阪神淡路大震災 四半世紀+1年(私的回想)
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オンライン・タロット・カード・セッション ~ナラティブと象徴の癒し~
78 枚の絵が語りかけるスピリチュアル・ジャーニー
コロナ・リトリート構想 ~3月17日に書いたファンタジーを振り返ってみる~
3月17日にFacebookで書いた私の投稿を、レイライン通信ににアップしたくなりました。
このころは、まだまだ、全然、日本社会でPCR検査が広がらなかった時期(オリンピックの延期も決まってなかった)
諸外国に比べて圧倒的に少ない日本のPCR検査数。日本にはそういう技術がないのか?と思っていたら、千葉県の企業が、全自動PCR検査装置を開発し、海外ではひっぱりだこらしい。フランスでは無料でPCR検査が受けれるようになったらしく、この企業に感謝状が届いたとか。https://www.tbsradio.jp/490799
なんだ、できるんじゃない。じゃあ、なぜ、日本では検査が広がらなかったのか?? PCR検査抑制政策という、日本の国策について、いろいろと思いをめぐらしながら、日本社会独特の体質のようなものを感じてしまう。
下記、3月17日の段階で「近い将来、簡単に陰性か、陽性か」がチェックできるようになったら?という仮定で、書いたファンタジーです。
題して、コロナ・リトリート構想。
***
ちょっと、夢のようなファンタジーを書きます。こんな大変な時に、、、と思われるかもしれませんが、想像するのは自由なので^^。
新型コロナウイルスについて。近い将来、簡単に陰性か陽性かがチェックできるシステムが出来たら、陽性者はもちろん、仕事を休む。外に出歩かず、自宅待機。その時、会社や国からお休みしている間の手当はもちろん保障される。
自宅に家族がいてて、家庭内感染が気になる場合は、各自治体ごとに隔離施設が用意されていてそこで過ごす。(重傷者は、感染病専門の病院へ)
隔離施設というのは、名ばかりで、内容は実は「リトリート・センター」。まぁ、リトリートという言葉に「街から離れて隠れて暮らす」という意味があるので、ほぼ同じようなものでしょう。もちろん、無料。隔離施設とはよばず、回復センターと呼んでもよいかもしれません。(追記:あとで知りましたが、韓国では生活治療センターというらしい)
陽性の方が、社会復帰したのちの社会的偏見がおこらないように、あるいは精神的ダメージが残らないように、とても環境の良い施設で滞在してもらう。免疫力を上げるために、食べ物はオーガニックな素材を使った栄養バランスのいい食事。適度な運動もプログラムに入れる(ヨガや、瞑想、マインドフルネスも) 各個室には、パソコンがあり、外部とのつながりは遠隔で保ち、会議等にも参加できる。音楽も、映画も観れる。環境も、色や採光などにも気を付けた心地の良い空間にする。
社会の中では、陰性と確認された人ばかりが中心となるので、必要以上のイベントの自粛や、集まりの規制等は徐々に緩くなり、都市のコミュニケーション機能は回復する。美味しいものを食べにレストランにいってもOK。しかし、免疫が下がると感染しやすくなるので、社会全体的な仕事量や、社会のストレスは緩和し、免疫をあげながら生活することが基本となる。経済システムもそれに合わせて改革していく。
換気の悪い空間や、満員電車なども、改善される。
人と人との距離や境界線を大切にすることが社会では常識となり、人と出会うときは、咳エチケットなど、気を付けて、かかわり全般のコミュニケーションに”気づき”をもつ。そのために、日々の瞑想なども奨励されるようになる。
呼吸器に障害が起こりやすいので、呼吸に対する意識改善も社会全体がおこなっていく。社会全体が、未病のための、ホリスティックな健康感がベースとなっていく。仕事も、テレワークやソーホーが中心となり、無駄にオフィスに行くことは減っていく。
でも、人と人との交流は大切なので、陰性であることが確認された人は、これまでどおり、交流していく。
