2024年 08月 20日
AMMA ーそれはエサレンの湯舟に響いた”聖なる母の千の御名”から始まったー
2024年の8月14.15.16日と、東京のベルサール高田馬場のホールでインドの抱きしめる聖者と呼ばれるアンマ(マーター・アムリタ・ナンダマイ)の来日プログラムが開催されました。コロナで中断されていたアンマのワールドツアーでしたが、その最終地点に、アンマは5年ぶりに来日してくださいました。忘れかけていた、アンマのダルシャンの感触、そして、セヴァ(奉仕、ボランティア活動)をしながら、目に見えない形でアンマからの様々なメッセージを受け取る感覚。気が付いたらアンマが心に寄り添ってくださっている感覚。おそらく、他の方達もそうなのでしょう。
数限りない、出会いと再会がありましたが、今回は、何度も何度も初対面の方にこう尋ねられることがとてもよくありました。
「あなたは、どうしてアンマと出会っていったの?」
同じストーリーを何度も語っていましたが、だんだん大変になってきて、最後には一度ブログにまとめるのでまたの機会ね^^。と。
なので、約束どおりブログに綴りますした。
私は、どのようにしてアンマとつながっていったのか?

それは、誰かにアンマを勧められた・・・のでは、なかったのです。
2004年の11月。
場所は、エサレン研究所の温泉の湯舟の中。
(この年は年に3回、エサレンを訪れた妙な年でした)
静かに響いてきた、誰かがマントラをつぶやく声。
ずっと後から知りました。
それは、「聖なる母の千の御名」(SkiLalita Sahasranama Archana)
という、ヒンズーの女神の千の名前を唱えるマントラ。
アンマが弟子たちに唱えるように修行を促すアルチャナ(礼拝)です。
すべては、そこから、始まっていったのです。
ちょうどその頃、アメリカ大統領選挙が行われていました。イラク戦争を始めた共和党のブッシュ大統領が再選されるなんて信じられなかったのですが、結果はブッシュ。私の気持ちの中で、二度とアメリカには来るもんか!ぐらいの憤りが起きていたのですが、エサレンの人々は民主党のケリー支持者が多かったのでその気持ちはみんなと共有することができました。
その時のエサレン®マッサージのWSはアドバンスで、エレン・ワトソン先生とペリー・ホロモン先生のクラス。この時のクラスは、クラスの楽しみよりも、ブッシュの再選とイラク戦争の継続のほうが気になって、あまり喜びの中にいることができずにいました。
エサレンのマッサージのクラスでは、最終日にみんなでお風呂に入るセレモニーがあります。ハーブやお花や海藻を浮かべて、夜だからほとんど見えません。波の音と星空と湯気が混ざる空間で、湯舟にぷかぷかと浮かびます。
そんな中、クラスメートの一人が、エサレンの湯舟の中で、なにやらぶつぶつとマントラを唱えていたのです。私は、それがとてもとても気になりました。
何を唱えているの?と尋ねたら、「サンスクリット語」としか答えません^^。その時のエサレンのクラスの記憶は、ビッグサーの海と波の音と、エサレンのお風呂。そして、その謎のマントラの響きで埋め尽くされてしまいました。そして、いつものように、潮が引いていくかのように、エサレン研究所を後にして、日本に戻っていきました。

それから数か月後、その友人は日本にやってきました。もともと日本の大学で英語を教える仕事をしていたので、日本語も得意で、今回は京都でしばらく滞在し、次は、東南アジアをめぐり、翌年5月にバリで開催される、エレンとペリーのアドバンスのクラスに参加すると言っていました。
そういや、私、昨年の11月、もう、アメリカはいいや、、、って考えたなぁと思い、そうだ、私も次はバリ島でエサレンのワークショップに参加しよう!と、翌年、バリに行くことにしました。1週間の、エレンのダンスワークと1週間のエレン+ペリーのアドバンスクラス。ゴージャスな、バリ島、ウブドゥのリトリート。
その友人は、やっぱりいてて、そして、あのマントラを唱えていました。あんまり気になったので、じっくりそのマントラを聞かせてほしいとお願いしました。全部唱えるのに、30分以上かかるというのですが、聴きながら、とてもいい瞑想ができたのを思い出します。
それが「聖なる母の千の御名」というヒンズーの女神たちの千の名を唱えるアルチャナだったのです。
The Thousand of Devine Mother
Sli Lalitaa Sahasranama
シュリー・ラリタ・サハスラナーマ

ヒンズーの女神には、様々な様相と名前(ラクシュミやサラシヴァティや・・・)がありますが、すべての女神の源泉は一つであり、そのすべての名を唱えることで、宇宙の女神の源泉、本質へとたどることができる・・・というマントラで、これは、インドのアンマ(アマチ、マーター・アムリタ・ナンダマイ)が弟子に唱えることを勧めている修行の一つだと教えてもらいました。その友人は、「そういえば、もうすぐ、アンマは、東京にいくから、行けばいいよ」・・・とも。
アンマ?
