グラウンディングができていなかったことが発覚。当時は、電話での連絡しかなったのですが、うっかり、天川の民宿に連絡ミスをしてしまったのです。そこで、民宿さんは、他のお客様もとめておられたので、宿泊はできてもワークショップができなくなってしまったという・・・。生徒さんたちも、愕然としています。マッサージテーブルは届いていましたが、さてどうすればいい? 今は、ダブルチェックの鬼となっていますが、何度も再確認しないといけないという大きな教訓をこの時にいただきました。


でも、天川の民宿のおばさんは、おやさしかった。


私が困っているのをみて、天川弁財天さんに相談してくださったのです。

すると、柿坂神酒之祐宮司さんが、直接、民宿に来てくださって、私が本当に困っているのをみて、天川弁財天の参集殿を使ったらいいですよと・・・。ちょうど、屋根の工事中で何も使う予定がないし、それに今は、雨が降っているので、屋根の工事もないので、静かに使えますよと。

ああ、これが、天川弁財天の柿坂神酒之祐宮司さんなんだと、その時にわかりました。


天川が有名なのは、伊達ではない、ほんとうにこの方は

困っているときに、手を差し伸べれる広い広いハートの持ち主でいらっしゃるんだと。

私は、もう、恐縮してしまい、ありがたいやら、申し訳ないやらで・・・。

もちろん、祝詞を挙げていただき正式参拝し、参加者全員、身を清めて参集殿の中にマッサージテーブルをいれてを使わせていただきました。


⑥ 私と天川 その5 神社は宇宙ステーション


粛々と初めての、エサレン形式の全身のオイルトリートメントのワークショップを開催。今年は、ようやく正式にエサレン入門ワークショップと名付けることができるようになりましたが、思い返せば、あの時が最初のリトリート形式でのワークショップでした。そして、天川参集殿の3日間は、奇跡のような時間だったのです。


何が奇跡のように感じたかといいますと、参集殿の中に奥宮の弥山の大きなお写真があるのですが、その写真が、まるで異次元への扉のように感じられたのです。そして、天川村の静寂。空気のやさしさ。ハートが開き、ヒーリングが自然とおきていくのです。聖地とヒーリングの関係を、あの時、はじめて実感しました。

最後に、私自身が、マッサージテーブルに横たわり、参加者の皆さんのタッチを受けたときに、はっとすることに気づきました。

意識は、はっきりとあるのですが、自分が遠いところにいるのです。

そこで、私は身を任せて、ゆったりと横たわっている。


まるで、UFOの中に入ったかのようで、宇宙人たたちが、未知のエナジーヒーリングを私に届けてくれているのです。

その時、まるで、私にはこう聞こえてきたのです(心の声ですが)

「あなたはとても疲れているので、このUFOの中で特別なヒーリングを受けなさい」と。

何もせずに、横たわっているだけで、身体が癒えていく・・・。

もちろん、生徒さんたちが、私に慈しみ深く触れてくれているのもあったからでしょう。

不思議なんですが、以来、このようなことが、天川でなくても、様々な場所でのワークショップでも起こるようになっていきました。

静寂の中、まるで、湖の水底の沈むかのように。

あるいは、宇宙船の中に連れていかれたかのように。


「天河大辨財天社の宇宙」を読んでいると、柿坂宮司さんが「神社は、宇宙ステーションなり」とおっしゃっていたことがあるのを知り、はっとしました。まさに、そういう感じだったからです。


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⑦私と天川 ー巨大なたまゆらに包まれてー


3日目、ワークショップが終わり、昼食をいただいていると、雨があがっていきました。

じゃあ、最後に、六角岩のところにいこうと、残っている方達数名でいきました。

良く晴れて、光が美しく、いつものように、キラキラとしたヒーリングエナジーが広がります。

心のそこから、天川のサラスバティ様にお礼をいいました。

さて、そこで奇妙なことがおこっていました。

まぁ、こういうことって天川ではよくあることなのかもしれませんが^^。

なるほど、だから天川なんだ、、、って思った事件です。


写真を撮ってくださった方が、それは、すでにデジタルカメラだったのですが、わ!と驚いた声を出しました。

六角岩の河原にいる、わたしたちの周辺に、大きな大きな、それまで見たこともないような、巨大たまゆらがあらわれていたのです。その写真のうち何枚かの一つには、薄紫色の巨大たまゆらの中に、私がまるごと、すっぽりと入っていたのです。わお!と思いました(その写真、どこかにいってしまったのですが・・・。)

今から思うと、あのとき、参集殿で感じた、すっぽりと包まれてヒーリングを受けているかのような感覚ともつながります。紫いろのたまゆらのお方は、サラスバティなのでしょうか?あるいは何かのエネルギー?そもそも、名前なんてないのでしょうけど。

さて、まだまだ天川の不思議は続きます。




⑧ 私と天川ー再び、柿坂神酒之祐大宮司さん登場


20年前、まだ未熟な身でありながらも、あつかましくも天川の民宿さんで、リトリートを主宰した私でしたが、身から出たさびでまさかのダブルブッキングの衝撃。でも、そこで掬いの手を差し伸べてくださったのが、あの柿坂神酒之祐宮司様で、あろうことか、生まれて初めてのリトリートは、天川弁財天社の参集殿を使わせていただくことになった私ですが・・・。もう、怖れおおくて、申し訳なくて。

それから、一か月もたたないうちに、友人と天川弁財天さんにお礼詣りにいこうと12日で向かいました。まずは、正式参拝。神社さんにしっかりとお供えもさせていただき、これで少しは使用料のようなものを払えたかなぁと思ったのですが、まぁ、それ以上のものを受け取っていますので、お布施の金額ではないですね。その時の、正式参拝の御祈祷は、現宮司の息子さんがなさってくださいました。

すがすがしい気持ちで、れいの六角岩の見える河原へ。

友人と二人で、静かに瞑想をしていました。

すると、後ろから、声が聴こえてくるのです。


「おーい、君たち~」

ふっと、ふりかえると、河原の向こうに柿坂神酒之祐宮司さんではありませんか。

なんと、お会いできてうれしいことか。


近づいて、あらためて、前回のことのお礼を丁重にお伝えしました。いやもう、私、恐縮です、恐縮のいたり。

すると、宮司さんが、ちょっと一緒におしゃべりしましょうと、六角岩のみえる、たしか、そこは神職の方がみそぎをするときの控室として建てられた建物のようなんですが、そこでたっぷり1時間、柿坂神酒之祐宮司さんと、おしゃべりをさせてくださったのです。なんとも、きさくで、きどらず、オープンな、そして楽しいお方であることか。


いろんなお話を伺いました。

若いときは、神職をつぎたくなくて、街に出ていろいろなことをやっていたお話。

そうそう、西宮にもお住まいのことがあったそうです。

ゴンタだったんですよ、と。

この前のことを、お礼にいったのに、またまた、受け取ってばかりの私です。。。

もうしわけなくて、もうしわけなくて。でも、あんまり恐縮しすぎるのも・・・ですね。

受け取ることに、YES といわないと。


その時は、まだタッチケア支援センターという、NPO法人は設立していなくて、エサレンボディワークのことしかお伝えできなかったのだけど、なぜか、柿坂宮司さんは、私に、天川には統合医療やホリスティック医療の方がよく来られるのですよと、私に語ってくださいました。ボディワークと医療をつなげては考えていなかった時期なので、新鮮な思いで宮司さんのお話を聞いていたのですが、今、振り返るとつながってくるのでびっくりです。医療環境下でのタッチケアということで、私は海外から先生を招いたり、様々な実践の場で活用しています。宮司さんのあの時の言葉が入っていたのかもしれません。




