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レイライン通信 - Soumya 中川れい子の日々を伝えるblog rayline.exblog.jp

エサレン®ボディワーカーでNPO法人タッチケア支援センター代表理事の中川れい子(旧こやごれーこ)の個人ブログです。2003年から、癒しのことを、旅のこと、聖地巡礼、社会問題の徒然を気ままに綴り続けたブログ。


by reiko-koyago
2021年 

感染症対策をしっかりとったうえで
関西と関東での個人セッションを再開しております。
大変タイトな日程で恐縮ですが、下記、ご参考にしてください。


by 中川れい子



からだ目覚める
こころとつながる
あるがままに包まれる

東西の叡智と大自然が育んだ
全身のオイルトリートメント

呼吸は<風>
からだの中の水は<海>
わたしたちのからだが
この美しい地球と共にあることを
エサレン®ボディワークは伝えます。

個人セッションでは
*タロットカードリーディング
*カウンセリング
*アルファスティム
*フットバス
等を盛り込みながら、
エサレン®ボディワークで
トータルな癒しを提供します。

とことん、自分自身を癒し、リラックスし
自分にかえる時間が必要とされているとき
ぜひ、ご体験ください。
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セッション・メニュー

≪ A お勧めなトータル・コース ≫

タロットカード(カウンセリングでも可)
アルファ・スティム&フットバス
エサレン®ボディワーク 120分

深い、深い、リラクセーションと、潜在意識の解放をもたらすワークです。
水のように流れるストロークとタッチを通じて肉体・感情体・メンタル体と丁寧に対話しながら筋骨格系・循環器系・そして、神経系を調えます。癒しと変容にコミットするトータルなヒーリングワークとして、じっくりと自分自身を癒し、新しい自分に産まれ変わるのを体感してください。
≪セッションの流れ≫
タロットカード・リーディング
 約30分
CES 療法(アルファ・スティム)による、リラクセーション
頭蓋電気刺激療法、米国製のαースティムを使用し人体に害のない超微電流を流すことで、リラクセーションを促す機器です。脳波をアルファ派へと促し、セロトニンを誘発することが研究で明らかになり、無害で副作用もありません。また、フットバス(足湯)を行うことで、循環を高めると同時に、グランディングを促します。
詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
 http://resilience-j.org/ces.html
 約20分
エサレン®ボディワーク
米国カリフォルニア州、エサレン研究所で開発された、全身のオイルトリートメント。
波のリズム、ゆっくりとした気づきある動き、呼吸への注目、立体的なマッサージテクニック、エナジーワーク等、様々なメソッドが融合された、ボディ&マインド&スピリットの統合へとむかう、リラクセーション効果の高いボディワークです。約120分
 (トータルで3時間半ほどのお時間をご予定ください。お顔へのトリートメントをご希望の方は、お化粧直しの道具をご持参ください)
料金 2万円

<B アルファ・スティム+エサレン®ボディワーク100分>
問診のあと、トータルなエサレン®ボディワークをご堪能ください。
(アルファスティムは、ご希望の方のみとさせていただきます)
15000円(トータルで約2時間30分)

<C  施術 60分コース>
下記から、お選びください(当日に選んでいただいても結構です)
A 60分の全身のエサレン®ボディワーク
B 上向き、デコルテ・ヘッドマッサージ、両腕・両脚へのオイルトリートメント
C 着衣のままでの、穏やかなタッチで、おからだと対話しながらの、ヒーリングワーク。
料金 10000円 
(タロットカード、アルファスティム・フェイシャルをご希望の場合は、+各2000円)

<オンコロジーボディセラピー>

*がんの治療中の方、治療後の方への施術を承ります。
*事前にご体調をメールか電話でご相談ください。
(個人情報は守秘義務で保護させていただきます)
*カウンセリング+施術(60分)
 (トータルで2時間)
料金 8000円

<マタニティ・産後のエサレン®ボディワーク>

*妊娠中4か月から8か月までの方に受けていただきます。
*カウンセリング+施術(60分)
(トータルで約2時間)
料金 8000円



<オンライン・セッションのお知らせ>

タロットカード・リーディング(あるいは、カウンセリング)と
セルフタッチング誘導による、遠隔ヒーリングワークを
ZOOMによるオンラインで、1対1でおこないます。
心の疲れを癒したい。
頭の中を整理したい、
一人では瞑想ができない、、等、お気軽にお声かけください。
詳細は、こちらをご覧ください。




お申込みフォーム
https://ws.formzu.net/fgen/S27134092/ (PC スマホ)
https://ws.formzu.net/mfgen/S27134092/(携帯)
*フォームが機能しない場合は、こちらにご連絡ください。
メール touchandhealing121*gmail.com (*を@に代えてください)
電話  09019663819

*お熱や咳のある方、ご体調に不安のある方は、ご遠慮ください。
*心身上の問題で、特に考慮することがあれば、事前にお知らせください。
*メールでのやりとりや、当日での面談で得た個人情報は守秘義務を守ります。
*キャンセルの場合は、必ず事前にお知らせください。
中川れい子の、エサレン®ボディワーク個人セッション
このようなお悩みの方に、おすすめです。



*自律神経系を調え、深いリラクセーションを求める方。
*肩こりや首・背中のこり等、からだの緊張が気になる方。
*力を抜けたいと思っても、なかなか、自分ではゆるめれない方。
*筋・筋膜、骨格系をととのえ、全身のバランスと循環を高めたい方。
*こころとからだのつながり、統合感を取り戻したい方。
*エサレン®ボディワークって何?と、興味のある方。
*イライラや不眠症、ストレス等でお悩みの方。
*更年期特有のお悩みをお持ちの方。
*自分自身の潜在的な意識や力の可能性を広げたい方。
*本来の自分を取り戻したい方。あるいは、人生の転換期。
*自分のからだへの気づきを深めたい方。
*心身のバランスを高め、パフォーマンスを向上したい方。
*うつ・PTSD・喪失の回復期、摂食障害、不安神経症の方もお気軽にご相談ください。
*がんの既往歴のある方は、施術時にご相談ください。
*4か月から8か月の間の妊産婦の方、ご相談ください。
(心身の状態によって、施術時間を短めにすることがあります。着衣のままでの施術も可能です。
その際は、料金も調整いたしますのでお気軽にメッセージ欄を通じてご相談ください)