アマチ?
インドの聖者??
あやしい~。
というのが、その時の私の反応^^。
友人は、何事もしつこく勧めるタイプではありませんでした。
私も、バリから戻ってすぐに東京に行くのは億劫に感じました。
でも、その「千の御名」には、惹かれていきました。
意味もわからないのに、不思議ですね。
その時の、バリのクラスでは、エレン先生が、音楽BGMで「聖なる母の108の御名」という曲もよくかけてくださり、”女神の名前”がワークショップのキーワードでもありました。今から思うと、サブリーダーのダンスのティーチャーは、NYからやってきた、パラシャクティという名前でしたし。とても直観力のある方で、私はパラシャクティをとても信頼できたのですが。
バリ島というのは、空気の中に精霊や女神が潜んでいるかのような土地なので、呼吸とともに聖なるものを吸い込んで自分が変化していくのがわかりました。1週間、ダンス三昧。それも、バリの音楽家たちがライブ演奏で奏でる中で一晩中、踊りまくるとか・・・。世界中の訳あり女性が集まった、まるで魔女会のような夜。昼間は、田園を歩いたり、ヒンズーの寺院をお詣りにいったり、夜はホテルのプールで裸で泳いだり。今から思うと、ほんとうに懐かしくて、楽しい日々でした。ダンスのクラスの次は、いよいよエサレンのアドバンスクラス。身体が緩みすぎて、涙が勝手に流れていきます。
バリでの2週間のワークショップのすべてが終わり、クラスメートともお別れしたあと、日本から友人がやってきて、その彼女の古いバリ島の友人である、助産師のロビン・リンの家にいくことに(このロビンという人も凄い方だった!)そこは、ヤヤサン・ブミ・セハットというバリ島、ウブドゥの産院で、バリの女性達の自然なお産をサポートする、非営利団体でした。

その、ロビンの家のリビングには、アンマの大きなお写真が飾られていました。ああ、また、アンマだ・・・と。ロビンもまた、アンマの熱烈なディボーティ(信者)で、なんと彼女は、アメリカからバリ島に移住するときにアンマに尋ねたら、今すぐ荷物をまとめってバリ島に行きなさいと言われたらしい。ちょうど、スマトラ沖地震と津波がおきていて、私にとってこの悲劇は阪神淡路大震災とつながる何かを感じていました。ロビンがインドネシアの被災地の支援をしていたので、私は残っていたドル紙幣のほとんどをドネーションとして彼女に渡しました。(ロビン・リンさんは、のちに米国のCNNの投票によるCNNヒーローに選出されています)
最後に、ロビンの家に飾られているアンマの写真をよく見てみよう・・・。
という気持ちに自然となりました。
いったい、この人はどういう人なのだろう?