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⑨ わたしと天川 ー”やさしい”の語源は、ここだったのか?ー


柿坂宮司さんの笑顔はとても素敵で、そして、声が深いところから響かれます。

こうだから、ああだからと、肩書やカテゴライズで制限することもなく、ただ、広く、直観のもとで、人間を受容してくれている、そんな懐の深さをただ、しみじみと受け取っていました。


うんうんと、うなづきながら宮司さんのお話を聞いていたら、突然、宮司さんが私の顔をのぞきこんで。

「あなたは、〇〇〇〇人ですねぇ」と。


この〇〇〇〇に入る言葉は、なぜか、私はとてもこっぱずかしくて、いや、そんなこと、全然ないんです、ごめんなさいと、言いたくなってしまうのです。

それは「やさしい」という言葉だったのですが、、、ああ、まったく。。。


でもね、、、今から思うと、タッチケア支援センターのタッチケアは「こころにやさしいタッチケア」です。いつのまにか、宮司さんに投げかけられた「やさしい」という言葉を使っている(やさしいというのは、野口三千三先生の言葉からいただいていたつもりなんですが)

そういえば、私がアンマからいただいたSoumyaという名前は「月のように涼しくて、やさしい様」「月の女神」を表します。これも、最初、いただいたときは、なんだぁ・・・と、ちょっとがっかりしたものですが。あんまり「あなたはやさしい」と言われても、うれしくないものです。自分がそれほどやさしいわけではないのも知ってるし。でも、やさしい人だから、この名前をいただいたのではなく、”やさしさって何だろう?”と、探求することが、私の人生のテーマのひとつ、、、なのかもしれません。そういう意味で、柿坂宮司さんに、投げかけられた言霊は、今になってじわ~っと響いてきます。


でも、せっかく、「こころにやさしいタッチケア」と名付けたのだから、これからは、天川の柿坂神酒之祐宮司さんのことを思い出しながら、“やさしい”の意味を深めていこうと思います。


それは、月の質であるとともに、水の質でもあるのでしょう。

河原で感じた、慈雨のやさしさ。

サラスバティ。


そして、その水のやさしさを体現されたのが、柿坂神酒之祐宮司さんなのでしょう。

いや、もちろん、やさしさだけではなく、水の諸相の様々な面を体現されておられるのでしょうが。

あるいは、水そのものを、探求されてこらた・・・。


その後、かえりのバス亭の前で、バスをまっていると、すっと、柿坂神酒之祐宮司さんの車が止まりました。さっと、手を出してくださったので、握手させていただきました。そして、すっと、去っていかれました。まるで、風のよう。あの方、天狗さんなんじゃないだろうか?と思ったぐらい。実は、それから、私は、一度も、柿坂神酒之祐宮司さんに、お会いしていません。だから、Pale Blue Dot の映画の中では、あのご恩のある、宮司さんと再会しているような気持ちになれるのです。


⑩ Pale Blue Dot 君が微笑めば、での天川大弁財天の水のご神事


ガイアシンフォニーの龍村仁監督は、何度も天川弁財天を映像におさめ、柿坂神酒之祐宮司さんも、映画に登場されています。今回の、龍村仁監督のお弟子さんの、西嶋航司監督作品の「Pale Blue Dot 君が微笑めば、」には、現宮司ので、息子さんの柿坂匡孝さんと、お父様、柿坂神酒之祐大宮司さんの、お二人が出演されています。


四季を通じての、天川大弁財天社が、弥山の水の源流を大切に守りながら、ご神事をおこなってこられた儀礼の数々が、映画の縦軸として四季折々に映し出されています。1滴の水を大切に、汚さないように、丁寧に。その純粋さをどのように、継承していくのか?


お掃除が、太占(ふとまに)であるとおっしゃる柿坂神酒之祐大宮司さん。

まだまだ、私は、日々の忙しさにおわれて、お掃除ができずにいます。

ほんとうに未熟者だと思いますが、天川の宮司さんが伝えてくださった大切な心の在り様を、微力ながら受取り、咀嚼し、タッチケアや、エサレンマッサージのワークを通じて、次世代に伝えていけたらなぁと思うのですが。さてどうでしょう?


タッチという、やさしさの贈り物。

そのひとつが、Pale Blue Dot 君が微笑めば、の上映会でもあります。

”水”から学ぶやさしさ。

“水”のこころを、ともにわかちあう時間として。


12月7日

芦屋市民センター、ルナホール

Pale Blue Dot 君が微笑めば、

上映会&トーク会

西嶋航司監督と、ゆの里社長

重岡昌吾社長さんの講演会とトーク会も。

最後に、みんなでセルフタッチングを体験し内なる水に祈りを届けましょう。

https://palebluedot241207.peatix.com/


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# by reiko-koyago | 2024-11-09 18:29


2022年に、タッチケア支援センターで”シカゴ大学付属子ども病院でのマッサージ・セラピーの活動報告”というテーマで、お話会を開催しました、文化人類学者でボディワーカーでもあるディラン・ロット氏が、今年の9月に再来日されます。(2022年5月のディラン・ロット先生の来日お話会のテーマはこちらのブログ を参照してください)

今回は、ディラン先生が、人類学者として調査にかかわった、チベット仏教における”トゥクダム(Tukudam)”についてのお話を、ボディワークと関連して、お話をしていただく予定です。貴重な機会ですので、よろしければ、ぜひご参加ください。

トゥクダムとは、チベット仏教で瞑想を極めた高僧が死期を悟ったときに瞑想修行として行う死の準備のことで、死に際して、トゥクダムの状態に入った僧侶は、心肺が停止しても数日間、瞑想の姿勢が保たれ、身体の温もりが失われず、腐敗しない状態をもって成就すると言われています。

ダライ・ラマ14世は、米国ウィスコンシン大学にトゥクダムの科学的解明を依頼し、調査にあたった科学者たちは現地でトゥクダムの境地に入った僧侶の脳波等を計測し科学的解明に挑みました。

ディラン・ロット博士は、文化人類学者として、2016年から2020年、ダライ・ラマ法王オフィスとウィスコンシン大学マディソン校の共同研究「健康な心のセンター」のフィールドリサーチャー及びマネージャーを務めました。インドのチベット僧院コミュニティにおける民族誌学的および心理生理学的研究を組み合わせた調査結果を発表。死後の瞑想状態であるトゥクダムに関するの調査を行っています。

今回のお話会では、前半は、ディラン・ロット博士より、チベット仏教のトゥクダムに関する科学的研究に基づいたリサーチの報告と、後半は、ディラン氏が現在、認定マッサージ・セラピスト(ボディワーカー)として臨床の現場でかかわる、米国シカゴ大学コマー小児病院、小児緩和ケアチームでの実践と交えて、お話をしていただく予定です。また、西洋医学とインド・チベット医学の比較、ボディワークとスピリチュアリティの間にあるものについて等。

”死”のプロセスの中での瞑想状態にある高僧の調査に直接かかわり科学的調査を行ってこられたディラン先生は、現在、重症の新生児やお子さん達へのマッサージセラピストとして、家族や医療者のグリーフケア、スピリチュアルケアにもあたっておられます。このあたりのお話も、拝聴できればと思います。当日は、皆様のご質問もぜひお待ちしております。

