水の女神をめぐるー瀬織津姫様と六甲比命大善神社ー
少し前のこと(2019年10月16日)で恐縮です。
フェイスブックに書いた投稿を、あらためてレイライン通信に書き留めました。いつも以上に、オタク度満載です(FBだと流れてしまって読めなくなるというご指摘をいただきまして^^。。。これからは、なるべくレイライン通信にも書き留めるようにしますね^^)
10月16日、六甲山の山頂付近の「六甲比命大善神社」の例大祭に参加させていただくことができました。護摩焚きにも参加。いやぁ、、、やっとというのか、このタイミングで、、、というのか。2012年から16年まで毎年、六甲山で10日に近いエサレン関連のリトリートを主催していたので、六甲山の聖地にはアンテナを立てていたのですが、噂には聞くものの、なかなか行けずにおりました。灯台元暮らし状態です^^。それも、熊野女性性会議で出会った井上香奈子さんのお導きで。(そういえば、初めて堡塁岩に導いてくださったのも「熊野」の流れでした)
水の女神、瀬織津姫(せおりつひめ)様に捧げる護摩焚き法要。般若心経が刻まれているという「心経岩」の前での法要で、巫女舞の奉納もありました。火と水。カミの源流。宮司さんとご一緒に般若心経を大勢の方が唱え、護摩焚きの炎が燃え盛る中、光がどんどん放たれていきました。




そこから、さらに山道を登っていきますと、瀬織津姫の古墳だともいわれる六甲比命大善神社があらわれました。
写真ではあまりわかりにくいのですが、磐坐の規模は、想像をはるかに超えていました。どう見ても、人工的に組まれた磐坐に見えます(六甲山にはそういう磐坐が多いのですが)カタカムナの古文書とも関係する六甲山ですが、こういう磐坐をみると、やはり超古代はフリーエネルギーがあったに違いない、、、なんて想像してしまう。(崩れずに残っているところを見ると、阪神淡路大震災の時も、ここは揺れなかったのでしょうね。地盤が相当に固いのか)

六甲山は晴天で、空が澄み渡っていました。阪神間の街も、綺麗に見渡せます。例祭日和。大勢の方が集まっておられました。そのほとんどが、女性・・・。すでに、六甲比命大善神社は、女性をサポートする神社として有名なようでした。
ここは、神戸市北区の多聞寺さんの奥宮だそうですが、明治以前の神仏習合の時代、多聞寺さんと、西宮の廣田神社さんは神仏習合の関係でらしたらしく、明治以後の神仏分離令後は、ここは多聞寺さんの管轄になったそうです。なので、言い換えれば、六甲比命大善神社は、天照大神の「荒御魂」を祭る西宮の廣田神社さんの奥宮でもあるとのこと。
すなわち、あの「廣田大明神」と呼ばれた女神は、瀬織津姫だったのです。「荒魂(あらみたま)」と呼ばれてきた、名もなき古代の女神。廣田大明神の名は向津媛(むかつひめ)六甲とは「ろっこう」ではなくて、そもそもは「むこ」武庫川の「むこ」ですね。向津媛=瀬織津姫=廣田大明神=天照大神の荒魂(なるほど、すっきりします。さらに神仏習合では、弁財天や吉祥天として祀られてきたそうです)
この数年、瀬織津姫の封印が解かれるとか、謎の女神、瀬織津姫が浮上するとか、、、よく耳にする言葉ではありましたが、これは、おそらく、天照大神を皇祖神としてまつり上げた国家神道の名残に対してのアンチテーゼとして、浮上してきたものなのでしょう。日本の女神信仰は、ヒンズーの女神と同様に、様々な性質と名前をもっていたと思います。瀬織津姫を、古代の縄文の古き女神の象徴とすることも多いですが、私は、やはり、瀬織津姫は「水」の女神。川や清流の女神だと思っています。伊勢神宮ならば五十鈴川。そして、熊野信仰の中心も「川」に宿る神。室生竜穴神社、丹生川上中社、飛鳥浄御原神社、そして、天川弁財天・・・)(こちら、2010年に伊勢神宮をお詣りした時のブログです。私の中で瀬織津姫様、急浮上の記録 https://rayline.exblog.jp/9837932/ )
時代は進んでいつの間にか、六甲山の女神が瀬織津姫様になっていました。とはいえ、最初は、六甲山が水の女神「瀬織津姫」??って、不思議だったのです。今となっては、清流といえる川は目立ちません。うねるような自然霊の象徴である瀬織津姫と、都会化された六甲山。しかし、その都会の中に潜む、荒々しい自然の力が六甲山には隠れています。(神戸で生まれそだった母が小学生だった戦前までは、この周辺の川も何度も氾濫していたそうです)
そして、水・・・。六甲比命神社のすぐ近くに、六甲山の源流ともいえる「清流」の流れる場所を教えてもらいました。飲んでみると、まろやかで、とてもおいしいのです。そりゃそうですね、この水が、灘の名酒を産み出していくのですから。さらさらとした美しい水です。
私達が4度エサレン関係のリトリートを開催したシュライン・ロードの周辺の森にも、小川がいっぱい流れています。キラキラとした清流の流れる音が、どれほど心地よかったか。
北側にいくと、最古の温泉ともいわれる有馬温泉があります。山からは、瀬戸内海の海が広がるのが見下ろせます。
まさに、水の聖地。ここに、古代の「水の女神」を祭る神殿があったとしても、不思議ではない。(もう、私の頭の中では、六甲比命神社は、六甲山の古代の「水の女神」を祭る神殿になっています^^)

