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レイライン通信 - Soumya 中川れい子の日々を伝えるblog rayline.exblog.jp

エサレン®ボディワーカーでNPO法人タッチケア支援センター代表理事の中川れい子(旧こやごれーこ)の個人ブログです。2003年から、癒しのことを、旅のこと、聖地巡礼、社会問題の徒然を気ままに綴り続けたブログ。


by reiko-koyago

4泊5日、岩手県と青森の旅。

岩手県では花巻を中心に、宮沢賢治と、アラハバキ、瀬織津姫ゆかりの早池峰山と早池峰神社をお参りしました。驚くほど濃密で、何もかもがぴたーっと符号があるかのような、素晴らしい旅でした。2023年、東北の旅、イーハトーブ編は、またあらためて。岩手県から、後半は、青森県へ。目的は、本州北端、下北半島の霊山、恐山へのおまいりです。

実は、恐山には40年ぶりで二度目。八戸で借りたレンタカーを友人たちが、ぐんぐん北へとドライブしてくれました。むつ湾沿いを、北上していきます。40年前は、電車で北上したものです。まずは、40年前の、恐山の旅を振り返らせてください。

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40年前の恐山・・・。

40年前というのは、二十歳の時で大学生でした。学生同士の仲間と一緒に廻った青森県の旅。目的は、弘前・青森のねぶた祭。大学の文化総部という、大学祭のロックコンサートの企画でつながった仲間同士。日本のロックの源流に“ねぶた”を感じたという、今から思えばなかなか“文化”的な発想だったと思います^^。実際、青森で“踊った”、ねぶた祭は、圧巻でした(実は、夜行列車が弘前についたとたん、高熱を出してダウン。そのあと、復活して青森では、高熱後の半ば変性意識状態で、青森のねぶた祭では真夜中まで踊りまくっていたのです。若いってすごいことですね)

まぁ、とにかく、当時の私には、“青森”に不思議なあこがれがあったのです。縄文や、棟方志功、矢野顕子や三上寛、そして太宰治の故郷・・・。

ねぶた祭のあとの旅は、特に何も決めてませんでした。5人が5人、呑気だったのです。じゃあ、次は何処に行こうか?

なんとなく、では“恐山”へ。。。


どうして恐山だったのかな?と思い返すと、最近、鎌田東二先生と恐山の住職で禅僧の南直哉住職の対談を読んで思い出したのですが、今から思うと、寺山修二さんへの憧憬と追悼があったのかもしれません。アングラ演劇家であり、詩人であり、映画監督であり、「書を捨てよ町に出よう」の著者である寺山修二。遅れてやってきた私たちの世代にとってもあこがれの人でした。そして、青森出身で、三沢で青年時代を過ごした寺山修二の映像や演劇には、恐山をモチーフにした、白く、透明な光景が印象的的だったのです。(ところで、帰りの車、三沢のあたりで、寺山修二記念館というサインを見つけました。https://www.terayamaworld.com/museum.html また行かなくちゃ!)


その寺山修二が、1983年の5月、突然、亡くなったという・・・。47歳の若さです。訃報を聞いたときは、驚きました。なんだか、置いてきぼりにされたような気持ちになりました。70年代は、もう帰ってはこないのか。。。


私たちが青森を旅したのは、1983年の夏休み。今から思うと寺山修二がなくなって数か月のこと。でも、特に、寺山修二を追悼する旅だったわけではありません。二十歳のころはまだ、“追悼”や“鎮魂”なんて理解できてはいなかったのです。なんとなく、じゃあ、恐山に行こう・・・と。学生らしい、好奇心にすぎません。

下北半島を北上する電車は、見たことのない東国の木々の緑のトンネルを抜けるかのようでした。ああ、なんて遠いところに来てしまったのだろう・・・このまま、私は、何処にいってしまうのだろう??というあの時に胸に抱いた感情は、今でも思い出します。二十歳のころ。まさに、この先、自分はいったい、どこに向かっているのかが何もわからず、ただ心のままに、ロックや演劇や映画や文学に没入していた“親不孝娘一直線”なころ。

まだ“聖地”という言葉も知らない頃だったのに、本州最北端の最果ての巡礼地、“恐山”を訪れたのです。そこは、東北では“死者”と出会える地といわれ、この世とあの世の境目の地。硫黄の香りと、とてつもない“静けさ”が、空気に溶け込んでいる地でした。あの頃の私は、身近な人が亡くなった経験はあまりなかったのですが、もしかすると、寺山修二さんに会いたかったのかもしれません。あるいは、4歳で小児がんで亡くなった従妹の娘さん。私が小学生のころです。あまりにも可愛い女の子で、その死がショックすぎて受け止めれなかったのを思い出します。


ところで、恐山には、宇曽利湖という美しいカルデラ湖があります。

硫黄が沸いているので、生き物はほとんど棲むことができません。水は、青く透き通り、波紋が繊細です。対岸には、宇曽利山が見え、人を寄せつけない森が広がっています。


そして、砂浜が“白い”のです。

極楽浜と呼ばれています。

ところどころに、亡き人を思う石を積んだ塔と、小さい子供を亡くした方がおいていった風車があります。これは、まさに、寺山修二の描いた世界そのものでした。

白く、青く、透明な。

”あのよ”の風景でした。

不思議と怖いとは思わなかったのは、湖の底からも沸きあがる温泉が水を温かく、そして、地熱のせいか、砂浜も温かいのです。

まだ、静けさに慣れていない頃だったけど、生まれてはじめて、静けさが心地よく、平和だと感じたのはこの恐山でした。

最初は、足をつけていただけでしたが、だんだんと、湖の奥へと進み、ついに身体全部がつかり、服がびしょびしょに濡れてしまいました。えい、もういいやと、服を着たまま、宇曽利湖で、泳いでしまったのです。しかも、ワンピースで!寺山修二の映像世界に入り込んだかのようでした。岸から離れて、ずっと泳いでいきたい衝動にもかられましたが、なんとか抑えることができました。湖の水はあたたかく、やさしく、キラキラしていて、これが浄土というのか、ほんとうに許されているのを感じました(たぶん、ここは、遊泳禁止だと思うので真似しないでくださいね。40年も昔の二十歳のころのことです)


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そのあとの旅の続きは、あまり覚えていません。そして、私の人生は、その後、想像もしていなかった方向へと向かいました。漆黒の向こう側の光へと潜りゆき、駆け抜けなければいけないと、どこかで心が決めてしまっていたかのよう。そして、“聖地”という言葉とはまったく無縁な日々が過ていきました。

今振り返ってみると、“恐山”は、私にとっての最初の“聖地”体験であり、そして、特別な聖地であったようです。その後、様々な聖地を訪れましたが、私にとって恐山は“一級聖地”であり続けました。なので、いつか再び、訪れたいと思っていたのです。ついに還暦を迎えた40年ぶりにその機会が訪れました。いやぁ、ほんとうに遠い^^。あらためて、なかなか行けるところではないことが、よくわかりました。今回は、青森出身のユキさんと、北海道出身のケイコさんという力強い仲間とともに、お二人にレンタカーを運転していただいて訪れることができたのです。


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恐山というと、「恐い」イメージがどうしても付きまといますが、”おそれ”は「宇曽利(うそり)」が語源で、それはアイヌ語で「湾」という意味があると、鎌田東二先生の著書にもあります。ただ、うっそうとした山々の森の中に忽然とあらわれる硫黄の香りと透明な湖、その湖を囲むような山々(蓮華に例えられたそうです)光景は、だれが見ても“彼の世”や“浄土”を連想せずにはいられなかったでしょう。

青森には、沖縄のユタのように、“イタコ”という女性の霊媒師がいて、亡くなった方の言葉を伝えてくれるらしく、毎年夏の大祭の時には恐山にも集まるそうですが、恐山の寺院とは無関係だそうです。しかし、あの地にいけば、亡くなった方に語りかけたく、自然となっていくでしょう。

伝承によれば、1200年前に慈覚大師(円仁)が開いたと言われ、もともとは天台宗だったそうです。本尊は“地蔵菩薩”。のちに、曹洞宗となり、今に続いています。高野山・比叡山、とともに日本三大霊山(霊場)の一つとも呼ばれているそうです。江戸時代の鉈彫りの仏師、円空もここを訪れています。

もともとの民間信仰で、「死ねば、お山にいく」という、東北の人々の故人の面影を偲ぶ思いが、やさしく受け止められている。そういうお山だったのでしょう。  


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今回、私たちのレンタカーは、午後4時すぎに到着しました。少し、霧がかかっていて、あいにくの曇り空。今回は、こちらの宿坊「吉祥閣」で泊まります。

夕飯までに、まずは「宇曽利湖」へ。

夏至前の、日の長い一日でよかったです。

(結局、私たちは、ついた日の夕方と、翌日の早朝と、帰る間際と、3回、極楽浜を訪れ、瞑想しました。他の二人も、ここを気に入ってくれたようで、うれしかったです)

40年ぶりの極楽浜。

そして、宇曽利湖。

やはり、同じように

ひたすらに静かで

透明で、そして、あたたかい。

きらびやかではなく、

ただ白く、そして、やさしい聖地でした。

この安らかさはなんだろう?