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日時
2024年9月12日
午後6時~8時45分
(開場 午後5時)

会場
ホリスティック・スペース”アクエリアス”
東京都中央区日本橋馬喰町1-5-10 林ビル4階

登壇者  ディラン・T・ロット(Phd)

通訳  広瀬由美子

進行役 中川れい子

お申込みフォーム


*メールが機能しない場合は、touchandhealing121★gmail.com(中川れい子)まで。★を@にかえて送信ください。

参加費

3500円
*当日参加の方は4000円。なるべくお釣りのないようにご準備ください。
*定員の場合は締め切りますので、当日参加が難しくなります。
*経費を除いた収益はチベット文化研究所に寄付させていただきます。

お申込み後、下記、口座にご入金ください。
三井住友銀行 立花支店
普通 1475240
(ナカガワレイコ)

定員 
35名(定員になり次第締め切ります)


参考 ードキュメンタリー映画ー
*ディラン先生が現地、研究者として主演されています。
 ぜひ、御覧いただくことをおすすめします(内容の性質上、ご遺体の映像が登場しますのでご了承ください)
「トゥクダム 生と死の境界線 Tukudam Between Worlds )
2022年に完成したドキュメンタリー映画(ネパール製作)。舞台はインド・チベット。
アジア・ドキュメンタリーで視聴可能(495円)
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ディラン T. ロット博士プロフィール

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ディラン・T・ロット博士(PhD, LMT)は、文化人類学者として、、特定の人間社会(歴史・言語・臨床)における、文化・心・身体・脳の関係を探求している。また、ボディワーカーとしてのキャリアも長く、現在は、臨床と研究に重点を置いた、認定マッサージ療法士として、シカゴ大学のカマー小児病院の小児科で、緩和ケアに従事し、重大な病気や、終末期に直面している乳児や子供へ、ふれあいを通じて快適なサポート提供しています。https://www.uchicagomedicine. org/comer


また、ディラン・ロット博士は、文化人類学者として、2016年から2020年、ダライ・ラマ法王オフィスとウィスコンシン大学マディソン校の共同研究「健康な心のセンター」のフィールドリサーチャー及びマネージャーを務めました。インドのチベット僧院コミュニティにおける民族誌学的および心理生理学的研究を組み合わせた調査結果を発表。死後の瞑想状態であるトゥクダムに関するの調査を行っています。


 

下記の写真は、2023年5月に来日し、東京でNPO法人タッチケア支援センター主宰で「シカゴ大学付属子供病院でのマッサージセラピーの実践」についてお話していただいた時の写真です。ゲストに、タッチ研究の第一人者、山口創先生(桜美林大学教授)もお招きいたしました。通訳は大野誠士さん。

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# by reiko-koyago | 2024-08-26 00:56 | お知らせ

2024年の8月14.15.16日と、東京のベルサール高田馬場のホールでインドの抱きしめる聖者と呼ばれるアンマ(マーター・アムリタ・ナンダマイ)の来日プログラムが開催されました。コロナで中断されていたアンマのワールドツアーでしたが、その最終地点に、アンマは5年ぶりに来日してくださいました。忘れかけていた、アンマのダルシャンの感触、そして、セヴァ(奉仕、ボランティア活動)をしながら、目に見えない形でアンマからの様々なメッセージを受け取る感覚。気が付いたらアンマが心に寄り添ってくださっている感覚。おそらく、他の方達もそうなのでしょう。


数限りない、出会いと再会がありましたが、今回は、何度も何度も初対面の方にこう尋ねられることがとてもよくありました。


「あなたは、どうしてアンマと出会っていったの?」


同じストーリーを何度も語っていましたが、だんだん大変になってきて、最後には一度ブログにまとめるのでまたの機会ね^^。と。

なので、約束どおりブログに綴りますした。

私は、どのようにしてアンマとつながっていったのか?


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それは、誰かにアンマを勧められた・・・のでは、なかったのです。



2004年の11月。

場所は、エサレン研究所の温泉の湯舟の中。

(この年は年に3回、エサレンを訪れた妙な年でした)


静かに響いてきた、誰かがマントラをつぶやく声。

ずっと後から知りました。

それは、「聖なる母の千の御名」(SkiLalita Sahasranama Archana)

という、ヒンズーの女神の千の名前を唱えるマントラ。

アンマが弟子たちに唱えるように修行を促すアルチャナ(礼拝)です。

すべては、そこから、始まっていったのです。

ちょうどその頃、アメリカ大統領選挙が行われていました。イラク戦争を始めた共和党のブッシュ大統領が再選されるなんて信じられなかったのですが、結果はブッシュ。私の気持ちの中で、二度とアメリカには来るもんか!ぐらいの憤りが起きていたのですが、エサレンの人々は民主党のケリー支持者が多かったのでその気持ちはみんなと共有することができました。

その時のエサレン®マッサージのWSはアドバンスで、エレン・ワトソン先生とペリー・ホロモン先生のクラス。この時のクラスは、クラスの楽しみよりも、ブッシュの再選とイラク戦争の継続のほうが気になって、あまり喜びの中にいることができずにいました。


エサレンのマッサージのクラスでは、最終日にみんなでお風呂に入るセレモニーがあります。ハーブやお花や海藻を浮かべて、夜だからほとんど見えません。波の音と星空と湯気が混ざる空間で、湯舟にぷかぷかと浮かびます。

そんな中、クラスメートの一人が、エサレンの湯舟の中で、なにやらぶつぶつとマントラを唱えていたのです。私は、それがとてもとても気になりました。

何を唱えているの?と尋ねたら、「サンスクリット語」としか答えません^^。その時のエサレンのクラスの記憶は、ビッグサーの海と波の音と、エサレンのお風呂。そして、その謎のマントラの響きで埋め尽くされてしまいました。そして、いつものように、潮が引いていくかのように、エサレン研究所を後にして、日本に戻っていきました。


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それから数か月後、その友人は日本にやってきました。もともと日本の大学で英語を教える仕事をしていたので、日本語も得意で、今回は京都でしばらく滞在し、次は、東南アジアをめぐり、翌年5月にバリで開催される、エレンとペリーのアドバンスのクラスに参加すると言っていました。

そういや、私、昨年の11月、もう、アメリカはいいや、、、って考えたなぁと思い、そうだ、私も次はバリ島でエサレンのワークショップに参加しよう!と、翌年、バリに行くことにしました。1週間の、エレンのダンスワークと1週間のエレン+ペリーのアドバンスクラス。ゴージャスな、バリ島、ウブドゥのリトリート。

その友人は、やっぱりいてて、そして、あのマントラを唱えていました。あんまり気になったので、じっくりそのマントラを聞かせてほしいとお願いしました。全部唱えるのに、30分以上かかるというのですが、聴きながら、とてもいい瞑想ができたのを思い出します。

それが「聖なる母の千の御名」というヒンズーの女神たちの千の名を唱えるアルチャナだったのです。

The Thousand of Devine Mother

Sli Lalitaa Sahasranama

シュリー・ラリタ・サハスラナーマ

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ヒンズーの女神には、様々な様相と名前(ラクシュミやサラシヴァティや・・・)がありますが、すべての女神の源泉は一つであり、そのすべての名を唱えることで、宇宙の女神の源泉、本質へとたどることができる・・・というマントラで、これは、インドのアンマ(アマチ、マーター・アムリタ・ナンダマイ)が弟子に唱えることを勧めている修行の一つだと教えてもらいました。その友人は、「そういえば、もうすぐ、アンマは、東京にいくから、行けばいいよ」・・・とも。

