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レイライン通信 - Soumya 中川れい子の日々を伝えるblog rayline.exblog.jp

エサレン®ボディワーカーでNPO法人タッチケア支援センター代表理事の中川れい子(旧こやごれーこ)の個人ブログです。2003年から、癒しのことを、旅のこと、聖地巡礼、社会問題の徒然を気ままに綴り続けたブログ。


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2020年があけて、もうすぐ3か月。新型コロナウイルスが猛威を振るい、日本社会に押し寄せています。

日々、様々な情報と共に、感染の拡大の報道が。11年前の5月に、神戸の街を襲った新型インフルエンザの騒ぎをついつい思い出してしまいます。あの時も、神戸の大きなイベントは随時中止となりました。もちろん、感染力は今回のほうが大きいので、より丁寧に警戒し、対策することは大切ですが、感染パニックの空気感があの頃のことを思い出されますので少し振り返ってみようかと思います。


私は、ちょうどその時、インドの、来場者一人一人を大切に「抱きしめる聖者」アンマ(マーター・アムリタ・ナンダマイ)の神戸プログラムのボランティアとして参加していました。神戸では、多くのイベントが中止となった中、アンマのプログラムは中止にはなりませんでした(ただ、来場者数は少なく、ボランティアの方も参加できない方もおられましたが)。もちろん、その判断が正しかったかどうかは私には判断できませんが(実際に、その数日後に新型インフルエンザの騒動は収束し、まるで何事もなかったかのようになったのですが・・)、それに、今年の状況ならば中止となるかもしれません。が、あの時の新型インフルエンザの騒動は、まるで今年の新型コロナウイルスで起きていることの予告編のように振り返られ、いろいろなことを考えさせられます。


2009年、新型インフルエンザのため町全体がパニック状態だった神戸での、アンマの来日プログラムで、偶然、私は関西のボランティア代表として、アンマと来場者の皆様の前で、スピーチをさせていただく大役にあずかりました。古いgoogleの添付ファイルを探してみると、その時のスピーチ原稿が見つかったので、今、読み返すと、いろいろなことが蘇り、自分なりに考えさせられたので、ここに記載し、少し振り返りたいと思います(ボランティア代表として大勢の方の前でお話しているので、少々、堅苦しい表現となってますがご容赦を^^。このスピーチはアンマの日本の季刊誌「マートルヴァ―二」にも掲載していただきました)アンマについては、こちらのサイトをご覧ください。

http://amma-rainichi.org/amma/index.html


現在、私は、タッチケア(人のからだに触れるケア)を普及する立場にありますので、もちろん、感染のリスクを退け、正しく警戒することの重要性を痛感しています。同時に、人に触れる・触れられることの重要性も痛感しています。こうしたことを、今後、わかりやすく文章にしていこうと思うのですが、まずは、11年前の、アンマに捧げたスピーチ原稿からスタートしてみますね。


それにしても、神戸という町は、1995年の阪神淡路大震災から、2011年の東日本大震災へ。2009年の鳥インフルエンザ問題から、2020年の新型コロナウイルスへ。。。不思議な町ですね。


中川れい子


****


親愛なる来場者の皆様

そして、今年もまた神戸に訪れ、慈悲深く忍耐強く、私たちを導いてくださる、アンマ・・・。

こんばんは。

私は、アンマ来日、神戸プログラムに、三年前からボランティア参加させていただいてます、中川玲子と申します。今回、大変僭越ながら、大勢のボランティアの皆様の中から、スピーチの大任をいただいて、ただいま、大変緊張しております。

私が初めてアンマにお会いしたのは、2005年の5月の東京プログラムでのことです。大勢の方がそうであるように、私もまた、何かに導かれるかのようにそこにたどりつきました。それから数ヶ月たち、同じプログラムで、やはり、初めてアンマに導かれた西宮のTさんご夫妻とも出会い、Tさんのご尽力で、20075月、アンマを、私たちにとって大切な町、神戸にお招きする運びとなりました。今から振り返ると、ほんとうに、何もかもが必然で、アンマが神戸にいらっしゃることは、天の計らいであるように、感じられてなりません。

 

私は、三年前から、ボランティアとして参加し、とくに、アンマのダルシャンを待つ方たちの並ぶ、ラインの整備のお手伝いをさせていただいています。

皆様もよく御存知でしょうが、アンマのダルシャンは、ほんとうに聖なるものだと、私は痛感いたします。アンマの抱擁は、あたたかい生身の身体が触れ合うことで、すべての人々の中に、血の通う生命の尊厳が宿ることを教えてくださいます。そして、絶え間なく、すべての方たちを抱きしめることで、すべての人が等しく天から愛されていることも、教えてくれます。

その一瞬も休まずに、抱きしめつづけるお姿を、真近で見ていると、まさに、湧きいずる泉から、こんこんと水があふれ、そして、川となって流れいくかのように見えます。

アンマという、おおいなる愛の源泉からあふれる水・・。その水の流れが、スムーズに、隅々にまで、流れていくのをお手伝いするのが、私たちの仕事です。


とどこおらず、よどみなく、たんたんと、あふれ、流れて、広がっていく愛の川。。。その流れを妨げないためには、どうすればいいのか? 私はふと、その川の流れをとどめようとする、「石ころ」のようなものを感じました。それは、私たちの心の中に、ごつごつところがる、「エゴの石」です。欲望・執着・嫉妬・闘争・・・。アンマのボランティアをしていると、そういう石ころが、自分の心の中で、ごつごつと音をたてて、流れる水をせきとめようとしているのが、時折、感じられます。それに気がついたとき、私は、自分の未熟さが悲しくなりました。あれほどに美しく、絶え間なく流れる、アンマの愛の川が、あるがままに、そのままに、広く隅々にまで、届けられるには、どうすればいいのだろうかと、いろいろと、思い悩みました。