頭の中のノイズが消えていき

心の中の忙しさがすっと落ち着くような。

おそれの向こう側にある彼岸。

40年前の大学生だった私は、

亡き人を思うことはありませんでしたが、

今の私は、大勢の、すでに旅だっていった家族や友人たちのことを

ここで思い浮かべることができました。

そして、語り掛けることも。。。

ちょうど、数週間ほど前に旅立った方のことを

まず、思い浮かべることに。

(くしきも40年前にご縁だった方です)

そして、父のことや、叔母や叔父のこと。

自死した友人たち。

40年前の私には想像もできなかった

死者との対話。

死んでからの魂がこのような地にたどり着くのならば

私たちは、大切な人の死も、自分自身の死もまた、

受け入れていけるのかもしれない。


まるで、神様や仏様が作ったかのような

自然が生みだした、恐山という聖地。


死んだ人間だけでなく、

生きている私たちも温泉につかり

病や疲れをいやすこともできる

心と体と魂の癒しの聖地。


極楽浜には、“風車”をたくさん見かけます。

風が吹くと、くるくると回り続ける。

どなたか、小さなお子さんを亡くした方が

風車を残して、死んだ子を供養する風習がここにはあります。

小さな命が、風となって

この恐山の、湖や木々や砂へと

溶け込んでいく。

そんな知恵を私たちは必要としているのかもしれない。

この、最果ての地にまでたどり着き

大切な人を失った悲しみ(悲嘆・グリーフ)を、

慟哭とともにあけはなっていく供養を

古代から時代を超えて、

受け継がれていったのでしょう。


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今回は、展望台から見渡すことはできませんでしたが、

宇曽利湖は、上からみるとハートの形をしているそうです。

とても、とても、悲しいとき、

私たちは、白く、青く、透明なものに

心が向かっていくのかもしれません。

白と青と緑の

蓮華のお椀のようなカルデラに

硫黄の香りが広がる恐山は、

おそらくは、私たちの悲しみを癒す

ハートの聖地だったのでしょう。

翌日の朝、私たち三人は、

父方・母方の先祖供養をお願いしました。

父から、母から悠久の日々を受け継いできた

“いのち”に感謝するために。

立派な卒塔婆もつくってくださいました。


そのあと、あの、曇りっぱなしの恐山が、

一瞬、晴れていったのです!

宇曽利山が、きれいに見えました。


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まるで天に祈りがつながったかのように感じたので、

もう一度、急いで、極楽浜にいきました。

ついた日に一度、翌日の早朝と、帰る間際に2度。

計、3回も、極楽浜で瞑想しました。

なんて、物好きな私たち^^。


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そのあと、恐山をあとにして、

下北半島を下っていきました。

途中、六ケ所村の周辺を車を走らせてくれました。

40年前の旅では、なかったもの。

そう、、、下北半島には、原子力発電所の

使用済み核燃料が集められて再処理される

六ケ所村再処理工場が1993年より建設が進められて

稼働も、開始しています。

下北半島には、風力発電の風車や、

太陽光パネルがひしめいていました。

電力会社が、土地を買っていったのでしょうか?

ここで発電される電力のほとんどは東京へと送られるのでしょう。


40年前の私は、ここが核のゴミの集まる地となるとは

思いもよりませんでした。

さらに、車が南へ向かうと、三沢が。

米軍基地と飛行場の地です。

そこに、ふっと「寺山修二記念館」という看板をみかけました。

ああ、もう一度、下北半島にこなければ。

レンタカーは、八戸へ。

八食センターという、市場に連れていっていただいて、

八戸の海鮮料理をいただいて、

八戸から新幹線にのって解散。

あああ、、、なんという45日だったのでしょう。

花巻、宮沢賢治、大沢温泉、ジブリ

そして、早池峰山と早池峰神社。

岩手から、青森へ。

まだまだ、語りつくせませんが、

ゆっくりと、書き残していこうと思います。



追記 1

とても、神聖な気持ちになる場所ではありますが、

関西弁ばりばりのお坊様と出会い、

私たちは、思いっきり、笑い会いました。

下北半島の最果ての地で出会った関西弁はすごかったー。

追記2 

関西弁のお坊さんと一緒に、談笑している最中に地震が!

恐山は、地盤が固いので、めったな地震では揺れないらしい。

震源地は、北海道。

ケイコさんの実家なので急いで安否確認。

(ちなみに、携帯の電波はほぼつながりません^^)

追記3

恐山のユニークなところは、お寺の境内に温泉小屋があるところ。

今回は、女子風呂2か所と混浴1か所を制覇。

宿坊の中にも、内湯があり、とても立派でした。

ちなみに、私は、硫黄が肌にあわないので、

40年前と同じように、翌日に発疹が。

なにもかも、かわりませんー。

追記4 

宿坊は、40年前とは見違えるほど、立派になってしました。

お部屋も、和室が広く、精進料理もおいしゅうございました。

追記5

昨年秋に、「ブラタモリ」で恐山特集があって、

それを見てきました!という方がやはり多かったです^^。

追記6

朝、7時半に、本堂でお勤めがあります。

先祖供養もさせていただきました。

ちなみに、本堂の本尊は地蔵菩薩ですが、

その裏側に“円空”作の、十一面観世音菩薩と聖観音が。

前日、関西弁のお坊様に尋ねてみたら、

拝観させていただきました。





# by reiko-koyago | 2023-06-13 17:08
サンフランシスコ州立大学 ホリスティックヘルス学部教授のエリック・ペパー先生のブログで、月経困難症(生理痛等、様々な月経にまつわる不快症状)の軽減のための、腹式呼吸や自律訓練法等のワークが紹介されていたので、DeepLで翻訳して紹介いたします。実験数値を示してのわかりやすい内容です。こういうワークは、中学・高校生の女子からスタートするのが良いと結論づけられていますが、まったく同感です。

blog The Peper Perspective は、こちら。

以前のエリック・ペパー先生の記事はこちら(2016年)

呼吸によって生理痛が改善? エリック・ペパー先生のブログより_a0020162_14435907.jpg
2016年に、アマナスペースに来訪してくださった時のエリック先生とのツーショット

エリック・ペパー先生の最新ブログ。サンフランシスコ州立大学、ホリスティックヘルス担当の教授で、バイオフィードバック治療のパイオニアでもあります。「TECH STRESS」の著者、朋さんの師匠で、私も、バイオフィードバックを通じて、様々なセルフケアワークを学びました。
実は私自身20代から苦しんできた子宮内膜症による激しい痛みをかかえてきましたが、ボディワークを学んでからは、腹式呼吸とストレッチとマッサージを通じてで改善してきたのですが、ぺパー先生に出会って、なるほどと納得することばかりでした。
腹式呼吸、すなわち横隔膜呼吸は大腰筋を通じて骨盤と連動します。子宮周辺の筋肉の緊張を緩和し、血流・リンパ等の循環も高め、さらに副交感神経優位となるので痛みも緩和します。
ちょうど、数日前のこころにやさしいタッチケア上級編(ファシリテーター養成講座)でやったところです。私の場合、ゲイ・ヘンドリックス博士の「コンシャス・ブリージング」を元にした横隔膜呼吸なのですが、あまりに効果が大きいので上級編でしかやりません^^。月経困難症の改善にもなりますが、感情・情動の動きも活性化するからです。とはいえ、ほんとうに、最近は月経困難症で苦しむ方が増えているので、一度、ここだけにフォーカスしてのワークショップも開催したいなぁと思います。
いつもながら、明確なエリック・ペパー先生の論文。ぺパー先生に学んだお陰で、とてもシンプルな身体ワークが圧倒的な身心の状態を改善することを確信できたのを思い出します。大好きですよ、ペパー先生♬ 下記、自分のためにDeep Lで訳したのをコピペします。一般的な薬物療法と比較して数値を出した明晰な論文ですが、なにぶん、アバウトな機械翻訳ですので、ご容赦を!


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『呼吸によって、生理痛(月経困難症)が改善されるという希望』

