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一緒に傷つき生まれる絆

学生時代から、釜ヶ崎で野宿者たちの支援活動に参加し、現在は、NPO法人北九州ホームレス支援機構、理事長・牧師である、奥田知志さんの、3月30日の朝日新聞に寄稿された、東日本大震災に寄せる寄稿文です。何度も何度も読み返してしまい、ずっと心の中にとどめ、保存しておきたいので、ここに記します。

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大震災の苦難は、被災した人々を自責へと向かわせる。家族を助けてやれなかった悔しさ、弔うことさえままならない現実。時に愛はそのような表現をとる。人々がそうせざるをえないのなら、少しだけでも、私も一緒に責められようと思う。一緒に傷つきたいと思う。耐え難い悲しみをどう共有できるのか自問しながら、被災者支援に携わっている。

甚大な被害を前に、北九州でも引き受け手が必要だと市に訴え、官民協働の「絆プロジェクト北九州ー第二のふるさと計画」が始まろうとしている。住宅や生活物資の確保、就労支援、伴走型生活支援など、それぞれのチームを編成し、市民ファンド(募金)も立ち上げる。何よりも重要なのは、被災者に寄り添って生活する地域ボランティアの存在だ。1世帯に数人の担当者をつけたい。

阪神大震災では、仮設住宅に入居後に孤独死や自死の問題が起きた。ハウスレス(物理的困窮)状態を脱することができても、ホームレス(無縁)状態が解消されないという問題が、そこにはあったと思う。その苦い経験から私たちは立ち上がらねばならない。

息の長い支援で絆をつむいでいきたい。ただ、支援の場では生身の人間のぶつかり合いが起こり、お互いに少なからず傷つくことがある。裏切られウソをつかれることがあった。こちらが逃げ出すこともあった。長年の支援の現場で確認したことは、絆には「傷」が含まれているという事実だ。

もしも支援が受けたい人が「こんなもの、いらない」と言い出したら、支援者は傷つくだろう。対人支援は、実はそこから始まるのだ。叱ったり、一緒に泣いたり、笑ったり、その人の苦しみを一緒に考え、悩む。そのように誰かが自分のために傷ついてくれるとき、自分は生きていてよいのだと知る。

22年間のホームレス支援活動で、私たちもずいぶん傷ついたが、「それでいいのだ」と言いながら、歩んできた。しんどいが、豊かな日々だった。そして北九州では、1200人が自立を果たしたのだ。

人の支援は、一人で支えようとしてもつぶれることを知っている弱い人たちが、それでも、「何かやってみよう」と集まり、チームをつくることで成り立っている。いわば「人が健全に傷つくための仕組み」なのだ。国家によって犠牲的精神が吹聴された時代をいさめつつ、いまこそ他者を生かし、自分を生かすための傷が必要であることを確認したい。

昨年末からのタイガーマスク現象は、「匿名」の支援ということに特徴があった。匿名は、それが名誉欲からの行為ではない証しだが、反面では「相手に出会うことを回避するため」だったようにも見えた。「困窮者を助けたい」と多くの人が思っている。「でも、深入りするのは怖い」とも思う。「支援するなら最後まで責任を」という重圧が社会にあり、助ける側にも自己責任がのしかかる。この呪縛を解かねばならない。

いま未曾有の事態を前に、私たちの前には二つの道がある。傷つくことを恐れて出会いを避けるのか、それとも顔を見せて相手に寄り添い、傷ついても倒れない仕組みをつくるのか。


            NPO法人北九州ホームレス支援機構、理事長・牧師  奥田知志



PS 残念ながら面識はないのですが、この方と同じ時期、同じ大学で、同じような思いが錯そうし、傷つきながら青春時代を過ごしたのを思い返され、ここに記されていることがとてもよく伝わります。よくぞここまで貫かれたと、同窓でもっとも尊敬する方です。
by reiko-koyago | 2011-04-05 20:53