3年のボランティア生活の中で、じょじょにその「コツ」がわかりかけてきました。それは、「手放して、ゆだね、受け入れ、愛する」ことなんだと・・・。そういう体験を繰り返す中、少しずつ、心の中の石ころが、小さく砕かれていくのが感じられました。あぁ、アンマは、こうやって、ボランティア活動を通して、一人一人を導いてくださっているのだなぁと、気づいたとき、不出来な弟子に対する、アンマの慈悲深さ、忍耐深さに、ただ、ただ、感謝でいっぱいになり、胸が熱くなりました。


と、同時に、アンマご自身が、欲望・執着・嫉妬といったエゴの石でせきとめられていない、さらさらと流れる清流そのものなのだということに、気づかされます。アンマが、一日に数百人、数千人と抱きしめ続ける中、ただの一度も、嫌な顔をしておられるのを、私は、見たことがありません。ずっと止まらない、よどみのない動きで、富める人も、貧しい人も、すべての人を、平等の愛と無執着の心もって抱擁されているのが、よくわかります。アンマを見ていると、愛は、無限に湧きいでて、すべての人に注がれるものであり、石油のように、奪いあう必要のないものだということが、とてもよく理解できるのです。


 さて、アンマがこの神戸を訪問地として選んでくださった理由の一つに、あの14年前の阪神・淡路大震災があると私は感じています。私はあの日、西宮の自宅で被災しました。1995117日、午前546分。おそらく、あの大地の激しい揺れを、私は一生忘れないことでしょう。ほんの数秒、地球が揺れただけで、私の部屋も、我が家も、そして、近所の周囲すべてが、様変わりしていました。全壊してぺしゃんこになった家、おしつぶされて亡くなったご近所の人たち、倒壊したビルディング、周囲に立ち上がる火事の不穏な煙・・・。日常とは程とおい、悲惨な風景がそこにあり、恐怖と悲しみで、心が押しつぶされそうになりました。


地球にすれば、ちょっと、くしゃみをしたぐらいの揺れだったのかもしれません。たった、それだけで、昨日の現実は、もう、目の前には、ありません。ちょっと地球が揺れただけで、あっというまに、木っ端微塵に壊れてしまいます。私たちは、日常では忘れてしまっていた、大自然の脅威、地球の力をあらためて思いしらされました。


このスピーチ原稿を作成しているとき、アンマのお弟子さんのシャンタジさんから、「人と自然」という本の中にあるアンマのお言葉を教えていただきました。これは、アンマのインドのアシュラムも大被害を受けた、インドネシア沖津波の10年前に語られたお言葉です。

「私たちの生活の質は、大幅に低下してしまいました。多くの人が信仰を失い、愛も思いやりも持たず、全体の利益を考えて手に手をとって協力して働くチーム精神も消えてしまいました。これでは、大自然に悪影響となります。大自然は、祝福をすべて引き揚げて、人間に反するようになります。人間がこんな調子でいれば、大自然がどんな反応をするか、想像を絶するものがあるでしょう。」 

私たちは、あの大震災の体験を通じて、そのことを身をもって感じたといえるでしょう。

私たちの意識や行いは、常に、密接に地球や大自然とつながりあっている・・・。このことを受け止め、そして、後生にまで伝えることが出来るなら、あのとき、大勢の犠牲になった人たちの御魂にも、少しは報いることができるかもしれないと、私はおもいます。アンマが、世界中からの招待を受けながら、あえて、神戸を訪問地として選んでくださるのも、ここに暮らす私たちに、それを伝え、導くためではないかと、思えてなりません。


今回、世界中で鳥インフルエンザが蔓延したことで、この神戸にも広がり、大きな不安と動揺が走りました。感染を最小限にくいとめるための努力は、とても大切だとは思います。と、同時に、今回のことで私が感じたことは、なによりも、あぁ、世界中、みんな、同じ空気を吸って生きているんだなぁ・・・という、当たり前の事実の再発見でした。地球の観点からすれば、水も空気も大地も、すべて、つながりあっています。人間の力で、それをせき止めようとすることの難しさを、今回、しみじみと感じました。今こそ、私たちは、謙虚に、全体の一部であり、つながりあっていることに、目をつぶらずに受け止めることが、必要なのではないかと、ここ数日、思いをめぐらしておりました。インフルエンザも恐ろしいですが、つながりを忘れてしまった社会もまた、恐ろしいと思います。そのことを見据えて、今回の問題にむきあっていきたいと、プログラム開催にあたり、思いめぐらしました。


そして、おそらく、そのことへの理解を深めることこそが、今日、私たちが求めるべき霊性の向上ではないでしょうか。ここでまた、シャンタジさんが、アンマの美しい言葉を紹介してくださいましたので、引用したいと思います。

『真我(アートマン)を悟って、身体を超越した魂には、一切の「相違」は存在しない。そんな魂には、すべては一つの「普遍意識」の一部であって、あらゆるものが、「ひとつながり」であると、はっきり見え、一つも別個の存在はなく、すべては全体者の部分を形作っているのだとわかる。その境地の中では、あなたは、どこででも、あらゆるものの内に自分自身を体験する。・・・こちらにも、あちらにも、、上にも、下にも、どこを向いても、醜いものも、美しいものの内にも・・・。そういう魂は、どこを向いても、見えるのはそこに既にあった自分自身の真我だけ。その人は、いつも存在していて、不在ではありえない・・・』