中川れい子 
プロフィール

NPO法人タッチケア支援センター理事長関西学院大学文学部卒業後、塾・予備校等の教育産業に従事。1995年、阪神淡路大震災で被災し避難所・仮設住宅でボランティア活動を行う。そうした体験から「からだ」を通じての心身の癒しとサポートに関心をもち、ボディワークや心理学、各種ヒーリングを学び始める。1999年、エサレン®ボディワークと出会い、その後認定プラクティショナーとなる。施術歴は21年。多くの方々の個人セッションを積み重ねる中、触れることの諸相とその心身への影響について探求を深め、2003年よりタッチやボディワークに関する講座を開講。さらに、2011年、NPO法人タッチケア支援センターを設立。こころと身体のつながりや、心身への気づき、関係性、そして、タッチの質感を重んじるタッチケアのあり方を追求し、その普及・教育・相談事業を展開する。対人援助のための「こころにやさしいタッチケア」講座や、「タッチとこころ」等の講座を開講。また、高齢者施設・がん患者会・うつ病の方の就労支援センター、発達障害・精神障害の方のデイサービス等でのボランティアや出張講座、産婦人科病棟での、産後の方への全身のオイルトリートメントの施術者としても活動。身の医療研究会理事。 エサレン®ボディワーク等の個人セッションは、アマナスペース(amana space)と東京(渋谷区)で受け付けています。
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# by reiko-koyago | 2020-06-29 12:08
4月8日、Facebookに投稿した文章ですが、レイライン通信にも残しておきますね。1年後に読むと、何か発見があるかもしれません^^。


「なぜ、日本は諸外国に比べて検査数が少ないのか?」

4月8日。今日から緊急事態宣言下での外出自粛が本格化していて、個人が出来ることは粛々と感染リスクを下げる努力を尽くすことだと思うのですが(と共に、自粛に伴う補償問題も注視したい)、思考停止になることは避けたいので、自分自身の頭の中の整理の意味で、どうしても気になっている「なぜ、日本は諸外国に比べて検査数が少ないのか?」という理由について、まだ記憶が新しい段階で、思いつくままに列挙してみたいと思います(これは、なぜ日本は諸外国に比べて緊急事態宣言が出されるのが遅かったのか?と、少し関連するかと思うのですが)。

もちろん、私は専門家ではないので、知識も情報も限られています。一般庶民レベルでの聞きかじりレベルでの情報を、あくまで個人的なブレインストーミングとして整理していることをご了承ください。情報や認識に修正が必要な面もあるかもしれませんので、ご意見があればお気軽にどうぞ(なお、検査というのは、日本でも一般的に知られているPCR検査を指しています)


*ちょうど、昨日、4月9日、WHO顧問の方の記事がダイアモンド経済に掲載されましたが、こちらもご参考にしてください。
他にも、3月段階での検査数の少なさを指摘していた記事も残しておきます。
3月17日 医療ガバナンス研究所理事長 上昌宏氏 「ウイルスよりも人を見よ」
3月14日 米ジョンズ・ホプキンス大学ジェニファー・ナゾ上席研究員 朝日新聞インタビュー記事「日本のPCR検査は少なすぎる」


***


推定理由その1
東京オリンピックの開催が7月に控えていた手前、陽性感染者「数」が増えることを恐れたから。
(これはおそらく、最大の理由ではないかと思うのですが。このタイミングの不運さは、後の歴史でどのように振りかえられるのか・・・)


推定理由その2
そもそも、日本には検査キット数が不足していて、検査能力そのものが潜在的に低かった。


推定理由その3
検査の際に、検査する人が感染リスクを負ってしまう。それに付随して、検査技師が着用する防護服の不足も問題


推定理由その4 
そもそも、日本は遺伝子検査を解析する技術が低い。
(PCR検査は、遺伝子を解析する検査なのですね。もともと日本の医学界は苦手であったという説)


推定理由その5
PCR検査そのものが、偽陰性や偽陽性が出やすいので、やっても仕方がない
(これは、精度の%のデータを示していただきたいところです。8割・9割以上の精度があるのなら、やってみる価値はあったのではないでしょうか?)


推定理由その6
検査してほしい人が殺到して、その場所があらたなクラスター発生源となってしまう。
(これについては、やはり、検査の際は、韓国や諸外国のように、ドライブスルー、ウォークスルー検査の体制が必要となりますね)


推定理由その7
陽性者が大勢、病院に入院すると医療崩壊がおこる。
(この理由が、おそらく、検査に反対される方の最大の理由ではないかと思うのですが。これは、陽性であっても、軽症者・無症状者は、借り上げホテル等で過ごす政策に、今変更しつつありますので、徐々に解決するのでしょう。素朴に考えると、陽性者が何処にいるかがわからないまま市中感染を広げるほうが、潜在的な感染者を増やして、数週間後の医療崩壊につながっていくことになりかねないと思うのですが・・)


推定理由 その8
なんといっても、死者数が少ない。死者数が少ないので、それほど感染していないのだろうと推測。
(これは、日本の医療体制の優れた点だとは思います。日本は感染者数も死者数も少ない、うまく新型コロナウイルスを封じ込めた国であるという国際評価もあるようですが、最近は、他に肺炎で亡くなった方を検査していないので、もしかしたら、新型コロナウイルスの肺炎で亡くなった方の数はもっと多いのでは?という声も出始めていますが。。)