『私は昔から生理痛がひどかったです。あまりの痛さに、病欠の連絡をして、学校を休まなければならないこともありました。多くの医師や医療関係者に診てもらいましたが、「どうしようもない」と言われました。現在、避妊手術を受けていますが、それでも生理痛は多少緩和されますが、気分が台無しになります。普通の女性としての生活を続けられるように、横隔膜呼吸をやってみたんです。そして、驚いたことに、それはうまくいったのです。あまりの効果の高さに、ただただ圧倒されました。生理痛もほとんどないし、横隔膜呼吸をしたら腹部の膨張感もおさまったのです』(22歳の学生)
毎学期、多くの学生が、1学期のホリスティックヘルスの授業で教えているリラクゼーションと呼吸法を実践すると、痙攣や月経困難症の症状が減少したり、消失したりすると報告しています。 多くの若い女性が月経困難症に苦しんでいることを考えると、痛みを抑える薬や月経を抑制するホルモン剤に頼る前に、最初のセルフケアとしてこの統合的なアプローチを用いることで、多くの若い女性が恩恵を受けることができるでしょう。別の28歳の学生はこう報告しています:
『これまで、生理痛が気にならないようにするために、いつもイブプロフェンが必要でした。このクラスの後、痛みが出てから横隔膜呼吸をするようになり、少し楽になりました。真の効果は、不快な徴候の最初の兆候で呼吸を始めたときに得られました。横隔膜呼吸のワークを取り入れてから、鎮痛剤を使う必要がなくなりました。』
このレポートでは、学生がストレス症状を軽減するために自己調整と楽な呼吸を実践したことを紹介し、考えられる作用メカニズムを探り、月経痛の症状を軽減するためのプロトコルを提案しています。横隔膜呼吸によって、再発する重度の月経困難症(月経に伴う痛みや不快感)が解消された様子を短いビデオでご覧ください。
<背景 : 月経困難症とは何か?>
月経困難症は、月経中に女性が経験する最も一般的な症状の1つであり、月経をする女性の半数以上に影響を与えます(Armour et al.、2019)。 最も一般的な月経困難症は、月経の数日前または開始時に始まる、しばしば骨盤の痛みを伴う下腹部の痛みを伴うけいれんによって定義されます。症状はストレスによっても増加し(Wang et al.、2003)、痛みの症状は通常、女性が年をとるにつれて、また妊娠後、重症度は減少します。
<月経困難症の経済的コスト>
月経困難症は、女性の職業や教育における生産性を著しく阻害する可能性があります。月経困難症は、「学校や職場に欠勤する主な原因の一つであり、年間6億時間の損失となり、米国では年間20億ドルの損失となる」(Itani et al, 2022)。 学生にとって、月経困難症は高校や大学での学業成績にかなりの悪影響を及ぼします(Thakur & Pathania, 2022)。女性の生活において頻繁に発生し、悪影響を及ぼすにもかかわらず、多くの若い女性は、医学的アドバイスを求めたり、利用したりすることなく、また、非薬物療法的なセルフケアのアプローチを模索することなく、苦しんでいます(Itani et al, 2022)。
<治療法>
月経困難症に対する最も一般的な薬物療法は、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)(例:イブプロフェン、アスピリン、ナプロキセンナトリウム)とホルモン性避妊薬です。NSAIDsは、プロスタグランジンの産生を妨げるシクロオキシゲナーゼの働きを阻害することで作用します。 Itaniら(2022)は、プロスタグランジン産生機構が障害の原因である可能性を示唆した。また、ホルモン避妊薬は排卵や子宮内膜の増殖を抑制することでプロスタグランジンの産生を妨げます。
薬理学的アプローチは、不快感の増大はプロスタグランジンF2αおよびE2の子宮内分泌の増加によるものと思われ、この状態を定義する痛みの原因となりうるというモデルに主に基づいている(Itani et al、2022)。プロスタグランジンの存在に影響を与える医薬品は、原因を治すものではなく、主に症状を治療するものです。
医薬品による治療には欠点があります。 例えば、NSAIDsは胃腸や神経への悪影響があり、また、すべての人に痛みを防ぐ効果があるわけではありません(Vonkeman & van de Laar, 2010)。また、ホルモン性避妊薬にも副作用の可能性がある(ASPH, 2023)。アセトアミノフェンもよく使われる治療法ですが、他のNSAID治療法よりも効果が低いです。
<ストレス軽減と月経困難症に影響を与える自己調整戦略>
一般的な非薬物療法には、局所的な熱の適用と運動が含まれます。いずれの非薬物療法アプローチも、痛みの重症度を軽減するのに有効である。Itaniら(2022)によると、統合的ホリスティックヘルス治療の成功は、"骨盤内血液供給の増加、子宮収縮の抑制、エンドルフィンやセロトニンの放出の刺激、痛みの信号を受け取り知覚する能力の変化など、いくつかのメカニズムに起因する "とされています。
あまり一般的ではありませんが、自己調整戦略は、月経の不快感に関連するストレスレベルを著しく低下させるだけでなく、症状を軽減させることができます。さらに重要なのは、副作用がないことですが、介入の有効性は個人によって異なります。
自律訓練法(AT)は、ドイツの精神科医Johannes Heinrich Schultzが開発した100年来の治療法で、1日15分のセッションを3回行うことにより、原発性および続発性の月経困難症に苦しむ患者の症状が40~70%減少した(Luthe & Schultz, 1969)。Heczey(1978)は、よくコントロールされた博士論文の中で、無作為化比較研究において、個人で教える自律訓練法、グループで教える自律訓練法、自律訓練法と膣温トレーニング、無治療コントロールを比較した。 対照群を除くすべての治療群で症状の減少が報告され、最も成功したのは、自律訓練法と膣温トレーニングの組み合わせで、被験者の膣温が0.27F度上昇したことである。
1920年代にEdmund Jacobsonによって開発された進行性筋弛緩法とイメージ療法は、月経困難症の有効な治療法です(Aldinda et al., 2022; Chesney & Tasto, 1975; Çelik, 2021; Jacobson, 1938; Proctor et al., 2007)。
非治療と比較したリズミカルな腹部マッサージは、月経困難症の症状を軽減します(Suryantini, 2022; Vagedes et al., 2019):
前頭筋電図フィードバック(EMG)と末梢温度トレーニング(Hart, Mathisen, & Prater, 1981)、僧帽筋EMGトレーニング(Balick et al, 1982)、下腹部EMGフィードバックトレーニングとリラックス(Bennink, Hulst, & Benthem, 1982)、統合温度フィードバックと自律訓練(Dietvorts & Osborne, 1978)などのバイオフィードバック戦略は、月経困難症の症状をうまく軽減した。
呼吸によるリラクゼーションは、5~30分間行うことで、青少年において痛みの減少や痛みが完全に消失した(Hidayatunnafiah et al.、2022)。一方、腹部マッサージと組み合わせたゆっくりとした深呼吸は、温湿布を貼るよりも効果的です(Ariani et al.、2020)。
遅いプラナヤマ(Nadi Shodhan)呼吸は、速いプラナヤマ(Kapalbhati)呼吸と比較して、生活の質と痛みのスコアが改善し、欠勤率とストレスレベルが減少しました(Ganesh et al. 2015)。学生にゆっくりとした横隔膜呼吸を教えると、多くの人がコントロールと比較して症状の軽減を報告しています(Bier et al.)
<統合ストレスマネジメント・プログラムからの観察>
本研究では、大学のホリスティックヘルスの授業で、ストレスアウェアネス、ダイナミックリラックス、イメージ呼吸の実践を宿題とした学生の月経困難症の症状の変化について報告する。
回答者 32名の女子大生、平均年齢24.0歳(S.D.4.5歳)。
手順 学生は3単位のクラスに参加し、書籍『Make Health Happen』(Peper, Gibney & Holt, 2002)に書かれているように、週ごとに変わる毎日の家庭での実践を割り当てられました。
最初の5週間は、次のような流れで行われました: 第1週は、ストレス要因に対する自分の反応をモニターすることに焦点を当て、第2週は、修正漸進的リラクゼーションを毎日30分練習し、日中ブレーキをかけることを意識してブレーキを減らすことに焦点を当て、第3週は、ゆっくりとした横隔膜呼吸を毎日30分練習し、日中息を止めるか浅い胸の呼吸に気づき、それを合図にゆっくりとした横隔膜呼吸へと移行することに焦点を当てて、第4週は全体性の記憶を呼び起こしてリラックスし、第5週は末梢手の温かさを覚えることに焦点を当てていました。
授業では、ストレスとホリスティックヘルスに関する講義を見学し、小グループに分かれて自己調節の経験について話し合いました。
クラスでのディスカッションでは、月経の不快感を感じるときに有効な姿勢や実践方法について議論しました。
例えば、仰向けに寝た状態でゆっくりと呼吸し、息を吸うときに腹部が広がり、吐くときに腹部が収縮するようにゆっくりと腹部を意識することに集中しました。
息を吐きながら、最初は腕から、次に腹部を通り、脚を下って足から出ていく空気の流れを想像することに集中しました。
この運動感覚は、まず息を吐きながら腕をマッサージし、次に息を吐きながら腹部と太ももをマッサージすることで高められました。また、多くの場合、女性は手足が温かくなることを体験しました。 さらに、あえぎ声や浅い呼吸、息が止まっているのを確認したら、ゆっくりとした横隔膜呼吸に移行するように指示しました。 5週間後、受講生は簡単な評価アンケートに答え、クラス開始時からの月経困難症の症状の変化を評価しました。
<結果>
全回答者の約3分の2が、全体的な不快症状の減少を報告した。 すでに使用している「通常通り治療」(TAU)戦略(例:NSAIDsや避妊薬などの薬やその他の治療)に加えて、図1に示すように、月経困難症があると答えた91%(女性22名中20名)が、自己調整法と横隔膜呼吸法を実践すると症状が軽減したと報告しています。
<ディスカッション>
多くの学生が、症状が著しく軽減され、生産性を高めることができたと報告しています。 一般的に、リラクゼーションと呼吸の自己調整スキルを実践すればするほど、症状の減少を実感することができたという。この報告の限界は、観察研究であることである。
しかし、この結果は、以前のセルフケアやバイオフィードバックのアプローチで報告されたものと同様である。このことから、女性は月経困難症の症状を予防するため、また症状が出たときの最初の介入として、以下のような簡単な自己調整戦略を教わるべきであると考えられます。
<なぜ呼吸をすると月経困難症が軽減されるのでしょうか?>
多くの女性は、症状が出たときに、自然な防御反応である「丸くなる」ことで反応します。この保護的な姿勢は、腹部と骨盤の筋肉の緊張を高め、リンパと血流の循環を阻害し、浅い呼吸数を増やし、心拍変動を減少させます。 足を伸ばして横になったときに、ゆっくりとした下呼吸で意図的に腹部をリラックスさせることは、不快感を軽減するための最初のステップとなることが多い。
リラックスしたイメージで横隔膜呼吸に集中することで、吸気時の腹部膨張と呼気時のわずかな収縮を回復させることができます。
仰臥位でのこのダイナミックな呼吸は、腹部の血液やリンパの循環を高めるとともに、筋肉の弛緩をもたらすだろう(Peper et al.、2016)。 練習中、参加者は吸気時に腹部が膨らむように、ウエストを締め付けないゆったりとした服を着るように指示された;服によるウエストの締め付け(デザイナージーンズ症候群)は、腹部の膨張を妨げるからである。
また、腹部が完全に伸びるようにすることで、腹部を保護するように押さえつけるのではなく、腹部が伸びるようにしてもいいのだという自己受容が高まりました。症状が軽減されたのは、以下の要因の組み合わせによるものと思われます。
腹部の動きは、呼吸サイクルの間に促進されます。つまり、吸気時の腹部の拡大や呼気時の収縮を妨げる要因を減らすことです(Peper et al.、2016)。
デザイナーズ・ジーンズ症候群」(モダンガードル)を解消する。ウエストベルトやタイトなパンツ、痩せる下着を緩めることで、腹部の膨張を大きくする(MacHose & Peper, 1991)。
ありのままの自分を受け入れる。お腹を引っ張ることなく、お腹を膨らませるようにする。
学んだ廃用を解放する: 過去の腹部の損傷・手術(例:ヘルニア手術、盲腸、帝王切開手術)、腹痛(例:過敏性腸症候群、再発性腹痛、潰瘍、酸逆流)、骨盤底痛(例:骨盤底痛、骨盤帯痛、外陰部痛、性的虐待)後に起こった痛みを避けるために動きを抑制するのではなく、腹部の拡張・収縮を可能にする。
防衛反応」が低下する。多くの学生は、月経痛を経験すると、しばしば防御防御の姿勢で丸くなることを説明しました。 この防御姿勢は、骨盤底筋の収縮を維持し、腹部の血液やリンパの流れを抑制し、浅く速い胸式呼吸を増加させ、血管収縮や筋収縮を増加させるpCO2を減少させると考えられます(Peper et al., 2015; Peper et al., 2016)。
ゆっくりとした腹式呼吸を実践しながら、仰臥位で足を伸ばしてリラックスして寝てもらうことで、骨盤底筋や腹壁筋がリラックスし、それによって腹部の血液やリンパの循環、副交感神経の活性が高まります。横たわるという姿勢は、安全であることを意味し、治癒を促進する状態である。
痛みと恐怖のサイクルが中断されます。 月経困難症の症状は、不快感を予期して反応するため、より多くの症状を引き起こす可能性があります。呼吸法、特に運動イメージは、腹部や不快な部分から脚を下りて足から出るまで注意を向けることで、気をそらすテクニックとして機能します(不快な部分に集中しない)。
交感神経と副交感神経のバランスをサポートします。 ゆっくりとした呼吸と運動イメージは、通常、心拍変動と手足の温度を高め、交感神経と副交感神経のバランスをサポートする。
防衛反応という古典的な条件付反応を中断させる。 ある若い女の子にとって、初潮は予期せぬ形で起こりました。 突然、何が起こっているのか理解できないまま、下半身から出血し、それがトラウマになる可能性があります。 これは防衛反応であり、単一試行条件反応(月経開始の体性手がかりが防衛反応を引き起こす)である可能性もあります。
そのため、後に月経の初期感覚を経験すると、自動的な条件反応により緊張して体を丸めてしまい、不快感が増幅されることになる。女性への非公式なインタビューによると、最初の月経体験を恥ずかしかったり、予期しなかったり、トラウマになったりした人(「死ぬかと思った」)は、その後、月経を否定的にとらえるようになりました。また、初潮を「女性としての自覚が芽生えた」と肯定的にとらえた女性よりも、より多くの症状を訴える傾向がある。
<月経月経困難症軽減のためのセルフケアの取り入れ方 >
楽な横隔膜呼吸を実践する前に、必ず医療従事者に相談し、治療可能な基礎疾患を除外してください。
吸気時に腹部を膨らませ、呼気時に小さくなるようにする。これは、ベルトや腰の締め付けを緩め、お腹を大きくすることを受け入れ、ストレスによって引き起こされる学習された不使用や保護反応を逆転させることを意味することが多い。
<横隔膜呼吸をマスターする>
安全だと感じられる場所で、お腹に温水ボトルを置いて横になり、ゆっくりとした楽な横隔膜呼吸を練習する。
1分間に約6回の呼吸をしながら、運動学的なイメージを含める(例えば、4、5秒間ゆっくりと息を吸い、5、6秒間息を吐き、吸うより吐く方がやや長い)。息を吐くときに、ヒーリングエネルギーが腹部から脚を通り、足から抜けていくのを感じられるようにイメージする。
可能であれば、息を吐くときに実際に触れることを取り入れると、さらに効果が高まります。 パートナーに、息を吐きながら肩から指先まで腕を撫でたりマッサージしてもらい、次に息を吐きながら腹部から足先まで優しく撫でます。息を吐くときのリズムで撫でます。
首や肩の張り、息苦しさ、浅い呼吸、ストレスの多い状況などを意識するたびに、ゆっくりと息を吐き、ゆっくりとした柔らかい横隔膜呼吸に移行します。同時に、息を吐くときに、腹部から足先にかけて流れがあることを想像/感じ取る。 これを一日のうちに何度も行う。
ストレスは症状を悪化させるので、一般的なストレス解消法を実践し、日常生活に応用する。ストレスになるような出来事がいつ起こるか予測し、ストレス軽減策を実行する。
月経周期の生物学的な変化を尊重すること。場合によっては、月経周期の1週間は、自分のペースを調整し、少しペースを落とすことも必要です。健康状態を最適化するために、十分な休息、水分補給、栄養摂取を心がけましょう。
自己治癒力を高めるイメージや言葉を使い、月経に対するネガティブなイメージをポジティブなイメージに変える(例:「呪い」を「私は健康だ」と確認する)。
<まとめ>
月経困難症を緩和する方法はたくさんあります。 女性は、月経困難症の症状を軽減するために、ストレス軽減の実践、より快適な衣服の着用、熱圧迫の使用、毎日の横隔膜呼吸法の実践、リラックスした筋肉の視覚化、月経周期に対するポジティブな認識など、自分自身を予期し力を与える方法を見つけることができます。
これらの自己調整法は、年齢とともに起こる変化に対応できるよう、中・高校生の頃からすべての若い女性に第一レベルの介入として教えるべきです。
"私は2週間前から呼吸法を実践していますが、筋肉全般がリラックスしていることにも気づきました。 もちろん、好きなスキニージーンズも避けたので、間違いなく効果がありました。
私は普段の不快感から90%改善されたことを経験しました。 まだ疲れていて、もっと休息と睡眠が必要でしたが、「ひどい」身体の不調は経験していません。 それでも時々、鋭い痛みや膨満感はありましたが、半日寝たきりで動けない日があるのとは違って、小さな不快感でした。- そして、これは私にとって非常にポジティブな経験でした。

