心のケアから”品格ある社会”へ(25年目の阪神淡路大震災)
阪神淡路大震災の時に被災者の心のケアに関わりその後の被災地での心のケアに道筋を遺した精神科医師の安克昌さんのことが、昨日のEテレ「心の時代」で特集されていました。https://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2020-03-01/31/10506/2008361/

ディレクターさんが選んだテーマだと思いますが、冒頭で登場した安先生ご自身のこの言葉は、震災後25年目にしてほんと重要だと思います。発掘してくださったNHKに感謝。
心のケアを最大限に拡張すれば
それは住民が尊重される社会を
作ることになるのではないか。
それは社会の「品格」に
かかわる問題だと私は思った。

25年前を振り返ります。実際にこの当時には「心のケア」や「心の傷を癒す」という言葉はほとんど活用されていませんでした。心がずたずたに傷ついているのは当たり前で、まず生活をなんとかしなければいけなかった。。。しかし、命からがら生き延びて、避難所に行き、そして、仮設住宅、公営住宅へと住宅が復興していく中で、傷ついた心をなおざりにしていたことから、多くの被災者が心と身体を病み、がんや心臓病、高血圧、うつ病、アルコール依存症、そして孤独死へと追いやられていったという問題が残りました。
震災復興には、被災者一人一人に、とてつもない我慢と忍耐と抑圧が強いられます。その間に、心を病む人はとても多い。そのことが、せっかく地震そのものからは助かった命なの、擦り切れるように追いつめられてしまう。そのことを示したのが阪神淡路大震災だったと思うのですが、その後の東日本大震災を含む大災害に、この時の教訓がどれほど活かされていったのかなぁ?と疑問に思うことがあります。
が、こうして、安克昌先生の足跡と言葉が遺されたことで、これから、もっと改善されていくだろうと思いますし、実際に、東日本大震災の際でも、圧倒的に臨床心理士さんや心療内科医師、災害看護、そして、私達がかかわってきた、タッチケアや、アロマ等の身体的な心のケア、トラウマワークも増えていったのを見ると、一定の成長は見つけられるのかなぁとも思います。
ここで、とても大切なことは、「心のケア」とは何かというと、心を大切にするということなのですが、すなわち、それは住民一人一人を大切にしていこうという、社会のこれからの在り方の方向性を示しているということです。復興というものは、一人一人の心等にはかまっていられないほど、残酷で暴力的なものでもありますが、
だからこそ、その一人一人の心を尊重するということは、社会の在り方としてあきらめてはいけない獲得課題。
で、、、。今回のテーマは、一歩進んで、
「社会の品格」

安先生の弟さんが、少しコメントをされてましたが、この「品格」という言葉には、そうではない社会への一種の怒りがこめられているのではないか・・・とおっしゃってたのですが、それは、私も、激しく共感するものがあります。
怒りというのか、皮肉というのか、逆説的な意味での「品格」なのだろうと。それは、いわゆる震災弱者といわれる、高齢者・障害者・外国人・・・の存在を排斥する形での復興を想像したからです。この町は、そういう排除を、ひそかに品性としてあがめるような質がある。それは、私自身の疑心暗鬼でもあるのですが。
見えないようにして、手を差し伸べない。
見た目だけを綺麗にする、近代的な都市。
そういうふうに復興した阪神間の街を
「品格ある街」とするようなベクトルもあったのです。
そうではない方向を一人一人の心を大切にするという視点で示し、心のケアを拡張した向こう側を「社会の品格」として道筋を示したのが、今回、安克昌先生が遺された言葉や活動から発掘されたことなのかなぁと思える特集でした(こういう「品格」という言葉の使い方は司馬遼太郎さんもよく使っておられましたね)
安克昌先生。
世代的にはほぼ同じなのですが、コミックやジャズピアノが趣味でらしたのが、思わず共感してしまいました^^。医師ではなく、作家になりたかったのですね。
在日韓国人でらしたという生い立ちも番組では取り上げられていましたが、震災復興では、私は本当に多くのご自身も被災し、震災復興のために奔走した在日として生まれ育った方達とご一緒に活動し、その方達のことを思い出しました。地震による破壊で、文字通り壁が壊れて、垣根が取り払われ、立場も国も民族も超えていった瞬間に、そこに「コミュニティ(地域)」の本来の姿が浮上した瞬間でした。

安先生ご自身も、阪神淡路大震災以前は、コミュニティということを深く考えたことはなかったと、生前の古いインタビュー映像で語っておられましたが、実は、私自身もそうでした。「地域・コミュニティ」とは、同じ大地の上に共に暮らす人々で、そこには、一人一人のいのちの尊厳が、横並びでつながっているフィールドであることに、地震によって気づかされたのです。
阪神淡路大震災を通じて、大きな破壊と犠牲の上に、「地域・コミュニティ」という新大陸が浮上していった。それは、25年前、阪神淡路大震災の直後に観た、私の祈りのようなビジョン・夢でもありましたが、この夢を、実は多くの方達が共有していたことを今は、確信しています。
あの時、何かに突き挙げられるかのように、震災復興のために疾走した方達の多くが、命を燃えつくしたかのように、亡くなっていかれた方がどれほどに大勢おられるのか(安先生のように)も振り返りました。
同じ思いを、共に手を取り協力しあえば、素晴らしい町となったのでしょうが、その当時は、本当に、みんな必死で、それどころではありませんでした。
時間によって熟成されていくのが必要なのでしょう。
故人の方達が観た”夢”が、引き継がれていきますように。
あの時、この町の破壊と死と再生を、生で見て、体験したことを、私の場合は、触れる手を通じて、伝えていきたいと願いました。
震災で出会った人達のことを。
少し語り始めてみようと思います。


エサレン®ボディワーカー、amana space &NPO法人タッチケア支援センター代表の中川れい子(旧:こやごれーこ)メッセージブログです。お問い合わせは mail@amanaspace.com 。 HP http://www.amanaspace.com/ http://touchcaresupport.com/
by reiko-koyago
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