私はお写真に向かって、
3歩、歩みよっていきました。
そのとたん、ピカっと光が見えたのです。
それは、リアルライトでした。

もしかしたら、何かに反射しただけの光だったかもしれませんが、とにかく近づいたとたん、大きな大きな光が目に届いてきたのですから、さすがに、くらくらしました(光はしばらくそこにあって、しかも、簡単に写真に撮れてしまいました)
私は、2001年に内側の白い大量の光と出会った体験がありましたが、今度は、外側にその光を観たかのような衝撃でした。ああ、あの光がまたやってきたんだんって。
なんだか、やられちゃった感じでした。
そこから、つかまってしまったのです。
バリ島を立ち去る4-5時間ほど前のこと。
私の頭の中はAMMAでいっぱい。
(まだ、リアルにお会いしていないのに)
そのまま、デンバサール空港から関西空港に朝に到着。
帰宅してすぐにパソコンを開いてAMMAと検索。
同じ月、5月のアンマ来日プログラムの情報がすぐに見つかりました。電話してみたら丁寧に教えてくださるやさしい女性の声が、ぜひぜひいらしてくださいね~と語り掛けてくださいました。3日間。何もわからないのに、とにかく東京都調布市のアンマのプログラムに行くことに。もう行くきゃない。帰国してまだ予定が詰まってないし。
東京、調布市のホテルを予約して、ひたすら愚直に3日間、アンマの東京プログラムに通うことにしました。初めて訪れたアンマプログラムの会場は大音量の音楽が奏でられたり、スタッフの人達が走り回っていたりで、結構、雑然としていたのですが、アンマのすぐそばはとても瞑想がしやすいのがすぐにわかりました(そのことがわかるために、それまで、アジズとフーマンのもとで瞑想リトリートに参加していたかのようなものです)
誰も知り合いのいないままに訪れたのですが、それまでの瞑想仲間の方達に何人も出会いました。私達の瞑想の師匠であるフーマン・エマミが「アンマは本物だから会いに行ったらいい」とアドバイスをしておられたそうなのです。えー。私、知らなかったぞー。(フーマンは、その2か月後の7月に、ボディを離れてしまいました)
初めてのアンマの来日プログラム。3日間。何もかもが新しい体験でしたが、不思議と懐かしく感じていました。その間、瞑想をしたり、アンマの伝記を読んだり。From Amma’s Heart という美しいアンマの講和集も読みました。3日目の夜は、マントラももらってしまいました。何も疑うこともなく。アンマをグル(霊性の師)としてつながることとは、ただ一つ、「すべての人の中にアンマをみること」を受け入れることでした。私はこのことに、とても惹かれていきました。
私とアンマとのつながりは、そこからが急展開。
ジェットコースターのようでした。
なんと、同じ会場に来ておられた関西のとあるご夫婦が、アンマを神戸にお招きしたいと、その後、企画されたのです!サイババのところにも何度も通われた、スピリチュアルな世界にとても詳しいご夫婦でした。まずは、お弟子さんをその年の秋に、西宮市のそのご夫婦のレストランでコンサートが開かれました。甲山がとても綺麗に見える場所でした。アンマのエネルギーがすでに来ておられるのを感じました。
アンマを神戸に。
もしも、そのようなことが実現するのなら、なんでもお手伝いさせていただきます!と、目を潤まして、語ったのを思い出します。
そして、それは、ほんとうに実現したのです。あらためてそのご夫妻には心より感謝です。
それから2年後の2007年の5月。ついにアンマは、神戸にいらして、2日間の神戸のプログラムが開催されました。
初のアンマの神戸プログラムのために、大勢の関西在住のボランティアさんが参加してくれました。私も知ってる人みんなに声をかけました。
ところが、ここで大きな問題が・・・。
神戸・関西チームの中に、それまでにアンマの来日プログラムに参加したことがある人は、ほとんどいなかったのです。私にしても、一回だけ。とはいえ、3日間、朝から整理券のために並び、ダルシャンラインにも並び、そして、会場にずっといた経験がありました。まるで事前練習のために2005年に東京プログラムに行っていたようなものです。