推定理由 その9
そもそも日本人は、衛生観念が高く、手洗いやマスク着用等の意識が浸透しているので、クラスター周辺だけ検査をするだけで、十分だろうという考え。
(衛生観念の高さは、ある程度、日本の特性として評価できると思います。マスクを着ける習慣も、花粉症等から、数年前から浸透していました。が、クラスター対策だけではもはや感染経路が追えなくなったと、クラスター対策班の方が、数日前に敗北宣言をされていたのでが気になるのですが・・・)


推定理由 その10
ただ単に、検査政策を大々的に実行している韓国の真似をしたくない。
(これは、いわゆる嫌韓論者に多いメンタルかもしれません。韓国は、2月24日に緊急事態宣言を発令し、全土にドライブスルー検査や、最近ではウォークスルー検査も広がっています。軽症者の隔離施設は、民間のリゾートホテルを借り上げ、生活治療センターとして運営していて、一定の結果が出て、国際的な評価を受けています。現在は、検査キットの生産も進んでいるとのこと。もうすぐ大統領選挙なので、国民へのアピールもあったかもしれませんが)韓国と日本の検査数の違い、政策の違いはこちらのブログに詳しいです。

推定理由 その11
日本はアジアとのつながり意識が低い。
(中国・武漢で発生した新型コロナウイルスは、香港・台湾・シンガポール・韓国と、、周辺地域に広がっていきましたが、こうした国々は、かつてSARSやMARSの感染拡大も懸念された経験があるので、感染症対策は国策として定着しており、対応が迅速で、かつ具体的でした。が、日本は、その間、オリンピック開催かどうかにばかり意識がいっていた。結果、中国からではなく、世界を一周まわって、ヨーロッパやアメリカの感染拡大が問題化してから、日本での問題意識も本格化した(ちょうど、オリンピック延期が決まった時期と重なりますが)。100年前の「脱亜入欧」の名残も連想します)


推定理由 その12
もともと、日本の政府そのものが、隠蔽・改ざん・統計データを無視するような性質があったので、あえて積極的に検査をしないことで、感染者「数」をごまかす作戦。
(もっともそうであってほしくない理由ですが、時を同じくして、森友問題、財務省文書改竄で自死された元財務相職員、赤木俊夫さんの遺書が公開されて問題が再燃したというのも、根っこのところで、こうした日本政府の体質が繋がりあっていることも暗示されていたり)


推定理由 その13
日本人の多くが「あまり、ものごとを明らかにしたくない」というメンタリティをもっている。
(政府の方針だけではなく、日本人一人一人が、なるべく、自分が陽性か陰性であるかについて、できれば、蓋をしておきたいのでは? 真実(客観的なデータ)を見せようとしない政府と、見ようとしない国民の「蜜月」はいつまで続くのでしょうか・・・)


推定理由 その14
そもそも症状が出てきて検査を望んでも、簡単には検査してもらえないので検査にまで行きつけないし、あきらめてしまう。
(主治医からも、保健所からも、検査をしてもらうまでに導いてもらえない。それに、保健所の受付は人員不足でパンクしてしまっています。結局、かなり時間と労力がかかるため、少々の自覚症状でも家で我慢してじっとしている(熱が出ても4日は自宅待機が、政府の方針ですし)。必死の思いで検査を受けても、根掘り葉掘り個人的なことを聞かれて、もし陽性だったら自分自身は隔離で、仕事は中止、くわえて、接触のあった方々や機関にも迷惑がかかってしまうし、下手すると世間から白い目で見られる。だったら、なるべく、検査せずに、ギリギリまで自力で頑張ろう、、、というのが人情。と、言ってるあいだに、重症化して手遅れになるかもしれないし、その間に、感染を拡大してしまうかもしれないのですが・・・)


推定理由 その15
検査論争が、イデオロギー(政治思想)対立になってしまい、タブーと忖度を生み出した。
(PCR検査ができるのに、なぜやらないのか?と、最初に論争になったのが、テレ朝のモーニングショーの番組内でしたが、そこで「PCR検査神話」として、巨大なバッシング運動が起こり、検査を語ることがタブーのような空気感がおきてしまったようです。同時に、様々な機関で一種の”忖度”が起きてしまったという推論。ざっくりとした私観による図式で恐縮ですが・・・<保守(与党支持)=オリンピック推進派=検査反対論者=科学的データ懐疑主義=歴史修正主義(神国日本・親米・反共・嫌韓)>と<革新(野党支持)=オリンピック懐疑論=検査積極論者=科学的データ重視主義=客観的歴史主義(アジアの中の日本)>という対立を起こしてしまい、国民の命と健康守るという問題の本質をこじらせてしまった・・・)


推定理由 その16
日本人は、すでに集団免疫をもっている!新型コロナウイルスが武漢で発生したのは昨年の11月だと言われていますが、その直後に、すでに日本には到来していて、そのころからすでに日本人は免疫を保有していたという説。
(希望的観測としてはとても嬉しい情報ですが、もうちょっとエビデンスが欲しいところです。免疫検査キットはPCR検査よりも安価で簡単にできるらしいので、これこそ国をあげて検査してみてはどうでしょうか? また、日本人の多くが受けているBCGも効果があったのでは?という説もありますが、さて?)


推定理由 その17
神国日本は守られている!
(幻想であるのは言うまでもありませんが、これは「島国根性」と言い換えても良いのかもしれません。実際、元寇の時は「神風が吹いた」と言われていますが、ようするに、日本が海に囲まれていて、台風の時期であっただけ。ヨーロッパやアメリカにも伝播してるのですから、島国であることは、今回のウイルスにはあまり関係はありません。ノーベル医学賞・生理学賞の、京都大学IPS細胞研究所の山中伸弥教授がおっしゃるように「日本だけが特別だとは思えない」というのが、科学的な姿勢というものでしょう)

山中伸弥教授の5つの提言 


以上、思いつくままに、17、挙げてみました。
まだまだ、他にもあるかもしれませんので、ご意見やご感想も大歓迎です。
まぁ、今更、検査しても間に合わないし(医療や福祉現場だけでも、今からでも検査していただきたとは思いますが)、過ぎ去ったことを悔やんでも仕方がないし、現場は現場で一生懸命やってるので、批判しても邪魔なだけという考え方もありますが、感染問題はこれからも到来するかもしれませんので、「批判すること」を批判するという思考停止に陥らないためにも、今のこの時期、思い出せなくなってしまう前に、書き留めてみました。 2020年 4月8日  中川れい子



