レイライン通信 ~ 光の循環~  / 中川れい子のパーソナル・ブログ

― 弔う心 ー  宗教学者・山折哲雄さんの言葉から

 レイライン通信。
 なんと、8月以来、4か月ぶりの更新です。
 2004年にブログを開始してから、こんなに長い間、休憩したのは2度目でしょうか?
 最近、NPO法人タッチケア支援センターのブログ(http://touchcare.exblog.jp/)の更新が忙しくて、なかなか個人ブログのレイライン通信が更新できなかったのであります。

 でも、やっぱり、続けていきたいので、「うんしょ!」と更新することにしました♪ 公式なお知らせはタッチケア支援センターのブログでお伝えするとして、レイライン通信は、私個人のつぶやきを記録していきたいと思います。懲りずに続けていきますので、時々、お立ち寄りくださいね^^。

 さて、再開のきっかけは、昨日の朝日新聞夕刊での、元東北大学助教授の宗教学者、山折哲雄さんのお言葉でありました。


宗教学者・山折哲雄さんに聞く 2011年12月12日 朝日新聞夕刊 

・・・・・(略)・・・今回の大震災では、一度に大勢の方たちが亡くなり、お弔いが大問題になりました。生き残った人たちと亡くなった人たちとの「絆」をどう結ぶのかというのが難題です。
 亡くなった方達は、法律(墓埋法)に従って行政が所管しています。一方で死者との関係は宗教の領域でもあるのですが、各地の遺体安置所に宗教家は近づけませんでした。政教分離の問題が出てきたからです。
 でも、私は、安置所に入り、死者の前で悼む宗教家が次々に出てきてほしかったと思っています。浄土・極楽・あるいは天国でもいい。「亡き人はそこに行く。だから私は、そばで祈り、念じる」と制止を振り切ってでも、堂々と近づいてほしかった。
 法律を破れとか、政教分離を踏みにじれと言っているのではありません。これからも大きな災害が起こる可能性があります。その時に、今回のようなお弔いでいいのか。宗教はどうかかわっていけるのか。そんな問題提起を宗教の側からできたはずだと思うと、残念でなりません。・・・・(略)・・・・・・・・



 阪神淡路大震災のとき、ほんの数秒の大地の揺れで、お向かえの家や近隣の方を含め、6000人以上の方が命を落とすという事態に際し、あまりの混乱の中、人の死を悼む心は限界をこえたパニックな状況にあったように記憶しております。それでも、私の中で、震災から数年の間は、明確に「死者達」との対話の中で過ごされておりました。少なくとも、自身の行動と心の中で、1月17日の未明に命を失った一人の女性の魂の弔いのために駆け巡った1年がありました。被災地内部で一生懸命奔走する地元支援者の多くは、どこかで身近な人の死を受け止めていたように思います。被災者は、あるいは、被災地は、「死者達」と共に在る”ゾーン”なのだと思います。

 宗教というものは、何かを思い込むものではなく、自然な心の発露として死者を悼み、魂を癒そうと全力を尽くす、心の自由の中に流れていくものなのでしょう。それに対して、政教分離の名のもとに、私達の遺体が冷たく管理されていく現実を見るとき、私は冷静でいられない何かを感じます。

 1995年の阪神淡路大震災の時も、私達に宗教的な支えは必要であり、静かに名もなき宗教的感覚が芽生えていったのでありました。
 しかし、あの同じ年の春に、東京で地下鉄サリン事件というとんでもない事件が起こってしまったのです。阪神淡路大震災であれほど大勢の人達が命を失ったのに、そして、大勢の人々が彼らの死を心の底から嘆き、悼んでいるのに、わざわざ地下鉄に毒ガスをまいて人を殺害するという宗教がこの世に(しかも、同じ日本で)あるということが、まったく理解ができませんでした。神戸と東京の「温度差」という言葉を通り越して(被害者の方には申し訳ありませんが。被害者という意味ではこれほどの被害者の方はおられないでしょう)、まったくの茶番であり勘違いであり、その宗教的無能さと、私達被災者の心を踏みにじる歴史的犯罪に途方もない怒りを感じたものです。

 あの時、私達の中に、あきらかに死者との絆のもとで生きようとする、魂の萌芽があったのです。しかし、あの地下鉄サリン事件の茶番で気泡ときしてしまいました。(まったく、余計なことをしてくれたものです!) 私達は、それを「宗教」とよぶことを恐怖し、遠ざけていってしまいました。
 
 東日本大震災では、15840人の方の死亡が確認され、いまなお3529人の方が行方不明です。
 このことは、本当に重い現実であり、東北の地は、この亡くなられた方達の御霊との対話がなくして、復興は進められないでしょう。まさに、彼岸との対話が、日常でおこなわれるべきものであり、おそらく、地元の宗教観とあいまって、粛々とそれが行われているはずだと想像します。
 
 祈りや鎮魂は、死者の魂を癒し、生きる者の心もなぐさめ、そして、私達の行く道を照らします。
 宗教は、呼吸するかのように、私達にとって必要な魂の栄養分となるべきものです。
 しかし、もはや、私達は、それを「宗教」という言葉でよぶことに違和感を感じてしまっています。
 これは、新たな試練です(そういう意味で、地下鉄サリン事件は、文字通り悪魔の仕業だったのでしょうか)
 
 スピリチュアルケアでも、グリーフケアでも、その呼び名はなんでもいいので、私達から魂の栄養を奪うようなことが、二度とおこらないように、今度こそ、気を付けて歩みたいと思います。

  
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by reiko-koyago | 2011-12-13 12:57

エサレン®ボディワーカー、amana space &NPO法人タッチケア支援センター代表の中川れい子(旧:こやごれーこ)メッセージブログです。お問い合わせは mail@amanaspace.com 。 HP http://www.amanaspace.com/ http://touchcaresupport.com/
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