(六甲比命大善神社のすぐそばの、六甲の水の源流)
また、瀬織津姫の名は、仏教伝来後は、弁財天・吉祥天とも呼ばれていたとか。そして、如意輪観音もまた瀬織津姫。
甲山の神呪寺の開祖、眞名井御前(如意尼)が、なぜ、甲山を目指したのか?元亨釈書には、広田大明神に導かれ・・・とありますが、それも、また瀬織津姫の導きなのでしょう。
(このあたり、偶然、昼食の時にお隣に座らせていただいた、神話伝承研究家の大江幸久さんから、いろいろと伺うことができました。大江さんが監修された「六甲比命大善神社と瀬織津媛」というDVDも昨晩観ました。超古代の神話の物語のパズルがぴしっとはまっていきます。そして、なにやら、再び丹後を巡らなければいけないような。。。その後の眞名井御前説が浮上^^)
甲山は、六甲山の東の入り口。それは、六甲山修験道の入り口でもあります。
廣田神社ー甲山・神呪寺(鷹寺)-六甲神社(石の宝殿)-六甲比命神社ー摩耶山天上寺・・・と、辿りたくなります。
(六甲山は、修験道に関する遺構が数多くあるのに、現在はあまりにも早くに都市化されたせいか、ほとんど見かけません。六甲山の修験道の拠点は、多聞寺さんと、摩耶山天上寺が中心だったそうです。そもそも、山岳宗教とは、山を女神とみなし、女神と一体化するための修行だったのでしょう)
六甲山の水の女神、瀬織津姫。あの、1995年の阪神淡路大震災の時に轟いた巨大な女神の気配はあなただったのか?と、、、。隠れていたものが、昨日1日でとてもすっきりと霧が晴れていきました。(あの震災から2~3年目のこと。六甲山の色が変わったのがわかりました。何かが変化したのです)
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しかし、このタイミングとは。。。
私は、今、途方に暮れています。
1995年、六甲山の裾野で起きたあの悲劇。あれは「神の戸」を開く序章にすぎなかったということを。巨大災害は津波と原発事故を伴って2011年東日本で再び。そして、地震だけではなく、毎年繰り返し巨大化する台風。暴風雨に、水害、河川の氾濫、ライフラインの断絶。
地球温暖化による海面温度の上昇により、今回のようなモンスター台風は、何度でも私達を襲うでしょう。海水・台風・雨・・・そして、河川の氾濫。この「水」の途方もない脅威。
人間はどのように生きていけばいいのか?根本から問い直される2019年の秋。台風21号の直後に、六甲山の古代の水の女神の神殿に辿り着くとは。。。。
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でも、希望はあります。昨日、六甲比米大善神社で出会った大勢の女性の皆様。(まるで、熊野女性会議の続きのようでした)
「女性性」の力。「水」の力。
水の本質とは「流れるもの」私は、ほんとうにこの「流れる」というエッセンスを愛しているのですが、それは内側から自発的にあふれ出る「流れ」です。
その、内側から溢れ、流れだすものにより、女性は「天」と繋がっていくことができるのでしょう。それは、内なる女神と繋がることとほぼ同じ。それは、人と人、人と自然と「つながる」ちから。

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そうそう、余談ですが、六甲比命神社の磐坐に「熊野権現」の石碑が。花山天皇・熊野権現・仏眼上人。
花山上皇とは、熊野詣を本格化した方です。そして、西国三十三観音も。もう少し歴史を遊んでみたい^^。
そして、心は天川と、そして、丹後、さらに再び熊野へと。
次は天川の1日旅の記録をお届けしますね。

(今回、お写真は、私のスマホの電池が切れてしまったので、井上香奈子さんと、FBですでにつながっていて今回、六甲比命神社で初めてお会いしたSUMIEさんからお借りしています。とても美しい光の写真を届けてくださいました)