写真は、明治神宮、北側の池。


コロナ徒然② ”なぜ日本は検査抑制策をとったのか?”の推定理由の覚書。_a0020162_12301345.jpg


# by reiko-koyago | 2020-04-10 12:12
3月はご時世にあわせて、ほとんどの講座とボランティア活動は休止。
おかげで家でゆっくり過ごせているので、ちょっと徒然に、脈略を気にせずに気づいたことを書き留めていこうと思います。


一昨日土曜日(3月14日)、NHKEテレ、欲望の時代の哲学2020『マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント 第三夜 闘争の資本主義を越えて』の再放送を観れました。前回は、東京を歩くだったのですが、今回はニューヨーク。『新実在論』を唱えるドイツ人の若き哲学者、マルクス・ガブリエル。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/91878/1878376/index.html 「世界は何故存在しないのか」や共著ですが「未来への大分岐ー資本主義の終わりか、人間の終焉かー」等の和訳された著書もあります。

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この取材の時にNYを歩いたガブリエルは、2月の新型ウイルスが世界を震撼させることと3月のNY株式の大暴落はさすがに予測はしてなかったでしょうに。でも、番組の中でNYのマンションに投資しようとしている女性に対して、絶対に投資しちゃだめだと釘をさしていました。

そして、昨日はドイツが全国境での人々の往来を封鎖と発表しました。ドイツ銀行の問題も同時進行しています。メルケル首相はドイツ銀行の救済には公費は使わないが、コロナウイルス対策には赤字財政覚悟で対策費を捻出するとコメントしていました。絶滅寸前の銀行を守るよりも国民の命を守ることを優先する姿勢は、さすがメルケルと思いました。彼女は全ドイツ国民の6~7割が感染するだろうと予想しています。今後、欧州各国がどのような対策を行うのか?そして、アメリカは? 世界経済は? 資本主義の終焉? 目が離せません。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-03-12/Q7316ET1UM0W01?fbclid=IwAR0KgDTlDclGKATksE-Pq1nNjbbzFfMoI3G_GI86upbbkMZbNFaygGtUByY


マルクス・ガブリエルの語る世界に、ウォール街の終焉後の世界の在り方が見え隠れしていましたが、今回、じわじわっと響いたのは「意味(meaning)」「体験(experience)」という言葉です。

ガブリエルによると、社会には「生存形式(survival form)」と「生命形式(life form)」がある。
生存形式は、とにかく生きるために必要なものを獲得するという生命としての機能。これについては、今後、ベーシック・インカムを導入する必要があるだろうとのこと。一方、生命形式とは、精神活動、すなわち「意味の場(field of meaning)」の存在形式であるとのこと。

私達一人一人が、存在意味をもち、そして、これまで生きてきた体験のひとつひとつに意味があるという考え方。現在の社会モデルは、大人の視点から作られていて、そこには「勝つか負けるか」とい生存モデルが主流。しかし、子どものころからの体験に意味があるものもあり、それぞれにとってのストーリーがある。この資本主義の世界はデータと統計主義でもあり、個人は集合の一部としてとらえて、個人の個々の体験を数値化しない。しかし、その体験にこそ意味が眠るのではないか?(おわかりのように、この場合の「意味」は外から評価される存在意味的なニュアンスではなく、一人一人がみずからの体験の中で実感する「意味」です。当然ながら、一人一人によってその意味は異なり、言語化し、評価や比較することはほとんど無理でしょう)

社会の複雑性を軽減することは不可能だけど、すべての存在に意味があるという”窓”があり、地球上すべての人々が”意味ある人生”を歩むことが大切である・・・というのが、ざっくりとした第三話の結論でした。


話がとびますが、新型コロナウイルス騒動で自宅でゆっくり過ごしている間に、夫のお父さんの中川米造氏の遺稿を読み返しておりました。『パラドックスとしての身体ー免疫・病い・健康ー』(河出書房新社)という1997年発刊の対談集の中のインタビュー記事「<病い>を捉えなおす」のところを読んでいると「意味」についての記述がよく出てまいりました。97年というのは義父さんが亡くなられた年なので終末期の病床でのインタビューだと想像します(他にも遺る、終末期のインタビューでも「意味」についてよく語っておられましたので、まさに「遺言」に近いお言葉ではないかと思うのですが)最後のところには、こう書かれています。

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人間は意味を失ったら生きていけません。
人間にとって意味というものは非常に重要な与件です。
明示的な知というものは、ある意味で意味を一般化させることで、かえって希薄化させます。意味などなくても、共通の法則性があれば流通してしまうわけですから。
しかし暗黙知まで掘り下げれば、それはどうしても意味にぶつかります。
医療に今最も求められているものは、おそらくこの意味の問題であると思いますし、それは暗黙知に関わる問題だと私は考えます。

(暗黙知というのは、明示的な知の対になる概念で、明示的な知というものは、原因を外に求め、因果関係がはっきりわかり、エビデンスもしっかりあるということです。一方、暗黙知というのは、明示的な知の背後にある「身体的・個人的な、いわば、非言語的な知」のこと。同じく、同インタビュー集には、こうあります。

普通我々が言う治療とは、要するに明示的な知を共有することによって病気を発見し、治すという一連の流れ全体を指すことであり、それで解決ができればいいわけです。

しかし、ある症状が出て、それを明示的にはっきりとした病気として捉えられないこともあります。先ほど言った器質的な疾患は、明示的にとらえることも可能です。しかし、機能的な疾患は、そもそも明示的な言語でとらえることは不可能なものです。それは、患者さん自身が自分で意味付けしていかなかえればならないものだからです。いわゆる暗黙知に属するこのであり、明示的な知として明確に言語化される以前の非言語的な知です。患者さんが自分で意味づけると言っても、そもそも非言語的な知ですから、非常に難しい。