アンマ? 
アマチ?
インドの聖者??
あやしい~。
というのが、その時の私の反応^^。

友人は、何事もしつこく勧めるタイプではありませんでした。

私も、バリから戻ってすぐに東京に行くのは億劫に感じました。

でも、その「千の御名」には、惹かれていきました。
意味もわからないのに、不思議ですね。

その時の、バリのクラスでは、エレン先生が、音楽BGMで「聖なる母の108の御名」という曲もよくかけてくださり、女神の名前がワークショップのキーワードでもありました。今から思うと、サブリーダーのダンスのティーチャーは、NYからやってきた、パラシャクティという名前でしたし。とても直観力のある方で、私はパラシャクティをとても信頼できたのですが。


バリ島というのは、空気の中に精霊や女神が潜んでいるかのような土地なので、呼吸とともに聖なるものを吸い込んで自分が変化していくのがわかりました。1週間、ダンス三昧。それも、バリの音楽家たちがライブ演奏で奏でる中で一晩中、踊りまくるとか・・・。世界中の訳あり女性が集まった、まるで魔女会のような夜。昼間は、田園を歩いたり、ヒンズーの寺院をお詣りにいったり、夜はホテルのプールで裸で泳いだり。今から思うと、ほんとうに懐かしくて、楽しい日々でした。ダンスのクラスの次は、いよいよエサレンのアドバンスクラス。身体が緩みすぎて、涙が勝手に流れていきます。

バリでの2週間のワークショップのすべてが終わり、クラスメートともお別れしたあと、日本から友人がやってきて、その彼女の古いバリ島の友人である、助産師のロビン・リンの家にいくことに(このロビンという人も凄い方だった!)そこは、ヤヤサン・ブミ・セハットというバリ島、ウブドゥの産院で、バリの女性達の自然なお産をサポートする、非営利団体でした。


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その、ロビンの家のリビングには、アンマの大きなお写真が飾られていました。ああ、また、アンマだ・・・と。ロビンもまた、アンマの熱烈なディボーティ(信者)で、なんと彼女は、アメリカからバリ島に移住するときにアンマに尋ねたら、今すぐ荷物をまとめってバリ島に行きなさいと言われたらしい。ちょうど、スマトラ沖地震と津波がおきていて、私にとってこの悲劇は阪神淡路大震災とつながる何かを感じていました。ロビンがインドネシアの被災地の支援をしていたので、私は残っていたドル紙幣のほとんどをドネーションとして彼女に渡しました。(ロビン・リンさんは、のちに米国のCNNの投票によるCNNヒーローに選出されています)


最後に、ロビンの家に飾られているアンマの写真をよく見てみよう・・・。

という気持ちに自然となりました。

いったい、この人はどういう人なのだろう?

私はお写真に向かって、

3歩、歩みよっていきました。


そのとたん、ピカっと光が見えたのです。

それは、リアルライトでした。


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もしかしたら、何かに反射しただけの光だったかもしれませんが、とにかく近づいたとたん、大きな大きな光が目に届いてきたのですから、さすがに、くらくらしました(光はしばらくそこにあって、しかも、簡単に写真に撮れてしまいました)


私は、2001年に内側の白い大量の光と出会った体験がありましたが、今度は、外側にその光を観たかのような衝撃でした。ああ、あの光がまたやってきたんだんって。


なんだか、やられちゃった感じでした。

そこから、つかまってしまったのです。

バリ島を立ち去る4-5時間ほど前のこと。
私の頭の中はAMMAでいっぱい。

(まだ、リアルにお会いしていないのに)


そのまま、デンバサール空港から関西空港に朝に到着。
帰宅してすぐにパソコンを開いてAMMAと検索。
同じ月、5月のアンマ来日プログラムの情報がすぐに見つかりました。電話してみたら丁寧に教えてくださるやさしい女性の声が、ぜひぜひいらしてくださいね~と語り掛けてくださいました。3日間。何もわからないのに、とにかく東京都調布市のアンマのプログラムに行くことに。もう行くきゃない。帰国してまだ予定が詰まってないし。


東京、調布市のホテルを予約して、ひたすら愚直に3日間、アンマの東京プログラムに通うことにしました。初めて訪れたアンマプログラムの会場は大音量の音楽が奏でられたり、スタッフの人達が走り回っていたりで、結構、雑然としていたのですが、アンマのすぐそばはとても瞑想がしやすいのがすぐにわかりました(そのことがわかるために、それまで、アジズとフーマンのもとで瞑想リトリートに参加していたかのようなものです)

誰も知り合いのいないままに訪れたのですが、それまでの瞑想仲間の方達に何人も出会いました。私達の瞑想の師匠であるフーマン・エマミが「アンマは本物だから会いに行ったらいい」とアドバイスをしておられたそうなのです。えー。私、知らなかったぞー。(フーマンは、その2か月後の7月に、ボディを離れてしまいました)

初めてのアンマの来日プログラム。3日間。何もかもが新しい体験でしたが、不思議と懐かしく感じていました。その間、瞑想をしたり、アンマの伝記を読んだり。From Amma’s Heart という美しいアンマの講和集も読みました。3日目の夜は、マントラももらってしまいました。何も疑うこともなく。アンマをグル(霊性の師)としてつながることとは、ただ一つ、「すべての人の中にアンマをみること」を受け入れることでした。私はこのことに、とても惹かれていきました。

私とアンマとのつながりは、そこからが急展開。

ジェットコースターのようでした。
なんと、同じ会場に来ておられた関西のとあるご夫婦が、アンマを神戸にお招きしたいと、その後、企画されたのです!サイババのところにも何度も通われた、スピリチュアルな世界にとても詳しいご夫婦でした。まずは、お弟子さんをその年の秋に、西宮市のそのご夫婦のレストランでコンサートが開かれました。甲山がとても綺麗に見える場所でした。アンマのエネルギーがすでに来ておられるのを感じました。

アンマを神戸に。

もしも、そのようなことが実現するのなら、なんでもお手伝いさせていただきます!と、目を潤まして、語ったのを思い出します。

そして、それは、ほんとうに実現したのです。あらためてそのご夫妻には心より感謝です。

それから2年後の2007年の5。ついにアンマは、神戸にいらして、2日間の神戸のプログラムが開催されました。

初のアンマの神戸プログラムのために、大勢の関西在住のボランティアさんが参加してくれました。私も知ってる人みんなに声をかけました。

ところが、ここで大きな問題が・・・。


神戸・関西チームの中に、それまでにアンマの来日プログラムに参加したことがある人は、ほとんどいなかったのです。私にしても、一回だけ。とはいえ、3日間、朝から整理券のために並び、ダルシャンラインにも並び、そして、会場にずっといた経験がありました。まるで事前練習のために2005年に東京プログラムに行っていたようなものです。

なので、神戸ボランティアで私に与えられたお仕事は、会場係。アンマのダルシャンを待つ人が並ぶ、ダルシャン・ラインを整備したり、アンマのダルシャンを待つ方をサポートする担当の関西リーダーでした。今から思うと、ありえないことなのですが、この時は「プラサード係」という、アンマからいただくキャンディやチョコを手渡しする人のセクションの関西担当リーダーにもなっていました。知らないとは恐ろしいもので、気楽に請け負ってしまったのですが、これは、いくらなんでもツーマッチでした。おかげ様で、初めての神戸プログラムの会場は、大混乱。導線もなにも、あったもんじゃありません。いや、もともと、そういうの私、苦手なんです^^。

