ソマティック京都フォーラム2022.10.10
ハクスリーの意識探求with 片桐ユズル
忘れられないフォーラムとなったので個人的に書き残しておきますね。(かなり長くなりました。途中で横道にそれますがご容赦を!)
詳しい、内容は、おそらくソマティック心理学協会さんの機関誌VOSSに詳細が記録されると思います。楽しみに待ちながら。
場所は、京都教育文化センター。前日まで京都の別の講座のため芝蘭会という京都大学構内にあるお宿に泊まっておりましたが、そこから歩いてすぐでした。そして、Googleマップに導かれて訪れてみてはっとします。昨年、看護学部でのタッチケア講座で訪れた、京都大学医学部人間健康学部の門のすぐ前だったので。朝からデジャブ感に打ちのめされます。
さて、今回のテーマは、オールダス・ハクスリー。
そして、ハクスリーの翻訳者で、アレキサンダー・テクニークを日本に紹介し、日本のソマティクスのパイオニアのお一人である片桐ユズル先生。御年91歳。私にとっては大切な師であり、コロナがおこる2022年の2月までずっと、毎月、京都からアマナスペースに通ってくださり、月に一回のアレキサンダーのクラスを開講してくださっていたのです。遠方から来ていただくのは、ハラハラしておりましたが、思い返せば本当に、からだとのつながりについて、大切なことを伝えていただけたと切に切に感謝です。直接お会いするのは1年半ぶりぐらいでしょうか?かなり、お痩せになられおられたので、少々びっくりしましたが、しかし、さすがユズル先生。存在そのものが、叡智であり詩であるのが伝わってきます。
ソマティック心理学協会会長の久保隆司先生が、ユズル先生の回顧録、「忘れてしまってもいいように」を読みながら、ハクスリーとユズル先生のことを解説。サポートにアレキサンダーの田中千佐子さん。すでにワークショップ会場に移られたユズル先生を日頃からサポートされている新海みどりさんもおられました。
ところで、オールダス・ハクスリーって誰?って方は多いのでは?
日本ではそれほど有名ではないと思います。ただ、エサレン研究所に行った方なら、メイン・セミナールームが“Huxley”であることに気づく人は多いかもしれません。ちょうど私達が引率で認定コースでエサレンに3年連続で訪れた頃に、老朽化したHuxleyは取り壊されて新しく改築される直前でした。私も古いHuxleyでは何度か、忘れられないワークショップを体験しています。今も、リスペクトされ続けているオールダス・ハクスリー。いったい何者?
2016年に新しくなったエサレン研究所の中心ワークショップルーム。Huxleyが再開したエサレン研究所の記事。(古い頃のHuxleyの写真がどうしても見つからないのですみません^^)
久保隆司さんは、ソマティックなリベラル・アーツの原点回帰として、ハクスリーをテーマに選んだとおっしゃってました。それは・・・、
“言語”と“非言語”
“心理”と“身体”
“意識”と“無意識”という対立を超えて、“両生類”として生きてきた人類の身体知の探究の歴史。今回のフォーラムの中で得た知識ももとに、少しまとめてみたいと思います。
オールダス・ハクスリーは、1894年、イギリスの学者を多く輩出した名門の家に生まれた小説家。当時は、ヴァージニア・ウルフ、T・H・ロレンス、T.S.エリオットに並び称される著名な作家でした。未来社会の管理社会のディストピア、「すばらしき新世界(原題 Brave New World)」を1930年に出版してベストセラー作家となる。ジョージ・オーウェルの「1984」に遡るかなり前。(ジョージ・オーウェルは一時、フランス語教師でもあったハクスリーの生徒でもあったらしい)
その内容は、管理社会を描いた文明批判。Wikiにある簡単な要約を引用しますと「機械文明の発達による繁栄を享受する人間が、自らの尊厳を見失うその恐るべきディストピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルにえがいた文明論的SF 小説」「人間の受精卵の段階から培養瓶の中で「製造」され「選別」され、階級ごとに体格も知能も決定される。また、あらゆる予防接種を受けているため病気になる事は無く、60歳ぐらいで死ぬまで、ずっと老いずに若い。ビンから出て「出生」した後も、睡眠時教育で自らの「階級」と「環境」に全く疑問を持たないように教え込まれ、人々は生活に完全に満足している。不快な気分になったときは、「ソーマ」と呼ばれる薬で「楽しい気分」になる」(ソーマは、この場合“からだ”ではなく薬の名前として登場。でもソマティクスは管理社会の現代の解毒剤になるのかも?)