なんとも、崇高な境地のお言葉であり、ただ、ひれふするばかりでありますが、こうした境地に、ほんの少しでも近づくために、私達のボランティア活動があるのだと、最近、思えてまいりました。

 毎年、アンマがいらっしゃる直前は、やらなければいけない仕事が、集中豪雨のように、天から降り注いできます。あんまり忙しいので、何も考えずに、ただ無心に、それをこなしていきます。考える暇がないのです! そうやっているうちに、はっと気づきました。

もう、私の中で、それが、自分のためなのか、アンマのためなのか、みんなのためなのか、社会のためなのか、区別がつかなくなってしまっているのです。もう、そんなことを、考えることすら、億劫なのです。そうなったとき、私の心はふっと、軽くなりました。なんだぁ、みんな、つながっているのだから、結局は、どれも、同じなんだ、循環してるんだ。分けて考えることで、いかに、私は、心のエネルギーを消耗させていたのかが、よくわかりました。


そんな気づきを得たときに、ふっと、私は、アンマのことを思いました。

あぁ、アンマは、一人ひとりを、絶え間なく、抱きしめ続けることで、自分自身のおこなっている努力が、常に、世界全体のためになっているのだと、わかってやっておられるのだなぁ・・・。アンマは、すべての存在、すべての人達の中に、アンマご自身をご覧になってるのだなぁ・・・と・・・。


そして、私は、こんな夢を思い描きました。

いつの日か、心の中の石ころが小さく磨かれて、さらさらとした砂となり、水の中にまざりあい、そして、みんなが、すべての人の内側にあるアンマを見つめて、愛と理解をもって、平和に暮らす日が訪れることを・・・。

普段は、遠く離れておられますが、アンマ、いつもいつも、ほんとうに、私たちを導いてくださって、ありがとうございます。そして、今年もまた、神戸の街にも、やってきてくださって、本当にありがとうございます。神戸が、アンマの愛の川の流れる、一つの大きな分水嶺として成長していきますように、どうか、お導きください。心からの愛と祈りをこめて・・・。長い時間、ご清聴ありがとうございました。

            


2009年 アンマ神戸プログラム会場にて


ボランティア代表 中川玲子


アンマの美しいダルシャン(抱擁)の様子は、こちらをご覧ください。

Love of Grace

https://www.youtube.com/watch?v=VPS1YDu-aeU&t=73s

Science of Compassion

https://www.youtube.com/watch?v=YsxZI0PBl_A


2009年/神戸/アンマ/新型インフルエンザ_a0020162_11052945.jpg




# by reiko-koyago | 2020-02-22 09:41
安冨歩先生@尼崎 レポート。
『子どもを守ろう~生きづらさをゆるめて~』
2020 1.18&19  その3です。
最後のお話は「日本史を学ぶ」
その1&その2は、フェイスブックで。

日本史とは、まさに私の古巣。
あまりのド直球で感動に震えます。
なので、少々、教科書レベルの日本史を
すこし補足説明しておりますが、ご容赦を!
(先生が直接語られたところを緑の太字にしております!)

ところで

安冨先生のご著書で、
よく登場するキーワードは
1つには『日本”立場”主義』
もう1つは『魂の脱植民地化』
だと思うのですが、
著書では拝読したものの
やはり、ご本人から拝聴するのは
格別の感動があります。

私が、安冨先生のご著書で
最初に拝読させていただいたのは

本の帯には、こうあります。
「現代日本には、未だ『満州』が残っている」
「なぜだれも止められなかったのか?」

そして、
「個人より『立場』を守って
 すべてを失った大日本帝國の運命を
 今こそ知ってほしいと思います」(著者)


日本史をちょっとでもかじった方なら
誰でも、疑問に思うことだと想像するのですが、
何故、戦前の戦争を、
みんな、おかしい・おかしい
無理だ無理だと思っていながら
誰も止めることができなかったのか?

世の中には、よく勉強した
賢い人はいっぱいいるはず。
なのに、どうして子どもが考えても
おかしいと思えるような道を
そして、途方もない悲劇であることが
わかっているのにもかかわらず
突き進んだのか?
あるいは、後戻りできなかったのか?

(それが、まるで、今の時代の政治ようで。
 たとえば原発問題、辺野古の埋め立て問題
 さらに、公文書管理の実態・・・
 等、、誰が観てもおかしいと
 思えることが、みんな声をあげずに
 つきすすんでいく。。。
 そこに、かつての大日本帝国の幻影を
 重ねてしまう人は、
 とても多いのではないかと思います)

このことを考察するには
満州国のことを理解する必要があるのですが、
満州の歴史は本当に難しくてわかりにくい。
(+当時すでに確立していた日本のエリート主義と)

その”満州”の謎と、真実を
とても、わかりやすく
まさに”隠された構造”を暴いてくださったのが
この、ご著書なのです。

これを読むと、私達はいまだに
満州という”亡霊”と共に日本を
生きているのかがわかります。


おっと、レポートから
脇道にそれてしまいましたが
下記からが、ご報告です。


『立場』とは、英語にはない言葉。

position とか、role とか、stance とかに
ニュアンスが近いかもしれない。

江戸時代や明治の初期では
あまり「立場」という言葉は
使われていなかった。

が、夏目漱石の小説
『明暗』には、17回も
立場という言葉がでてくる。
(1916年、大正5年に連載)
『立場』という考えが広がったのは
日本の軍国主義が拡張しつつある時代。

立場があるから戦争に行き
立場があるから、人も殺す

この「立場主義」とは
日本の中世から近代にかけての
「家」制度の残存形態である。


ここで、ちょっとだけ
ベーシックな高校日本史のお勉強を。
(すみませんが、私の高校日本史教科書レベルの
 日本史の知識も混ぜてお伝えします)