もう、へとへとで、途中で倒れそうになりました。


あんまり大混乱なので、ついに責任者を呼びなさいと、アンマに呼ばれてしまいました。アンマの後ろで、立たされました。今から思うと、有難いことなんですが、この時は、完全に、お仕置きで学校の廊下に立たされている気分です。とはいえ、私も開き直ってきました。2つの部署も任されて、そりゃ、無理ですよ。知らないことばっかりだし。私はやることは精一杯やったのです。アンマといえども、文句があるなら言いたいだけ言えばいいわと。頭の中もすでに思考停止。


でも、お叱りは何もありませんでした。

ただ、30分ぐらい、アンマのすぐ後ろで立っていただけです。

それが、また、驚くほど気持ちがよくって、身体の疲れがとれていったのです。

(今なら、それが理解できますが。アンマのダルシャンのすぐそばにみんなが行きたがるのは、アンマのヒーリング・エネルギーを感じるためです)


この方は、何も説明しなくても、その場を見ていなくても、ちゃんと理解してくれているんだ・・・。

この時、そんな安心感が満ちてきました。


そんな風に、アンマの神戸プログラムが始まり、計4回、神戸で開催されました。


それにしても、私は、イラク戦争のさなか、ブッシュの大統領再選に心を痛めていたときに、偶然、友人が唱えていた「千の御名」に心が惹かれて、そのまま、バリにいき、バリのロビン・リンの家で、アンマの大きな写真があって、それをよく見ようと思ったとたん、大きなフラッシュのような光をみてしまって、そこから、帰国後、数日後の、東京のアンマのプログラムに参加するこっとになって、さらにその2年後、アンマが私の地元、神戸にやってきて、来日プログラムが開催されて、その会場係を担当している・・・。


もしかして、アンマは、神戸に来る必要があったので、エサレンで私に「千の御名」を聞かせて、バリで、光を見せたんではないのか? そして、東京会場に3日間、私をいさせた・・・なんて妄想。


しかし、聖者って、そこまでやれるのか??

身体をもってそこに存在している人だけではなく、世界中にエネルギーとして偏在して、その意識を放っている??

想像すると、あまりのことなので顎がはずれそうになりました。


でも、あれから20年目になりますが、アンマって、やっぱり、とてつもない聖者(人を超えている)としか、思えないのです。何もかもがお見通しで、細部に至るまでご自身が行かなくても見事にわかっておられる。日本の仏像に千手観音様や、十一面観音様の像がありますが、アンマを見ていると、まさにそのような感じで、目も顔も手も、いっぱいあって、さらに、肉体を離れたところでもちゃんと意識が世界中に遍在していて、必要な指示やメッセージをはなっている。。


来場者一人一人を、あたたかく大切に抱きしめる愛とコンパッションの人であるとともに、規格外のスーパー・ネイチャー。覚者?聖者?サットグル? 霊能者? 大ヒーラーであり、大巫女?? いや、もう、あきらかに人智を超えているのでわかんないです。自分が生きている間に、このような奇跡の方と出会えたこと自体が奇跡のようにも。


結局、神戸のプログラムには、4年間来てくださり、そのあとは、大阪梅田の会場で関西プログラムが開催されました。その間に、私以上に、アンマを愛する関西のセヴァの人々がどんどん育っていきました。おかげで、私は、アンマのプログラムのセヴァをぬけやすくなったのです。初年度は、私が今生、生まれたのは、アンマを神戸にお招きするためにあったのではないか?ぐらいの情熱だったのですが、それもだんだん冷静になっていきました。私は次のステージへ・・・。


でも、何故、神戸だったのでしょう?

それは、私は、阪神淡路大震災の鎮魂だったと当時、思っていました。

(不思議なんですが、そう結びつける人は、それほど多くはなかったのですが)

私自身、阪神淡路大震災には自ら被災し、ボランティア活動に入り、色々な面で深くコミットしていたので、神戸とアンマとくれば、震災のこととしか思えませんでした。


とはいえ、すでに震災からは20年以上たっていました。

今頃、鎮魂ですか??という懸念も。

鎮魂ではなく、これから起こる大地震(東日本大震災)であることは、

その時は、まだ微塵も予想していませんでした。

今なら、こう思えてきます。

あの時、阪神淡路大震災直後に起きた復興への人と人とのつながりのパワーを思い出しなさいよ。

もうすぐ、同じことが何度も何度も起こるから、準備しなさい・・・と。


神戸アンマの初年度の2007年の秋に、私は朋さんと再会し(2004年にエサレンで出会っていたのですが)、急激に結婚が決まりました。2年目の神戸プログラムでは、朋さんと結婚の祝福をアンマから受け取ることができました。これって、たぶん、アンマからの恩寵なのでしょうね^^。

また、2008年には、神戸のボランティア代表としてスピーチもさせていただきました。ちょうど、鳥インフルエンザが起きたタイミングで、まるで2020年のコロナの問題を予感させるような内容となりましたが。この時のスピーチは、こちらに記録させていただきました。https://rayline.exblog.jp/240134187/


アンマを通じて、ものの見方、識別力、行動力も育まれていきました。

昔の私では、想像もつかないほど、忙しくなっていきました。

(よく、れいこさん、忙しいよね、、、と言われるのですが、それは、アンマと出会ってからのことです)



さらに、アンマの恩寵が続きます。

それは、2010年の夏のこと。

朋さんの息子のジョナが高校を卒業するときに、サンフランシスコに行きました。ちょっと、エサレンにいくには、時間がタイトだったので、サンフランシスコ近郊でローゼンメソッドが受けれないかと、あれこれ画策していたのですが、なかなか連絡がつながらない。


ところが、なんと、同じタイミングで、アンマのサンフランシスコの郊外、ベイエリアにあるサンラモーンという町のアシュラムでのプログラムが決まったのです。これは、行くしかない。インドのアシュラムにはいまだいったことがないのに、やはり、サンフランシスコには縁があるのか。サンラモーンは、とても美しいアシュラムでした。


その時の、プログラムガイドに、ローゼンメソッドの創始者の、マリオン・ローゼンのお写真を見つけたのです。ローゼンセンターが、広告を出していたのです(秋に、アンマのアシュラムで、マリオンのワークショップがあるということでした)


私は、シャンタジさんという、神戸プログラムで大変お世話になった、カリフォルニア生まれのアンマのお弟子さんに、マリオンのお写真を指差して、私は、この方に会いたかったのです。セッションを受けたかったのですと、思わす語りました。

シャンタジさんは、僕、この人に何度もあってるよ、、、と。

へーっと思いながら、午前のプログラムが終わり、カフェで昼食を。


すると、そのアンマカフェで、私に「千の御名」を唱えて、アンマとつなげてくれたエサレンの友人とも感動の再会。

私が、神戸プログラムでボランティア活動をしていることを、とても喜んでくれました。


で。。。なつかしさを振り返るのもつかの間。

サンラモーンのアンマのアシュラムのボランティアで前日に仲良しになったケニアのインド系の女の子が、「レイコ、レイコ」と大きな声で私を呼びに、走って駆けつけてくれました。

シャンタジさんが呼んでると!