もう少し、引用したいのですが、このあたりで。

ちなみに、明示的な知と対で語られている「暗黙知」を唱えたのは、マイケル・ポラニーという哲学者(1891-1976 )で、ハンガリー出身の哲学者です。

代表作の「暗黙知の時点ー言語から非言語へー」は、夫の実家のトイレの中に、義父さんが亡くなられてから10年以上たっていた頃、私が初めて夫の実家を訪れたときに、まだ生前のままにお手洗いの中に置いてあったご本です。トイレの中での読書は、夫も好きなので、よく似ているなぁと思うのですが(読んでる本はかなり違いますが^^)想像するに、末期がんの終末期を自宅療養で送っておられたお義父さんが、最後に読まれた本がこの「暗黙知の次元」
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今も手元に置かせていただいていますが、これがなかなか読みづらく難しい哲学書で読めずにおりました。が、先日1月に尼崎に来て2日間の講演をしてくださった安冨歩先生の「合理的神秘主義」に、このマイケル・ポラニーのことがかなり詳しくとりあげておられたので、ようやく理解が深まったところです。
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さて、この暗黙知の次元と医療について、昨今の、新型コロナウイルスにあてはめてみると、ウイルス感染の有無や感染経路の確定等、今はまだ「明示的な知」というエビデンスや統計、科学的な判断にそのよりどころをもつ段階ではありますが、やがて、多くの人が感染し、しかし、その多くの人が症状をもたず、あるいは、病状のあらわれ方が多様性をもつようになったら、また、感染することでその人の社会活動や家庭生活への影響も、様々な可能性が考えられるようになってくる段階に入ったら、この「暗黙知」の部分に、医療も目を向けなければならなくなるのではないか?と、そのようなことを考えたりも。

検査結果で陽性であるからといって「病気」であるとは言えない微妙な状態になるのではないでしょうか? 私は感染を抑えることに重きを置く現段階では、検査実施を推進したほうが良いと思いますが、このウイルスの微妙なところは、検査結果で陽性であっても、必ずしもそれが「病気」の状態とは言えないのでは?ということです。

たとえば、義父さんのインタビュー「<病い>を捉えなおす」には、こうあります。

60歳を過ぎたら、小動脈瘤は百%あります。
それをわれわれは老化と呼んできたわけで、それを病気だということ自体がおかしなことなのです。

検査は検査で有効だけど、検査結果だけがすべてではない。
今、世界で起こっているパラドックスは、検査をすることで隔離が必要な病人の数を増やしてしまい、それに対して医療が追い付かなくて、医療崩壊がおこり、本当に重篤な患者の対応ができなくなる。しかし、検査をしないと適切な隔離はできないし、誰が感染しているかわからないのでじっと自宅待機を全体で余儀なくされる、、すると経済そのものが停滞し、致命的な打撃を受ける人も多い。。。

感染拡大をふさぐための隔離対策は必要だけども、陽性であることの意味を、個々人のライフストーリーの中でとらえていかないといけないのではないか? もちろん「隔離」という言葉の意味にも、もっと多様性を持たせる必要があるかと思います。少なくとも、陽性の人を悪者扱いにする社会的態度は絶対に変えていくべきでしょう。

また、治療法も、抗生物質やワクチンという形ではなく、全体的な免疫力・抵抗力を高める、あるいは、ストレスを軽減するためのメンタルケア等が中心となっていくのではないでしょうか?

まさに、目に見えないウイルスがもたらす、暗黙知のパンドラの箱が開いたかのごとく。

もちろん、経済活動も、株の価格など、数値化されたものによって右往左往するよりも、それぞれ、個人個人の内側にとって、経済活動がどのような意味をもつのか、、、ということに依拠するようになっていくのでは?とも想像します。

目に見えない新型コロナウイルスが、世界中をあっというまにかけめぐり、医療と経済のシステムが連動しながら世界が変容し、そして、おそらくは、世界中の人々の幸福感・死生観にも影響をあたえていくでしょう。

風や空気や呼吸にかかわる、まさに「水瓶座」の時代の到来をあらわす2020年初頭大事件。
もうしばらく、グランディングして観ていきたいと思います。



# by reiko-koyago | 2020-03-16 12:24

阪神淡路大震災の時に被災者の心のケアに関わりその後の被災地での心のケアに道筋を遺した精神科医師の安克昌さんのことが、昨日のEテレ「心の時代」で特集されていました。https://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2020-03-01/31/10506/2008361/

心のケアから”品格ある社会”へ(25年目の阪神淡路大震災)_a0020162_13405595.jpg
ドラマを観終わった直後なので、ご本人の写真やご家族・ご友人の言葉とともに振り返る番組内容はとても引き込まれ、私自身の阪神淡路大震災の被災後の経験も何度も浮上していきました。

ディレクターさんが選んだテーマだと思いますが、冒頭で登場した安先生ご自身のこの言葉は、震災後25年目にしてほんと重要だと思います。発掘してくださったNHKに感謝。

 心のケアを最大限に拡張すれば
 それは住民が尊重される社会を
 作ることになるのではないか。
 それは社会の「品格」に
 かかわる問題だと私は思った。

心のケアから”品格ある社会”へ(25年目の阪神淡路大震災)_a0020162_13404001.jpg


25年前を振り返ります。実際にこの当時には「心のケア」や「心の傷を癒す」という言葉はほとんど活用されていませんでした。心がずたずたに傷ついているのは当たり前で、まず生活をなんとかしなければいけなかった。。。しかし、命からがら生き延びて、避難所に行き、そして、仮設住宅、公営住宅へと住宅が復興していく中で、傷ついた心をなおざりにしていたことから、多くの被災者が心と身体を病み、がんや心臓病、高血圧、うつ病、アルコール依存症、そして孤独死へと追いやられていったという問題が残りました。