大和王権が成立した時
日本の社会制度は
「氏姓制度(しせいせいど)」でした。
家以前に「氏」が重要な要素。

大和王権とは
天皇家とその周辺の
畿内の有力豪族の連合政権。

有力な氏とは
古くは葛城氏・平郡氏・・・等。
その後、物部氏・蘇我氏
さらに後の藤原氏となる中臣氏。
「氏」という大きな血族集団が
社会の構成要素でした。

が、その後、平安時代の半ばから
中世にかけて、
氏の中の「家」が中心になります。
すなわち、武士の台頭です。


たとえ自分が戦で死んでも
「家」が残ればそれでいい。
お家安泰。

また、誰が家の家督を継ぐかで
大きな戦乱も起こりました。
その代表的なものが
応仁の乱。

そこから、戦国時代のはじまりです。

そして、江戸時代。
完全に「家」制度が出来上がりました。

同時に「村」が出来たのも江戸時代です。
農民が土地に束縛され年貢を払う。
村方三役という「役」も登場します。

江戸時代、太平の時代が200年以上続き
家制度はピークに達しますが・・・

ところが、幕末
徳川幕府は崩壊し
これまでの封建制度は解体。
天皇をあおいだ明治新政府が誕生。
そして「中央集権制」となります。

国民皆兵

すべての国民は
国に徴兵されて
国家のために働く。

家制度はここで没落し
かわりに個人単位に役を与えることに。

(しかし、この時代
 まだ日本には西洋的な意味での
「個人」という概念は確立していなかったのでしょう)

そこで、かわりに
登場したのが「立場」。

お国のために果たす役割。
その立場を失うことは
お家断絶に近い恐怖であると
国民にしみこませた。

「立場」のために戦争で死んだとしても
「靖国神社」で英霊として祀られるから
 だいじょうぶ。


(今では信じられないかもしれませんが
 私達の暮らす、日本という国の
 そう、遠くない時代の祖先は、
 そのとんでもない考えを
 受け入れていたのです。。。)




(日本は明治以降
 近代化を走り続け
 西洋文明を取り入れていきました。

 しかし、それほど簡単には
 西洋的な「近代自我」
 「個人」と「自由」という概念を
 受け入れることはできなかったようです)

かわりに浮上したのが「立場」主義。

その「立場」のせいで、
大勢の人々がみずからの「死」を受け入れ
あるいは、人を殺すことを受け入れていった。

ふぅ。。。

私達、日本人が、これから先
「個人」の幸せや自由意志を
互いに尊重しあえるような社会を作るには
これまでの「立場主義」の正体を見破り
超えていかないと、いつまでたっても
果たされないのでしょうね。


この戦前の「立場主義」は
戦後も継続し、
高度経済成長期
会社や組織の中の機能し続けてきたのですが、

しかし!

この産業の成長の過程で
ロボットやコンピューターが導入
90年代には、日本の経済の成長は
終わりを告げた。

それにより、これまでの
「立場主義」は崩壊。

これまで、国家主義によりかかり
国家主権に近いところにいた
立場主義の人々は、
断末魔の悲鳴をあげはじめた。


そこで、安冨先生のお言葉はこう、続きます。


「立場主義」は終わっていきます。
次は、どうなっていくのか
誰にもわからない。
それは、子どもたちが決めていくでしょう。

ただ、これだけは言えます。
もうこれ以上
子どもたちに
「立場」を叩き込むのはやめよう。

なぜならば、次の時代にはもう
「立場主義」は機能しないから。

「立場主義イデオロギー」は
人と人とを分断し、
助け合うことを妨害します。

「立場主義」に依存しないように
子どもを育てよう。

実は、私達は、知らない間に
子どもが、生きようとしている力を
妨害しています。

そうならないためには
親が、自分自身の個人史と向き合うこと。
自分自身の親と、学校との関係はどうだったのか?
そうした関係を見つめながら、
世界の「歴史」を学ぶ。

自分自身の心の中に
ひっかかったもの(源泉)を
学んでいると
世界史と、自分の関係が
つながっていくのですよ。


今回も、素晴らしいオチ。
見事な「歴史の学び方」です!

まずは、自分自身の内側の歴史を見つめなおし
そして、世界の歴史とつながっていく。。。

一人一人の内側の、
自分の歴史、
見つめなおしてみると
きっと、世界とのつながりの
結び目が見えてくるのでは
ないでしょうか?



最後に、先生から推薦図書が。
中世歴史学者の
勝俣静男先生と網野善彦先生。

網野善彦先生の著書は
私が、日本史予備校講師時代
もっとものめりこんだご本だったのです。
心のささえだったといっても良いかも?
ちょっと、嬉しい^^。


そして、安冨歩先生
あらゆる知性と洞察力を駆使し
わたしたちに、真実のエッセンスを
伝えてくださり、ただただ感謝です。

女性装の東大教授として
有名な安冨歩先生ですが、
女性の恰好をされてるせいか
なぜか、私はそのぶん
親しみを感じました。
やはり、女同士!
って感覚なのでしょうか?

会も、女性の方がとても多かったです。
やはり、女性の時代ですね!



この貴重な2日間の講演を
企画してくださいました
NPO法人はちの代表の田中さん。

一緒に創り上げてくださった皆様
そして、ご参加くださった皆様。
世の中には、ほんとに素敵な方達が
おられるんだなぁと思えた2日間でした。


ほんとうのことを見つめ

自分自身を感じて

自分自身のペースを大切に

歩んでいくこと。

そうすると、ごく自然と

あるように、なるように進んでいく。


未来は、子どもたちが選んでいく。

子どもたちに、スペースを!