# by reiko-koyago | 2023-04-25 14:39
5月10日より4回シリーズでのオンライン講座ボディワークの聖地「“エサレン研究所”を巡る旅」”についてお話させていただきます。主宰は、ホリスティックヘルス情報局(HIC)さん、一昨年より”ホリスティック・ボディワーク”のクラスで講座を担当させていただいてきましたが、その時に1回を通じてエサレン研究所のことを熱く語らせていただきました。それをさ深めまして、今度は4回シリーズでとオファーをいただき感謝です。エサレン研究所のことを語るのは無限に広がる可能性を感じるワクワク感がありますので、とても嬉しいです。エサレン研究所、ホームページはこちら

とはいえ私一人では、とてもエサレンのことを語り切れません。今回は、エサレン研究所のことにお詳しい、村川治彦先生(関西大学人間健康学部教授 身体学・東西統合学・宗教学)をゲスト講師にお迎えし、特に第三回目は村川先生を中心にお話していただきます(他の回も、可能な限りご一緒してくださるとのことです)

1960年前後のヒューマン・ポテンシャル(人間性回復)運動、ベトナム反戦運動や、公民権運動、ビート二クス、サイケデリック、そして、ヨガ・瞑想・気功・禅・合気道等の東西文化の交流。さらに今回は、当時の人々が規制の宗教ではなく、新たなスピリチュアリティの地平に”Religion of No religion(無宗教の宗教)という概念を切り開いた点にも注目したいと思います。



また、エサレン研究所を通して、ボディワーク、ソマティックを、よりホリスティックな視点で解きほぐしていきたいと思います。第三回目では、エサレン®ボディワークをもとに、エサレン周辺で発達し交流していった様々なボディワークを俯瞰していきます。

下記、ホリスティックヘルス情報局さんの広報より転用します!
4回の講座の概要も記していますので、ぜひご覧ください。
https://www.hichelth.com/202305_bodywork_e.pdf

********

クライアントのボディに関わることは、クライアントのマインド、スピリット、いのち、に関わることです。人間をホリスティックな視点からアプローチするボディワークはカルフォルニアのエサレン研究所から始まりました。「ホリスティック・ボディワーク研究会」の世話人代表の中川れい子氏によるボディワークの聖地“エサレン研究所”を巡る待望の連続講座です。

<申し込み方法>
「エサレン研究所」講座申込として、下記の項目をメールまたはファックスでお送りいただき、お振込下さい。① 講座名②日程③氏名(ふりがな)④住所⑤連絡先(当日つながる電話番号)⑥メールアドレス⑦「リアルタイムの zoom 受講」か「後日録画配信受講」のどちらかをお選びください(リアル参加の予定が後日配信希望に変わった場合も、必ず、下記にご連絡ください)

E メール: hic@a7.rimnet.ne.jp
FAX: 03-5572-8219
URL: http://holistichealthinfo.web.fc2.com/index.html
お振込先三菱UFJ銀行虎ノ門中央支店 普通5832950 (有)ホリスティックヘルス情報室
主催・お問い合わせ: (有)ホリスティックヘルス情報室