いくと、さっきまで、マリオン・ローゼンさんが来てましたよ。

日本人女性があなたの施術を受けたがっていると伝えたら、喜んで施術しましょうと。

彼女の自宅の電話番号を教えてくれた。

わお!


さっそく、合流した朋さんに、電話でコンタクトをとってもらって、住所を聞いて、朋さん、バークレーの町は結構くわしいので、しゅるしゅると車で、マリオン・ローゼンの家に連れていってくれたのです。

そして、彼女の自宅で、マリオン・ローゼンのセッションが受けれたのです。

それは、2年後に、マリオンさんが旅立ったといわれる、彼女のベッドルームの一角でした。

そこには、アンマのお写真が一杯、飾られていたのです。

マリオン・ローゼン、96歳。

彼女の全身のセンサーは、何ひとつ衰えておらず、ボディワークは、一生やれるのだと私は確信したのです。

そして、私のヒーリング・ジャーニーの最終章を飾る、重要なヒーリング・ワークがおきました。

マリオンさんは、アンマの関係だからと、そのセッションを無料で私にくださいました。

受け取ったものがあまりにも大きすぎて、くらくらしました。

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終わってから、マリオンと、朋さんと3人でお茶をいただきました。

マリオンさんは、とにかくアンマがお好きでした。

それで、あなたは、どうしてアンマとつながったの??

と、アンマのことばかり、私に尋ねます。

その時の彼女の、目がほんとうに、喜びに満ちていたのがわかりました。

詳しくは、こちらのブログ「レイライン通信」に記録しています。

https://rayline.exblog.jp/10898202/

(2年後、マリオンさんは、お身体を離れていかれました。彼女は、電話で、アンマの祈りを聴きながら、旅立ったといいます)


マリオン・ローゼンと出会ったことで、私は一つの決心をしました。

それは、気づきある、ソマティックなタッチを通じて、心と身体のケアにかかわるNPO法人を作ることです。

帰国してすぐ、タッチケア支援センターを設立する準備をしました。

そして、翌年2011年の2月、ようやくNPO法人を申請したのですが、、、。


その直後の3月11日に、東日本大震災が起きたのです。

2011年を最後に、アンマの来日プログラムは、関東だけになりました。

私は同時に、NPOを立ち上げたので、NPOのことに専念するようになりました。

最初の活動は、やはり、東日本大震災の被災地だっったのです。


ところが、私は、2011年の7月の大阪で開催された関西の最後のプログラムで、お名前をいただくことができました。

SOUMYA ソーミャという、インドの人には多いシンプルなホーリー・ネームです。

意味は、mild とか、kind とか書いていました。

みんな、スピリチュアルでゴージャスなお名前をいただいているのに、最初は、なんだぁという感じ。


でも、そのあと、友人が、Soumyaは、

私がアンマとつながるきっかけとなった、「聖なる母の千の御名」(Ski LalitaSahasranama Archana)の中に910番目に出てくる、“月の女神”の名前であることが教えてくれたのです。(本には、SOMYAと出てきますが、私にいただいた紙にはSoumyaとありました)


涼しく、穏やかな、月の光。

SOMA(シバ神)とも関係します。


そして、振り出しに戻っていきました。

「聖なる母の千の御名」

The thousand names of Divine mother

シュリー・ラリター・サハスラナーマ


こちらの動画で聴くことができます。

https://youtu.be/ShUhMsTZ2n8?si=3vno6MgB6IVtejLE

(アンマのお弟子さんの、ビッグスワミが唱えています)


太古の時代から、女神、聖なる母を讃える、韻律を伴うマントラ。

アンマは、このマントラを唱えることを、弟子たちに強く勧めています。私が、エサレンで出会った友人も、それを実践していました。ものぐさな私は、あまりにもサンスクリットの言葉の発音が難しいので、あきらめていますが、アンマ会場で、この千の御名が唱えられるときは、呼応するように「オン・パラ・シャクティ・ナマハ」と唱えるようにしています。この時、ハートから光を手で外側に放つようにします。すると、だんだんハートが柔らかくなって女神がハートにとどまってくださるような気持ちになるのです。


このマントラについて、アンマは、このように語っておられます。


「現代では、生まれ持った心の性質や、母性の本能が失われています。母性は、愛、慈しみ、忍耐の象徴です。男性たちは、慈しみや愛のような女性的特質をさらに強め、女性達は堅固いさや勇気といった男性的特質を育むべきです。そうすれば、世俗的生活と精神的生活の両方において迅速な進歩が可能となるでしょう。

聖なる母の崇拝は、これらの善良な性質を高めるために理想的なものです。ラリター・サハスラナーマを用いる礼拝(アルチャナ)は、仮定の繁栄や世界平和のために、この上ない価値をもっています。日々ラリター・サハスラナマーハを唱える家では、衣服や食べ物が不足することは決してないでしょう。昔は、グルが弟子たちにクリシュナもしくは、ヴィシュヌのマントラを授ける際、ラリター・サハスラナーマのアルチャナを実践するように指示するのが普通でした」


アンマの世界平和の祈りの儀式も、この「聖なる母の千の御名」をアレンジしたもののようです。


聖なる母。


Universal Motherhood


アンマは、宇宙の聖なる”女性性”というエネルギーとつながって、世界中を飛び回り、瞬時も休むことなく、絶えることなく、この地上に流してくれています。

太古の昔、私達の宗教は、この”宇宙に遍在する、聖なる女性性のエネルギー”を、女神とよび、礼拝していたのかもしれません(全国各地に土偶が現れるように)


アンマのことは、ここには書ききれません。

5年ぶりに来日プログラムにセヴァとして参加して、あらためて気づくことが一杯ありましたが、また、ゆっくりと書き溜めていこうともいます。




ふと・・・。

はじめて、エサレン研究所の温泉の湯舟で「聖なる母の千の御名」を聴いた頃の、2004年のイラク戦争を起こしたブッシュが再選されたアメリカ大統領選挙を思い出します。

あれから20年。

戦争は、新たにウクライナやガザで継続しています。

そして、2024年の今年の秋にも、アメリカ大統領選挙が。


もしかすると、トランプを打倒することで、

史上初めての、女性で、そしてインド系のアメリカ大統領が誕生するかもしれない。


ガラスの天井を超えて








# by reiko-koyago | 2024-08-20 00:00

6月の丹波篠山市での4泊5日のエサレン®マッサージのリトリートは気づきと愛とつながりにあふれた、素晴らしい体験でした。
ご参加の皆様、ありがとうございます。東京で開催してほしいというお声をいただきましたので、9月に3日間のワークショップを企画しましたので、下記、ご案内します。平日で、少々、9月10(火)11(水)13(金)と、変則的な日程のなりますが、ご容赦ください。現在も、正式な教師として申請中ですので、経費のみのご負担でご参加いただけます。特別価格ですので、この機会にぜひどうぞ。

9/10,11,13日 エサレン®マッサージ入門WS 東京_a0020162_12474908.jpg

エサレン®マッサージとは?エサレン研究所とは?

