バリの無料産院、ヤヤサン・ブミ・セハット
ほんの一瞬、閃光のようにきらめいた、文字通りの“光”でした。
その産院の名前は、ヤヤサン・ブミ・セハット・・・。
(Health Mother Earth という意味だそうです)
アメリカ人のイブ・ロビンという女性が、運営しています。
(こちらが、サイトです。ここの素晴らしい活動をぜひご覧ください)
http://www.robinlimsupport.org/
2005年の5月、私は、エサレン研究所のティーチャー、エレン・ワトソンのダンスとボディワークのワークショップに参加するため、ウブドゥに20日間、滞在していました。
ずっと、エサレン研究所に向かっていた足が、突然、アジアへと、何かが私を向かわせたように感じました。
そのときの、エレンのワークショップのクラスメート、ロバートの唱えるチャンティング、「聖なる母の千の名前」(ヒンズーの女神たち、1000の名前を唱えるチャンティング)が、滞在していたコテージのある森に、毎朝、響いていました。
気になって、聞いてみたら、それは、アンマが弟子に暗唱を勧める祈りの言葉でした。
ロバートは、ふと、私に同じ月の5月の終わり、東京に訪れるアンマに会いに行くことを私に勧めましたが、私の重い心は、動きませんんでした。
ワークショップも終わり、クラスメートたちが去った最終日、マウイ島に暮らす日本人女性のお友達、,MIKAさんが、ウブドゥにやってきました。彼女は、かつて、アメリカ人の旦那様と、このウブドゥで出会い、そして、しばらくの間、ウブドゥに暮らしておられたそうです。(MIKAさんの旦那さまは、Tarot de Paris という美しいタロットカードの作者である、フィリップ・トーマスさんです)
私は、バリでの最後の一日を、MIKAさんと一緒に過ごすことにしました。
MIKAさんにとっても、久しぶりの懐かしいバリだったそうです。
そして、MIKAさんの、バリ時代のお友達である、アメリカ人助産師の、イブ・ロビンの運営する、ヤヤサン・ブミ・セハットに、一緒に、連れていってもらったのです。
そこで私は、アンマの大きなお写真を見つけました。
あ、ここにも、アンマが・・・。
最後に、アンマの写真をよく見てみようと、3歩、歩んだとき、
大きな、白い光が、目に飛び込み、私は、一瞬、我を忘れました。
心の中に、とてつもなく、大きなものが、飛び込み、そして、広がっていきました。。。
私は、そのとき、何かに“遭遇”してしまったようです・・・。
それは、バリを立ち去る、5時間ほど前のことでした。
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それから1週間後には、東京のアンマの会場に行き、生身のアンマに出会いました。
そして2年後・・・、アンマは、神戸の町に、訪れてくださってました・・・。
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私が“光”と出会った、奇跡の場所・・・。
バリ島、ウブドゥの、無料産院、“ヤヤサン・ブミ・セハット”・・・
私は、大勢の方に、ここのことを、お知らせしたかったのですが、
うまく、説明することが、できないまま、4年がたってしまいました・・・。
でも、最近、MIKAさんが、再び、ここに訪れ、手記を書いてくださいましたので、
皆さんに、ご紹介したいと思います。
愛と力にあふれた場所です。
私が出会ったアンマの光は、"ここ"から発せられていました。
母の力、母の愛のあふれる真実の場所だと思います。
いま、ここのことをもっと感じたいし、そして、多くの方に
お知らせしたいと思います。
光の源に帰りましょう。
この”歴史的な日”に・・・。
(以下、MIKAさんの手記を転載しますね!)
