ボディワークと心身医療 (11月7日ドーンセンターにて)
2009年 10月 27日
ここは、関西医科大学心療内科医師である、神原憲治先生のサロンです。私は、こちらで、顧問ボディワーカーを担当しておりまして、先生とご一緒に、バイオフィードバック機器での測定による、タッチの質と生理指標の変化についての研究発表をなんどか、やらせていただきました。
顧問ボディワーカーでありながら、こちらのスペースでは、忙しくてなかなか、参加できないのですが、心身症のクライアントさんを対象に、カウンセリング&バイオフィードバック&ボディワークの三本柱でのセラピーを、実験的に展開なさっています。
このリラクセーションスペース蓮の主催で、この11月7日に、大阪ドーンセンターにて、「ボディワークと心身医療」というテーマで、お話をやらせていただきますので、ご興味のある方は、ぜひ、ご参加ください(いま、おこなっています、エッセンスオブタッチの内容とも、重なる内容です)
“ボディワークと心身医療”
日時:2009年 11月 7日(土)10:00~11:30
場所:ドーンセンター(大阪府立男女共同参画・青少年センター) 中会議室 2号室
受講料:3000円
お申し込み方法: TEL090-7558-1730
MAIL:rsren@bodythinking.net
定員:20名
講師:中川(こやご)れーこ
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さて、以下は、11月7日の講演内容の、ちょっとした私の予告編的雑文(ようするに、下書き^^)であります♪
書いてるうちに、長くなってしまいましたので、スルーしてくださいね^^。
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ここ数年、心療内科の看板をあげる病院が、かなり増えてきました。
私のエサレンボディワークのセッションにも、当初から、鬱やパニック障害、摂食障害、不眠症といった症状のクライアントさんが、結構いらしてくださっていて、その中で症状が改善される方もおられました。が、この3年ほどで、そういう症状のクライアントさんは減少の傾向があります。たぶん、皆さん、心療内科にいっておられるのでしょう。ある意味、社会のメンタルサポートの体制がととっのってきた良い傾向だともいえますね。
でも、ちょっとだけ、心配な点も見え隠れします。というのは、いまの段階では、ほとんどの心療内科の治療は、向精神薬の投薬が中心だからです。近年、脳科学の飛躍的進歩によって、こころ(すなわち脳)に作用する効果的な薬物がいろいろと製造されてきました。そのおかげで、日常生活を支えられている方も大勢おられるでしょう。しかし、これによって、医療における「こころのケア」は、「脳内に作用する薬物の投与」とほぼ同義語になりつつもあります。このままでは、あらたな薬物依存を産み出しかねない社会問題が隠れているとも、いえなくもありません。
代替医療や統合医療とは、こうした、こころの問題からおこる病を治療するのに、薬だけに頼らずに、それにかわる方法で症状を改善していこうという考えが背景にあって、それには、これまでの西洋医学をささえてきた心身二元論ではなく、こころとからだを一つのものとして考える心身一元論、心身一如をもとにしていこうという考えがベースです。
これまでの西洋医学でいう「からだ」は、「こころ」と切り離されたものとして想定されていたのが、これからは、「こころとつながったからだ」を前提としていこうという「統合」という考え方です。そういう考え方が、医学界においては、いまだ新しいものであり、そして、心療内科の誕生は、それを前提とするという意味で画期的な医療界の曙であったといえるでしょう。しかし、その心療内科業界においても、からだへのアプローチ、からだへの気づき、すなわち、ボディワークやソマティック、タッチセラピーという観点が、いまだに、馴染みの薄い考え方であるということを知り、最初のころはとまどいを感じずにはいられませんでした。まぁ、そういう意味で、数年前から、心療内科のお医者様たちと交流しながら、ボディワークやソマティっクスの考え方を、お伝えしようとしてきたわけです。
エサレンボディワークは、もちろん、「からだへのアプローチ」です。と、同時に、私たちは、体験的に、からだへの取り組みが、そのままダイレクトに、こころにも影響をあたえていることを、いやというほど、知っています。こころとからだは、切り離されるはずがなく、それはそのまま、「ひとつ」であることが、私たちのワークの大前提となっています。
さて、ここでいう、「こころ」とは、なんであるのか?ということですね。
こころの機能とは、大きくわけて、「思考」「感情」「情動」「感覚」に分かれると思います。
からだにアプローチすることで、こうしたこころの機能にも、ダイナミックに影響をあたえていきます。
ところで、ぞくに「こころをこめて触れる」という言葉がありますが、この場合のこころの機能は、感情の中に分類されるのではないかと思いますが、実のところ、私はボディワーカーになってから、「こころをこめて触れます」なんて、人様に語ったことは、一度もありません。その「こころ」が、相手への押し付けになってしまうことも、ありうるからです。相手を「あるがままに受け入れる」とは、相手の多様性、流動性を、受け入れるということであり、相手が自分自身で成長していくスペースを疎外してはならないのであって、こちらから、何かをこめる必要などはなく、むしろ、こちら側は、どちらかというと、ひたすらに透明さを増していくような感覚があります。