子どもを、守ろう!


*写真は、2日目の打ち上げ会場で。撮影は原田明さんです。


『子どもを守ろう ! 』 ~安冨歩先生が尼崎にやってきた~_a0020162_22545165.jpg
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# by reiko-koyago | 2020-01-20 22:25

2020年、1月。米軍によるイラン司令官爆殺により、緊張が走る中東情勢の幕開けとなりました。そして、今日1月7日、イランは報復としてイラクの米軍基地を攻撃しました。この後、米軍がイランを再度攻撃した場合、第三次世界大戦へと発展する可能性が高いほど、現在、緊迫した情勢です。同時に、アメリカ国内をはじめ全世界では戦争反対の声が広がっています。


今、ふたたび、かつての私の瞑想の師の一人であった、フーマン・E・エマミの世界平和の祈りを振り返り、ご紹介したいと思います。この数日、フーマンのことが思い出されてならないからです。


フーマン・E・エマ二は、かつて2003年のイラク戦争勃発の直前に『世界平和の祈り』を自らおこない、長期の断食瞑想をハワイ島で実践していました。また、彼の瞑想のエッセンスを凝縮した『「世界平和の祈り」の方法』を弟子たちに伝えました。その後、残念ながらイラク戦争は起こってしまい、そして2005年、フーマンはハワイ沖に身を投じてボディを離れていきました。フーマンは、国籍を超えた存在ではありましたが、イラン出身の人だったのです。


あれから、15年。

前回以上の激しい緊張が中東で起こっています。

この15年の間に、人類の意識が成長していることを信じ、再びフーマンの「世界平和の祈り」をお伝えしたいと思います。

マインドを空っぽにして、ハートを感じ(ハートに手をあててみたり)、内側に平安と祝福を感じてください。呼吸とともに、行きとし生きるすべての存在に愛と祝福を届けてください。内側の平和、そして、ハートの穏やかなバイブレーションで世界をつなげていきましょう。


下記は、フーマンが私達に伝えた世界平和の祈りの方法です。


(*共感してくださった方と、ご一緒にお祈りをすることとなりました。AM6時 正午 PM6時 12時・・・と1日四回、可能なときにご一緒ください。約5分です。まずは、1月12日迄続けようと思います)




< 世界平和の祈り >

ー 祈りの方法 ―


最初にマインドを空っぽにします。


次にハートに呼吸を入れたり出したりすることで

ハートとコンタクトします。


だんだんと、

すべての意識をハートにもたらし

そこで消え去ります。


ハートを深く感じたら

ハートを感じることができるという

祝福を感じましょう。


その祝福を感じたら

日本という国全体を

あなたのハートにもたらしてください。

(ハートで感じる祝福の中に視覚化すること)


そうすることで、その祝福が

全員に、そしてすべてのものに広がっていきます。


次に、だんだんと

地球全体をハートに入れるように。


ゆっくり吸ったり、吐いたりして

地球を我々の母とし

そして、その上に生きとし生きるものすべてを

ひとつの家族として感じ

すべてを我々のハートの中にもたらすことで

それらすべてに、愛を与えていきます。


こうすることで、ハートが広がり

愛をすべてに及ぼすことができます。


この祈りの瞑想は

愛と平和を与えたいと望む

誰に対しても行うことができます。


そして、それは

深いレベルで働きます。



フーマン・E・エマミ 2003

Houman・ E ・Emami


2020年 \" 世界平和の祈り \"  by フーマン ふたたび_a0020162_09283159.jpg

フーマンは、この祈りの瞑想の伝達のさいに、このように、伝えています。


我々は全員が
この地球に対して責任を持っている

真の光明への道は
地球への愛と慈悲を
無視するものであってはならない

我々の道の大部分は
一生をかけて内的な我々自身の
目覚めへと焦点を合わせるべきだ

しかし
緊急を要する時期というものがあり
その時は外側へ向かって
愛と慈悲を与える事が要求される

その愛と慈悲は
その意図が明確である事により
その見返りとして
光明への肯定的なカルマをもたらすだろう

* フーマン *


引用 Star of Light

https://www.starofheart.com/


フーマンのオーガナイザー

リーラスペースのキヨタカさんのブログに

この当時のことが記されています。

http://www.leela.jp/grace/part2/title3-2.html


キヨタカさんの記した

フーマンとの対話の記録

「恩寵の扉が開くとき -フーマンとの出会いー 」



2020年 \" 世界平和の祈り \"  by フーマン ふたたび_a0020162_09411476.jpg


最後に、アンマの世界平和の祈りを。

ロッカーハ
サマスターハ
スキノー
ハバンドゥ

生きとし生きるすべての人が
平安でありますように。




Reiko Nakagawa


# by reiko-koyago | 2020-01-08 09:56
東京に滞在している間、
夫と二人で、かねてから訪れたかった
静岡県の”富士山静養園”さんに
1泊2日で訪れました。

あまりの富士山の美しさに圧倒されました。
いまだに、余韻を感じています。

富士山静養園へ -地域・コミュニティ・循環、そして源流へ ー_a0020162_13472080.jpg

ここに訪れたのは
去年・今年と、伊豆の
上野圭一さんのもとを
訪問したときに、二度とも

「絶対に、富士山静養園に
 行ったほうがいい。
 そして、山本竜隆医師に
 会ったほうがいい」

と、熱く、勧めていただいたからです。

実際に、訪れて、お会いしてみると
そのお言葉の意味がよくわかりました。

上野圭一さんが訳された
アンドリュー・ワイル博士の
「癒す心・治る力」をお読みになられて
アンドリューワイル博士が教える
アリゾナ州立大学で、統合医療を学ばれた
山本竜隆医師は、
日本人初めての弟子というお立場に
留まることなく、帰国後も
ずっと、統合医療の実践と探求を持続してこられ
最初は、都市部での統合医療のセンターを。
しかし、そこで限界を感じられて
統合医療から、行き着かれたのが
”地域医療”というフィールドであったという。。