何が気持ちいいのか、何が美味しいのか、何が正しいのか?全部、科学が決めてしまう社会。
このディストピア、なんやかやいって、今の時代に似てないだろうか?
「すばらしき新世界」を著してベストセラー作家となったハクスリーは、その後、うつ病となる。そして、目の治療もかねて、アレキサンダー・テクニークの創始者の アレキサンダーと出会っていった。(もともと、ハクスリーは幼少期のことから目の病に悩まされてきて、この目の治療、そして、視覚、ものの見え方について、終生のテーマとなっていくのでした。そして、今回のフォーラムのテーマも、眼とまなざし)
1937年、渡米(はじめはNYに。翌年、LAへ)アメリカでは、目の治療のためベイツ博士の視力回復の治療を受けたということです。目の使い方を変えると、意識が変化することをハクスリーは体験している。そして、メスカリン等の幻覚剤体験。見え方の違い。意識の変容。脳内への探求。さらに、瞑想を通じて内的世界への探求は深まり、そして、インド哲学へ。クリシュナムルティとは家族ぐるみでの友人だったそうです。
1945年「永遠の哲学 The Perennnial Philosophy」を出版。
*私は実は今年初めて知った本。古今東西の神秘思想家の心に残る章句とテーマごとに集めた、ハクスリーによる神秘思想の解説書。とても美しい本だと思います。とはいえ片桐ユズル先生、「読んだことない」と一蹴。(確かに、この本をユズル先生が読んで感動している姿は想像できないなぁ。戦前日本の宗教とつながった国家主義を体験されている片桐先生は、神秘思想にはちょっと懐疑的でらっしゃるところがあるかもしれません。お祖母様が熱心なキリスト教徒であったということも関係しているかもしれないけど。ビート二クスの詩、フォークソング、ソマティクスというユズル先生的な地平を広げていかれているような)
1954年、「知覚の扉」を出版。
*ハクスリーを最も有名にした本ではないでしょうか?幻覚剤メスカリンが、かつての幻視者・芸術家たちの経験をよみがえらせる知覚の可能性の探求を通して、ハクスリーが芸術を、文明の未来を語り、後のニューエイジ運動の火付け役となった。すなわち、サイケデリック時代を引き起こした名著。ある意味、私は、この本は“美学”の本としても読めるかもしれません。絵の話がいっぱいでてくるから。ものの見え方と、表現の仕方の変遷。そして、この本の最初に、ウイリアム・ブレイクのこの言葉が書かれているのです。
知覚の扉、澄みたれば、
人の眼に、ものみなすべて永遠の実相を顕さん。
18世紀のイギリスに生きた、画家であり、詩人であるウイリアム・ブレイクは、幼い時から幻視があり、天使や魔物が見えていたらしく、彼の絵は、それがそのままに描かれていて、まるで生きているかのような絵が残されています(←美学を専攻した、私の卒論は、「ウイリアム・ブレイクの幻想絵画における預言的性質について」。いやぁ、教授達が並んで「あなたの言ってること、わかりません~」と言い放たれたのを思い出しますわ^^。わからないから、通してあげようっていうおおらかさが美学科のいいところ。学生時代にユズル先生に出会ってたらなぁ^^)
ブレイクの話は、「知覚の扉」の本文に何度も出てきます。そうそう、忘れていました。あとで、ユズル先生の弟さんの中尾ハジメ先生(元京都精華大学学長、日本に初めてマンガ学部を設立した立役者のお一人。京都の歴史的カフェ、ほんやら洞の立役者のお一人でもあります)に教えてもらった。お会いするのは初めてで、ユズル先生よりかなりお若く、今回は、ユズル先生のサポート役として参加してくださいました。そう・・・知覚の扉には、ブレイクが登場する。あの、ロックバンドのDoorsも、名前をブレイクのこの言葉からとったと言っていた。
さらに、ハジメさんから、アレンギンズバーグをはじめとするビート二クス詩人たちは、みんなブレイクが大好きだったという話を教えてもらった。へー、そうだったのか。私は絵画から入ったから、詩人としてのブレイクの影響をあまり知らずにいたのです。(私は、確か、柳宗悦が熱狂的にブレイクを愛していたので、そこから入ったと思う。ロック少女なのにね^^。でも、ロックやパンクが好きなら、ブレイクのことは好きになるでしょう。ビート二クスはその源流)