< この講座の概要  >

★第 1 回:5/10 
沸きいずる泉 ― ビッグサーの海から ー

カリフォルニア州、太平洋を臨むビッグサーの地、山と海 の間の広大な敷地の中、沸きいずる温泉。大いなる海、空、波の 音、星空…。エサレン研究所の風景と、人々の回復と変容を導い たホリスティックなリトリート・センターを育んだ歴史概要を、2 人の 創立者を中心にお話します。

★第 2 回」:6/7
Religion of Non Religion ― 東西文化の出会いと草創期の潮流 ー

村川治彦先生(関西大学人間健康学部教授)をお迎えし て、エサレン研究所に関わる文化的潮流―Religion of Non Religion(無宗教の宗教)、東洋思想、ヒューマン・ポテンシャル、人 間性心理学、トランスパーソナル等―また、ホール・アース・カタロ グと IT 産業の勃興との関係等も伺います。

★第 3 回:7/5
身体性と意識の変容 ― ボディワーク、ソマティクスの展開 ―

エサレン研究所を拠点として展開されたボディワーク &ソマティクスのパイオニア達との交流、呼吸とともに、今・ここ をあるがままに、水の流れるように全身を包み込むエサレン® ボディワークはどのように育まれたのか? 身心統合と自己成 長、そして意識の変容、Well-Being 等。

★第 4 回:8/2
新たな潮流に向けて ― 体験的ワークショップとコミュニティの未来 ー

過去 60 年間、自然との共生、身体(ヨガ・気功・瞑想・ 禅・ダンス・ボディワーク等)、心理学・組織論・マインドフルネ ス、アート、エコロジー、シャーマニズム等、様々な体験的ワー クショップを通じてコミュニティとして成長し続けてきたエサレン 研究所が未来に伝えるものとは?

村川 治彦(むらかわはるひこ)
関西大学人間健康学部教授。専門は、身体学・統合学・宗教学。「一人称の身体学」をテーマに東西の身体技法を新たな“知”の在り方に結び付ける研究に、長年従事。近年は、“ケアする人のためのセルフケア”にも深くかかわる。カリフォルニア在住期間が長く、エサレン研究所にも精通している。日本トランスパーソナル心理学/精神医学会元会長。日本GRACE研究会監事。 <身(み)>の医療研究会事務局長。大阪府出身。東京大学文学部卒業(宗教学宗教史学科)、カリフォルニア統合学研究所(California Institute of Integral Studies)で、East-West Psychology 修士課程、Integral Studies 博士課程修了。NPO法人タッチケア支援センター特別顧問。


中川れい子(なかがわれいこ)
NPO法人タッチケア支援センター代表理事。エサレン®ボディワーク認定施術者。1998年よりボディワークの道に入り、施術を積み重ねる中“タッチ”の心身を癒す力を確信し、2011年にNPO法人タッチケア支援センターを設立。エサレン®ボディワーク認定コースを2012年から16年まで主催、その他、エサレン研究所ツアーやエサレン®ボディワークのティーチャーを招聘してのワークショップを主宰。エサレン研究所には過去10回訪れる。
現在は、エサレンボディワークの気づきのタッチをもとに、家族間ケア・看護・介護など対人援助に役立つ「こころにやさしいタッチケア講座」を開講。被災地・高齢者施設・がん患者会・緩和ケア病棟・産科等での施術活動や、発達障害・精神疾患の方の会等で「セルフタッチング」講座を展開。著書「オトナ女子のおうちセルフケア」(山口創氏との共著)「みんなのセルフタッチング」。兵庫県生まれ。関西学院大学文学部美学科を卒業。

エサレン研究所の風景


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# by reiko-koyago | 2023-04-01 14:10
TOUCH in GRACE
2023年、7月、女神山・ボディワーク・リトリート

~ からだ・自然・神殿 ~
セッションというONENESS


~長野県、女神山ライフセンター、5泊6日~
2023.7.15(土)~20日(木)


ソース画像を表示
 
Touch in Graceは、ボディワークとヒーリングを融合したエサレン・スタイルの全身のオイルトリートメントのワークです。2003年より開講し、以前は”Touch & Healing講座”という名称でした。

今回のワークショップは、長野県、女神山の自然の中、5泊6日のリトリート形式で、日常から離れて自分自身とつながる時間をじっくり持ちながら、マッサージテーブルを使った約60分程の全身のオイルトリートメントのボディワークを完成します。受け手の安らぎと気づき、回復を促す”セッション”というonenessー変容の容器ーをテーマに、セラピスト(プラクティショナー)としての統合と自立を深めます。

Touch in Graceのワークでは、クライアントさんの神経系に働きかけ深いリラクセーションへと誘います。時には、深い睡眠や、意識と無意識の間を行き来するような体験もあるかもしれません。プラクティショナー(施術者/セラピスト)は、受け手の方の存在全体をその方の”夢””無意識”ととらえ、そこに聖なる”神殿”を見出し、施術していきます。そして、下記のような質を6日間をかけて、ゆっくりと施術や体験的なワーク、ムーブメントやセルフケア、気づきのワークを通じて、参加者の方の動きや佇まい、プレゼンスとして深めていくのが、今回のワークショップの目的です。

呼吸とともに、
ゆっくりと。
水が流れるような
波のリズムで
天と地と、空間とつながって
こころとからだ、自然・・・
すべてがつながり、
全体を包むような・・・

ワークショップでは、瞑想やダンス、ムーブメント等で自分自身の心身を調えるとともに、ふれあい、ゆだねあう中、お互いの神経系を調整していきます。そして、ヒーリングの”空間”や”場”、マッサージテーブルのセッティング、”間合い””ゆらぎ””空気感”、さらに、安全な境界線について探求していきます。

施術技術としては6日間を通して、全身を豊かにつなげ統合する”ロングストローク”、身体の内側からのゆらぎを増幅する”ロッキング”、筋・筋膜の解放を促し圧を加えるマッサージ技法、関節の可動域を広げながらコアの緊張の解放をやわらかなストレッチ技法など、多様な技術を盛り込み、背面・前面・腕・脚部・デコルテ・頭部等の細部のワークと全身の統合を、横糸・経糸を織りなすように紡ぎながら、ボディ・マインド・スピリットの統合と癒しをサポートします。

また、チャクラやエネルギー・フィールド等、サトル(微細な)アナトミーの理解も深め、人間存在をよりホリスティックな身体観でとらえていきましょう。

施術を通じて全身の統合ワークへと向かうプロセスの中で、施術者自身の心身の統合と、内なる神性(女神性/本質)へと触れていきましょう。

長野県の女神山ライフセンターは、日本のリトリートセンターの先駆けで、米国カリフォルニア州のエサレン研所や、英国フィンドホーンをもとに日本の里山の自然を生かした滞在型のワークショップスペースです。今回は、女神山ライフセンターのメインホール”ガイア・ホール”という森の中にたたずむ、広々とした美しい空間でのワークショップをご体験ください。お食事も、ホスピタリティも素晴らしく、静かな森が滞在する人を大切な存在として包み込み、お一人お一人の再生と統合のプロセスをサポートしてくださいます。

(私個人の感想としては、女神山ライフセンターは、エサレン研究所以上に、静かで、やわらかで、内側を深め、あたたかく見守ってくれるセンターだと感じています。ここで、長期滞在すること自体、変容と癒しをサポートしてくれるでしょう)


ボディワークのセッションは、
ひとつの宇宙を創造していくようなもの。
あるいは、受け手の方と共に大海をいく航海にも似ています。
船が岸辺を離れ、ゆっくりと大海を旅し、
そして、ふたたび岸辺に戻り旅が終わっていく。
航海の途中で、2人の別々の人間が融合しあい、
最後には別々の道を安全に歩みゆく旅でもあります。

安全で、最高に心地よく
自分自身へと回帰する
ヒーリングの旅路を、
あなたのクライアントさんに
ご案内ください。




日時
2023年7月15日(土)~20日(木)
*15(土)・16(日)17(海の日)と三連休となります。
*7月15日午後3時開始、20日、午後2時に終了。
(15日、午後2時に「別所温泉駅」で集合)


会場
女神山ライフセンター
東京ー(JR北陸新幹線)ー上田-(上田電鉄)ー別所温泉

参加費
受講料 75000円(早期割引 5月1日以降のお申込みは80000円) 
Touch in Grace, Touch&Healing, エサレン経験者は、  
宿泊費 60000円(5泊6日+食事 食事回数の調整等で若干増減があります)

(振込み先は、お申込みの方にお知らせします)

定員
8名


参加要件
*今回は、女性専用のリトリートとなります。
全身のオイルトリートメントですので、施術を受けるときは衣類を脱いでいただきます。丁寧にカバーリングしますので、ほとんど露出されている感覚は感じませんのでご安心ください。(生理中の時や、ご不安な場合はショーツを付けていただいでも大丈夫です)
*このクラスは、施術経験が1年以上ある方が対象となります。
*受講生同士での交換セッションを行うため、安全のため身心ともに健康な方の受講をお勧めしています。気になる症状等がありましたら、事前にご相談ください。


お申込み
こちらの申し込みフォームをお使いください。
*フォームが機能しない場合は、「Touch in Grace 申し込み」と添えて、touchandhealing121@gmail.comに、お名前・メールアドレス・ご住所・電話番号をお送りください。
*エサレン®ボディワーク認定施術者の方は、参加コースと年、講師のお名前を記載ください。

持ち物

フラットなシーツ、1枚。大判のバスタオル(シーツ等でも可)1枚、同じサイズのバスタオルを2枚。フェイスタオル 2枚。
施術にふさわしい、動きやすい服装。
ご自身の洗面・お風呂に使うタオルもご持参ください。寝間着、部屋着。虫よけスプレー等もあると便利です。
(詳しくは、直前にお知らせいたします)