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今回のバリ巡礼の旅の大きな目的は、このヤヤサン・ブミ・セハットという友達のロビンがはじめた無料産院のお手伝いと取材をすることでした。
ウブドに5泊滞在しました。北海道からも、友人の看護士さんが見学をしたいと
急遽くれることになり、一緒に行動。
バリははじめての彼女のために、ウブド周辺を案内しながら、一日一回産院に顔をだすという具合。私の滞在中は珍しくお産の数が少なくて、1日一件くらいでした。多いときは11床のベッドがすべて埋まる時もあるそう。
ちょうどいる間には、サラスワティ(弁天様)を祝う日もありました。
私のインドネシア語も、結構まだ生きていて、バリニーズの妊婦さんや、家族、助産婦さんたちとも楽しい会話をしてきました。
私たちが陣痛中から介助していたアリアンちゃん22歳(赤ちゃん抱っこしている写真)は二人目の出産。一人目の男の子はいま3歳。この子は病院で生んだそうだけど、その出産費用の返済をまだし続けているという。およそ2万円。今回は、この無料産院での水中出産となりました。
私たちも浴槽の回りで一緒に見守りました。彼女がいきみだすと、二人の助産婦さんとロビンが、このYoutubeにもアップした、ガーヤトリーマントラを歌いはじます。そのやさしい音色と歌声がなんともいえず空間をかえていくのです。ゆっくりとやさし~く、愛を込めて妊婦さんと赤ちゃんを励ましながら歌うマントラ。ガーヤトリーはヒンズーの大いなる母の女神。インドではとてもポピュラーなマントラだそうです。蓮の花の上に座った顔や手をいくつも持つ女神の絵がそれです。以前、バリに住んでいた時に、このマントラを友達から授かったことを思い出しました。
友達とこの歌覚えたいね~って、聞いたら、このyoutubeを教えてもらいました。以来、よく声に出しても歌ってます。これを唱えると、大きな母なる海にゆられているような、気持ちいい~~~~感覚になるのです~。
http://www.youtube.com/watch?v=cg4o3PAYjX8&eurl=http%3A%2F%2Fmixi.jp%2Fview_diary.pl%3Fid%3D1264887184%26owner_id%3D770501%26comment_count%3D11&feature=player_embedded#t=11
5回ほどのいきみで生まれてきたのは、元気な男の子でした。ユダくんと命名されました。
お父さんも横で見守り、立ち会いました。安堵感と喜びに満ちたお父さんの顔もよかったな~。胎盤は小さなボールにいれて、へその緒はすぐに切らずに、一緒に浮かばせてます。浴槽の中に入っていた様々なお花を胎盤のボールにいれて祝福。バリ人にとって、胎盤は赤ちゃんの兄妹同然。大切に実家の庭に埋めて、儀式をします。
この日の午前3時くらいに出産をしたのが、オシンちゃん。(写真はオシンちゃん美人3姉妹とママ)なんとあの『おしん』がテレビで流行っていたそうで、その名前になったらしい(汗)。アジアの人は苦労話が好きなので、きっととても忍耐強い人になってほしいと思ったのかな。彼女のうちは女系のようで、赤ちゃんもかわいい女の子でした。
21歳の大学生さん。半年休んで、また学校に復帰するそうです。
母乳をあげるのもだんだんと慣れてきて、母になっていくのですね~
病院では、日本の一昔のように、粉ミルク会社と病院が癒着して、母乳ではなく、そっちを勧める傾向があるのだとか。ここでは、母乳育児推奨のすばらしいインドネシア語の本もだし、無料配布しています。
看護士の友達も、お産の場面に立ち会うのは、随分前に学生だった頃のみだそうで、ここの自然分娩とマントラにやられてました!
また、週に2回、レイキをやってくれるバリニーズの素敵な紳士のおじさまもいます。私はちょっとめまいが続いていたんだけど、彼のレイキを受けて、ぴたっと治りました。彼は5年前に末期がんだったとき、レイキを受けて、よくなったのだそうです。それから自分も習い、今はここにやりにきているそうです。彼のお話もとても深くてよかった(私のいたらないインドネシア語力でわかる範囲だけど)。すべての病気や状況は自分の思考が作りだしていることだと。若いママたちに、子育てについての自分の意識の持ち方についても、お話していました。
35年ほど病院で助産婦として働いていたパワフルおばちゃんたちも、一度リタイヤしたけど、まだ社会貢献したいと、ここのスタッフとして、シフト制で働いてます。
海外からのボランティアはアメリカ、オーストラリア、イギリス、などから来ていました。
イブ・ロビンのビジョンと行動力には本当に頭が下がります。彼女の真剣さを応援する人たちが世界各地にいるわけです。スマトラの津波被災地、アチェにもすぐにクリニックを作りにいきました。いまでは、現地のスタッフだけでも
運営していける素晴らしい自立したクリニックになっているそうです。
そこで、助産婦さんの資格をとるために学校へ行っている二人のスマトラ人の若い女性もいます。彼女たちの学費を全面的にバックアップしているのが、日本のチャウトリという団体です。そこを起こした山口悦子さんにも偶然、ブミセハットでお会いできました。彼女は年に一回、寄付金を届けにいらっしゃるそうですが、たまたまその日に私たちも居合わせたわけです。
彼女の慈善団体も素晴らしい活動をしていらっしゃるようです。
このように、多くの人たちのサポートを得て、なりなっているブミセハット。
熱い思いで、素晴らしいことをやっている人には、多くの仲間やサポートが集まってくるという、心強い見本です。もちろん、ここまで来るまでの様々な障害や、まだまだ難しい問題点もありますが、でもあきらめないでやる。
国境を越えて、自分にできることで活動に参加する、という共同体の縮図のようでした。
とっても有意義で幸せな時間を共有させてもらい、テリマカシ~~~~~!!
(写真は2005年のバリに訪れたときのものです。
ヤヤサンブミ・セハットの入口にあるマークと、そこのキッチンで見たアンマのお写真と光)