もしも、陽性であることが判明しても、
「じゃあ、ちょっと、休憩してくるね、、、」と、
笑顔で隔離施設という名のリトリート&回復センターに2週間ほど滞在する。その時かかわった人も、念のため検査をして、もしも陽性なら
「こういうのって、お互い様だからね^^」
「私もちょうどお休みが必要となったタイミングなのよ」と、
笑顔でリトリートセンターに行く。お年寄りの場合は、念のため医療設備の整った病院に行き、肺炎がおこらないように丁寧に見守る。
PCR検査をすると、医療崩壊がおこる・・という議論がありますが、医療的サポートは重傷者のみにして、軽症の方や症状のない方に対しては、地域の隔離型リトリートセンターで2週間過ごしてもらえば、良いワケですね。目に見えない恐怖におびえて萎縮するよりも、このほうが私にはスッキリするように思うのですが。
ちょっとしたことで、感染しやすい、この新型コロナウイルス。長い目でみて、共存していくための、都市スタイルを、ちょっと想像してみました。
ちなみに、タッチケアの行方は?と想像したのですが、社会全体に、どうしても”触れ合い”が減っていくでしょうから、家庭内や、信頼できる施術者から定期的にタッチを受ける・・・というのは、補完的に継続していくのではないか?と想像しています。とはいえ、淘汰は起こるでしょうが。やみくもに「触れたら危険」というのではなく、「やみくもに触れる」という在り方を改善すればよいだけのことだと(そのためには、施術者の質の向上が必要ですが。感染症への知識は必須となりますね。)
他にも、何か良い案があるかもしれません。
ポジティブな要素に目を向けて、もうちょっと夢を描いてみましょう。
写真は、とりあえず、もうすぐ桜のシーズなので^^。
***
追記(6月29日)
検査に対する抵抗感として、やはり、隔離されることの恐れが、日本社会には大きいのではないか?と想像します。
村八分的な、社会からのバッシングや、伝統的な「ケガレ」意識による、感染者へのバッシング。
数値を明らかにせず、隠蔽や改竄をおこなう政治的体質から、感染者数を明らかにしたがらない傾向もあったのかもしれません。
(なんといっても、オリンピックもありましたし)
私自身の活動として見てみれば、今、いくつかのタッチケア活動を引き続き自粛しておりますが(高齢者施設・緩和ケア病棟・がん患者会等)、施術者がPCR検査を安価に気楽に受けれたら、以前のように再開できるわけなのです。個人的にも、高齢者施設に入居している母とも長い間会っていませんが、母に会う前に、検査をして陰性なら安心して会えるわけですし。もちろん、100%の確率ではないでしょうが、何もかもを警戒して、面会しないままのほうが、高齢者の方の認知症の進展など、問題点が多いのではないでしょうか)
検査ー隔離政策を行うならば、差別や偏見を乗り越える必要があります。
コロナ対策で国民の政府への満足度一位のベトナムでは、隔離政策を徹底した上で、感染者への差別を行った場合は、法律で罰されるそうです。
それぐらいの、人権への配慮の、強い意志が必要でしょうが、事実を明らかにしながら、科学的な姿勢で、偏見を乗り越えながら、他人事と思わず思いやりをもつことで、社会全体が成熟する良いチャンスなのではないかとも思います。
それと、定期的に、仕事を休み、日常から離れることが、社会に定着するのも、良いのでは?
そのうち、年に二回ぐらい、コロナで陽性になって、じっくり無料で、仕事を休める・・・というのが当たり前の社会がやってくるかもしれません^^。日常から離れてみることは大切だし、誰もが、そういう立場になりうることを、わかちあうのも、とても良いと思います。現に、私は、20年程前に、瞑想リトリートにのめりこんでいた頃は、だいたいそれぐらいのペースで、定期的に1~2週間ほど、リトリートに参加して、静かに自分自身の内側を感じる時間をもつようにしていました。それはもう、とても、素晴らしい時間だったのです。
さて、次の、三か月後は、どうなっているでしょうか?