エド・モーピンのワークショップに参加してきました | カラダの倍音blog


Touch in Grace
コンセプト

Graceとは、恩寵・恵み・あるがままの美しさ。
すべての人は美しく、聖なる本質を内に宿し
Healing とは、聖なる次元から本質へとつながる光。

Touch in Grace のワークは、
深いやすらぎと、今ここに共にある寄り添いのワークであり、
心地よさと循環をうながす全身のオイルマッサージであり、
サトル(微細)ボディにかかわるエネルギーワークであり、
筋骨格系に取り組みバランスを回復するボディワークでもあります。

また、ボディ&マインド&スピリットを統合する
ホリスティックなHealingであり、
太古の昔の”神殿”の記憶とコンタクトし
からだ・存在・夢・無意識を紡ぐ
”祈り”のワークでもあります。

米国カリフォルニア州エサレン研究所で開発された
エサレン®ボディワークに倣い、ソマティックなコンセプトと
様々な身体技法、ヒーリング・コンセプト、
そして、アートが融合されています。

<このような方にお勧めします>

●エサレン®ボディワークの基本メソッドや哲学を学びたい方。
●ご自身のボディケアのセッションを、よりホリスティックなヒーリングを深めたい方。
●ボディケアの施術者の方で、オイルトリートメントの基本、タッチの質、癒しの質を深めたい方。
●自律神経系のバランスを調える、より上質なリラクセーションを習得したい方。
●施術者自身の心身のバランス、在り様、メタスキルを深めたい方。
●全身への取り組みを、深めたい方。
●ヒーリングについて、理解と実践を深めたい方。
●ボディワークがもたらす癒しについて理解を深めたい方。
●自身とつながり、自分自身を癒すことにフォーカスされたい方。
●ロングストロークやホリスティックなかかわりを取り入れたい方。
●医療環境下でのより穏やかな施術を深めるための、施術力を深めたい方。
●身体構造を深く学び、エサレン特有の実践的なマッサージテクニックを学びたい方。
●肉体だけではなく、エネルギーレベルでの取り組みを深めたい方。



*初めての方でもご参加可能ですが、まったくの初めての方は、中川が主宰しますNPO法人タッチケア支援センターの”こころにやさしいタッチケア基礎講座”にご参加いただくことをお勧めします(並行しての受講も可能です)
*基本的に健康な方への施術を前提とした内容ですが、交換セッションの際は、必ず相手の方にご自身の身体の状況を伝えて安全な施術を受け取るようになさってください。ご不安がある方は、事前に中川にご相談ください(状況によっては安全のため施術を制限することがありますが、ご了承ください)
*これまでの施術をなさってきた方にとっては、エサレン®ボディワークの基礎を学ぶ気持ちでご参加いただけても大歓迎です。

【Touch in Grace 入門2daysにご参加の方のご感想】

*腕や脚の置き方、心地よいポジションを取るのに欠かせないこと。とても参考になりました。
*セッションのはじまり方と、終わり方。プロセスやポーズ(小休止)の取り方や、オイルの足し方なども参考になりました。
*音楽と波のイメージや温かな風船。。。「あの2日間の時」に、醸し出されたロングストロークの波が、まるで心と身体に宿っているかのようです。
*風船のワーク、面白かったです。柔らかいものに触れると、みんなの心も緩んで笑顔でしたね。セッションでロッキング(ゆらし)をしているとき、風船の心地と、オーバーラップして手の力もふわっと抜けました!
*参加者の皆さんとのシェアの時間も、たくさん気づきをいただきました。自分が感じたことを大切に受け止めて言葉にする。あるがままをつたえようとお腹に力が湧いてきました。今後も、人と自分自身と大いなるものと繋がっていきたいと思います。
*実際にタッチやロングストロークから息遣い、視線、気配など、この身体まるごとで体験することができて、とても良かったです。数日たった今も、背中にぺったりベッドに接地している心地よさと、胸のスペースの広さを感じています。
*自分の認識以上に無意識的緊張が高いこと・・・それが、ほぐれていったことを味わって、身心の安心感を得るプロセスを、温かく見守っていただいた経験も、大切なリソースとなりました。


講師  中川れい子

エサレン®ボディワーク認定プラクティショナー

1998年よりボディワーク&ボディサイコセラピーを学び始める。ボディワークのほかに、クリスタル・ヒーリング、オーラソーマ、占星術、タロットカードを学び、1999年よりエサレン歴24年目、ボディワーク歴25年。

2003年より、クライアントさんの要望で、エサレンスタイルの全身のオイルトリートメント講座を開講。Touch and Healing 講座と名付ける。2004年より足しげくエサレン研究所に再び通いはじめ、多くのティーチャー達から指導をうけ、特にシャー・ピアスをメンターとし、国内でのワークショップのコーディネート、オーガナイズを担当。2012年から2016年の間、シャーピアスを中心とするエサレン®ボディワークの資格認定コースをオーガナイズする。

また、2011年、NPO法人タッチケア支援センターを設立し、エサレン®ボディワークの”気づき”あるタッチを、看護・介護・家族間ケアで活躍しやすい”タッチケア”の形で普及・教育・ボランティア活動を展開する。また、自分自身にふれて、自身への気づきと癒しを深める”セルフタッチング”ワークを考案し、就労支援センター、地域活動支援センター等で展開。現在、ウェブマガジン「コ2」で「セルフタッチング入門」を連載中(2022年12月、日貿出版社より出版予定)。2021年には、タッチ研究の第一人者、桜美林大学教授の山口創氏とともに「オトナ女子のおうちセルフケア」を共著で発刊。(2022年12月、「みんなのセルフタッチング」として日貿出版社より発刊。

兵庫県生まれ。関西学院大学文学部美学科卒業。元予備校日本史講師。2004年から続ける個人ブログ「レイライン通信」。

最新の個人セッションメニューは、こちらのブログからどうぞ。





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# by reiko-koyago | 2023-02-10 18:11

ソマティック京都フォーラム2022.10.10

ハクスリーの意識探求with 片桐ユズル

忘れられないフォーラムとなったので個人的に書き残しておきますね。(かなり長くなりました。途中で横道にそれますがご容赦を!)


詳しい、内容は、おそらくソマティック心理学協会さんの機関誌VOSSに詳細が記録されると思います。楽しみに待ちながら。

場所は、京都教育文化センター。前日まで京都の別の講座のため芝蘭会という京都大学構内にあるお宿に泊まっておりましたが、そこから歩いてすぐでした。そして、Googleマップに導かれて訪れてみてはっとします。昨年、看護学部でのタッチケア講座で訪れた、京都大学医学部人間健康学部の門のすぐ前だったので。朝からデジャブ感に打ちのめされます。


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さて、今回のテーマは、オールダス・ハクスリー。

そして、ハクスリーの翻訳者で、アレキサンダー・テクニークを日本に紹介し、日本のソマティクスのパイオニアのお一人である片桐ユズル先生。御年91歳。私にとっては大切な師であり、コロナがおこる2022年の2月までずっと、毎月、京都からアマナスペースに通ってくださり、月に一回のアレキサンダーのクラスを開講してくださっていたのです。遠方から来ていただくのは、ハラハラしておりましたが、思い返せば本当に、からだとのつながりについて、大切なことを伝えていただけたと切に切に感謝です。直接お会いするのは1年半ぶりぐらいでしょうか?かなり、お痩せになられおられたので、少々びっくりしましたが、しかし、さすがユズル先生。存在そのものが、叡智であり詩であるのが伝わってきます。


ソマティック心理学協会会長の久保隆司先生が、ユズル先生の回顧録、「忘れてしまってもいいように」を読みながら、ハクスリーとユズル先生のことを解説。サポートにアレキサンダーの田中千佐子さん。すでにワークショップ会場に移られたユズル先生を日頃からサポートされている新海みどりさんもおられました。


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ところで、オールダス・ハクスリーって誰?って方は多いのでは?

日本ではそれほど有名ではないと思います。ただ、エサレン研究所に行った方なら、メイン・セミナールームが“Huxley”であることに気づく人は多いかもしれません。ちょうど私達が引率で認定コースでエサレンに3年連続で訪れた頃に、老朽化したHuxleyは取り壊されて新しく改築される直前でした。私も古いHuxleyでは何度か、忘れられないワークショップを体験しています。今も、リスペクトされ続けているオールダス・ハクスリー。いったい何者?

2016年に新しくなったエサレン研究所の中心ワークショップルーム。Huxleyが再開したエサレン研究所の記事。(古い頃のHuxleyの写真がどうしても見つからないのですみません^^)


久保隆司さんは、ソマティックなリベラル・アーツの原点回帰として、ハクスリーをテーマに選んだとおっしゃってました。それは・・・、

“言語”と“非言語”

“心理”と“身体”

“意識”と“無意識”という対立を超えて、“両生類”として生きてきた人類の身体知の探究の歴史。今回のフォーラムの中で得た知識ももとに、少しまとめてみたいと思います。

オールダス・ハクスリーは、1894年、イギリスの学者を多く輩出した名門の家に生まれた小説家。当時は、ヴァージニア・ウルフ、TH・ロレンス、T.S.エリオットに並び称される著名な作家でした。未来社会の管理社会のディストピア、「すばらしき新世界(原題 Brave New World)」を1930年に出版してベストセラー作家となる。ジョージ・オーウェルの「1984」に遡るかなり前。(ジョージ・オーウェルは一時、フランス語教師でもあったハクスリーの生徒でもあったらしい)

その内容は、管理社会を描いた文明批判。Wikiにある簡単な要約を引用しますと「機械文明の発達による繁栄を享受する人間が、自らの尊厳を見失うその恐るべきディストピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルにえがいた文明論的SF 小説」「人間の受精卵の段階から培養瓶の中で「製造」され「選別」され、階級ごとに体格も知能も決定される。また、あらゆる予防接種を受けているため病気になる事は無く、60歳ぐらいで死ぬまで、ずっと老いずに若い。ビンから出て「出生」した後も、睡眠時教育で自らの「階級」と「環境」に全く疑問を持たないように教え込まれ、人々は生活に完全に満足している。不快な気分になったときは、「ソーマ」と呼ばれる薬で「楽しい気分」になる」(ソーマは、この場合“からだ”ではなく薬の名前として登場。でもソマティクスは管理社会の現代の解毒剤になるのかも?)