震災復興には、被災者一人一人に、とてつもない我慢と忍耐と抑圧が強いられます。その間に、心を病む人はとても多い。そのことが、せっかく地震そのものからは助かった命なの、擦り切れるように追いつめられてしまう。そのことを示したのが阪神淡路大震災だったと思うのですが、その後の東日本大震災を含む大災害に、この時の教訓がどれほど活かされていったのかなぁ?と疑問に思うことがあります。

が、こうして、安克昌先生の足跡と言葉が遺されたことで、これから、もっと改善されていくだろうと思いますし、実際に、東日本大震災の際でも、圧倒的に臨床心理士さんや心療内科医師、災害看護、そして、私達がかかわってきた、タッチケアや、アロマ等の身体的な心のケア、トラウマワークも増えていったのを見ると、一定の成長は見つけられるのかなぁとも思います。

ここで、とても大切なことは、「心のケア」とは何かというと、心を大切にするということなのですが、すなわち、それは住民一人一人を大切にしていこうという、社会のこれからの在り方の方向性を示しているということです。復興というものは、一人一人の心等にはかまっていられないほど、残酷で暴力的なものでもありますが、
だからこそ、その一人一人の心を尊重するということは、社会の在り方としてあきらめてはいけない獲得課題。

で、、、。今回のテーマは、一歩進んで、
「社会の品格」

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安先生の弟さんが、少しコメントをされてましたが、この「品格」という言葉には、そうではない社会への一種の怒りがこめられているのではないか・・・とおっしゃってたのですが、それは、私も、激しく共感するものがあります。

怒りというのか、皮肉というのか、逆説的な意味での「品格」なのだろうと。それは、いわゆる震災弱者といわれる、高齢者・障害者・外国人・・・の存在を排斥する形での復興を想像したからです。この町は、そういう排除を、ひそかに品性としてあがめるような質がある。それは、私自身の疑心暗鬼でもあるのですが。

見えないようにして、手を差し伸べない。
見た目だけを綺麗にする、近代的な都市。
そういうふうに復興した阪神間の街を
「品格ある街」とするようなベクトルもあったのです。

そうではない方向を一人一人の心を大切にするという視点で示し、心のケアを拡張した向こう側を「社会の品格」として道筋を示したのが、今回、安克昌先生が遺された言葉や活動から発掘されたことなのかなぁと思える特集でした(こういう「品格」という言葉の使い方は司馬遼太郎さんもよく使っておられましたね)

安克昌先生。
世代的にはほぼ同じなのですが、コミックやジャズピアノが趣味でらしたのが、思わず共感してしまいました^^。医師ではなく、作家になりたかったのですね。

在日韓国人でらしたという生い立ちも番組では取り上げられていましたが、震災復興では、私は本当に多くのご自身も被災し、震災復興のために奔走した在日として生まれ育った方達とご一緒に活動し、その方達のことを思い出しました。地震による破壊で、文字通り壁が壊れて、垣根が取り払われ、立場も国も民族も超えていった瞬間に、そこに「コミュニティ(地域)」の本来の姿が浮上した瞬間でした。

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安先生ご自身も、阪神淡路大震災以前は、コミュニティということを深く考えたことはなかったと、生前の古いインタビュー映像で語っておられましたが、実は、私自身もそうでした。「地域・コミュニティ」とは、同じ大地の上に共に暮らす人々で、そこには、一人一人のいのちの尊厳が、横並びでつながっているフィールドであることに、地震によって気づかされたのです。

阪神淡路大震災を通じて、大きな破壊と犠牲の上に、「地域・コミュニティ」という新大陸が浮上していった。それは、25年前、阪神淡路大震災の直後に観た、私の祈りのようなビジョン・夢でもありましたが、この夢を、実は多くの方達が共有していたことを今は、確信しています。

あの時、何かに突き挙げられるかのように、震災復興のために疾走した方達の多くが、命を燃えつくしたかのように、亡くなっていかれた方がどれほどに大勢おられるのか(安先生のように)も振り返りました。

同じ思いを、共に手を取り協力しあえば、素晴らしい町となったのでしょうが、その当時は、本当に、みんな必死で、それどころではありませんでした。

時間によって熟成されていくのが必要なのでしょう。
故人の方達が観た”夢”が、引き継がれていきますように。
あの時、この町の破壊と死と再生を、生で見て、体験したことを、私の場合は、触れる手を通じて、伝えていきたいと願いました。

震災で出会った人達のことを。
少し語り始めてみようと思います。

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# by reiko-koyago | 2020-03-14 13:43

2020年があけて、もうすぐ3か月。新型コロナウイルスが猛威を振るい、日本社会に押し寄せています。

日々、様々な情報と共に、感染の拡大の報道が。11年前の5月に、神戸の街を襲った新型インフルエンザの騒ぎをついつい思い出してしまいます。あの時も、神戸の大きなイベントは随時中止となりました。もちろん、感染力は今回のほうが大きいので、より丁寧に警戒し、対策することは大切ですが、感染パニックの空気感があの頃のことを思い出されますので少し振り返ってみようかと思います。


私は、ちょうどその時、インドの、来場者一人一人を大切に「抱きしめる聖者」アンマ(マーター・アムリタ・ナンダマイ)の神戸プログラムのボランティアとして参加していました。神戸では、多くのイベントが中止となった中、アンマのプログラムは中止にはなりませんでした(ただ、来場者数は少なく、ボランティアの方も参加できない方もおられましたが)。もちろん、その判断が正しかったかどうかは私には判断できませんが(実際に、その数日後に新型インフルエンザの騒動は収束し、まるで何事もなかったかのようになったのですが・・)、それに、今年の状況ならば中止となるかもしれません。が、あの時の新型インフルエンザの騒動は、まるで今年の新型コロナウイルスで起きていることの予告編のように振り返られ、いろいろなことを考えさせられます。


