2025年 05月 01日
ヒルマ・アフ・クリント展ー神殿のための絵画/アストラルの豊かさを描いた100年前の女性画家ー

【巳の日の大願成就、ヒルマ・アフ・クリント展へ】
東京滞在最終日の4月30日は念願だった、ヒルマ・アフ・クリント(1862ー1944)のアジア初の絵画展を東京国立近代美術館でじっくりと鑑賞することができました。100年前のスウェーデンで、啓示を受けて「神殿のための絵画」を描き続けた女性画家です。その内的な精神性を描いた画風は、抽象絵画を始めたカンディンスキーよりも前で西洋絵画の歴史を塗り替えると言われています。でも、おそらくそれ以上の意味があるのでしょう。
展覧会では、彼女の幼少期、スウェーデン王立美術アカデミー時代のデッサン等の習作、挿絵等、職業画家として自立していった頃の作品から始まり、その後、神智学と出会い、5人の仲の良い女性達で“交霊会”を何度も行い、そこで“啓示”を受け取りました。
そして、アフ・クリントは“神殿”のための絵を、生涯において、何枚も何枚も描いていきます。この美術展では、彼女の作品のほとんどを見ることができました。特に“10の最大物”という3メートル四方の10枚の大作の実物を鑑賞し、その空間の中でしばらくいれたことは胸が一杯です。そこには彼女が啓示を受けて描くようにと伝えられた“アストラル界”の豊かさ、あたたかさが空間に広がっていました。(音声ガイドのBGMに、アフ・クリントと同時代のスウェーデンの作曲家の最晩年の交響曲が流れていましたが、とても良かったです。音楽だけも聴けました)
2022年に偶然、渋谷の小さな映画館でドキュメンタリー映画「見えるもの、その先にーヒルマ・アフ・クリントの生涯―」の予告編を観て、私は彼女のことを知りました。その後、もちろん映画も鑑賞。いつか彼女の絵の実物をどうしても観たいと願っていましたが、今年の春からアジアで初めての大規模展覧会が。昨日の4月30日は、見事大願成就となりました。映画予告編 https://youtu.be/AwhIKaejUXo?si=KBPYe8mwMlhrIc8f

【西洋絵画の歴史を塗り替える?】
大学生時代の専攻は美学でゼミは西洋絵画史だったので、私の頭の中には一通りの古代・中世から近現代にかけての西洋絵画の歴史知識は入ってはいるのですが、そこにはもちろん、ヒルマ・アフ・クリントの名前はありませんでした。
美学や西洋絵画史というものは、基本的に、人類はいかに自然や事物、そして世界をどのように“見て”“表現してきた”のか?という歴史です。ベースは哲学ですが、時代時代の“自然科学”や“社会形態”の在り方とも密接に関係史、それなりに興味深い学問ではありましたが、どうも物足りなさが残りました。それは、美術史、絵画史の中に“女性”が登場せず、アート史のほとんどが“男性の歴史”だったからです。気が付いたら遠ざかっていきました。
アフ・クリントは、生前・死後もほとんど評価されず、彼女自身、自分の作品は死後20年以上は誰にも見せないようにと遺言を残して1944年、81歳で亡くなりました。彼女は、抽象絵画をカンディンスキーよりも前に描き始めていた画家として、この10年、注目されていますが、抽象絵画を初めて描き始めた人という枠組みだけでは、彼女のことは説明しきれないでしょう。
彼女は、ストックホルムの海軍将校の裕福な家に生まれ、小さい頃から森の自然に接しながら、自然の木々や花、生き物たちと触れ合い、観察するのが大好きな少女だったようです。その後、スウェーデン王立芸術アカデミーに入学しました。まだまだ男女差別が厳然として存在し、婦人参政権もない時代でしたが、当時のスウェーデンでは、女性の美術学校の入学は認められたばかりでした。新しい教育が目覚め始めていた頃で、アフ・クリントは、かなり優秀な成績で卒業し、職業画家として人生が始まりました。そして、1944年、81歳で亡くなるまで、ずっと絵を描き続けています。

