2018年 11月、花脊(京都府)
〝Movement で体験する胎生学
~体験するembryology~
参加させていただいたワークショップ
体験報告、その2です^^。
その1は、こちら。
このクラスの醍醐味は、キャロル先生に加えて、田畑浩良さん、藤本靖さんという、お二人の日本を代表するボディワーカー(ロルファー)とのコラボレーションであったということ。その2では、こちらの私的レポ―トを。
その前に、そもそも、なぜ、ボディワーカーは、胎生学を目指すのか??を、自分なりに、ちょっと考えてみようと思います。
ウイリアム・ライヒの流れをくむ、バイオシンセシス(現・BIPS)や、ボディマインド・センタリング、ロルフィング、クラ二オセイクラルセラピー、オステオパシー、フェルデンクライス・メソッド、アレキサンダー・テクニーク、、、、そして、そこはかとなくではありますが、エサレンボディワークもまた、施術者は、この生命の始まりの起源である「胚」の状態に意識を向けていきます。もちろん、そのことで、すぐに施術の技術に直結するわけではないのですが、どのボディワークにおいても、共通のテーマである、人間存在の全体性の統合と根源的ないのちの力にコンタクトする、、、いうコンセプトが、ここに辿り着いていくのかなぁと想像します。
私は、エサレンボディワーカーなので、エサレンの文脈での体験となりますが、それは、4年ぶり、二度目のエサレン研究所に訪れた2003年の時の体験です。すでに千回ぐらいの施術数はこなしてはいたでしょうか。。。ビッグサーから遠く離れた6畳一間の自宅サロンで積み重ねてきた施術の数々が私のからだに沁みつけたものが、ビッグサーの波の音を再び聞いたときに、何かを目覚めさせました。
それは、子宮の中、胎児が育まれている、宇宙とつながる空間。波の音は、地球の鼓動。同時にそれは、私達の身体の中のパルスでもあります。わたしたちは、そこで生命の原初へとたちかえり、産まれ変わっていく。ボディワークにおける癒しとは、そういうものなのだと、、、何かがすとんと落ちました。エサレン研究所とは、大いなる海に包まれた、そういう装置のように思えたのです。
エサレンボディワークでは、オイルの感触を使い、からだの中のウエイブを”動き”とともに活性化していきますが、しかし、この動きの中でとらえるもの以上に、実際には、静けさの中でとらえる、微細な体内のパルスのほうが、より生命の根源に近いもの。。。ここは、ついつい動きすぎてしまうエサレンの見落としがちな点かなぁと思います。おそらく、オステオパシーやクラ二オ等のワーカーさんたちは、こうした微細な動きに意識をむけていかれるのでしょう。stillness 静けさ。静止すること。その中に、根源的なリズムが立ち上がってくる。。。ただ、触れて、感じてみる。あるいは、活性化する。
私は、少しだけ学んだだけで、専門家ではないので、多くは語れないのですが、ロルファーやクラ二オのワーカーさんにとっては、胚子や胎児の原初のパルスは、施術そのものに直結していくもののようです。(すごいな~、リスペクト♪)
田畑浩良さんの、角度や距離、空間を感じながら、ゆっくりと、近づいていくワーク。これが、うわさの触れないロルフィングかな?? その時に、胚子の周辺の、やわらかな絨毛膜をイメージしていくのですが、このアイデアには、はっとさせられました。これも、こころにやさしいタッチケア講座で踏絵のように必ずおこなう、「人と人との間にふれる」ワークとつながるのですが、一層、洗練されたイメージをいただくことができました。何よりも、田畑さんの佇まいが美しくって。。。。さすがだなぁ、、と感心して、眺めておりました。
田畑さんのワークは、言葉で説明するのがちょっと、難しいような気がするので(いや、言葉にしないほうが良いような。。。)、次に、藤本靖さんのワークをお伝えしたいと思います。こちらも言語化するのは、難しいのですが、藤本さんは、ボディワーク業界、屈指の理論派でらっしゃるので、記憶をだどって振り返ってみようと思います。まずは、、、。
胚にある「付着茎(ふちゃくけい)」
おへその原型。
胎児は自立した存在として、子宮の中に足場をつくる。
それが、おへそ。
おへそは、胎児の原初のグランディングの基本。
私は、グランディングのイメージに、地球とのつながり、地球の中心にぶら下がってる感じ(←野口三千三さんの「重さに貞く」より)、大地にささえられている/ゆだねられる感覚をイメージしますが、実は、もっと、自分の根源とつながるイメージが欲しかったところ。。。それが「おへそ」。胎児の状態をイメージして「へその緒」とのつながりをイメージしてみる。へそのグランディング。たぶん、子宮の中は無重力のような感じなので、大地によりも、おへそに、、、なのでしょうね。
翌日に、おへそと尾骨に手をあてながら、その「あはい(あわい・間)」を感じるワークもおこないました。