2009年、新型インフルエンザのため町全体がパニック状態だった神戸での、アンマの来日プログラムで、偶然、私は関西のボランティア代表として、アンマと来場者の皆様の前で、スピーチをさせていただく大役にあずかりました。古いgoogleの添付ファイルを探してみると、その時のスピーチ原稿が見つかったので、今、読み返すと、いろいろなことが蘇り、自分なりに考えさせられたので、ここに記載し、少し振り返りたいと思います(ボランティア代表として大勢の方の前でお話しているので、少々、堅苦しい表現となってますがご容赦を^^。このスピーチはアンマの日本の季刊誌「マートルヴァ―二」にも掲載していただきました)アンマについては、こちらのサイトをご覧ください。

http://amma-rainichi.org/amma/index.html


現在、私は、タッチケア(人のからだに触れるケア)を普及する立場にありますので、もちろん、感染のリスクを退け、正しく警戒することの重要性を痛感しています。同時に、人に触れる・触れられることの重要性も痛感しています。こうしたことを、今後、わかりやすく文章にしていこうと思うのですが、まずは、11年前の、アンマに捧げたスピーチ原稿からスタートしてみますね。


それにしても、神戸という町は、1995年の阪神淡路大震災から、2011年の東日本大震災へ。2009年の鳥インフルエンザ問題から、2020年の新型コロナウイルスへ。。。不思議な町ですね。


中川れい子


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親愛なる来場者の皆様

そして、今年もまた神戸に訪れ、慈悲深く忍耐強く、私たちを導いてくださる、アンマ・・・。

こんばんは。

私は、アンマ来日、神戸プログラムに、三年前からボランティア参加させていただいてます、中川玲子と申します。今回、大変僭越ながら、大勢のボランティアの皆様の中から、スピーチの大任をいただいて、ただいま、大変緊張しております。

私が初めてアンマにお会いしたのは、2005年の5月の東京プログラムでのことです。大勢の方がそうであるように、私もまた、何かに導かれるかのようにそこにたどりつきました。それから数ヶ月たち、同じプログラムで、やはり、初めてアンマに導かれた西宮のTさんご夫妻とも出会い、Tさんのご尽力で、20075月、アンマを、私たちにとって大切な町、神戸にお招きする運びとなりました。今から振り返ると、ほんとうに、何もかもが必然で、アンマが神戸にいらっしゃることは、天の計らいであるように、感じられてなりません。

 

私は、三年前から、ボランティアとして参加し、とくに、アンマのダルシャンを待つ方たちの並ぶ、ラインの整備のお手伝いをさせていただいています。

皆様もよく御存知でしょうが、アンマのダルシャンは、ほんとうに聖なるものだと、私は痛感いたします。アンマの抱擁は、あたたかい生身の身体が触れ合うことで、すべての人々の中に、血の通う生命の尊厳が宿ることを教えてくださいます。そして、絶え間なく、すべての方たちを抱きしめることで、すべての人が等しく天から愛されていることも、教えてくれます。

その一瞬も休まずに、抱きしめつづけるお姿を、真近で見ていると、まさに、湧きいずる泉から、こんこんと水があふれ、そして、川となって流れいくかのように見えます。

アンマという、おおいなる愛の源泉からあふれる水・・。その水の流れが、スムーズに、隅々にまで、流れていくのをお手伝いするのが、私たちの仕事です。


とどこおらず、よどみなく、たんたんと、あふれ、流れて、広がっていく愛の川。。。その流れを妨げないためには、どうすればいいのか? 私はふと、その川の流れをとどめようとする、「石ころ」のようなものを感じました。それは、私たちの心の中に、ごつごつところがる、「エゴの石」です。欲望・執着・嫉妬・闘争・・・。アンマのボランティアをしていると、そういう石ころが、自分の心の中で、ごつごつと音をたてて、流れる水をせきとめようとしているのが、時折、感じられます。それに気がついたとき、私は、自分の未熟さが悲しくなりました。あれほどに美しく、絶え間なく流れる、アンマの愛の川が、あるがままに、そのままに、広く隅々にまで、届けられるには、どうすればいいのだろうかと、いろいろと、思い悩みました。


3年のボランティア生活の中で、じょじょにその「コツ」がわかりかけてきました。それは、「手放して、ゆだね、受け入れ、愛する」ことなんだと・・・。そういう体験を繰り返す中、少しずつ、心の中の石ころが、小さく砕かれていくのが感じられました。あぁ、アンマは、こうやって、ボランティア活動を通して、一人一人を導いてくださっているのだなぁと、気づいたとき、不出来な弟子に対する、アンマの慈悲深さ、忍耐深さに、ただ、ただ、感謝でいっぱいになり、胸が熱くなりました。


と、同時に、アンマご自身が、欲望・執着・嫉妬といったエゴの石でせきとめられていない、さらさらと流れる清流そのものなのだということに、気づかされます。アンマが、一日に数百人、数千人と抱きしめ続ける中、ただの一度も、嫌な顔をしておられるのを、私は、見たことがありません。ずっと止まらない、よどみのない動きで、富める人も、貧しい人も、すべての人を、平等の愛と無執着の心もって抱擁されているのが、よくわかります。アンマを見ていると、愛は、無限に湧きいでて、すべての人に注がれるものであり、石油のように、奪いあう必要のないものだということが、とてもよく理解できるのです。


 さて、アンマがこの神戸を訪問地として選んでくださった理由の一つに、あの14年前の阪神・淡路大震災があると私は感じています。私はあの日、西宮の自宅で被災しました。1995117日、午前546分。おそらく、あの大地の激しい揺れを、私は一生忘れないことでしょう。ほんの数秒、地球が揺れただけで、私の部屋も、我が家も、そして、近所の周囲すべてが、様変わりしていました。全壊してぺしゃんこになった家、おしつぶされて亡くなったご近所の人たち、倒壊したビルディング、周囲に立ち上がる火事の不穏な煙・・・。日常とは程とおい、悲惨な風景がそこにあり、恐怖と悲しみで、心が押しつぶされそうになりました。