そこに至る壮大な道のりと
具現化された広大な敷地の静養園を
体感させていただき、
しみじみと受け取らせていただきました。
富士山静養園へ -地域・コミュニティ・循環、そして源流へ ー_a0020162_13422741.jpg

広大な敷地の中の森林を案内してくださる、山本竜隆氏
富士山静養園へ -地域・コミュニティ・循環、そして源流へ ー_a0020162_13130583.jpg
富士山静養園へ -地域・コミュニティ・循環、そして源流へ ー_a0020162_16353043.jpg
お料理は、元宝塚歌劇団におられた奥様の手料理。
とても優しいお味で、からだにしみこんできました。
なんと、あの「ベルばら」のロザリー役をされていたという!
私は、ベルばら世代なので、感動しています^^。
とても、素敵な奥様でした。
富士山静養園へ -地域・コミュニティ・循環、そして源流へ ー_a0020162_16354247.jpg
日月倶楽部では、溶岩プレートでのバーベキューもできるとのこと。


まず、西側から見上げる富士山の壮大な美しさ。
関西に暮らしていると、富士山はあまり
身近なお山ではありません。
今回、私にとって、最大接近ではなかったでしょうか。。。

観ているだけで、お側にいるだけで
どっしりとすそ野が広がり、
自然とグランディングし、
地球の一部であることを
からだに伝えてくれるお山です。
そして、果てしなく神々しい。
(この世のものではないかのように)

これが、富士山か。。。と。
いったい、私は何年、
日本に暮らしてきたのだろう?
と、ちょっと、苦笑い^^。



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日月倶楽部には、グランピング用のドーム型のお部屋もありました。


そして、山本竜隆先生ご自身が
おおいなる富士山のように
とてもグランディングされていて
地球と自然と、地域社会と
まるごとしっかりと
つながっておられることも。。。

山本先生が、この地と出会い、
富士山静養園・日月倶楽部・
そして、朝霧高原診療所という
3つの統合医療と地域医療、
そしてウェルネスにかかわる施設を
この地に具現化するまでには
想像が及ばないほどの
大きな大きな意志の力と実行力、
そして、大いなる自然への畏敬の思い
地域社会への敬意と謙虚さ
つながりへの信頼がおありだったのだろうと
胸が熱くなりました。
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富士山静養園の母屋。
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日月倶楽部の母屋の中には、富士山の裾野のジオラマが。
窓からは、本物の富士山を臨めます。


そこには、いわゆる
滞在型のリトリートセンター
という(日本ではまだ定着はしていませんが)
枠組みをさらに超えて

自然・環境・社会・五感・・・
様々なつながりのなかで
人間まるごとをホリスティックに看る
”統合医療”という領域を

人間のウェル・ビーイング(幸福)
さらにコミュニティ(地域社会)という
フィールドにまで豊かに広げた
ビジョンがおありで

それを、富士山という
まるでこの国の象徴でもある
大自然の源に
具現化されたという。。。

そして、その敷地内には、
富士山の雪解け水が
富士川へと流れていく
源流があり
そこにも、ご案内していただきました。

(一連の「水を巡る旅」のひとつとしても
 今回の旅は意味が深かったです。
 まさに、”源流”。
 そして、そのお水の美味しかったこと!

 それは、100年前の雪が解けたお水だそうです。
 この敷地内に、その源流から続く
 小川は流れています。
 かつてはその清流の中で
 ワサビ田が広がっていたそうです。)

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静養園の母屋の前の日本庭園の池。

今回のワークショップのテーマは

”地域包括ケアシステムと社会的処方箋”
ホリスティック医学の可能性を含めて

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最初、私はこのタイトルを読んで
ちょっと、くらくらっと
内側を揺さぶられるものを感じました。

というのは、地域包括ケアシステムとは
都市部の地域社会で進むものだと思っていたからです。
実際に、私の暮らす兵庫県尼崎市にも
日々、医療・福祉関係の皆様が奔走されています。

人里離れた、滞在型リトリートとは
少し、空気感に微妙な距離を感じてしまう。

タッチケア支援センターの”タッチケア”は、
米国カリフォルニア州に1963年に開設された
ヒューマンポテンシャリティと自己変容の
意識の成長センターとして有名なエサレン研究所
育まれたエサレン®ボディワークを母胎としています。

サンフランシスコから車で5時間ほど。
秘境、ビッグサーの温泉の湧き出る
滞在型リトリートセンターで
生まれたボディワークを基盤にもつ
私達の”タッチケア”を、地域社会に
活かしていくために、
この都市部のケアの在り方と、
人里離れたリトリートセンター
との距離感について、
何度か感じてきた違和感と葛藤です。

ところが、今回のお話を拝聴していると
そういう違和感や葛藤は、
もう古めかしいものなのだと
いうことが、わかってきました。

人間の健康と幸福には
自然とのつながりが不可欠であり、
いのちの循環と地球との共生
さらには宇宙とのつながりを
体感できるような
都会から離れた
ゆったりとした時間を設けた
滞在型リトリートという発想が
”医療”や”養生”そして”回復”にとって
すでに、私達の社会には、
必要不可欠なものであるということ。