ペアになって、相手の方に、おへそと、尾骨に手をあてていただきます。
「あはひ(あわい・間)」のワーク。
これは、面白いワークです。●●と、〇〇の間には何があるのか?? おそらく、それは無限なのでしょう。無限の可能性の中で、うきあがってくる、「あはひ」。
おへそと、尾骨に手をあてていただいていると、ふわっと、何かが内側から浮き上がってきました。それは、とても、明確なもの(ちゃんと書くと、ワークを受ける方にとって先入観になるので、ここは、ぐっと我慢して体験はシェアせずにおきますね^^)。
普段何かに隠してしまい、忘れてしまっている何かを、「あはひ」の中で立ち上げていく。。。それは、内側から立ち上がるものなので、とても、しっかりとした感覚があります。そのまま、立ってみる。すくっと、中心ができている。受け皿がある。下半身がしっかりした感じ。目も開き、胸も開き、世界に開かれている自分。からだって、ほんと、面白い^^。尾骨と、おへその出会い。
「人間は、生まれてから6か月間、あおむけに寝て過ごします。生き物の中で、6か月もあおむけになったままなのは、人間だけ。その間に、新生児たちは、世界と出会っていく。あおむけの間に、好奇心が刺激されていく。そして、世界と出会う。。。世界と出会うことで、二足歩行がはじまったのでは??」というのが、藤本さんの推論。これは、とても、腑に落ちてきました。
翌日は、それに、ハートと頭頂に手をあてて、その「あはひ」を感じることも、加わりました。ちょっと違う角度からみると、チャクラとチャクラを、つなげているかのようにも見えますが、それを、チャクラや、エネルギーセンターと言ってしまわずに、内側から感じてみるものを、立ち上げていくのが、生命の、生き生きとした活性化した何かを感じさせてくれるのでしょう。とても、ボディワーク的な取り組みだと感心しました。
ハートと頭頂の「あはひ(間)」
私は、とても面白い体験をし、何かをはっきりと感じられたのですが、それも、書いてしまうと先入観になるので、書かずにおきますね^^。
この「あはひ(あわい)」のワークは、他にも、いくつかありました。
体験してみると、面白いものですね。
もうひとつ、このワークショップの、重要なテーマがありました。
それは、
「心拍」と「呼吸」
藤本さんから、現代人のストレスが自律神経系にダメージを与えるときに、その回復法の1つとして、「心拍変動」の説明がありました。これは、バイオフィードバック・セラピーでもよく扱うものですが、藤本さんの説明がとてもわかりやすく、腑に落ちました。(藤本さんは、バイオフィードバック・セラピストの私の夫の、中川朋の勤めるクリニックを、取材してくださっています。それは、夫のクライアントさんである、視覚障害の部、パラリンピック水泳選手候補の富田宇宙さんの取材なのですが、とても、わかりやすくまとめてくださっています。くわしくは、月刊「秘伝」11月号をご覧ください)
心拍変動とは、外の環境変化に対して、対応できる力で、心拍リズムの「ゆらぎ」をあらわします。すなわち、ある一定のストレスがかかると、心拍は上がり、リラックスすると、心拍は下がる。その変動があることは、人間の神経にとって、ヘルシーな状態を表します。
(余談ですが、、、バイオフィードバックの、ストレス・プロファイリングは、この作用をうまく使います。心拍をセンサーで計測しながら、セラピストが、何かストレスを与えます(引き算の暗算とか、、、)、、、すると、健康な方の心拍は上がり、リラックスすると、下がります。ストレス時と平常時の「差」がある。たとえば、うつ状態の方は、その心拍変動の差は低い。この差を、「心拍変動のゆらぎ」とよびます。ゆらぎが高いほうが、ヘルシーだということができます)
また、藤本さんによると、20代の人と、50代の人とくらべると、若い人のほうが心拍変動のゆらぎは高いということ。(一方、新生児は、実は心拍変動のゆらぎは低いらしく、だから、赤ちゃんには、一定の刺激が必要だということです。赤ちゃんが、スマホにとても関心をもつのは、そうした神経的な刺激がスマホには満載だからということです、なるほどー。)
心拍変動に、いい感じで刺激を与えるのは、「呼吸」。
吸う息とともに、心拍は高まり、吐く息とともに、心拍は下がる。
この変動は、私達の神経系を調えるのに、役立つ。。。
これも、バイオフィードバックの、心拍変動トレーニングによる、呼吸誘導(心拍変動を観ながら、呼吸のリズムをあわせていく)によるリラクセーション法を連想します。藤本さんの解説で、私も夫のやっている、バイオフィードバック療法のことが、理解できてきました(もちろん、このクラスでは、バイオフィードバックのことは、語っておられませんが)
そこで、藤本さんからのワークのご提案。
心拍と、呼吸の、
両方を同時に観てみる!
その向こう側に立ち上がるものが浮き上がってくる。
それが、生命の根源的な力(life force)へとつながっていくのではないか?