アカデミー時代の彼女のデッサン画は正確に事物を的確に捉え、また解剖学等も取り入れていました。まるでレオナルド・ダ・ビンチの遺したノートのように、彼女は自分の考えをノートに書き残していきました。当時の西洋社会には新しい科学が勃興していて、レントゲンやキュリー夫妻、ゲーテの色彩論、そして、アインシュタインも登場しています。西洋科学が勃興して1~2世紀がたっていた時代、この19世紀の後半は、目に見える世界を的確に分析し表現する世界観から、科学の世界においても、目に見えない、事物の背後に隠れているもの、すべての存在の基本となるものへと関心が移っていった時代でした。

【神智学・人智学とのつながり】
アフ・クリントは、とても好奇心と探求心の深い知性豊かな人だったのでしょう。彼女は、すべてを知りたい、表現したい、世界そのものを描きたいという精神の自発的な活動から、ごく自然と、ブラヴァツキ―女史の興した神智学、のちにシュタイナーの人智学とも出会っていきました。そして、大いなる存在の“啓示”を受け取る形で、見えるものの向こう側の世界を描きはじめました。
あれほどのプロフェッショナブルな画家としての実力がありながら、彼女が描いた絵のほとんどは、生前、(神智学学会主宰の展覧会がイギリスでありましたが、その時以外は)、誰にも見せずに、自分自身と神との契約の中で使命として描かれていったようです。
彼女の絵のモチーフのほとんどは、自然界の有機物の形態からきているようで、やわらかな曲線とあたたかな色合いの色彩が特徴的です。曲線は、生命の形であり、細胞そのものの源なのでしょう。円環。植物や花、渦巻。貝殻・螺旋。鳥・・・、そこに科学的な幾何学文様も登場します。色合いは、柔らかで鮮やかで、構図は驚くほど自由で躍動感があります。どこか、空中に浮くかのような、微妙なバランスが表現されています。青は女性性を、黄色は男性性を。陰と陽、、太陽と月・・・二元性のバランスは、彼女の絵の大切なモチーフで、それは、どこか、タロット・カードの絵柄にも似ていました。
19世紀後半から20世紀前半までの西洋社会は、1914年の第一次世界大戦をはさみながらも、もっとも自由で躍動感ある精神活動が展開した時代かもしれません。自然科学と心霊主義が併存した時代です。オカルトや降霊術は、当時の社会風潮の中ではかなり頻繁に行われていました。同時に、フロイトやユング等、心理学者も台頭していきました。

5人の女性達が交霊会をおこなっていた空間
【神殿のための絵画、アストラルの豊かさを描く】
1904年、アフ・クリントは「5人」の交霊会において、彼女たちがつながった霊的存在であるアナンダからのメッセージとして「アストラル界についての絵画制作の預言」を受け取りました。その後、アフ・クリントは193点におよぶ「神殿のための絵画」を描き続けます。
アストラルとは、神智学で使われる言葉ですが、至高の霊的存在へと向かう途上にある世界を表しています。ニューエイジのサトル・アナトミーでも「肉体」「エーテル体」「メンタル体」「霊体(コーザル体)」と肉体の解剖学ではない、人間のエネルギーボディを捉えますが、”アストラル体“というのは、人間の感情や情感、美しいもの美味しいものへの感動、感謝、心地よさや好き嫌い等と関係する身体で、あまりに激しい感情や情動にとらわれるとアストラル体は過剰に反応してしまいます(こうやって書くと脳の中の間脳、大脳辺縁系に似ていますね。腹側迷走神経系にも似ている感じがします)
男性的な霊性修行は、アストラルを意味嫌い、それを否定するか消し去るような霊的修行を行うように私には見えるのですが、アフ・クリント達に伝えられた高次のメッセージは、アストラルの豊かさを描くこと、でした。
1907年、アフ・クリントは、高次の存在であるアマリエルから、次のようなメッセージを受け取ります。「人生の4つの段階についての“楽園のように美しい10枚の絵画を描くように」と。彼女は、10月2日に制作を開始し、12月7日に、10枚を描ききっています。その1枚1枚が、高さ3.2メートル、横2.4メートルの大作で、とてつもないスピードで描いています。
それが、“10の最大物”とよばれる10枚の絵。人生を幼年期・青年期・成人期・老年期と4つのステージにわけて、幼年期は青を(2枚)、青年期はオレンジ(2枚)、成人期は薄紫(4枚)、老年期は薄いピンク(2枚)。見るものは、1枚目から10枚目へと人生の旅をするように鑑賞し、まるで輪廻転生のようにふたたび、1枚目へと循環します。椅子もありますので、何度も何度も、その循環を繰り返してたどってみるのもお勧めです。私は、成人期と老年期の間のあたりに、どうしても何度も立ち止まってしまったのですが、人生が統合されながら、豊かさが広がるのを体感しました。
アフ・クリントは、油絵でアカデミックな画業を学んでいますが、彼女の神殿の絵のほとんどは、テンペラ画と水彩画で、水彩が紙ににじむ水の表情も楽しむかのような画風。色のやさしさも、人生のアストラルの豊かさを描くには、大切なアイテムなのでしょう。ゲーテの色彩学も、彼女は学んでいます。