何が気持ちいいのか、何が美味しいのか、何が正しいのか?全部、科学が決めてしまう社会。

このディストピア、なんやかやいって、今の時代に似てないだろうか?

「すばらしき新世界」を著してベストセラー作家となったハクスリーは、その後、うつ病となる。そして、目の治療もかねて、アレキサンダー・テクニークの創始者の  アレキサンダーと出会っていった。(もともと、ハクスリーは幼少期のことから目の病に悩まされてきて、この目の治療、そして、視覚、ものの見え方について、終生のテーマとなっていくのでした。そして、今回のフォーラムのテーマも、眼とまなざし)

1937年、渡米(はじめはNYに。翌年、LAへ)アメリカでは、目の治療のためベイツ博士の視力回復の治療を受けたということです。目の使い方を変えると、意識が変化することをハクスリーは体験している。そして、メスカリン等の幻覚剤体験。見え方の違い。意識の変容。脳内への探求。さらに、瞑想を通じて内的世界への探求は深まり、そして、インド哲学へ。クリシュナムルティとは家族ぐるみでの友人だったそうです。

1945年「永遠の哲学 The Perennnial Philosophy」を出版。

*私は実は今年初めて知った本。古今東西の神秘思想家の心に残る章句とテーマごとに集めた、ハクスリーによる神秘思想の解説書。とても美しい本だと思います。とはいえ片桐ユズル先生、「読んだことない」と一蹴。(確かに、この本をユズル先生が読んで感動している姿は想像できないなぁ。戦前日本の宗教とつながった国家主義を体験されている片桐先生は、神秘思想にはちょっと懐疑的でらっしゃるところがあるかもしれません。お祖母様が熱心なキリスト教徒であったということも関係しているかもしれないけど。ビート二クスの詩、フォークソング、ソマティクスというユズル先生的な地平を広げていかれているような)


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1954年、「知覚の扉」を出版。

*ハクスリーを最も有名にした本ではないでしょうか?幻覚剤メスカリンが、かつての幻視者・芸術家たちの経験をよみがえらせる知覚の可能性の探求を通して、ハクスリーが芸術を、文明の未来を語り、後のニューエイジ運動の火付け役となった。すなわち、サイケデリック時代を引き起こした名著。ある意味、私は、この本は“美学”の本としても読めるかもしれません。絵の話がいっぱいでてくるから。ものの見え方と、表現の仕方の変遷。そして、この本の最初に、ウイリアム・ブレイクのこの言葉が書かれているのです。

知覚の扉、澄みたれば、

人の眼に、ものみなすべて永遠の実相を顕さん。


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18世紀のイギリスに生きた、画家であり、詩人であるウイリアム・ブレイクは、幼い時から幻視があり、天使や魔物が見えていたらしく、彼の絵は、それがそのままに描かれていて、まるで生きているかのような絵が残されています(←美学を専攻した、私の卒論は、「ウイリアム・ブレイクの幻想絵画における預言的性質について」。いやぁ、教授達が並んで「あなたの言ってること、わかりません~」と言い放たれたのを思い出しますわ^^。わからないから、通してあげようっていうおおらかさが美学科のいいところ。学生時代にユズル先生に出会ってたらなぁ^^)


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ブレイクの話は、「知覚の扉」の本文に何度も出てきます。そうそう、忘れていました。あとで、ユズル先生の弟さんの中尾ハジメ先生(元京都精華大学学長、日本に初めてマンガ学部を設立した立役者のお一人。京都の歴史的カフェ、ほんやら洞の立役者のお一人でもあります)に教えてもらった。お会いするのは初めてで、ユズル先生よりかなりお若く、今回は、ユズル先生のサポート役として参加してくださいました。そう・・・知覚の扉には、ブレイクが登場する。あの、ロックバンドのDoorsも、名前をブレイクのこの言葉からとったと言っていた。

さらに、ハジメさんから、アレンギンズバーグをはじめとするビート二クス詩人たちは、みんなブレイクが大好きだったという話を教えてもらった。へー、そうだったのか。私は絵画から入ったから、詩人としてのブレイクの影響をあまり知らずにいたのです。(私は、確か、柳宗悦が熱狂的にブレイクを愛していたので、そこから入ったと思う。ロック少女なのにね^^。でも、ロックやパンクが好きなら、ブレイクのことは好きになるでしょう。ビート二クスはその源流)

18世紀の産業革命と、アメリカの独立、フランス革命の真っただ中に生きたウイリアム・ブレイクは、幼い時から、とてもごく自然に、天使や魔物等の幻視が見えていて、両親は彼が生計をたてれるように画業の弟子入りをさせたので、ブレイク自身はほとんどアカデミックな教養は受けていない。銅版画が主な仕事で、いくつか私的に水彩画も残しています。映画「レッドドラゴン」で主人公の連続殺人鬼がのめりこみ、最後はその絵を食べてしまうったという“ドラゴン”の絵もブレイクが描いたもの。見えるがままに、生きているかのように描くのがブレイクの絵の特徴で、中尾ハジメさんが、ブレイクの絵と、日本の漫画とが似ていることを語ってくださいました。確かにそう。。。ほんとうに似ている。。

ユズル先生、ご講演の間、ふっと、会場で座る私と目線があい、突然、ブレイクの話をしはじめてくださいました。ブレイクは、私と、ユズル先生の密かなつながりで、米寿のお祝いの時も、私がプレゼントしたのはブレイクの絵だったのですが、先生、ブレイクがお好きなんだなぁと、あの時、凄く伝わってきました。無垢で、素朴で、直感的で、見えているものは見えているのだと、世の中に妥協しない。なおかつ、あまりにも身体的な詩人(ブレイクの逸話に、裸で庭を歩いていた等があります)

だから、最後に、ご講演が終わったあとに、ユズル先生が、がしっと手を握り合ったとき、「ブレイクのこと、やりましょう!」と伝えてくださったのです。あ、先生、まだまだやる気なんだ!って驚きました。目が輝いておられた。


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私にしたら、原点回帰です。でも、ロック少女から、ソマティクスへと移行した中に、ウイリアム・ブレイクが架け橋となっていたのを、今になって思い出します。

ああ、話がブレイクの話に横道にそれてしまって、恐縮です。

オールダス・ハクスリーに戻りましょう。

ユズル先生いわく、このようにハクスリーは、「ベストセラー作家から、いっきに真面目なところに行き、さらに“変なところ”に進んでいった。売れっ子作家としてのハクスリーは、「すばらしき新世界」で終ったけれど、実は、それ以降のハクスリーが重要」とのこと。まるで「すばらしき新世界」の主人公が、その世界から逃げ出していくかのように。(そこから、ハクスリーは、「すばらしき新世界」から30年後の、最晩年、ディストピア小説に対して“ユートピア小説”を書き残します。それが「島」。まさに、片桐ユズル先生の翻訳。)


「知覚の扉」を書いたあと、1959年。ハクスリーは、有名な連続講演をカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校でおこなったといいます。それがHuman Situation (人間の状況)。その最終章が「HumanPotential(人間の潜在的可能性)」で、後のエサレン研究所の発動の原動力となった、いわゆるヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントへと発展していきます。これは、「ハクスレーの集中講義」として、人文書院から片桐ユズル先生の翻訳本として出版されていますが、のちに、2010年、ユズル先生は「多次元に生きるー人間の可能性を求めてー」(コスモス・ライブラリー)という抄訳本にまとめられています。ユズル先生いわく、ご自身で一番好きな本がこれとのこと。ヒューマンポテンシャルとは、人間の脳は1万年以上昔の石器時代からほとんど進化していなくて、まだまだ脳の中の未知なる可能性が秘めていると。サイケデリックと神秘思想、瞑想や、アレキサンダーテクニーク等のソマティックな体験から、意識の内的な探求がこれからの人類には重要であることを説いた内容ですが、その中で「身体性」「直接体験」「気づき」そして、楽しむことが強調されています。エサレン研究所は、まさに内的な意識の成長のための実験劇場として、創られていったリトリートセンターでした。



さて、ユズル先生の抄訳「多次元に生きる」には、この「人間の潜在的可能性」と「両生類の教育」と「知ることと、さとること」等の講演とエッセイが収録されていて、さらに、ハクスリー生誕100周年にユズル先生とご一緒に参加された、中川吉晴先生との対談も収録。ちょっと、今、つらつらと読み返しているのですが、今読むのに、一番ふさわしい本がこれかもしれません。特に、訳者あとがきは、ユズル先生の関西フォークから、ハクスリーへ、そして、ソマティクスへとつながる軌跡を読み取ることができます。