このお言葉も、膝を打ちます。
タッチケアのワークでも、ただ触れるというシンプルな行為の中に、自分自身の、そして、相手の呼吸を感じ、そして、心拍を感じることをやってみることが、大切なワークでもあるのですが、とてもシンプルなワークなのに、受け手の方は深いリラクセーションへと入ることができるので、納得です。呼吸や、脈動、、、様々な「ゆらぎ」が身体の中にはあり、その、ゆらぎを感じてみること、そのゆらぎの中で、波乗りすることで、やがて、あらたな、ゆらぎが、生まれてくる。。。そんな感じでしょうか。。。
このクラスでは、心拍への注目がとても大きかったのですが、なるほどなぁ、、、と思います。絨毛膜の中で産まれた血液は、血管となり、やがて心臓へと育っていく。まずは、流れと脈動がありき、、、そして、その後に心臓が生まれたのです。リズムとパルス、ありきなのでしょう。脳波以上に、心臓の周波数が重要であるという、最新の研究もあります。ハートとハートでつながっていくことを、ハートマス研究所等の、現代科学は、理論的に証明しつつありますから。
さらに、藤本さんのワークは、驚くべきものでした!
実際に、呼吸と心拍を、
耳をあてて聴いてみる!
耳をお腹において、相手の方の、呼吸と鼓動(心拍・脈拍)を直接「聴く!」。20年間、ボディワーカーをやってきて、手の平で相手の方の心拍や呼吸をいやというほど体感してきましたが、実際に耳をつけて聴くは初めての体験!なぜ、それを今までやらなかったのだろう?と目からうろこです!
そこには、様々な音や、ゆらぎがありました。
海の中のようです。
呼吸のゆらぎ、鼓動、、、お腹の音、、、水のようなぼこぼことした動き。
場所は、みぞおちあたりと、おへその腸のあたりに。
迷走神経系とも関係する、重要な場所。
聴く側も、聴かれる側も。
聴きあう間に、ごく自然と、二人のからだの内側の「ゆらぎ」が共鳴し、そして、いつしか、同期しはじめていくのでしょう。。。
終わってみて、驚いたのは、背中の固さやこりが、見事に取れていたこと!からだが軽い!
おそらく、迷走神経系に深い安らぎが届けられたのだろうということ。。
神経が、ここまでやすらぐと、これほどに身体が楽なのか?って、、、。
共鳴・共振・同期は、ただたんに、相手に安心感を提供するだけではなく、神経系にダイナミックに作用するのだということが、わかりました。
すべては、神経。なるほどー。
「感じることは、寄り添うことである」とは、いつも、タッチケア講座で力説していることなのですが、感じることは、また、共振することであり、共振・共鳴することで自然と同期がおこり、あらたな調和が産まれていく、、、そこに「癒し」が立ちあがっていく。究極の寄り添いですね。これって、決して、難しいことではないと、、思うのです。
緩和ケア病棟のベッドサイドで、ただ触れる・・・というシンプルなワークがとても必要とされるのですが、そこに、神経系を穏やかにする大きな可能性に、確信が芽生えてきました。患者さんは、最初は不思議そうにされるのですが、数分で、穏やかに落ち着いていかれます。魔法のようですが、魔法ではありません。誰にでもできる、癒しのメソッド。今回の胎生学のクラスで、多くの確信を得ることができました。
*
3日間、いろんなワーク、いろんなムーブメント、様々な方とペアワークを行って、気が付けば、境界線がゆるまると同時に、ゆるやかな、パーソナルスペースが、新しく再生していっている。。。つながったり、離れたりできる、柔軟性のある、豊かな境界領域。
ああ、こうやって、育んでいくんだなぁって、3日間で、人間の再生と統合のプロセスを、創世記のように、振り返ることができました。
ご一緒させていただいた、この、いのちの根源的な領域に、並々ならぬ関心と情熱をもってのぞまれている、参加者の方々との交流も、とても、楽しかったです。(ロルファーさんたちの、からだへの探求力の深さには、ただただ脱帽!)
この、濃い~内容のクラスを、ささえてくださった、コーディネータさんや、通訳さんにも、ひたすらに感謝。
帰りのタクシーのおじさんが、教えてくださったのですが、花脊のあたり、先日の台風21号で、土砂崩れに、倒木があいつぎ、叡山電車も、鞍馬から花脊へとつながる一本道も、10月半ばまで通行止めだったらしく、、、、新しく開通して、間がなかったとのこと。
さすが、花脊、やってくれます^^。
主催者の方のお気持ちになると、これがどれほど大変なことなのかがよく理解できるので、泣けてきます。
同時に、このワークショップの、神聖度の深さを痛感しちゃったのでありました。
ほんとうに、ささえてくださって、そして、開いてくださった方々に、感謝でいっぱい。
13年ぶりに訪れたのに、花脊の山村都市交流の森の管理人の方が、私の顔を覚えてくださってたのも、嬉しかったです。花脊は、古くから、京都の貴族が落ち延びていくところ。それを、里の人々が、やさしく穏やかに受け止めていった里でもあります。
まるで、祝祭のように、紅葉の色づきが、あざやかで、驚きました。
いのちの秘密を、おおいなる存在が、のぞかせてくれたかのような色彩でした。
花脊、また訪れたいです。
そして、胎生学、また学びを続けていきたいなぁ。。。
美しすぎた、花脊の秋
素晴らしすぎる、先生たち。
素晴らしすぎる、探求心あふれる仲間たち
山村都市交流の村の前を流れる、上桂川。