というのか、、、。
私自身が、そうした
長期滞在型のリトリートを
何度も繰り返して
あるいは、主催して
自分自身の中の変容や
参加者の方の変容と癒しを
目の当たりにしてきたのに
それを”ちょっとした変わり者の世界”だと
封印してしまうのは、
自分自身の自己肯定感の低さに
またまた、苦笑してしまいます^^。
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”地域”という言葉は
私は、阪神淡路大震災の時に
出会いました。

1つのエリアに
同じように襲い掛かる
震災、、、家屋の倒壊。
同じ地域に暮らすものが
手をとりあって、
助け合い、支えあう。

災害にあって、はじめて
気が付いたものです。

自然とのつながりだけではなく
人と人とのつながりも途絶えつつある
都会での生活。。。

統合医療は
地域の中で
そして、自然の中で

というコンセプトは

こうやってお話を伺っていると
当然といえば、当然。

病気になる前に、
病気にならないように
予防医学を地域で支えること。
これもまた
医療の仕事。

統合医療先進国である
キューバでは

人々の健康には

*家庭
*コミュニティ
*健康教育が

大切だというお話もありました。

また、富士宮市の
地域包括ケアシステムでは
医療者や福祉関係者
家族のほかには
地域の人々も
話し合いに参加するということも。

専門家だけではなく
地域の一般の人々も
健康と回復のために
かかわっていく。

このことは、
実際に、何度もエサレン関連の
滞在型のグループワークショップの
オーガナイズをしてきて
体験してきたことです。

ワークショップの中での癒しは、
講師や教えや技術や手法ではなく
参加者同士の
つながりと、
その”場”の力の中で
ごく自然と
起こっていくのですから。


また、現在の日本の地方都市でも
高齢者の方が認知症になって
徘徊をしても
地域の人が見守って
もしも迷子になったら
連れて帰ってくれるようなことも
よく、聴きますよね。
もともと、日本の地域社会がもっていた
機能だったのかもしれません。

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参加者のみんなで拾って寄せてみた、落ち葉たち。


統合医療もまた

狭義では 医療機関の中でおこなうことですが、
広義では コミュニティそのものをあらわすこと。

そこで

社会的処方箋”という言葉がでてきます。

それは、一人の患者さんの治療のために
お薬だけではもちろんなく
医療者だけでもなく
福祉関係者だけでもなく
そこに
代替医療家
家族
環境
そして、
地域の人々が深くかかわっていく。
(子どもも含めて)

今の薬だけの処方箋を
はるかに超えたビジョンです。

社会ぐるみで、一人の人を
診ていくという処方箋。

こうしたアイデアを
山本先生は

ヨーロッパの限界集落に近い
地方の農村で、発見したということでした。

地方の農村部では、
医療の中に、すでに

森林の中を歩く 瞑想する
ぶどうの収穫を作業療法としておこなう
ことなどが、すでに含まれているという。。。

ミュゼ―セラピーという
言葉を今回初めて知りました。

ミュゼ―とは「中庸」「環境」という
フランス語だそうです。

*時間の経過
*自然との循環
*五感を開く
*瞑想
*人との交流

こうしたものを
大切にしていくセラピー。

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一瞬、エサレン研究所の試みを
思い出します。

が、アメリカ社会よりも、
ヨーロッパのほうが、すすんでいるとのことです。

(山本先生ご自身が、アメリカ統合医療のアンドリュー・ワイル博士から
 ヨーロッパを視察するようにアドバイスを受けられたとのこと)

ヨーロッパの人々の
暮らしの在り方

それは、仕事と日常を
切り離さない
オンとオフとでわけない
生産性で自分の人生を
切り売りしないような
生き方、、、なのかもしれません。


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と、、、なると。。。
今回、いろいろと考えさせられました。

現実問題として
私達は、都会で働き
週末を自然の中で過ごす・・・
あるいは、休暇を過ごすというのが
日常の自然との付き合い方です。

とはいえ、今回思ったのですが、
土日に、訪れた富士山静養園

まぁ、その行き帰りの混雑したこと。。。
高速バスを使ったのが悪かったのか
行楽シーズンの土日ということで
往復、バス、11時間かかってしまいました。
(東京から脱出してまた戻ることそのものが大変!
 おそるべきは”中央道”の車の多さ。
 関西人には未知でした^^)

1泊や2泊ではなく
自分自身をしっかり癒すなら
やはり、5日から10日は滞在したいものですね。

そうなると、今の日本社会の働き方では
問題が出てくるでしょう。

やはり、社会まるごとが
目覚めていくことが大切かなぁ。。。

まずは、ほんとうに
日々忙しくて、奔走されている
医療者の方に、
富士山静養園に訪れて
ゆっくりしていただき

そして、各地域の中に
それぞれで暮らす方達が
安価でゆっくり回復することができる
リトリートセンターを作っていくような
未来社会ができればなぁと

夢想してみたりもしました。

タッチケア支援センターも
地域のNPO法人として
これから、何が出来ていくのかを
さらに、深めていきたいなぁと思います。


この山本竜隆先生の
地域包括ケアシステムと社会的処方箋のお話とともに

アロマセラピストの
安珠さんによる
パーマカルチャーと
トランジションタウンの実践の
ご報告。

アロマセラピストという
個人にかかわるお仕事から
社会全体、地球全体の癒しへと
広がっていく、
そして、持続可能なコミュニティを創造する。

ほんとうに壮大な
実践のご報告で、
素晴らしかったです。

また、久保木み規さんによる
アーユルヴェーダを取り入れた
セルフケアのお話も、朝のクラスに。

セラピストとして
医療や福祉のフィールドでも
ご活躍で、お話には
とても、深みがありました。

インドや中国では
日々の健康にすでに
多くの癒しの叡智が活かされてきた
歴史があります。

日本でも、かつて
そうだったのでしょう。

統合医療と
地域包括ケアシステムは

私達の中で
冬眠してきた何かを
目覚めさせるような
道筋なのかもしれませんね。


晩秋の色が美しく
太陽と星々と月と
清流、そして、富士山と
地域のケアに思いをもつ
素晴らしい方々とご一緒できた
2日間でした。

感謝と光とともに
蒔いていただいた種子を
これから、じっくり温めて
いきたいと思います。



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# by reiko-koyago | 2019-11-19 12:49