18世紀の産業革命と、アメリカの独立、フランス革命の真っただ中に生きたウイリアム・ブレイクは、幼い時から、とてもごく自然に、天使や魔物等の幻視が見えていて、両親は彼が生計をたてれるように画業の弟子入りをさせたので、ブレイク自身はほとんどアカデミックな教養は受けていない。銅版画が主な仕事で、いくつか私的に水彩画も残しています。映画「レッドドラゴン」で主人公の連続殺人鬼がのめりこみ、最後はその絵を食べてしまうったという“ドラゴン”の絵もブレイクが描いたもの。見えるがままに、生きているかのように描くのがブレイクの絵の特徴で、中尾ハジメさんが、ブレイクの絵と、日本の漫画とが似ていることを語ってくださいました。確かにそう。。。ほんとうに似ている。。
ユズル先生、ご講演の間、ふっと、会場で座る私と目線があい、突然、ブレイクの話をしはじめてくださいました。ブレイクは、私と、ユズル先生の密かなつながりで、米寿のお祝いの時も、私がプレゼントしたのはブレイクの絵だったのですが、先生、ブレイクがお好きなんだなぁと、あの時、凄く伝わってきました。無垢で、素朴で、直感的で、見えているものは見えているのだと、世の中に妥協しない。なおかつ、あまりにも身体的な詩人(ブレイクの逸話に、裸で庭を歩いていた等があります)
だから、最後に、ご講演が終わったあとに、ユズル先生が、がしっと手を握り合ったとき、「ブレイクのこと、やりましょう!」と伝えてくださったのです。あ、先生、まだまだやる気なんだ!って驚きました。目が輝いておられた。
私にしたら、原点回帰です。でも、ロック少女から、ソマティクスへと移行した中に、ウイリアム・ブレイクが架け橋となっていたのを、今になって思い出します。
ああ、話がブレイクの話に横道にそれてしまって、恐縮です。
オールダス・ハクスリーに戻りましょう。
ユズル先生いわく、このようにハクスリーは、「ベストセラー作家から、いっきに真面目なところに行き、さらに“変なところ”に進んでいった。売れっ子作家としてのハクスリーは、「すばらしき新世界」で終ったけれど、実は、それ以降のハクスリーが重要」とのこと。まるで「すばらしき新世界」の主人公が、その世界から逃げ出していくかのように。(そこから、ハクスリーは、「すばらしき新世界」から30年後の、最晩年、ディストピア小説に対して“ユートピア小説”を書き残します。それが「島」。まさに、片桐ユズル先生の翻訳。)
「知覚の扉」を書いたあと、1959年。ハクスリーは、有名な連続講演をカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校でおこなったといいます。それがHuman Situation (人間の状況)。その最終章が「HumanPotential(人間の潜在的可能性)」で、後のエサレン研究所の発動の原動力となった、いわゆるヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントへと発展していきます。これは、「ハクスレーの集中講義」として、人文書院から片桐ユズル先生の翻訳本として出版されていますが、のちに、2010年、ユズル先生は「多次元に生きるー人間の可能性を求めてー」(コスモス・ライブラリー)という抄訳本にまとめられています。ユズル先生いわく、ご自身で一番好きな本がこれとのこと。ヒューマンポテンシャルとは、人間の脳は1万年以上昔の石器時代からほとんど進化していなくて、まだまだ脳の中の未知なる可能性が秘めていると。サイケデリックと神秘思想、瞑想や、アレキサンダーテクニーク等のソマティックな体験から、意識の内的な探求がこれからの人類には重要であることを説いた内容ですが、その中で「身体性」「直接体験」「気づき」そして、楽しむことが強調されています。エサレン研究所は、まさに内的な意識の成長のための実験劇場として、創られていったリトリートセンターでした。
さて、ユズル先生の抄訳「多次元に生きる」には、この「人間の潜在的可能性」と「両生類の教育」と「知ることと、さとること」等の講演とエッセイが収録されていて、さらに、ハクスリー生誕100周年にユズル先生とご一緒に参加された、中川吉晴先生との対談も収録。ちょっと、今、つらつらと読み返しているのですが、今読むのに、一番ふさわしい本がこれかもしれません。特に、訳者あとがきは、ユズル先生の関西フォークから、ハクスリーへ、そして、ソマティクスへとつながる軌跡を読み取ることができます。
言語の世界と、非言語の世界の両方を生きること。
意識と無意識、こころとからだ。
さて、このハクスリーの人間の状況の講演を聴いた、若き、マイケル・マーフィーとディック・プライスが、ヒューマンポテンシャル運動を実践するリトリートセンターを開くために立ち上げたのが、エサレン研究所です。カリフォルニアのかなりの僻地、ビッグサーに、開かれていった実験の場。1962年1月、ハクスリー自身が招かれたワークショップが、一応、エサレン研究所のはじまりの歴史となっていきます。