からだにアプローチしているときに、同時に、触れられているその方のこころにも触れているのであって、そのことを踏まえて、その方の存在を見守ることは、とても、大切なことです。触れる側もまた、当然ながら、自らの「こころ」の機能に気づきをもって、触れていくことが大切でしょう。すなわち、施術者自身が、自らの「こころ」とともにあり、つながりながら、なおかつ、その「こころ」に振り回されないような状態で触れること・・・。
まさに、そのこと自身が、相手への思いやりであり、やさしく触れることであると、思います。
さて、うちのセッションで、鬱・パニック障害・ノイローゼ・不眠症・慢性疼痛といった、心身症傾向のクライアントさんの症状が改善していった例がいくつかありました。こうした方たちの、共通の特徴は、マインド(思考)過多で、からだと分離してしまっていることでした。多くの場合、怒りや悲しみなど、感情的な問題があり、それを、抑圧、あるいは、コントロールするために、思考がフル回転してしまっているわけです。そういう方は、たいてい、感情が動き過ぎないように、身体を固めて防衛し(鎧化)、体感覚も、低下しています。まさに、思考・感情・情動・感覚が、過剰に制御しあい、氷ついているような状態です。
思考が動きすぎて、こころとからだが分離している方は、触れられても、あまり心地よいとは、感じないでしょう。どこか、からだが遠いものに感じられて、むずかゆいような、ぞわぞわっとした感覚しかおこらないかもしれません。あんまり心地よくないのなら、決して無理はせず、そうしたワークは休憩することをお勧めします。でないと、あらたな、トラウマが増してしまうからです。
でも、我慢できないほどでなければ、少しずつ触れられることを、回数を重ねていくのも、悪くない選択だと思います。というのは、触れられて気持ちいいかどうかということは、その方のからだや皮膚の記憶に由来するものなのだからです。そして、私の考えでは、人間には、どんな人にも、掘り下げていけば、古い古い感覚として、皮膚に触れられることに対する、原初的な心地よい記憶が眠っているといえます。それは、胎児が、お母さんのお腹にいたときに、皮膚を通じて感じた、子宮の中で羊水を通じて触れあった皮膚の記憶です。回数をかけて、ゆっくりと、じょじょに触れていくことで、だんだんと、触れられる心地よさを、身体は思い出し、その皮膚感覚を通じて、この世とのかかわりのメカニズムもじょじょに変化していきます。(触れられるのがあまり得意じゃない人が、セッションを受けてみると、意外と触れられることが平気だったと自分自身に驚くことがあります)
また、リラクセーション効果もたかまり、自律神経や免疫系、内分泌系に良い影響をあたえはじめ、少しずつ困難な症状が改善されていく可能性があります。また、身体がゆるみはじめると、体感覚が目覚め、抑圧されていた感情がうごきはじめます。できることなら、そういう感情は、安全な状態で吐き出していくことが必要でしょう。吐き出すことで、少し軽くなったなら、その後過剰な思考がおさまっていくこともあります。(このプロセスには、セラピストによる慎重なサポートが必要だと思います)
たいていの心の病は、過剰に動きすぎる思考が原因であるといえますが、こうした過程をへることで、思考・感情・情動・感覚の動きがゆるやかになり、それに、巻き込まれすぎない、距離をとってコントロールできるという、健全なこころの機能を取り戻しうるといえるでしょう。さらに、触れるー触れられるという相互作用のメカニズムの中で、クライアントさん自身の自己確認、ひいては自己肯定につながることがあります。まさに、自分自身が、「いま、ここ」に実在する、という感覚が育っていくことがあるからです。
(こうしたメカニズムは、状況や個人差によってさまざまなので、ひとつの例として、おうけとりください。もちろん、これは、適切にワークした場合のみ、もたらされることですが・・・)
このように、皮膚、あるいは、身体は、「記憶」と深いつながりがあるのだといえます(最近では、脳科学においても、じょじょにそのメカニズムが明らかにされていっています)
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最後に、ボディワークを続けていくうえで、大切にしたいことが、私にはあります。
それは、「触れられたくない」気持ちは、「触れられたい」気持ち以上に、繊細で奥深く、大切に尊重すべき心であるということです。
「触れられたくない」気持ちに寄り添えないのならば、ボディワークやタッチセラピーは、いつでも、人のこころを傷つける可能性のある「もろ刃の剣」になりうるものだと、肝に命じていたいと、思っています。
「触れられたくない」気持ちの背景には、「こういうふうに、触れられたくない」という心が、隠れています。
こんなところで、こういうふうに、こういう感じで、こういう人には、触れられたくはない・・・。
その気持ちは、とても、大切なことで、その心こそ、尊重されるべきものなのでしょう。
でも、そのまま放置したままでは、一生、その人は、誰にも触れられない人生を選択していくこととなります。
はたして、それで、いいのでしょうか?
ボディワーカーや、タッチセラピストは、こういう心の動きにも、繊細に寄り添い、その声を受け入れながら・・・、そして、道は決して、閉ざされてはいないことに、希望をもちつづけ、歩んでいくのだと思います・・・。
to be continue.....