なので、神戸ボランティアで私に与えられたお仕事は、会場係。アンマのダルシャンを待つ人が並ぶ、ダルシャン・ラインを整備したり、アンマのダルシャンを待つ方をサポートする担当の関西リーダーでした。今から思うと、ありえないことなのですが、この時は「プラサード係」という、アンマからいただくキャンディやチョコを手渡しする人のセクションの関西担当リーダーにもなっていました。知らないとは恐ろしいもので、気楽に請け負ってしまったのですが、これは、いくらなんでもツーマッチでした。おかげ様で、初めての神戸プログラムの会場は、大混乱。導線もなにも、あったもんじゃありません。いや、もともと、そういうの私、苦手なんです^^。
もう、へとへとで、途中で倒れそうになりました。
あんまり大混乱なので、ついに責任者を呼びなさいと、アンマに呼ばれてしまいました。アンマの後ろで、立たされました。今から思うと、有難いことなんですが、この時は、完全に、お仕置きで学校の廊下に立たされている気分です。とはいえ、私も開き直ってきました。2つの部署も任されて、そりゃ、無理ですよ。知らないことばっかりだし。私はやることは精一杯やったのです。アンマといえども、文句があるなら言いたいだけ言えばいいわと。頭の中もすでに思考停止。
でも、お叱りは何もありませんでした。
ただ、30分ぐらい、アンマのすぐ後ろで立っていただけです。
それが、また、驚くほど気持ちがよくって、身体の疲れがとれていったのです。
(今なら、それが理解できますが。アンマのダルシャンのすぐそばにみんなが行きたがるのは、アンマのヒーリング・エネルギーを感じるためです)
この方は、何も説明しなくても、その場を見ていなくても、ちゃんと理解してくれているんだ・・・。
この時、そんな安心感が満ちてきました。
そんな風に、アンマの神戸プログラムが始まり、計4回、神戸で開催されました。
それにしても、私は、イラク戦争のさなか、ブッシュの大統領再選に心を痛めていたときに、偶然、友人が唱えていた「千の御名」に心が惹かれて、そのまま、バリにいき、バリのロビン・リンの家で、アンマの大きな写真があって、それをよく見ようと思ったとたん、大きなフラッシュのような光をみてしまって、そこから、帰国後、数日後の、東京のアンマのプログラムに参加するこっとになって、さらにその2年後、アンマが私の地元、神戸にやってきて、来日プログラムが開催されて、その会場係を担当している・・・。
もしかして、アンマは、神戸に来る必要があったので、エサレンで私に「千の御名」を聞かせて、バリで、光を見せたんではないのか? そして、東京会場に3日間、私をいさせた・・・なんて妄想。
しかし、聖者って、そこまでやれるのか??
身体をもってそこに存在している人だけではなく、世界中にエネルギーとして偏在して、その意識を放っている??
想像すると、あまりのことなので顎がはずれそうになりました。
でも、あれから20年目になりますが、アンマって、やっぱり、とてつもない聖者(人を超えている)としか、思えないのです。何もかもがお見通しで、細部に至るまでご自身が行かなくても見事にわかっておられる。日本の仏像に千手観音様や、十一面観音様の像がありますが、アンマを見ていると、まさにそのような感じで、目も顔も手も、いっぱいあって、さらに、肉体を離れたところでもちゃんと意識が世界中に遍在していて、必要な指示やメッセージをはなっている。。
来場者一人一人を、あたたかく大切に抱きしめる愛とコンパッションの人であるとともに、規格外のスーパー・ネイチャー。覚者?聖者?サットグル? 霊能者? 大ヒーラーであり、大巫女?? いや、もう、あきらかに人智を超えているのでわかんないです。自分が生きている間に、このような奇跡の方と出会えたこと自体が奇跡のようにも。
結局、神戸のプログラムには、4年間来てくださり、そのあとは、大阪梅田の会場で関西プログラムが開催されました。その間に、私以上に、アンマを愛する関西のセヴァの人々がどんどん育っていきました。おかげで、私は、アンマのプログラムのセヴァをぬけやすくなったのです。初年度は、私が今生、生まれたのは、アンマを神戸にお招きするためにあったのではないか?ぐらいの情熱だったのですが、それもだんだん冷静になっていきました。私は次のステージへ・・・。
でも、何故、神戸だったのでしょう?