地球にすれば、ちょっと、くしゃみをしたぐらいの揺れだったのかもしれません。たった、それだけで、昨日の現実は、もう、目の前には、ありません。ちょっと地球が揺れただけで、あっというまに、木っ端微塵に壊れてしまいます。私たちは、日常では忘れてしまっていた、大自然の脅威、地球の力をあらためて思いしらされました。


このスピーチ原稿を作成しているとき、アンマのお弟子さんのシャンタジさんから、「人と自然」という本の中にあるアンマのお言葉を教えていただきました。これは、アンマのインドのアシュラムも大被害を受けた、インドネシア沖津波の10年前に語られたお言葉です。

「私たちの生活の質は、大幅に低下してしまいました。多くの人が信仰を失い、愛も思いやりも持たず、全体の利益を考えて手に手をとって協力して働くチーム精神も消えてしまいました。これでは、大自然に悪影響となります。大自然は、祝福をすべて引き揚げて、人間に反するようになります。人間がこんな調子でいれば、大自然がどんな反応をするか、想像を絶するものがあるでしょう。」 

私たちは、あの大震災の体験を通じて、そのことを身をもって感じたといえるでしょう。

私たちの意識や行いは、常に、密接に地球や大自然とつながりあっている・・・。このことを受け止め、そして、後生にまで伝えることが出来るなら、あのとき、大勢の犠牲になった人たちの御魂にも、少しは報いることができるかもしれないと、私はおもいます。アンマが、世界中からの招待を受けながら、あえて、神戸を訪問地として選んでくださるのも、ここに暮らす私たちに、それを伝え、導くためではないかと、思えてなりません。


今回、世界中で鳥インフルエンザが蔓延したことで、この神戸にも広がり、大きな不安と動揺が走りました。感染を最小限にくいとめるための努力は、とても大切だとは思います。と、同時に、今回のことで私が感じたことは、なによりも、あぁ、世界中、みんな、同じ空気を吸って生きているんだなぁ・・・という、当たり前の事実の再発見でした。地球の観点からすれば、水も空気も大地も、すべて、つながりあっています。人間の力で、それをせき止めようとすることの難しさを、今回、しみじみと感じました。今こそ、私たちは、謙虚に、全体の一部であり、つながりあっていることに、目をつぶらずに受け止めることが、必要なのではないかと、ここ数日、思いをめぐらしておりました。インフルエンザも恐ろしいですが、つながりを忘れてしまった社会もまた、恐ろしいと思います。そのことを見据えて、今回の問題にむきあっていきたいと、プログラム開催にあたり、思いめぐらしました。


そして、おそらく、そのことへの理解を深めることこそが、今日、私たちが求めるべき霊性の向上ではないでしょうか。ここでまた、シャンタジさんが、アンマの美しい言葉を紹介してくださいましたので、引用したいと思います。

『真我(アートマン)を悟って、身体を超越した魂には、一切の「相違」は存在しない。そんな魂には、すべては一つの「普遍意識」の一部であって、あらゆるものが、「ひとつながり」であると、はっきり見え、一つも別個の存在はなく、すべては全体者の部分を形作っているのだとわかる。その境地の中では、あなたは、どこででも、あらゆるものの内に自分自身を体験する。・・・こちらにも、あちらにも、、上にも、下にも、どこを向いても、醜いものも、美しいものの内にも・・・。そういう魂は、どこを向いても、見えるのはそこに既にあった自分自身の真我だけ。その人は、いつも存在していて、不在ではありえない・・・』

なんとも、崇高な境地のお言葉であり、ただ、ひれふするばかりでありますが、こうした境地に、ほんの少しでも近づくために、私達のボランティア活動があるのだと、最近、思えてまいりました。

 毎年、アンマがいらっしゃる直前は、やらなければいけない仕事が、集中豪雨のように、天から降り注いできます。あんまり忙しいので、何も考えずに、ただ無心に、それをこなしていきます。考える暇がないのです! そうやっているうちに、はっと気づきました。

もう、私の中で、それが、自分のためなのか、アンマのためなのか、みんなのためなのか、社会のためなのか、区別がつかなくなってしまっているのです。もう、そんなことを、考えることすら、億劫なのです。そうなったとき、私の心はふっと、軽くなりました。なんだぁ、みんな、つながっているのだから、結局は、どれも、同じなんだ、循環してるんだ。分けて考えることで、いかに、私は、心のエネルギーを消耗させていたのかが、よくわかりました。


そんな気づきを得たときに、ふっと、私は、アンマのことを思いました。

あぁ、アンマは、一人ひとりを、絶え間なく、抱きしめ続けることで、自分自身のおこなっている努力が、常に、世界全体のためになっているのだと、わかってやっておられるのだなぁ・・・。アンマは、すべての存在、すべての人達の中に、アンマご自身をご覧になってるのだなぁ・・・と・・・。


そして、私は、こんな夢を思い描きました。

いつの日か、心の中の石ころが小さく磨かれて、さらさらとした砂となり、水の中にまざりあい、そして、みんなが、すべての人の内側にあるアンマを見つめて、愛と理解をもって、平和に暮らす日が訪れることを・・・。

普段は、遠く離れておられますが、アンマ、いつもいつも、ほんとうに、私たちを導いてくださって、ありがとうございます。そして、今年もまた、神戸の街にも、やってきてくださって、本当にありがとうございます。神戸が、アンマの愛の川の流れる、一つの大きな分水嶺として成長していきますように、どうか、お導きください。心からの愛と祈りをこめて・・・。長い時間、ご清聴ありがとうございました。

            


2009年 アンマ神戸プログラム会場にて


ボランティア代表 中川玲子


アンマの美しいダルシャン(抱擁)の様子は、こちらをご覧ください。

Love of Grace

https://www.youtube.com/watch?v=VPS1YDu-aeU&t=73s

Science of Compassion

https://www.youtube.com/watch?v=YsxZI0PBl_A


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# by reiko-koyago | 2020-02-22 09:41