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言語の世界と、非言語の世界の両方を生きること。

意識と無意識、こころとからだ。

さて、このハクスリーの人間の状況の講演を聴いた、若き、マイケル・マーフィーとディック・プライスが、ヒューマンポテンシャル運動を実践するリトリートセンターを開くために立ち上げたのが、エサレン研究所です。カリフォルニアのかなりの僻地、ビッグサーに、開かれていった実験の場。19621月、ハクスリー自身が招かれたワークショップが、一応、エサレン研究所のはじまりの歴史となっていきます。


しかし、この時期のハクスリーは、すでに舌癌が発覚し余命宣告をうけ、そして、ロサンジェルスの自宅が全焼するという災難にあい、「持ち物も、過去もない」状態に。これは、この日、初めて知りました。そんな中、インドと日本にも、訪れていったそうです。ハクスリーの最晩年。

その頃に著された書が、遺作となった「島」。

1962年、亡くなる1年前。エサレンが始まった年に出版されています。

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それは、ハクスリーの名を知らしめた「すばらしき新世界」の描いた、ディストピアの正反対である、ユートピア、理想郷を描いた小説。30年間の時をこえて。これもまた、片桐ユズル先生の、翻訳です(私が、ユズル先生の名前を知ったのは、島の訳者としてです)

不思議な変遷で、何故か30年以上前から私の書棚にはオールダス・ハクスリーの遺作である「島」がありました。今、古書で2万円以上するってびっくり。「島」の文学的位置づけは、長い間知らずにいましたが、今回のソマティック・京都フォーラムでは、「島」が著された最晩年のハクスリーのことがよく理解できたのが収穫でした。ハクスリーは、「島」をどのような気持ちで著したのだろうか? がんで余命宣告され、家が全焼し、持ち物も過去もなく、それでも、エサレンというわけのわからない場所を開いた若者たちが自分を慕う。この時期は、ティモシー・リアリーや、ジョン・C・リリー達、サイケデリックの意識の探求を深める人々も、ハクスリーのもとに。まだ、何も形にはならないけれど、確かな潮流が蠢いていた時期であることは、肌で感じていたでしょう。

そんなことを、片桐ユズル先生に、聴きたくなって、会場で質問をしました。

すると、突然、ユズル先生、とても、しっかりしたお腹からのお声で、こうおっしゃって。。。それが、ハクスリーの言葉なのか、ユズル先生の言葉なのかもうごっちゃになってわからないのですが。私には、こう聴き取れました。

あらやゆる前線において、同時に、

総攻撃を起こす必要がある。

変な人の、変な人の集まりがだいじ。

リベラルアーツ!

ちょっと、これは、ユズル先生の預言の言葉のように響いちゃったのですが。。

眼が輝いておられて、先生の存在から発するワクワク感が伝わってくるのです。

エサレンに集まった変な人たち。

アラン・ワッツや、シャーロット・セーヴァー、フリッツ・パールズ、アイダ・ロルフ。ハーバード大学を追い出されたティモシー・リアリーとラムダス。みんな、当時は、何をやってるのかわからない、変な人たちでした。エサレンは、変な人達が居心地よく集まり、語り合い、わかちあう場所だったのです。

それがおそらくは、ユズル先生が愛した京都のカフェ、「ほんやら洞」もそうだったのでしょう。

「島」は、ハクスリーが見抜いた、未来の管理社会を描いた「すばらしき新世界」の返歌。私達が、すでに陥ってしまっている機械化された社会で失われてしまったものへの解毒剤。今こそ、読むべき本なのかもしれません。(というのは、30年以上もちながら、今だ読めていないのです、この本を。それを、かなり前に、ユズル先生に伝えたら、これまた凄く嬉しそうに眼を輝かせて、そうでしょう、そうでしょう。と。あれは、何も起こらない本だから読んでて面白くないからね~と。実際に、この本の内容は、それほど、何も起こらないものではないのですが、でも、何か、トーンが違うのでしょう。実際には、様々なことが起こっていくのですが、この本は、「気づきなさい」から始まり、「気づきなさい」で終ります。

オールダス・ハクスリーは、「島」を出版した翌年の、1963年。私の生まれた年ですが、まさに、ケネディ大統領が暗殺されたその日に、この世を旅立ちます。

「島」の訳者、後書きの中の、片桐ユズル先生の文章の、ハクスリーの臨終を著した下りがとても美しいので、そのまま、記載したいと思います。

「『島』は全篇、死の影のもとにあり、生き方とならんで死に方がおしえられる。ハクスレーは、マリア夫人を1955年に乳がんで亡くしたときには、死の床で手をとって、「かろやかに、かろやかに、お行きなさい」といって死ぬのを手伝った。そして、彼自身は、1960年の夏、『島』の完成の1年前に、舌のガンと診断され、19631122日、ケネディ大統領暗殺の日に、LSDが効いてくるなかで、「かろやかに、かろやかに」とローラ夫人に手をとられながら死んでいった(69歳)。そして、バラ(島の名前)も、大国の石油利権争いと隣国の軍事独裁政権のはざまで、非武装無抵抗のまま、こわされていく。ユートピアの作り方だけではなく、ゆきとどいたことに、滅び方も示されている。仏陀は悲しみを示し、悲しみの終わり方を示した。ハクスレーはさらに、悲しみの終わり方の終わり方も示した。これらすべて宇宙神シバ・ナタラジャの踊りのひとこま。」

ユズル先生の遺された著書は膨大で、翻訳もご自身の詩や著書の言葉にも、存在とつながる重みがあります。文学者であり、身体学者でもあるユズル先生から零れる言葉は、詩をこえて、フェルトセンスすら超える何かがあって。

今回のフォーラムでも、ユズル先生の発せられる数少ない言葉を、会場のみんなが、その呼吸や、まばたきや、声のトーンなどを、見えないもの、聴こえないものに、ユズル先生を知らない人ですら、じっと、それを受け取ろうとすることができたのは、ユズル先生が、もう、存在の奥底から言葉を発することしかしない方だからではないでしょうか。

昔、初めてエサレン研究所を訪れたとき、シャーロット・セーヴァーのワークショップがあり、遠目でですが、シャーロットの姿を垣間見ました。90歳代後半だったと思います。耳はほぼ聞こえていないということで、動きも微細で、私にはその姿が“深海魚”に見えました。ゆっくりと味わい、感じ、動き、必要なことしか語らない。その空気感の中で、おおいなる一体感がクラスでは生まれていったと、参加した人が教えてくれましたが、その光景となんだか、重なっていきました。

呼吸。

ただ、在ること。

存在の深み。

零れる、言葉。

ほんの数秒でも長く、ユズル先生の呼吸、微細な動き、零れる言葉にふれられる時間を、どうぞ、神様、私達に残してください。

1日だけのフォーラムでしたが、関東からも大勢の方が集まってくださり、賑わいました。

ユズル先生を通じて、とても豊かな一体感が広がっていきました。

ユズル先生は、午前中だけで充分に疲れてしまわれたので、午後は、自宅からオンライン参加に。でも、もう、ほんとうにお疲れで、画面の向こうのユズルさんは、お布団の上でゆっくりお休みになられていました。ただ、横たわるだけで、ソマティクスの深みを伝えてくださる・・・。みんなにとって、忘れられない光景となりました。ほんとうに、お疲れになられたのでしょうから、ただただ、共に過ごしてくださったことに感謝です。


なんとかお元気になられて、ライヒのことも語っていただきたい。私が最初に出会った片桐ユズル先生の翻訳本、ライヒの療法について書かれた「オルゴン療法がわたしを変えた」。そして、近年出版された「聞け!小人よ!」


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最後になりましたが、この場を創ってくださった、ソマティクス心理学協会代表の久保隆司先生をはじめ、スタッフの皆様には心から感謝です。

貴重講演をしてくださった、同志社大学でホリスティック教育を教えておられる、中川吉晴先生のお話も、非常に深かった。中川先生と再会できたのも嬉しかったです。ハクスリーのことでこんなに人が集まるの?と、驚いておられたのも。

フォーラムでお馴染みの体験ワークショップも、非常に良かったです。私は、田中千佐子さんのクラスを。来年、発売される「The ART of Seeing」は、ハクスリーがベイツ・メソッドを通じて、眼について書かれた本で、今日は、そのワークも体験させていただきました。あのハクスリーが!と思うほど、ポップでわかりやすい目のワーク集です。

アレキサンダーの新海みどりさん(ユズル先生の愛弟子で、ずっとお世話してくださっています)のクラスや、角南和宏先生の「まなざしーみること、ふれること」も体験したかったなぁ。。。

そして、最後の座談会では、宗教学者の鎌田東二先生と、日本ホリスティック医学協会の降矢英成先生も合流。実は、私はその前の2日間、お二人の京都ツアーに参加していました。その日は、鎌田先生の比叡山ツアー。私も参加したかったのですが、やはり、ソマティクスの大会が優先であきらめました(来年、4月にもう一度、鎌田先生の比叡山ツアーをおこなってもらう企画があがっています。気になる方はぜひご連絡くださいかっ


鎌田先生が、日本の仏教思想の「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいみなじょうぶつ)」を語ってくださいました。涅槃経の言葉で、私も好きな言葉です。生きるものだけではなく、無機物ですら、みな、物性を具有し、成仏するという思想。東洋と西洋の違いはあるかもしれませんが、圧倒的な力で、西洋文明を批判したハクスリー、どこか通じるものはあるのではないか?と、ちらっと思っています。この話は、また続く・・・ですね。 


夜は夜で、京都で素敵な会合が。

語りきれない夜となりました^_^。



# by reiko-koyago | 2022-10-17 11:25