今回のエサレン®マッサージ&ボディワークの
入門ワークショップでは、
エサレンでよく語られる言葉
Healing Art" "Art of Healing"について
様々な角度から深めていこうと思います。

デモや交換セッションの実技、
様々な体験ワーク、ムーブメントを通じて
Presence 今・ここに在ること
Awareness 気づき
Connection つながり
エサレン🄬マッサージのエッセンスを深める
3日間の集中講座です。

ゆったりとした、波のリズム。
やわらかな、タッチの質感。
全身をゆたかにつなげるロングストローク
セッションの始まりと終わりの聖なる空間を
ぜひ、ご体験ください。


エサレン®マッサージ&ボディワーク
入門ワークショップ系
Essence of Healing Art


日時 
2024年 9月10(火)11(水)+13(金)
*12日はお休みです。
時間 10時~18時
クラス時間は、合計で21時間
*全日、通いでお願いいたします。

場所
東京都 JR目黒駅から徒歩5分
(お申込みの方にお伝えいたします)

参加費
15000円(3日間)
(3日間の、場所代・講師の東京滞在費の一部等)

講師
中川れい子
エサレン®マッサージ認定施術者
エサレン®マッサージ・ティーチャー(申請中)
NPO法人タッチケア支援センター代表理事

お申込み&お問合せ


上記、申込フォームが機能しない場合は、下記のメールにお問合せください。
touchandhealing121★gmail.com(★を@に変えて送信ください)
あるいは、09019663819 まで。

内容
瞑想とムーブメントワーク
エサレン研究所とエサレン®マッサージのお話
デモと交換セッションによる実技練習
*全体をつなげるロングストローク
*タッチの質、かかわりの質を深めるワーク
*波のリズムのロッキング
*肩周辺へのディテイルワーク
*全身の統合とヒーリング
*セッションの始まりと終わり
*ヒーリング・アートとしてのエサレン®マッサージのエッセンスを深める

定員
6名様

持ち物 
フラットなシーツ1枚、大判のバスタオル1枚、同じサイズのバスタオル2枚、フェイスタオル2~3枚。筆記用具。動きやすい服装(上は肘まであげれるもの。下はパンツスタイル。お着換え可能です)ご自身に必要な洗面用具、お着換え等。

参加資格
*マッサージテーブルの周辺を歩き、施術すると同時に、マッサージベッドに横たわり、施術を受けることが可能な健康状態の方。
 (急性期の怪我や手術直後、心臓や血管・リンパ障害、発熱や咳、皮膚等の感染症のある方は施術上の安全のためご遠慮ください)
*人に触れられること、衣類を脱ぐことに抵抗感のない方(生理中等やむをえない場合を除き、施術を受ける際は、ショーツも外していただくことをおすすめいたします。タオルで丁寧にカバーしますので、他者からは見えません)

このような方に
*エサレン®ボディワークにご関心のある方
*触れることのエッセンス、相互的で気づきあるタッチを深めたい方。
*ご自身の施術に、エサレン的なアプローチを取り入れたい方。
*より神経系への深いリラクセーションを深めるオイルトリートメントを学びたい方。
*施術におけるプレゼンスの在り方を深めたい方。
*身体全身、存在全体にかかわるヒーリングワークを学びたい方。
*ボディ・マインド・スピリットの統合と癒しについて、体験的に深めたい方。
*ロングストローク、ロッキング、身体と対話しながら立体的にかかわるストレッチ、筋骨格系への理解と細部へのワーク等、エサレン®ボディワークに特徴的なマッサージ技術の基本を学びたい方。
*初心者の方も、御参加いただけます。

注意
キャンセル料は特に設定しておりませんが、キャンセル待ちの方がおられる可能性がありますので、予定変更されて参加ができなくなりましたら、なるべくお早目にご連絡ください。お申込みいただきましたら、必ず、返信させていただきますので、そちらからのご返信もお願いいたします。touchandhealing121★gmail.comのメールがゴミ箱に入らないようになさってください。


【中川れい子 プロフィール】

エサレン®ボディワーク認定プラクティショナー

1998年よりボディワーク&ボディサイコセラピーを学び始める。ボディワークのほかに、クリスタル・ヒーリング、オーラソーマ、占星術、タロットカードを学び、1999年よりエサレン歴24年目、ボディワーク歴25年。

2003年より、クライアントさんの要望で、エサレンスタイルの全身のオイルトリートメント講座を開講。Touch and Healing 講座と名付ける(2021年、Touch in Graceと改称) 2004年より足しげくエサレン研究所に再び通いはじめ、ブリータ・オストロム、ディーン・マースン、シャー・ピアスを中心としてペギー・ホラン、エレン・ワトソン、ペリー・ホロモン、オリバー・バーレイ、デボラ‣メドウ、ジェシカ・フェーガン等、多くのティーチャー達から指導をうける。特にシャー・ピアスの国内でのワークショップのコーディネート、オーガナイズを担当。2012年から2016年の間、シャーピアスを中心とするエサレン®ボディワークの資格認定コースをオーガナイズする。

2011年、NPO法人タッチケア支援センターを設立し、エサレン®ボディワークの”気づき”あるタッチを、看護・介護・家族間ケアで活躍しやすい”タッチケア”の形で普及・教育・ボランティア活動を展開する。高齢者施設・産科病棟・緩和ケア病棟・がん患者会等でタッチケアの施術を実践する。また、自分自身にふれて、自身への気づきと癒しを深める”セルフタッチング”ワークを考案し、就労支援センター、地域活動支援センター等で展開。

著書
2021年には、タッチ研究の第一人者、桜美林大学教授の山口創氏とともに「オトナ女子のおうちセルフケア」を共著で発刊。(2022年12月、
2022年 「みんなのセルフタッチング」を日貿出版社より発刊。

兵庫県生まれ。関西学院大学文学部美学科卒業。元予備校日本史講師。2004年から続ける個人ブログ「レイライン通信」。
最新の個人セッションメニューは、こちらのブログからどうぞ。

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# by reiko-koyago | 2024-07-09 15:48 | エサレン・ボディワーク
おかげさまで、再度、定員となりました。
キャンセル待ちでのお申込みは可能です。
また、秋に、2DAYSのクラスを開催する予定です。
今後ともよろしくお願いいたします。中川れい子

(2024年5月25日、エサレン®マッサージ&ボディワーク、ティーチャーズトレーニングコースが修了しました。おかげをもちまして、今後は、エサレン🄬マッサージ&ボディワークのティーチャーとして、活動することができます。皆様のご声援には心より感謝いたします。現在は、仮免許の形でのワークショップ開催となり、この丹波WSよりEMBA認定入門ワークショップと開催の運びとなりました。ブリータ・オスとロム、ディーン・マースンという25年前の私自身の認定コースの恩師のもとで、指導者の道を歩むことができることを心から感謝申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。  中川れい子 Esalen®Massage&Bodyrowk Provisual teacher )


エサレン®マッサージ&ボディワーク、PRESENCE & QUALITY OF TOUCH
ー内なる"波"と"気づき"とともに、私達の”全体性”にふれていくロングストロークを体験しよう!