2021年1月~2月 個人セッション日程(東京&関西)
*カウンセリング (ご希望の方は、タロットカードも)
約30分
*CES 療法(アルファ・スティム)による、リラクセーション
頭蓋電気刺激療法、米国製のαースティムを使用し人体に害のない超微電流を流すことで、リラクセーションを促す機器です。脳波をアルファ派へと促し、セロトニンを誘発することが研究で明らかになり、無害で副作用もありません。また、フットバス(足湯)を行うことで、循環を高めると同時に、グランディングを促します。
詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
http://resilience-j.org/ces.html
約20分
*エサレン®ボディワーク
米国カリフォルニア州、エサレン研究所で開発された、全身のオイルトリートメント。
波のリズム、ゆっくりとした気づきある動き、呼吸への注目、立体的なマッサージテクニック、エナジーワーク等、様々なメソッドが融合された、ボディ&マインド&スピリットの統合へとむかう、リラクセーション効果の高いボディワークです。約100分
https://ws.formzu.net/mfgen/S27134092/(携帯)
*フォームが機能しない場合は、こちらにご連絡ください。
メール touchandhealing121*gmail.com (*を@に代えてください)
電話 09019663819
*お熱や咳のある方、ご体調に不安のある方は、ご遠慮ください。
*心身上の問題で、特に考慮することがあれば、事前にお知らせください。
*メールでのやりとりや、当日での面談で得た個人情報は守秘義務を守ります。
*キャンセルの場合は、必ず事前にお知らせください。
このようなお悩みの方に、おすすめです。
コロナ徒然② ”なぜ日本は検査抑制策をとったのか?”の推定理由の覚書。
4月8日。今日から緊急事態宣言下での外出自粛が本格化していて、個人が出来ることは粛々と感染リスクを下げる努力を尽くすことだと思うのですが(と共に、自粛に伴う補償問題も注視したい)、思考停止になることは避けたいので、自分自身の頭の中の整理の意味で、どうしても気になっている「なぜ、日本は諸外国に比べて検査数が少ないのか?」という理由について、まだ記憶が新しい段階で、思いつくままに列挙してみたいと思います(これは、なぜ日本は諸外国に比べて緊急事態宣言が出されるのが遅かったのか?と、少し関連するかと思うのですが)。
もちろん、私は専門家ではないので、知識も情報も限られています。一般庶民レベルでの聞きかじりレベルでの情報を、あくまで個人的なブレインストーミングとして整理していることをご了承ください。情報や認識に修正が必要な面もあるかもしれませんので、ご意見があればお気軽にどうぞ(なお、検査というのは、日本でも一般的に知られているPCR検査を指しています)
推定理由その1
東京オリンピックの開催が7月に控えていた手前、陽性感染者「数」が増えることを恐れたから。
(これはおそらく、最大の理由ではないかと思うのですが。このタイミングの不運さは、後の歴史でどのように振りかえられるのか・・・)
推定理由その2
そもそも、日本には検査キット数が不足していて、検査能力そのものが潜在的に低かった。
推定理由その3
検査の際に、検査する人が感染リスクを負ってしまう。それに付随して、検査技師が着用する防護服の不足も問題
推定理由その4
そもそも、日本は遺伝子検査を解析する技術が低い。
(PCR検査は、遺伝子を解析する検査なのですね。もともと日本の医学界は苦手であったという説)
推定理由その5
PCR検査そのものが、偽陰性や偽陽性が出やすいので、やっても仕方がない
(これは、精度の%のデータを示していただきたいところです。8割・9割以上の精度があるのなら、やってみる価値はあったのではないでしょうか?)