しかし、この時期のハクスリーは、すでに舌癌が発覚し余命宣告をうけ、そして、ロサンジェルスの自宅が全焼するという災難にあい、「持ち物も、過去もない」状態に。これは、この日、初めて知りました。そんな中、インドと日本にも、訪れていったそうです。ハクスリーの最晩年。
その頃に著された書が、遺作となった「島」。
1962年、亡くなる1年前。エサレンが始まった年に出版されています。
それは、ハクスリーの名を知らしめた「すばらしき新世界」の描いた、ディストピアの正反対である、ユートピア、理想郷を描いた小説。30年間の時をこえて。これもまた、片桐ユズル先生の、翻訳です(私が、ユズル先生の名前を知ったのは、島の訳者としてです)
不思議な変遷で、何故か30年以上前から私の書棚にはオールダス・ハクスリーの遺作である「島」がありました。今、古書で2万円以上するってびっくり。「島」の文学的位置づけは、長い間知らずにいましたが、今回のソマティック・京都フォーラムでは、「島」が著された最晩年のハクスリーのことがよく理解できたのが収穫でした。ハクスリーは、「島」をどのような気持ちで著したのだろうか? がんで余命宣告され、家が全焼し、持ち物も過去もなく、それでも、エサレンというわけのわからない場所を開いた若者たちが自分を慕う。この時期は、ティモシー・リアリーや、ジョン・C・リリー達、サイケデリックの意識の探求を深める人々も、ハクスリーのもとに。まだ、何も形にはならないけれど、確かな潮流が蠢いていた時期であることは、肌で感じていたでしょう。
そんなことを、片桐ユズル先生に、聴きたくなって、会場で質問をしました。
すると、突然、ユズル先生、とても、しっかりしたお腹からのお声で、こうおっしゃって。。。それが、ハクスリーの言葉なのか、ユズル先生の言葉なのかもうごっちゃになってわからないのですが。私には、こう聴き取れました。
あらやゆる前線において、同時に、
総攻撃を起こす必要がある。
変な人の、変な人の集まりがだいじ。
リベラルアーツ!
ちょっと、これは、ユズル先生の預言の言葉のように響いちゃったのですが。。
眼が輝いておられて、先生の存在から発するワクワク感が伝わってくるのです。
エサレンに集まった変な人たち。
アラン・ワッツや、シャーロット・セーヴァー、フリッツ・パールズ、アイダ・ロルフ。ハーバード大学を追い出されたティモシー・リアリーとラムダス。みんな、当時は、何をやってるのかわからない、変な人たちでした。エサレンは、変な人達が居心地よく集まり、語り合い、わかちあう場所だったのです。
それがおそらくは、ユズル先生が愛した京都のカフェ、「ほんやら洞」もそうだったのでしょう。
「島」は、ハクスリーが見抜いた、未来の管理社会を描いた「すばらしき新世界」の返歌。私達が、すでに陥ってしまっている機械化された社会で失われてしまったものへの解毒剤。今こそ、読むべき本なのかもしれません。(というのは、30年以上もちながら、今だ読めていないのです、この本を。それを、かなり前に、ユズル先生に伝えたら、これまた凄く嬉しそうに眼を輝かせて、そうでしょう、そうでしょう。と。あれは、何も起こらない本だから読んでて面白くないからね~と。実際に、この本の内容は、それほど、何も起こらないものではないのですが、でも、何か、トーンが違うのでしょう。実際には、様々なことが起こっていくのですが、この本は、「気づきなさい」から始まり、「気づきなさい」で終ります。
*
オールダス・ハクスリーは、「島」を出版した翌年の、1963年。私の生まれた年ですが、まさに、ケネディ大統領が暗殺されたその日に、この世を旅立ちます。
「島」の訳者、後書きの中の、片桐ユズル先生の文章の、ハクスリーの臨終を著した下りがとても美しいので、そのまま、記載したいと思います。
「『島』は全篇、死の影のもとにあり、生き方とならんで死に方がおしえられる。ハクスレーは、マリア夫人を1955年に乳がんで亡くしたときには、死の床で手をとって、「かろやかに、かろやかに、お行きなさい」といって死ぬのを手伝った。そして、彼自身は、1960年の夏、『島』の完成の1年前に、舌のガンと診断され、1963年11月22日、ケネディ大統領暗殺の日に、LSDが効いてくるなかで、「かろやかに、かろやかに」とローラ夫人に手をとられながら死んでいった(69歳)。そして、バラ(島の名前)も、大国の石油利権争いと隣国の軍事独裁政権のはざまで、非武装無抵抗のまま、こわされていく。ユートピアの作り方だけではなく、ゆきとどいたことに、滅び方も示されている。仏陀は悲しみを示し、悲しみの終わり方を示した。ハクスレーはさらに、悲しみの終わり方の終わり方も示した。これらすべて宇宙神シバ・ナタラジャの踊りのひとこま。」