それは、私は、阪神淡路大震災の鎮魂だったと当時、思っていました。
(不思議なんですが、そう結びつける人は、それほど多くはなかったのですが)
私自身、阪神淡路大震災には自ら被災し、ボランティア活動に入り、色々な面で深くコミットしていたので、神戸とアンマとくれば、震災のこととしか思えませんでした。
とはいえ、すでに震災からは20年以上たっていました。
今頃、鎮魂ですか??という懸念も。
鎮魂ではなく、これから起こる大地震(東日本大震災)であることは、
その時は、まだ微塵も予想していませんでした。
今なら、こう思えてきます。
あの時、阪神淡路大震災直後に起きた復興への人と人とのつながりのパワーを思い出しなさいよ。
もうすぐ、同じことが何度も何度も起こるから、準備しなさい・・・と。
神戸アンマの初年度の2007年の秋に、私は朋さんと再会し(2004年にエサレンで出会っていたのですが)、急激に結婚が決まりました。2年目の神戸プログラムでは、朋さんと結婚の祝福をアンマから受け取ることができました。これって、たぶん、アンマからの恩寵なのでしょうね^^。
また、2008年には、神戸のボランティア代表としてスピーチもさせていただきました。ちょうど、鳥インフルエンザが起きたタイミングで、まるで2020年のコロナの問題を予感させるような内容となりましたが。この時のスピーチは、こちらに記録させていただきました。https://rayline.exblog.jp/240134187/
アンマを通じて、ものの見方、識別力、行動力も育まれていきました。
昔の私では、想像もつかないほど、忙しくなっていきました。
(よく、れいこさん、忙しいよね、、、と言われるのですが、それは、アンマと出会ってからのことです)
*
さらに、アンマの恩寵が続きます。
それは、2010年の夏のこと。
朋さんの息子のジョナが高校を卒業するときに、サンフランシスコに行きました。ちょっと、エサレンにいくには、時間がタイトだったので、サンフランシスコ近郊でローゼンメソッドが受けれないかと、あれこれ画策していたのですが、なかなか連絡がつながらない。
ところが、なんと、同じタイミングで、アンマのサンフランシスコの郊外、ベイエリアにあるサンラモーンという町のアシュラムでのプログラムが決まったのです。これは、行くしかない。インドのアシュラムにはいまだいったことがないのに、やはり、サンフランシスコには縁があるのか。サンラモーンは、とても美しいアシュラムでした。
その時の、プログラムガイドに、ローゼンメソッドの創始者の、マリオン・ローゼンのお写真を見つけたのです。ローゼンセンターが、広告を出していたのです(秋に、アンマのアシュラムで、マリオンのワークショップがあるということでした)
私は、シャンタジさんという、神戸プログラムで大変お世話になった、カリフォルニア生まれのアンマのお弟子さんに、マリオンのお写真を指差して、私は、この方に会いたかったのです。セッションを受けたかったのですと、思わす語りました。
シャンタジさんは、僕、この人に何度もあってるよ、、、と。
へーっと思いながら、午前のプログラムが終わり、カフェで昼食を。
すると、そのアンマカフェで、私に「千の御名」を唱えて、アンマとつなげてくれたエサレンの友人とも感動の再会。
私が、神戸プログラムでボランティア活動をしていることを、とても喜んでくれました。
で。。。なつかしさを振り返るのもつかの間。
サンラモーンのアンマのアシュラムのボランティアで前日に仲良しになったケニアのインド系の女の子が、「レイコ、レイコ」と大きな声で私を呼びに、走って駆けつけてくれました。
シャンタジさんが呼んでると!
いくと、さっきまで、マリオン・ローゼンさんが来てましたよ。
日本人女性があなたの施術を受けたがっていると伝えたら、喜んで施術しましょうと。
彼女の自宅の電話番号を教えてくれた。
わお!
さっそく、合流した朋さんに、電話でコンタクトをとってもらって、住所を聞いて、朋さん、バークレーの町は結構くわしいので、しゅるしゅると車で、マリオン・ローゼンの家に連れていってくれたのです。
そして、彼女の自宅で、マリオン・ローゼンのセッションが受けれたのです。
それは、2年後に、マリオンさんが旅立ったといわれる、彼女のベッドルームの一角でした。
そこには、アンマのお写真が一杯、飾られていたのです。
マリオン・ローゼン、96歳。
彼女の全身のセンサーは、何ひとつ衰えておらず、ボディワークは、一生やれるのだと私は確信したのです。
そして、私のヒーリング・ジャーニーの最終章を飾る、重要なヒーリング・ワークがおきました。
マリオンさんは、アンマの関係だからと、そのセッションを無料で私にくださいました。
受け取ったものがあまりにも大きすぎて、くらくらしました。

終わってから、マリオンと、朋さんと3人でお茶をいただきました。
マリオンさんは、とにかくアンマがお好きでした。
それで、あなたは、どうしてアンマとつながったの??