推定理由その6
検査してほしい人が殺到して、その場所があらたなクラスター発生源となってしまう。
(これについては、やはり、検査の際は、韓国や諸外国のように、ドライブスルー、ウォークスルー検査の体制が必要となりますね)
推定理由その7
陽性者が大勢、病院に入院すると医療崩壊がおこる。
(この理由が、おそらく、検査に反対される方の最大の理由ではないかと思うのですが。これは、陽性であっても、軽症者・無症状者は、借り上げホテル等で過ごす政策に、今変更しつつありますので、徐々に解決するのでしょう。素朴に考えると、陽性者が何処にいるかがわからないまま市中感染を広げるほうが、潜在的な感染者を増やして、数週間後の医療崩壊につながっていくことになりかねないと思うのですが・・)
推定理由 その8
なんといっても、死者数が少ない。死者数が少ないので、それほど感染していないのだろうと推測。
(これは、日本の医療体制の優れた点だとは思います。日本は感染者数も死者数も少ない、うまく新型コロナウイルスを封じ込めた国であるという国際評価もあるようですが、最近は、他に肺炎で亡くなった方を検査していないので、もしかしたら、新型コロナウイルスの肺炎で亡くなった方の数はもっと多いのでは?という声も出始めていますが。。)
推定理由 その9
そもそも日本人は、衛生観念が高く、手洗いやマスク着用等の意識が浸透しているので、クラスター周辺だけ検査をするだけで、十分だろうという考え。
(衛生観念の高さは、ある程度、日本の特性として評価できると思います。マスクを着ける習慣も、花粉症等から、数年前から浸透していました。が、クラスター対策だけではもはや感染経路が追えなくなったと、クラスター対策班の方が、数日前に敗北宣言をされていたのでが気になるのですが・・・)
推定理由 その10
ただ単に、検査政策を大々的に実行している韓国の真似をしたくない。
(これは、いわゆる嫌韓論者に多いメンタルかもしれません。韓国は、2月24日に緊急事態宣言を発令し、全土にドライブスルー検査や、最近ではウォークスルー検査も広がっています。軽症者の隔離施設は、民間のリゾートホテルを借り上げ、生活治療センターとして運営していて、一定の結果が出て、国際的な評価を受けています。現在は、検査キットの生産も進んでいるとのこと。もうすぐ大統領選挙なので、国民へのアピールもあったかもしれませんが)韓国と日本の検査数の違い、政策の違いはこちらのブログに詳しいです。
推定理由 その11
日本はアジアとのつながり意識が低い。
(中国・武漢で発生した新型コロナウイルスは、香港・台湾・シンガポール・韓国と、、周辺地域に広がっていきましたが、こうした国々は、かつてSARSやMARSの感染拡大も懸念された経験があるので、感染症対策は国策として定着しており、対応が迅速で、かつ具体的でした。が、日本は、その間、オリンピック開催かどうかにばかり意識がいっていた。結果、中国からではなく、世界を一周まわって、ヨーロッパやアメリカの感染拡大が問題化してから、日本での問題意識も本格化した(ちょうど、オリンピック延期が決まった時期と重なりますが)。100年前の「脱亜入欧」の名残も連想します)
推定理由 その12
もともと、日本の政府そのものが、隠蔽・改ざん・統計データを無視するような性質があったので、あえて積極的に検査をしないことで、感染者「数」をごまかす作戦。
(もっともそうであってほしくない理由ですが、時を同じくして、森友問題、財務省文書改竄で自死された元財務相職員、赤木俊夫さんの遺書が公開されて問題が再燃したというのも、根っこのところで、こうした日本政府の体質が繋がりあっていることも暗示されていたり)
推定理由 その13
日本人の多くが「あまり、ものごとを明らかにしたくない」というメンタリティをもっている。
(政府の方針だけではなく、日本人一人一人が、なるべく、自分が陽性か陰性であるかについて、できれば、蓋をしておきたいのでは? 真実(客観的なデータ)を見せようとしない政府と、見ようとしない国民の「蜜月」はいつまで続くのでしょうか・・・)
推定理由 その14
そもそも症状が出てきて検査を望んでも、簡単には検査してもらえないので検査にまで行きつけないし、あきらめてしまう。
(主治医からも、保健所からも、検査をしてもらうまでに導いてもらえない。それに、保健所の受付は人員不足でパンクしてしまっています。結局、かなり時間と労力がかかるため、少々の自覚症状でも家で我慢してじっとしている(熱が出ても4日は自宅待機が、政府の方針ですし)。必死の思いで検査を受けても、根掘り葉掘り個人的なことを聞かれて、もし陽性だったら自分自身は隔離で、仕事は中止、くわえて、接触のあった方々や機関にも迷惑がかかってしまうし、下手すると世間から白い目で見られる。だったら、なるべく、検査せずに、ギリギリまで自力で頑張ろう、、、というのが人情。と、言ってるあいだに、重症化して手遅れになるかもしれないし、その間に、感染を拡大してしまうかもしれないのですが・・・)
推定理由 その15
検査論争が、イデオロギー(政治思想)対立になってしまい、タブーと忖度を生み出した。
(PCR検査ができるのに、なぜやらないのか?と、最初に論争になったのが、テレ朝のモーニングショーの番組内でしたが、そこで「PCR検査神話」として、巨大なバッシング運動が起こり、検査を語ることがタブーのような空気感がおきてしまったようです。同時に、様々な機関で一種の”忖度”が起きてしまったという推論。ざっくりとした私観による図式で恐縮ですが・・・<保守(与党支持)=オリンピック推進派=検査反対論者=科学的データ懐疑主義=歴史修正主義(神国日本・親米・反共・嫌韓)>と<革新(野党支持)=オリンピック懐疑論=検査積極論者=科学的データ重視主義=客観的歴史主義(アジアの中の日本)>という対立を起こしてしまい、国民の命と健康守るという問題の本質をこじらせてしまった・・・)
推定理由 その16
日本人は、すでに集団免疫をもっている!新型コロナウイルスが武漢で発生したのは昨年の11月だと言われていますが、その直後に、すでに日本には到来していて、そのころからすでに日本人は免疫を保有していたという説。
(希望的観測としてはとても嬉しい情報ですが、もうちょっとエビデンスが欲しいところです。免疫検査キットはPCR検査よりも安価で簡単にできるらしいので、これこそ国をあげて検査してみてはどうでしょうか? また、日本人の多くが受けているBCGも効果があったのでは?という説もありますが、さて?)