ゆったりとした、波のリズムで
今・ここの気づきとともに
存在を、あるがままに大切な存在として触れていく。

波のリズムのロングストローク
グラウンディング、センタリング。
人と人とのつながり、そして、
BODY & MIND & SPIRITの統合
エサレンのエッセンスを、皆様とわかちあいたいと思います。

今回は、滞在型のリトリート形式でお届いたします。
場所は、兵庫県丹波篠山市の”新たんば荘”
かつて、エサレンのシャー・ピアス先生、マリア・ルシア先生のWSで使わせていただいたことのある思い出の公共のお宿です。
大阪(新大阪からも)、特急で約1時間。
山間にあるかつての篠山城のあった古都でもあります。

6月21日、夏至の日からはじまる4泊5日。
朝は、モーニングクラスからはじまり、
マッサージテーブルを使ってエサレン®マッサージの手技を体験しあいます。

広々としたログハウス型のワークショップスペースで
のびのびと、身体全体を広げていきましょう。

<ご案内>

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米国カリフォルニア州 エサレン研究所



10/20 -22 丹波リトリート ”からだまるごとつなげる、癒しのワーク ” _a0020162_15041451.jpg

古都 丹波篠山(秋)

日時
2024年6月21日~25日
集合 6月21日午後2時
解散 6月25日午後4時解散

場所 
新たんば荘(憩いのさと/丹波篠山)
   
   兵庫県丹波篠山市郡家451-4
   最寄り駅 JR篠山口駅
     *大阪駅 12時11分発、特急こうのとり11号 → 13時2分 篠山口到着(51分、1170円 指定席は1730円)
      急行は、13時23分、篠山口着。各自で、念のため、お知らせべください。
     *当日  13時30分にマイクロバスでのお迎えを予定しております。
      人数が少ない場合はタクシーで乗り合いでお越しくださるよう調整いたします。
     *自家用車の方、駐車場、あります。
     *詳しくは、開催前に、あらためて御連絡いたします。
      

定員 14名(定員になり次第、締め切ります)

参加費 : 55000円~58000円 (講座料は無料です)
      参加費内訳 : 4泊12食の滞在費・ 宅急便負担費・お菓子お茶等(講習料は、含まりません)
      *人数によって変動がありますので、開催1週間前に正確な金額をお知らせいたします。
      *お振込みは、その頃にご案内いたします。 
      *原則的にお部屋は、2名一室、あるいは、4名様1室となります。
      *一人部屋希望の場合は、1泊2200円が追加となります。4泊→8800円
       先着3名様までとさせていただきます。*一人部屋は希望は締め切らせていただきました。

お申込み こちらのgoogle フォームに必要事項をご記入ください。
*備考欄に、施術経験の有無や、当日、自家用車で来られる場合、また、一人部屋希望の場合は御知らせください。
     *ご返信は、3日~5日以内にいたしますが、それ以上たっても返信がない場合は、下記メールアドレスにお知らせください。
     *ご予約受付メールをもって、予約受付といたします)

お問合せ  touchandhealing121★gmail.com  (中川れい子)
      ★を@にかえて送信ください。
      なお、返信メールはこのアドレスから行いますので、迷惑メールに紛れないようにご登録お願いいたします。

内容 

*瞑想・ムーブメント
*タッチの質、かかわりの質を深めるソマティック・ワーク
*エサレン研究所の歴史とエサレン®ボディワークのコンセプト
*デモセッションの鑑賞
*交換セッション
*基本のセッティング法
*全身のロングストローク
*肩・背中・腕・首等のディテイルワーク
*足・脚、骨盤、腰等のディテイルワーク
*統合のワーク
*シェアリング

持ち物 
フラットなシーツ1枚、大判のバスタオル1枚、同じサイズのバスタオル2枚、フェイスタオル2~3枚。筆記用具。動きやすい服装(上は肘まであげれるもの。下はパンツスタイル。お着換え可能です)ご自身に必要な洗面用具、お着換え等。

参加資格
*マッサージテーブルの周辺を歩き、施術すると同時に、マッサージベッドに横たわり、施術を受けることが可能な健康状態の方。
 (急性期の怪我や手術直後、心臓や血管・リンパ障害、発熱や咳、皮膚等の感染症のある方は施術上の安全のためご遠慮ください)
*人に触れられること、衣類を脱ぐことに抵抗感のない方(生理中等やむをえない場合を除き、施術を受ける際は、ショーツも外していただくことをおすすめいたします。タオルで丁寧にカバーしますので、他者からは見えません)

このような方に
*エサレン®ボディワークにご関心のある方
*触れることのエッセンス、相互的で気づきあるタッチを深めたい方。
*ご自身の施術に、エサレン的なアプローチを取り入れたい方。
*より神経系への深いリラクセーションを深めるオイルトリートメントを学びたい方。
*施術におけるプレゼンスの在り方を深めたい方。
*身体全身、存在全体にかかわるヒーリングワークを学びたい方。
*ボディ・マインド・スピリットの統合と癒しについて、体験的に深めたい方。
*ロングストローク、ロッキング、身体と対話しながら立体的にかかわるストレッチ、筋骨格系への理解と細部へのワーク等、エサレン®ボディワークに特徴的なマッサージ技術の基本を学びたい方。
*初心者の方も、御参加いただけます。

注意
キャンセル料は特に設定しておりませんが、キャンセル待ちの方がおられる可能性がありますので、予定変更されて参加ができなくなりましたら、なるべくお早目にご連絡ください。お申込みいただきましたら、必ず、返信させていただきますので、そちらからのご返信もお願いいたします。touchandhealing121★gmail.comのメールがゴミ箱に入らないようになさってください。


【中川れい子 プロフィール】
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エサレン®ボディワーク認定プラクティショナー

1998年よりボディワーク&ボディサイコセラピーを学び始める。ボディワークのほかに、クリスタル・ヒーリング、オーラソーマ、占星術、タロットカードを学び、1999年よりエサレン歴24年目、ボディワーク歴25年。

2003年より、クライアントさんの要望で、エサレンスタイルの全身のオイルトリートメント講座を開講。Touch and Healing 講座と名付ける(2021年、Touch in Graceと改称) 2004年より足しげくエサレン研究所に再び通いはじめ、ブリータ・オストロム、ディーン・マースン、シャー・ピアスを中心としてペギー・ホラン、エレン・ワトソン、ペリー・ホロモン、オリバー・バーレイ、デボラ‣メドウ、ジェシカ・フェーガン等、多くのティーチャー達から指導をうける。特にシャー・ピアスの国内でのワークショップのコーディネート、オーガナイズを担当。2012年から2016年の間、シャーピアスを中心とするエサレン®ボディワークの資格認定コースをオーガナイズする。

2011年、NPO法人タッチケア支援センターを設立し、エサレン®ボディワークの”気づき”あるタッチを、看護・介護・家族間ケアで活躍しやすい”タッチケア”の形で普及・教育・ボランティア活動を展開する。高齢者施設・産科病棟・緩和ケア病棟・がん患者会等でタッチケアの施術を実践する。また、自分自身にふれて、自身への気づきと癒しを深める”セルフタッチング”ワークを考案し、就労支援センター、地域活動支援センター等で展開。

著書
2021年には、タッチ研究の第一人者、桜美林大学教授の山口創氏とともに「オトナ女子のおうちセルフケア」を共著で発刊。(2022年12月、
2022年 「みんなのセルフタッチング」を日貿出版社より発刊。

兵庫県生まれ。関西学院大学文学部美学科卒業。元予備校日本史講師。2004年から続ける個人ブログ「レイライン通信」。
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# by reiko-koyago | 2024-03-19 14:35

エサレン®ボディワーカーでNPO法人タッチケア支援センター代表理事の中川れい子(旧こやごれーこ)の個人ブログです。2003年から、エサレンやソマティクス、ボディワークや癒し、聖地巡礼、社会問題の徒然を気ままに綴り続けています。Soumyaは”月の女神”をあらわす私のホーリーネイム。


by reiko-koyago