ユズル先生の遺された著書は膨大で、翻訳もご自身の詩や著書の言葉にも、存在とつながる重みがあります。文学者であり、身体学者でもあるユズル先生から零れる言葉は、詩をこえて、フェルトセンスすら超える何かがあって。
今回のフォーラムでも、ユズル先生の発せられる数少ない言葉を、会場のみんなが、その呼吸や、まばたきや、声のトーンなどを、見えないもの、聴こえないものに、ユズル先生を知らない人ですら、じっと、それを受け取ろうとすることができたのは、ユズル先生が、もう、存在の奥底から言葉を発することしかしない方だからではないでしょうか。
昔、初めてエサレン研究所を訪れたとき、シャーロット・セーヴァーのワークショップがあり、遠目でですが、シャーロットの姿を垣間見ました。90歳代後半だったと思います。耳はほぼ聞こえていないということで、動きも微細で、私にはその姿が“深海魚”に見えました。ゆっくりと味わい、感じ、動き、必要なことしか語らない。その空気感の中で、おおいなる一体感がクラスでは生まれていったと、参加した人が教えてくれましたが、その光景となんだか、重なっていきました。
呼吸。
ただ、在ること。
存在の深み。
零れる、言葉。
ほんの数秒でも長く、ユズル先生の呼吸、微細な動き、零れる言葉にふれられる時間を、どうぞ、神様、私達に残してください。
1日だけのフォーラムでしたが、関東からも大勢の方が集まってくださり、賑わいました。
ユズル先生を通じて、とても豊かな一体感が広がっていきました。
ユズル先生は、午前中だけで充分に疲れてしまわれたので、午後は、自宅からオンライン参加に。でも、もう、ほんとうにお疲れで、画面の向こうのユズルさんは、お布団の上でゆっくりお休みになられていました。ただ、横たわるだけで、ソマティクスの深みを伝えてくださる・・・。みんなにとって、忘れられない光景となりました。ほんとうに、お疲れになられたのでしょうから、ただただ、共に過ごしてくださったことに感謝です。
なんとかお元気になられて、ライヒのことも語っていただきたい。私が最初に出会った片桐ユズル先生の翻訳本、ライヒの療法について書かれた「オルゴン療法がわたしを変えた」。そして、近年出版された「聞け!小人よ!」
最後になりましたが、この場を創ってくださった、ソマティクス心理学協会代表の久保隆司先生をはじめ、スタッフの皆様には心から感謝です。
貴重講演をしてくださった、同志社大学でホリスティック教育を教えておられる、中川吉晴先生のお話も、非常に深かった。中川先生と再会できたのも嬉しかったです。ハクスリーのことでこんなに人が集まるの?と、驚いておられたのも。
フォーラムでお馴染みの体験ワークショップも、非常に良かったです。私は、田中千佐子さんのクラスを。来年、発売される「The ART of Seeing」は、ハクスリーがベイツ・メソッドを通じて、眼について書かれた本で、今日は、そのワークも体験させていただきました。あのハクスリーが!と思うほど、ポップでわかりやすい目のワーク集です。
アレキサンダーの新海みどりさん(ユズル先生の愛弟子で、ずっとお世話してくださっています)のクラスや、角南和宏先生の「まなざしーみること、ふれること」も体験したかったなぁ。。。
そして、最後の座談会では、宗教学者の鎌田東二先生と、日本ホリスティック医学協会の降矢英成先生も合流。実は、私はその前の2日間、お二人の京都ツアーに参加していました。その日は、鎌田先生の比叡山ツアー。私も参加したかったのですが、やはり、ソマティクスの大会が優先であきらめました(来年、4月にもう一度、鎌田先生の比叡山ツアーをおこなってもらう企画があがっています。気になる方はぜひご連絡くださいかっ
鎌田先生が、日本の仏教思想の「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいみなじょうぶつ)」を語ってくださいました。涅槃経の言葉で、私も好きな言葉です。生きるものだけではなく、無機物ですら、みな、物性を具有し、成仏するという思想。東洋と西洋の違いはあるかもしれませんが、圧倒的な力で、西洋文明を批判したハクスリー、どこか通じるものはあるのではないか?と、ちらっと思っています。この話は、また続く・・・ですね。
夜は夜で、京都で素敵な会合が。
語りきれない夜となりました^_^。