2025年 12月 21日
紀の川を遡る、雨の日の観音巡り
大阪府最南端“岬町”から“紀の川”を超えるとそこは紀州、和歌山県。西国三十三か所観音霊場第二番札所の“紀三井寺”へ。エサレンとこころにやさしいタッチケアの仲間である頼久起子さんがずっと車を運転してくださいました。あいにくの雨でしたが、ありがたいことに激しく降る時は車の中で、お寺の境内を歩く時は小降り。紀の川と雨の水と空気が溶けあってまるで水底を旅するかのよう。そういえば昨晩宿泊した岬町のお宿の名前は“龍宮館”。古いお宿ですが、お庭の綺麗なお部屋にしてくださり静かで穏やかな休息の時間をいただきました。朝、くきこさんが車でお迎えいただき、水の中を旅するような観音巡礼の時間が始まっていきました。
三十三か所の観音霊場の第一番札所は、同じ和歌山県の那智勝浦、熊野那智大社にある“青渡岸寺”から始まります。実際、西国三十三か所観音霊場を私も巡ろうと心に決めたのは青渡岸寺でした。那智の青渡岸寺で購入した御朱印帳と白衣観音さんの掛け軸を巡礼の時はずっと持ち歩いています。
ただ、一番札所を巡ってからは順番通りにはいかず行き当たりばったりのお詣り。まだ半分ぐらいしか辿り着いていません。両親は、西国観音巡礼を非常に仲良く巡っていました。おそらく観音様巡りは共通の“信仰”であり“楽しみ”だったのでしょう。仏壇の隣には両親が巡ってきた巡礼の御朱印が押された観音様の掛け軸が飾られていて、なぜかこれを眺めているとほっとします。父の田舎ではお盆や法事の時はご詠歌を謳う習慣があり、西国三十三か所観音巡礼は関西に暮らす我々にとっては心の拠り所のようなところがあります。
さて、二番札所、紀三井寺。ようやく、一番から二番へと進むことができました。順番にそれほど意味があるとは思ってはいませんですが、巡礼の一番から3番まで和歌山県。始まりは那智勝浦の那智の滝、すなわち“熊野”であることに今更気づきます。
20年程前にクリスタルヒーリングの合宿で那智の滝近くの宿坊で滞在しました。その時に、夜の那智の滝を拝むことができました。
まるで、真っ白な巨大な観音様が聳え立っているかのように見えました。夜の暗闇の中で、姿を現してくださったのでしょうか?
那智の滝を見てまるで、「白い観音様に見えますね」と呟きましたら、その時の引率の先生が「あれは、昇華したイザナミの姿じゃないですかね」と。なるほど・・・と思いました。
いったい、どれほどの情念や想いが昇華すれば、あのような姿となるのか。。。那智の滝から、東に進み、熊野川を超えたあたりに、イザナミの墓と言われる巨石、“花の窟神社”があります。熊野の海の潮風があたる巨大な子宮のような巨岩。その旅の一番最後に、その海岸で潮に吹かれ自分自身の想いも浄化され、再生されていくのを感じました。これがあの白い観音様が導く熊野の“蘇りー黄泉がえり”なのか。
那智の青渡岸寺を一番札所としたのは、西国三十三か所観音巡礼の中興の祖、平安中期の“花山上皇(法王)”ですが、花山上皇は熊野詣を本格化していった方でもあります。花山天皇が藤原北家の陰謀に貶められて天皇を退位に追い込まれたのは昨年の大河ドラマ“光る君”で物語れましたが、その後、世をはかなみ、熊野にしばし籠ってから再生していき、政治の表社会ではなく魂の裏側を歩み、熊野詣と観音巡礼を本格化し、庶民の信仰として後の世に伝えていきます。なので、西国三十三か所観音巡礼の元型はおそらく“熊野詣”なのでしょう。
夜の那智の滝がくっきりと白い巨大な観音様の姿に見えたので、那智の青渡岸寺が一番札所であることにまったく異存はありません。そして、那智勝浦には“補陀落寺”があります。
青い海の向こうには、補陀落渡海浄土があり、観世音菩薩がそこにおられる・・・という渡海浄土の信仰がありました。実際、那智の海から多くの僧侶たちが船で食べ物をもたず、観音様の浄土を目指して海へと船で放たれて即身成仏していったという記録が残っています。
那智の滝に向かう手前にある、那智の海に近い補陀落寺は、とても興味深いお寺です。那智の滝と熊野の海をつなげるようなお寺です。そして、その境内には丹敷戸畔(ニシキトベ)のお墓と記された石碑があります。
丹敷戸畔(ニシキトベ)は神武天皇が上陸する以前の熊野の女性首長の呼び名だと言われています。魏志倭人伝に登場する卑弥呼のような巫女的な女性リーダーであったという説も。古代の日本は女性シャーマンが人々を導いていたのでしょう。
そして、神武天皇は熊野から上陸し、その土地にいた人々を征服しました。女性リーダーであったニシキトベは、その霊力が復活しないために身体をバラバラにして殺害し、埋めたといいます。私の聞いた限りでは、ニシキトベのお墓と言われる場所は、那智・新宮、そして串本。
ところで、今日訪れた、和歌山市の紀三井寺。
紀三井寺は、“名草山”の中腹に建つお寺です。