推定理由 その17
神国日本は守られている!
(幻想であるのは言うまでもありませんが、これは「島国根性」と言い換えても良いのかもしれません。実際、元寇の時は「神風が吹いた」と言われていますが、ようするに、日本が海に囲まれていて、台風の時期であっただけ。ヨーロッパやアメリカにも伝播してるのですから、島国であることは、今回のウイルスにはあまり関係はありません。ノーベル医学賞・生理学賞の、京都大学IPS細胞研究所の山中伸弥教授がおっしゃるように「日本だけが特別だとは思えない」というのが、科学的な姿勢というものでしょう)
以上、思いつくままに、17、挙げてみました。
まだまだ、他にもあるかもしれませんので、ご意見やご感想も大歓迎です。
まぁ、今更、検査しても間に合わないし(医療や福祉現場だけでも、今からでも検査していただきたとは思いますが)、過ぎ去ったことを悔やんでも仕方がないし、現場は現場で一生懸命やってるので、批判しても邪魔なだけという考え方もありますが、感染問題はこれからも到来するかもしれませんので、「批判すること」を批判するという思考停止に陥らないためにも、今のこの時期、思い出せなくなってしまう前に、書き留めてみました。 2020年 4月8日 中川れい子
写真は、明治神宮、北側の池。
コロナ徒然① 生きる意味/暗黙知 /<病い>を捉えなおす
心のケアから”品格ある社会”へ(25年目の阪神淡路大震災)
阪神淡路大震災の時に被災者の心のケアに関わりその後の被災地での心のケアに道筋を遺した精神科医師の安克昌さんのことが、昨日のEテレ「心の時代」で特集されていました。https://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2020-03-01/31/10506/2008361/

ディレクターさんが選んだテーマだと思いますが、冒頭で登場した安先生ご自身のこの言葉は、震災後25年目にしてほんと重要だと思います。発掘してくださったNHKに感謝。
心のケアを最大限に拡張すれば
それは住民が尊重される社会を
作ることになるのではないか。
それは社会の「品格」に
かかわる問題だと私は思った。

25年前を振り返ります。実際にこの当時には「心のケア」や「心の傷を癒す」という言葉はほとんど活用されていませんでした。心がずたずたに傷ついているのは当たり前で、まず生活をなんとかしなければいけなかった。。。しかし、命からがら生き延びて、避難所に行き、そして、仮設住宅、公営住宅へと住宅が復興していく中で、傷ついた心をなおざりにしていたことから、多くの被災者が心と身体を病み、がんや心臓病、高血圧、うつ病、アルコール依存症、そして孤独死へと追いやられていったという問題が残りました。
震災復興には、被災者一人一人に、とてつもない我慢と忍耐と抑圧が強いられます。その間に、心を病む人はとても多い。そのことが、せっかく地震そのものからは助かった命なの、擦り切れるように追いつめられてしまう。そのことを示したのが阪神淡路大震災だったと思うのですが、その後の東日本大震災を含む大災害に、この時の教訓がどれほど活かされていったのかなぁ?と疑問に思うことがあります。
が、こうして、安克昌先生の足跡と言葉が遺されたことで、これから、もっと改善されていくだろうと思いますし、実際に、東日本大震災の際でも、圧倒的に臨床心理士さんや心療内科医師、災害看護、そして、私達がかかわってきた、タッチケアや、アロマ等の身体的な心のケア、トラウマワークも増えていったのを見ると、一定の成長は見つけられるのかなぁとも思います。
ここで、とても大切なことは、「心のケア」とは何かというと、心を大切にするということなのですが、すなわち、それは住民一人一人を大切にしていこうという、社会のこれからの在り方の方向性を示しているということです。復興というものは、一人一人の心等にはかまっていられないほど、残酷で暴力的なものでもありますが、