と、アンマのことばかり、私に尋ねます。
その時の彼女の、目がほんとうに、喜びに満ちていたのがわかりました。
詳しくは、こちらのブログ「レイライン通信」に記録しています。
https://rayline.exblog.jp/10898202/
(2年後、マリオンさんは、お身体を離れていかれました。彼女は、電話で、アンマの祈りを聴きながら、旅立ったといいます)
マリオン・ローゼンと出会ったことで、私は一つの決心をしました。
それは、気づきある、ソマティックなタッチを通じて、心と身体のケアにかかわるNPO法人を作ることです。
帰国してすぐ、タッチケア支援センターを設立する準備をしました。
そして、翌年2011年の2月、ようやくNPO法人を申請したのですが、、、。
その直後の3月11日に、東日本大震災が起きたのです。
2011年を最後に、アンマの来日プログラムは、関東だけになりました。
私は同時に、NPOを立ち上げたので、NPOのことに専念するようになりました。
最初の活動は、やはり、東日本大震災の被災地だっったのです。
ところが、私は、2011年の7月の大阪で開催された関西の最後のプログラムで、お名前をいただくことができました。
SOUMYA ソーミャという、インドの人には多いシンプルなホーリー・ネームです。
意味は、mild とか、kind とか書いていました。
みんな、スピリチュアルでゴージャスなお名前をいただいているのに、最初は、なんだぁという感じ。
でも、そのあと、友人が、Soumyaは、
私がアンマとつながるきっかけとなった、「聖なる母の千の御名」(Ski LalitaSahasranama Archana)の中に910番目に出てくる、“月の女神”の名前であることが教えてくれたのです。(本には、SOMYAと出てきますが、私にいただいた紙にはSoumyaとありました)
涼しく、穏やかな、月の光。
SOMA(シバ神)とも関係します。
そして、振り出しに戻っていきました。
「聖なる母の千の御名」
The thousand names of Divine mother
シュリー・ラリター・サハスラナーマ
こちらの動画で聴くことができます。
https://youtu.be/ShUhMsTZ2n8?si=3vno6MgB6IVtejLE
(アンマのお弟子さんの、ビッグスワミが唱えています)
太古の時代から、女神、聖なる母を讃える、韻律を伴うマントラ。
アンマは、このマントラを唱えることを、弟子たちに強く勧めています。私が、エサレンで出会った友人も、それを実践していました。ものぐさな私は、あまりにもサンスクリットの言葉の発音が難しいので、あきらめていますが、アンマ会場で、この千の御名が唱えられるときは、呼応するように「オン・パラ・シャクティ・ナマハ」と唱えるようにしています。この時、ハートから光を手で外側に放つようにします。すると、だんだんハートが柔らかくなって女神がハートにとどまってくださるような気持ちになるのです。
このマントラについて、アンマは、このように語っておられます。
「現代では、生まれ持った心の性質や、母性の本能が失われています。母性は、愛、慈しみ、忍耐の象徴です。男性たちは、慈しみや愛のような女性的特質をさらに強め、女性達は堅固いさや勇気といった男性的特質を育むべきです。そうすれば、世俗的生活と精神的生活の両方において迅速な進歩が可能となるでしょう。
聖なる母の崇拝は、これらの善良な性質を高めるために理想的なものです。ラリター・サハスラナーマを用いる礼拝(アルチャナ)は、仮定の繁栄や世界平和のために、この上ない価値をもっています。日々ラリター・サハスラナマーハを唱える家では、衣服や食べ物が不足することは決してないでしょう。昔は、グルが弟子たちにクリシュナもしくは、ヴィシュヌのマントラを授ける際、ラリター・サハスラナーマのアルチャナを実践するように指示するのが普通でした」
アンマの世界平和の祈りの儀式も、この「聖なる母の千の御名」をアレンジしたもののようです。
聖なる母。
Universal Motherhood
アンマは、宇宙の聖なる”女性性”というエネルギーとつながって、世界中を飛び回り、瞬時も休むことなく、絶えることなく、この地上に流してくれています。
太古の昔、私達の宗教は、この”宇宙に遍在する、聖なる女性性のエネルギー”を、女神とよび、礼拝していたのかもしれません(全国各地に土偶が現れるように)
アンマのことは、ここには書ききれません。
5年ぶりに来日プログラムにセヴァとして参加して、あらためて気づくことが一杯ありましたが、また、ゆっくりと書き溜めていこうともいます。
*
ふと・・・。
はじめて、エサレン研究所の温泉の湯舟で「聖なる母の千の御名」を聴いた頃の、2004年のイラク戦争を起こしたブッシュが再選されたアメリカ大統領選挙を思い出します。
あれから20年。
戦争は、新たにウクライナやガザで継続しています。
そして、2024年の今年の秋にも、アメリカ大統領選挙が。
もしかすると、トランプを打倒することで、
史上初めての、女性で、そしてインド系のアメリカ大統領が誕生するかもしれない。
ガラスの天井を超えて