【女性達の輪、未来に託された神殿の建設】
この10枚の大作を何度も、繰り返して見ていると、ヒルマ・アフ・クリントの人生が、親しい人達とのつながりのあたたかさ、心地よさ、おしゃべりやふれあい、自然界の様々な存在とのつながりを味わってきたのかがつたわり、文字通り、アストラルなエネルギーに包まれてくるかのようでした。
アフ・クリントは、終生独身でしたが、彼女の人生には、同じ思いと探求を共にする女性の友人達とのつながりがあり、また、画業を中断していたお母さんの介護の期間に出会った看護師の女性とのパートナーシップが続いていったといいます。一緒にお菓子を焼いたり、草花やハーブの話で盛り上がり、そして、共につながる聖なる存在達のことを語り合い・・・。彼女は女性の友人たちと、ヨーロッパを旅しています。イタリアでは、感動的な絵画との出会いもあったでしょう。彼女の絵を見ていると、その日常の小さな喜びが伝わってくるかのようです。
このあたたかさは、私達が、タッチケアや、エサレンマッサージで、お互いにふれあい、語り合い、美味しいものを食べ、喜びを共有しあうワークショップやリトリートととても通じ合うものがあり、源流でつながるものを感じます。女性達のサークル。
彼女の時代は、まだ男尊女卑が当然で、ヨーロッパでは第一次世界大戦に続き、第二次世界大戦が勃発、戦禍とファシズムが猛威を振るった時代です。自分の描いた絵が、この時代では理解されないと直観したのは、当然でしょう。彼女は、未来の人々にその絵と、絵に秘められたメッセージをたくしたのでした。
ヒルマ・アフ・クリントは、建築構造にも関心があったようで、自分の絵画作品を展示するために「神殿」の建築を構想し、その設計図もノートに残していました。彼女は神殿を建設し、楽園を創造しようとしていたのです。啓示をうけて描いた、アートとともに。
彼女の夢は、現代の女性達につながり、おそらく、その夢は実現されるでしょう。
あたたかく、やわらかく、生命を祝福し、大いなる存在とのつながる女性達の神殿。
それは、古代の女性達の“神殿”の復活なのかもしれません。

東京国立近代美術館で、ヒルマ・アフ・グラント展を観終わったあと、隣の国立公文書館で、憲法記念日の直前のため、「日本国憲法」の原本が展示されていました。こちらも、実物をみると、伝わってくるものがありまし。アフ・グラントが亡くなってから2年後にに極東の国に生まれた憲法。
戦争放棄
基本的人権
男女同権
彼女の絵と同じように、未来の憲法。
80年以上たってようやく理解されていくのかもしれません。