熊野三山、聖地を歩く 

2020年2月26日(水)~28日(金)
<熊野三山をめぐる旅>

母なる地球を感じながら
熊野の聖地を歩きます。




世界遺産となった
祈りの聖地『熊野』
今、世界の旅人の注目する地となりました。

2月の終わりの熊野は
まだ寒さが残るオフシーズン。
それだけに人も少なく
熊野の土地や歴史の本来の深みと
つながりやすい季節。

今回の旅では、那智から新宮方面
本州最南端の温かな気候の聖地を巡りながら
最後には、熊野本宮、川湯温泉の仙人風呂
そして、世界遺産、熊野古道を歩きます。

那智・新宮・本宮大社の熊野三山。
熊野古道・神倉神社・
花の窟・産田神社・・・。
朝日、そして、温泉!

ここ数年、女性セラピストの仲間と共に
熊野と”女性性”をめぐるワークショップを
企画してまいりました。
今回の旅は、ワークショップでは辿れない
熊野の神々と信仰とつながる聖地の旅を
辿ります。

古の叡智と熊野の自然。
未来を拓く可能性と共に
ご一緒に巡りましょう。



中川れい子
NPO法人タッチケア支援センター代表
心と体のセラピールーム amana space主宰
エサレン®ボディワーカー

****


<スケジュール>



2月26日(水)~28日(金)


2月26日(水)

午後2時
   JR紀伊勝浦 集合
     *新大阪9時32分発 特急くろしお5号ー13時32分 紀伊勝浦着
    
午後2時~4時 穂堕落寺・熊野那智大社
       那智の滝・青岸渡寺など。
       
       午後5時すぎ ホテルへ。

       ホテルは、熊野灘に面する
       国民休暇村 紀伊勝浦を予定
       (朝日が綺麗なホテルです)
       

2月27日(木)

朝9時30分 出発

午前  神倉神社
    熊野新宮大社参拝
    
午後  花の窟神社
    産田神社を参拝
    
夕刻  熊野本宮近くの、川湯温泉へ
    
    お宿は 川湯温泉『みどりや』
    *マイクロバスでの移動は、この日までとなります。
    *仙人風呂(川を掘ってはいる大自然の中のお風呂)
     (毎年、2月末日までですが、ぎりぎなタイミングです。
      みどりやさんの露店風呂も大自然の中での温泉ですのでお楽しみに!)


2月28日 熊野古道を歩き(発心門から熊野本宮へ約2時間半)、
     熊野本宮大社へ
     (みどりやさんのバスで、古道の入り口まで移動します)

     午後、大斎原(おおゆのはら :明治22年までの社殿のあった熊野川の中洲の地)参拝
        熊野川の河原散策。
     午後5時頃、白浜駅へ戻ります。
     (市営バスで、移動します)

(2月29日&30日の、日本トランスパーソナル学会にご参加の方は、
 そのまま、川湯温泉で宿泊。中川は、そのまま熊野におります)

参加費 3万5千円前後
*参加人数によって変動あり。2泊4食、熊野内での移動費等を含みます。白浜までの移動費は含みません。
*お部屋は1室、4~5名の相部屋となります。それ以外をご希望の場合は別途料金が派生します。
*天候によっては、仙人風呂、熊野古道歩きが出来ない可能性がありますが、ご了承ください。
*神倉神社、熊野古道のウォーキングでは、トレッキングシューズ等、すべりにくく、歩きやすい靴をお勧めします。
*マイクロバスでの移動は、27日までとなります。帰りは、市営バスで白浜駅への移動となります。


お申込みフォーム
touchandhealing121★gmail.com
(★を@にかえて送信してください)
09019663819 中川れい子まで



<熊野と女神・女性性の伝説>


熊野が古来からの信仰を集めた
聖地となった理由には、
様々な由来がありますが、

特に中世以来、熊野信仰を
全国に広げた熊野比丘尼(くまのびくに)
の活動等でも知られるように
「女性」とのつながりの深い聖地
でもあり、女人禁制や身分制度の
枠組みを超えた、聖地で有名です。

古事記・日本書紀の神話に登場する
大母神「イザナミ」。

日本の神道の枠組みを超えて
縄文時代からつながる
水の女神「瀬織津姫(セオリツヒメ)

そして、
神武天皇が熊野上陸する以前
熊野地域を支配していた
女性酋長「ニシキトべ


こうした、様々な
女性の力・女神の力が
熊野を、生命の泉
よみがえりの聖地として
長きにわたる信仰の礎を
培ってきました。

今回、”熊野”の聖地を
めぐりゆくことで、
本来の、自分のリソースへと
辿りゆく力を、一人一人の中で
耕していく。。。
そういう旅をご一緒したいと思います。

まだ、寒さの残る2月の末の熊野の地。
平日ですので、比較的人も少なく
ゆっくりと周れると思います。


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# by reiko-koyago | 2019-11-01 16:46