名草といえば、紀の川から、南部のあたりに、ニシキトベと同じく、霊的な女性首長の名前として、名草戸畔(ナクサトベ)の存在が記録に残ります。
大和に入るのに、河内の国からの上陸を阻まれた神武天皇は、紀伊半島へと南下し、おそらくは紀の川からの上陸を目指したのでしょう。しかしそこでもナクサトベ達に阻まれます。伝説によると、ナクサトべも身体を3つにバラバラにされて葬られたとあります。
西国三十三か所観音巡礼は、ニシキトベのお墓と言われる熊野、特に那智の滝をのぞむ青渡岸寺から始まりましたが、もしかしたら、それは神武天皇が滅ぼしたニシキトベの鎮魂の巡礼から始まったのではないか?とも想像してしまいます。
西国三十三か所の一番札所はニシキトベ、二番札所はナクサトべがかつて信仰していた聖地に建つお寺ならば、観音巡礼は、かつての女性達のはかりしれない無念と抑圧、情念の鎮魂から始まったのかもしれません。観世音菩薩に本来性別はありませんが、日本での観音のイメージが女性を象徴するのもうなずけます。
紀三井寺は、名前の通り、聖水の沸きでる井戸があります。今日は雨で訪れていませんが、奥の院は弁財天。すぐそばに大いなる“紀の川”が流れます。観世音菩薩は、水の神、川の神、海の神と神仏習合した姿でもありますね。紀三井寺の本尊は秘仏、十一面観世音菩薩。
第三番札所は、紀の川を北へと進んだ中流のあたりの山腹にある“粉河寺(こかわでら)”
粉河寺といえば、鎌倉書記の絵巻物である国宝『粉河寺縁起絵巻』で有名ですね。それぐらいの知識しかなかったのですが、訪れてみて驚きました。見事な伽藍の豊かさで、かつてこの寺院が、どれほど人々の信仰の拠り所であったのかが伝わります。訪れてみないとわからないものですね。実に立派なお寺です。
こちらのご本尊は、千手千眼観世音菩薩様。霊験あらたかで人々の苦しみを救ってきた数々の伝承が残ります。紀州といえば、徳川御三家ですから、近世も徳川紀州家が寄進し続けてきたのでしょうが、それだけ信仰の集まるお寺だったのでしょう。
紀三井寺もですが粉河寺も、桜が見事でした。雨が降っていても、今日は気温が高く、雨に濡れた桜の枝には、もうすぐつぼみが膨らできそうに見えました。紀伊の国は、春が訪れるのが早いのでしょう。
有料となりますが本堂の中も、参拝できます。こちらも見事な仏像が。ご本尊の秘仏である千手観音様は拝観できませんが、ずっと車を運転してくれていた頼久起子さんと一緒に前に座ってしばしお祈り。とても静かで深い時間が流れていきました。
くきこさんが、タッチケアを通じて、千の様々な人の手を、これから育んでいきましょうと、千手観音さんのメッセージを受け取ったみたい。千ということは500人? それなら、なんだか、叶うような気がします。くきこさんをはじめ、伝えてくださる方をもっともっと、輪を広げていきたいなぁと思いました。これが、新月の翌日、冬至の直前の祈り。
粉河寺も、もともとその土地に根付いた信仰やエネルギーが仏教が伝来してから観音信仰へと発展していったのでしょう。粉河寺の裏側に、産土神社がありましたが、この神社さんがまた良かった。
このまま、紀の川をさらに上流に上ると、四番札所の施福寺がありますが、西国三十三か所、最大の難所で石段の数が半端ないそうなので、今日は雨ということでまたの機会に。五番札所は、大阪の葛井寺。行基が製作したという本当に千本の腕のある千手観音さんが毎月18日に御開帳されますが、この観音様は圧巻でした。次は、4番、5番とお詣りしたいと思います。
私達のドライブ旅は、さらに紀の川を遡り、橋本まで。
西国三十三か所観音霊場ではありませんが、紀の川といえば空海のお母様をお祭りする“慈尊院”。女人禁制の高野山には入山できないけれど、その麓の紀の川沿いならばとお母さんが滞在した地。なので、女人高野のひとつです。月に九回、高野山から空海がお母さんに会いにいらしたので、九度山という地名が残っています。雨の慈尊院は、実は2回目。何度も、お詣りしていますが、ちょうど1年ぶりとなりました。
慈尊院さんには、不思議なご縁がありますが、今日は長くなるので。毎回、ご住職さん父子もよくお話してくださるので、お詣りするたびに、新しいお話が聴けます。今日は、室町時代の“妙音尼”という女性の話を知りました(これも長くなるので、またの機会に)
紀の川をはさんで、慈尊院さんの対岸のあたりに奇跡のお水で有名な“ゆの里”があります。今年に入り、2度、宿泊しました。2度目はブリータのエサレンマッサージとトラウマのワークショップで。昨年も含めると、ゆの里さんには、3回目です。そのたびに、身体にしみこむお水のうるおいと共に、“紀の川”を眺めていました。
今日は、雨のおかげで、水を通じて、紀の川とつながりあい、古代の川の女神と観音信仰とがどのように混ざり合っていったのかに、思いをはせることができました。
色々な意味で、今日は、紀の川さんにお礼詣りが出来たなぁと思います。