だからこそ、その一人一人の心を尊重するということは、社会の在り方としてあきらめてはいけない獲得課題。
で、、、。今回のテーマは、一歩進んで、
「社会の品格」

安先生の弟さんが、少しコメントをされてましたが、この「品格」という言葉には、そうではない社会への一種の怒りがこめられているのではないか・・・とおっしゃってたのですが、それは、私も、激しく共感するものがあります。
怒りというのか、皮肉というのか、逆説的な意味での「品格」なのだろうと。それは、いわゆる震災弱者といわれる、高齢者・障害者・外国人・・・の存在を排斥する形での復興を想像したからです。この町は、そういう排除を、ひそかに品性としてあがめるような質がある。それは、私自身の疑心暗鬼でもあるのですが。
見えないようにして、手を差し伸べない。
見た目だけを綺麗にする、近代的な都市。
そういうふうに復興した阪神間の街を
「品格ある街」とするようなベクトルもあったのです。
そうではない方向を一人一人の心を大切にするという視点で示し、心のケアを拡張した向こう側を「社会の品格」として道筋を示したのが、今回、安克昌先生が遺された言葉や活動から発掘されたことなのかなぁと思える特集でした(こういう「品格」という言葉の使い方は司馬遼太郎さんもよく使っておられましたね)
安克昌先生。
世代的にはほぼ同じなのですが、コミックやジャズピアノが趣味でらしたのが、思わず共感してしまいました^^。医師ではなく、作家になりたかったのですね。
在日韓国人でらしたという生い立ちも番組では取り上げられていましたが、震災復興では、私は本当に多くのご自身も被災し、震災復興のために奔走した在日として生まれ育った方達とご一緒に活動し、その方達のことを思い出しました。地震による破壊で、文字通り壁が壊れて、垣根が取り払われ、立場も国も民族も超えていった瞬間に、そこに「コミュニティ(地域)」の本来の姿が浮上した瞬間でした。

安先生ご自身も、阪神淡路大震災以前は、コミュニティということを深く考えたことはなかったと、生前の古いインタビュー映像で語っておられましたが、実は、私自身もそうでした。「地域・コミュニティ」とは、同じ大地の上に共に暮らす人々で、そこには、一人一人のいのちの尊厳が、横並びでつながっているフィールドであることに、地震によって気づかされたのです。
阪神淡路大震災を通じて、大きな破壊と犠牲の上に、「地域・コミュニティ」という新大陸が浮上していった。それは、25年前、阪神淡路大震災の直後に観た、私の祈りのようなビジョン・夢でもありましたが、この夢を、実は多くの方達が共有していたことを今は、確信しています。
あの時、何かに突き挙げられるかのように、震災復興のために疾走した方達の多くが、命を燃えつくしたかのように、亡くなっていかれた方がどれほどに大勢おられるのか(安先生のように)も振り返りました。
同じ思いを、共に手を取り協力しあえば、素晴らしい町となったのでしょうが、その当時は、本当に、みんな必死で、それどころではありませんでした。
時間によって熟成されていくのが必要なのでしょう。
故人の方達が観た”夢”が、引き継がれていきますように。
あの時、この町の破壊と死と再生を、生で見て、体験したことを、私の場合は、触れる手を通じて、伝えていきたいと願いました。
震災で出会った人達のことを。
少し語り始めてみようと思います。


エサレン®ボディワーカー、amana space &NPO法人タッチケア支援センター代表の中川れい子(旧:こやごれーこ)メッセージブログです。お問い合わせは mail@amanaspace.com 。 HP http://www.amanaspace.com/ http://touchcaresupport.com/
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